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黄泉夜譚 ヨモツヤタン  作者: 朝里 樹
第四五話 伝染する悪夢
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一 カシマさん

「私の足は、どこにあるの?」

 私は血溜まりの中でそう呟いた。右腕と左足の付け根が酷く痛む。意識が遠のく。それでも何とか動かした眼球は、片足と片腕とを失った自分の体を眺めていた。

「私の……腕……」

 足が無ければ舞台に立てない。手が無ければ踊れない。それは嫌だ。私がやっと笑えたあの場所が奪われるなんて。涙が零れた。どうしてみんな私が幸せになることを許してはくれなかったのだろう。女は苦悩する。だがその思いはやがて怒りと憎悪に変わり行く。

 ならば私も、私の幸せを奪った奴らを許さない。

 私の周りで囁き声が聞こえる。笑い声も聞こえる。みんなが私の死を眺めている。私の死を望んでいる。

 女は残された左手で近くに落ちていた鈴を拾った。祖母が残してくれた彼女への形見。それを鳴らすと、綺麗な音が鳴った。

 足が欲しい。腕が欲しい。足を持っている人が憎い、腕を持っている人が妬ましい。もう一度踊りたい。

 自分から何もかもを奪ったやつらが憎い。ならば奴らからもまた奪えば良い。

 長い眠りに落ちる直前、その女の心は壊れ、そして狂気は目覚めた。


第四五話 伝染する悪夢


「ねえ、カシマさんって知ってる?」

「何それ?」

「それがね、ちょっと怖い話なんだけど、カシマさんのフルネームはカシマレイコって言ってね……」

 微睡みの中、少女はベッドの上で友達と交わしたそんな話を思い出していた。彼女がその噂を聞いたのは三日前のことだった。この話を聞いたら自分以外の五人に同じ話をしなければ、三日後の夢に手足のない女の幽霊が現れる、そんな良くある都市伝説だ。

 もちろんその少女はそんな話を信じてなどいなかった。そんなものは友達と盛り上がるために誰かが作り上げた作り話だ。みんなで一緒に怖がって、そして明日の朝には無事だったことを笑い合う、そういう類の噂話。そんな風に思っていたから、幽霊に襲われないためになんて理由で誰かに話したりはしなかった。

 それでも夜になり、部屋で一人きりになるとどうしてもその話を思い出してしまう。幽霊なんて信じていないのに、意味もなく怖くなる。

 だから今日は電気をつけたまま眠ることにした。真っ暗な部屋の中にいるよりこの方が幾分も安心できる。こんな明るい場所に堂々と現れる幽霊なんて、きっと滑稽に違いないから。少女は両手で掛布団の縁を握る。

 ぼんやりと天井の明りを見ていると次第に瞼が重くなってきて、少女はそれに逆らわずに目を閉じた。

 やがて少女の意識は現を離れ、夢の内へといざなわれる。




 少女はそれが夢だと気付かずに歩いていた。白い壁に囲まれたどこまでも続く廊下のような場所。終わりなど見えず、ただ真っ直ぐに進む道が見えるだけ。

 少女は何の疑問も持たずにその白壁の間を進み続ける。それに意味があるなど考えもしない。ただそこに道があるから歩く。それ以外に理由などない。

 夢の世界、それは少女の心が作り出した精神世界であるがため、それを夢だと自覚しない限りそこに何が起ころうと彼女が疑問を持つことはない。彼女の心が作り出した彼女の意識だけで完結した世界、それがこの場所なのだから。

 その筈なのに、ちりんという鈴の音がその夢の世界に響いた瞬間、少女の心は違和感を覚えた。こんなものは知らない。こんな歪んだ鈴の音なんて。だが鈴の音は彼女の疑問を無視して次第に近づいて来る。

 やがて少女の目の前に、少女の知らない女の姿が夢の異物として現れる。

「私の足はどこにあるの?」

 白い廊下の真ん中に立ったその女は、赤く濁った目を少女に向け、そんな問いを投げ掛けた。長い髪が幾筋か顔に垂れ、皮膚は死人のように青白い。唇に色はなく、体に纏う黒のワンピースがその空虚さを更に強調していた。

 そして何より異質なのはその腕と足だった。その右腕と左足は肘と膝の上で千切れたかのようにずたずたの赤い断面を覗かせており、そこから生々しい赤い血が滴っている。

 女が現れた瞬間から夢の景色は次第に黒く染まって行き、やがて壁と地面の区別がつかなくなる。上からは赤い雪がちらつき、黒を赤に染めて行く。そしてその地面には、肩のすぐ下から千切り取られたような腕と、太腿の上部から引き抜かれたような足とがいくつも乱雑に散らばっている。人から奪い去られた体の一部。その無残な姿を見せつけるように、その足と腕との上だけは雪が積もらない。

 少女は喉から引きつった悲鳴を上げて、赤い雪の上に尻を着いた。

「ねえ、私の腕はどこにあるの?」

 女は少女に近付き、今度そう尋ねた。赤い断面を覗かせた彼女の右腕に思わず目が行って、少女は首を横に振る。そんなことは知らない。そう考えながらも数日前に友達に聞かされた怪談を思い出す。

 かつて事故で手足を失った幽霊が、失った自分の身体を探して現れる。その幽霊の名前は……。

「カシマ、レイコ」

 少女がその名を呟くとほぼ同時に、片手片足のない幽霊の左腕が少女に向かって伸びた。カシマレイコの目が、口が、笑みの形に歪んでいる。

「答えられないのなら、代わりにあなたの足貰うね?」

 少女の中に生み出された夢の世界は少女の恐怖と苦痛に染まり、そして直後その世界は消えてなくなった。




 不可思議な連続殺人事件がまた人の世界を騒がせている。犠牲者たちは皆片腕、または片足を切断された死体として発見され、そして未だに一つとして失われた手足は見つかっていないという。

 さらに奇妙なことに死体は皆布団かベッドの上、つまり彼らが眠っていた場所にて発見されており、抵抗した様子もなく体の一部を持ち去られている。ほとんどは家の中が犯行現場にも関わらず同じ家に住む人間が殺人の現場を目撃した例はなく、さらに家に何者かが侵入した形跡さえも見つかってはない。現在まででこの奇妙な殺人鬼の犠牲者は、十六人に及ぶ。

 黄泉国は美琴の屋敷、座布団に正座した小町は報告を終えて、メモに使っていた大学ノートをぱたんと閉じた。そして美琴を見て言う。

「密室殺人ってやつどすかねぇ」

「妖怪や幽霊に密室は通用しないわ」

 美琴は腕を組んでそう答えた。どんな隙間でも通り抜けるような妖怪は幾つもいるし、幽霊のような霊体の異形に至ってはそもそも普通の物理法則が通用しない。形のあるものでは、通常彼らを遮ることも彼らに触れることもできないのだ。

「やっぱり異形の仕業なんどすか?」

 小町がノートを卓袱台の上に置き、そして美琴に尋ねた。美琴は首肯して答える。

「その可能性が高いでしょうね。問題はどうやって人を殺しているのか、ということよ。手掛かりになるのは犠牲者は皆眠っている間に殺されているということ。さて犯人はどこから侵入したと思う? 恒」

 美琴は小町の横に座っている恒にそう問い掛けた。恒は一度首を捻り、そしてはっとした顔を見せる。

「もしかして、夢、ですか?」

 その答えに美琴は頷いた。起きた後記憶しているかどうかに関わらず、人は眠れば必ず夢を見る。そして夢とはその人間の脳によって作られるものであると同時に、霊体が作り出す形なき精神の世界でもある。故に霊体であれば入り込むことも不可能ではない。それは恒も知っているはずだ。

「私が夢知らせという霊術を使ったことは覚えているわよね」

「ええ、あの日のことは一生忘れないと思います」

 恒が言った。それは恒が初めてこの世の裏側、異界や妖怪たちの存在を知った日のことだ。もう二年程前のことになる。

 美琴は恒の夢の中に自身の霊体を干渉させ、夢の世界を通して彼に警告をした。眠りの中の意識が作り出す夢の世界は通常よりもひどく無防備だ。だから強い霊力と方法さえ知っていれば干渉することは容易だ。

「でも、夢の中からどうやって足や腕を奪うんやろか?」

 小町が独り言のように呟いた。その疑問はもっともだろう。夢の世界は精神世界。霊力でそこに侵入できたとしてもただ霊力を行使するだけでは物理的に人の体に危害を加えることはできない。

「そうね。本来は無理よ。例え心は壊せたとしても体は壊せない。普通ならね。あり得るとすれば相手の霊体に直接入り込み、そして幽体を通して霊力を妖力に変えて作用させ、肉体に影響を与えるといったところかしら。考えるだけで恐ろしい想像だけれどね」

 美琴はひとつ息を吐き、そして再び話し始める。

「かつて、そうね一九七二年だから四十年程前になるかしら。今回と同じように眠っている人間が手足を失い死亡する事件が初めて起こったわ。そしてそれはある都市伝説が流布したのと同時期だった」

 その噂はまず北海道で出現した。事故で手足を失った女性の霊が手足を探して噂を聞いたものの元に現れるという都市伝説。それは瞬く間に様々な地方へと広がり、その過程で様々な派生を生んだ。

 しかしそれは単なる都市伝説ではなかった。噂の根源には、あるひとりの怪異が潜んでいた。人としては死に、そして死後悪霊と化した一人の女が。

「その都市伝説はカシマさん、またはそれに近しい名前で呼ばれていたわ。肉体を持たず、霊体のみの存在となって人の夢を渡り歩き人を殺し続ける化け物。それが彼女だった。噂が流行る度不定期に現れる上、夢の中にしか姿を現さないからその存在がどうなったのか不明だったけれど、やはり未だ消えてはいなかった」

「カシマさん、ですか。僕は聞いたことない都市伝説ですね」

「私も名前を聞いたことあるぐらい」

 恒と小町がそう反応を返した。となると、高校生の間には流行っていないということなのだろう。実際、今回の犠牲者は小学生ほどの児童がほとんどだった。小さな子たちを中心に噂が広まっているということだ。

「目的は何なのでしょうね」

「さあね、わざわざ脚や腕を奪って行くのだから何か理由はあるのでしょうけど」

 美琴は眉根を寄せる。カシマさんと呼ばれる霊がかつて事故によって片手片足を失った女の霊であることは分かっている。その怨みから無差別に人を襲うのか。それとも本当に自分の失った手足を探して人々のそれを奪うのか。

「とにかくあなたたちも気をつけなさい。この国の内で眠れば夢への侵入は防げるはず。しばらくの間は人間界では眠らないことね」

 生き物である以上眠りは必要不可欠の行為だ。特に人間は妖怪に比べて、より頻繁な睡眠を必要とする。そしてその眠りの数だけカシマさんは人の精神に侵入する機会を持つ。形のない霊体に物理的な距離は関係ない。ただ人が都市伝説を聞いた時点で彼女への玄関の鍵は開かれるのだから厄介だ。そして精神世界の中にしか現れぬ故、その居場所を特定することが難しい。

「噂を媒介に人から人へと伝染する都市伝説、それがカシマさんという怪異なの。だから早くその連鎖を止めなければならない」

「美琴様は、そのカシマさんを追うつもりなんですよね」

 恒が尋ね、美琴が頷いた。夢の中に現れる都市伝説であるカシマさんは、噂の鎮静化とともに姿を消すだろう。だからその前に仕留めねばならぬ。手足を奪われ殺される犠牲者を少しでも減らさなければ。

 また夜が来る。そうすれば町の人々が眠りに就く。それだけでまたカシマさんの犠牲となる人間が出るかもしれない。美琴は唇を噛んだ。




 近頃奇妙な連続殺人鬼がこの辺りに出没している。たった一か月で十何人も被害者が出ているという。随分と活動的な殺人犯だ。そのくせ、わざわざこの町の中に活動を限定しているのが気に入らない。

 男はベランダの手すりに体を預け、タバコの煙を吐き出した。春の風は夜になるとまだ少し寒いが、妻と娘が家の中で吸うのを嫌がるため、ここが彼に唯一許された喫煙場所だった。

 くしゃみが出て、寒さで赤くなった鼻を啜りながら、彼女らの健康のためならば仕方がないと彼は一人苦笑する。

 ニュースを見る限り小学生が特に狙われているらしい。娘もまだ小学生三年生だから、夜の戸締りには特に用心していた。男は灰皿に煙草を押し付けて火を消し、家の中に入るとともにベランダの鍵をしっかり閉める。マンションの五階だから、よもやここから侵入して来るはずはないと思うが、それでも心配のし過ぎということはないだろう。妖しい人影が周囲にないか一応確認した後、ぴしゃりとカーテンを閉めた。

 そういえば、その殺人鬼の正体が幽霊だなんて噂も娘から聞いた。何でも夢の中に現れて人の脚や腕を奪って行くというのだ。小学校でそんな怪談が流行っているらしい。幽霊の名前はカシマさんだとか言っていた。確か自分が子供のころにも流行っていた都市伝説だ。他にも似たような化け物にてけてけなんていうのがいたと思い出す。子供というのはいつの時代もそういう話を好むらしい。

 既に妻と娘は眠ってしまっていて、真夜中の家の中は静まり返っている。自分も明日も仕事だからそろそろ眠らなければならない。

 男はひとつあくびをして、娘が生まれてからいつの間にか夫婦別々になった自分の寝室に潜り込んだ。



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