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黄泉夜譚 ヨモツヤタン  作者: 朝里 樹
第四四話 黄泉夜譚(後篇)
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四 黄泉の主

 片腕を失って尚、天逆毎あまのざこは強大だった。左腕に握った剣が美琴の鼻先を掠め、触れた大木を次々と薙ぎ倒す。

 しかしその大力も当たらねば意味はない。美琴は後ろに跳んで天逆毎との距離を取った後、多量の妖気が消失して行くのを感じ、背後を振り返った。どうやらあちらはもう決着がついたようだ。

 黄泉国を覆っていた黒い妖気は消え去った。残るは目前に立つこの怪物のみ。

天魔雄あまのさかおが死んだか……」

 天逆毎の表情が微かに沈んだ。この妖にも自らの子に対する情愛があったのかもしれない。そしてこの時点で、敵は天逆毎たった一人になった。

 あちら側にいる妖たちがこちらに力を貸せば、幾ら天逆毎であろうとも勝機はない。それは天逆毎も分かっていることだろう。

 しかし天逆毎は逃げることはしなかった。剣を片手に握り締め、美琴と対峙する。美琴もまたそれに応え、妖刀を顔の横に持ち上げて八相に構えた。

 先に動いたのは天逆毎だった。剣は美琴を両断しようと迷いなく振り下ろされる。そして美琴もまたその剣、そしてその先にいる天逆毎に向かって大地を蹴り、跳躍する。

 美琴の刃が夜に翻る。空に昇った月が刀を銀に照らし、そしてそれは紫の妖気を帯びる。

 死神の刀一振りが天逆毎の十束剣を叩き折り、斬撃はそのまま天逆毎の首を切り裂いた。

 その一撃に天逆毎の巨体がぐらりと揺れ、そして座り込むようにして仰向けに倒れた。血を大地に流しながらも、その口が奇妙に歪む。

「また私の負けか……。だが、神ではなく妖であるお前に負けた故か、以前ほど悔しくはない」

 天逆毎が息を吐いた。首の傷から空気が漏れる。

「厄介な後釜を残したものだ、伊耶那美も……」

 その言葉に美琴は首を横に振った。

「あなたは私ではなく、この国に敗れたのよ。伊耶那美様が黄泉と名付けたこの妖の国に」

 天逆毎は苦しげに笑った。その口の端に赤い泡が生じる。

「そうだな……、だが私を殺したのは伊耶那美ではない。お前たちだ。大きな国を作ったものだ」

 天逆毎は星空をその瞳に映したまま、穏やかな調子で続ける。

「私もあの女のように子を持てば、より強くなれると思うた。だがお前もまた、多くの命をその身に背負ったていたということか」

 美琴は頷いた。天逆毎は静かに瞼を閉じる。

「いつかまた復讐の時が来るまで、私は眠ろう。あの子とともに」

 天逆毎の口から最後の息が吐き出され、そして胸の上下が止まった。

 その亡骸は黒い妖気に覆われて行く。そしてそれはやがて跡形もなく消え去った。




「死神のお嬢ちゃんらが勝ったか」

 寺生まれの男は黄泉国から消え行く妖気に目を細め、そして呟いた。黒い妖たちは既に姿を消し、静かな夜が周囲を包んでいる。

「俺たちの出番は、これで終わりだな」

「勝ったのか! 美琴が勝ったんだな! めでたいな!」

 寺生まれのTの肩の上に乗っていたツチノコが、八広の上に飛び移ってからそう言った。その様子を眺めながら詩乃の顔には思わず笑みがこぼれる。

 そう、戦は終わったのだ。黄泉国が勝ったのだ。

「お三方とも、本当にありがとうございました。お陰さまで無事、この危機を乗り越えることができました」

「いいってことよ。死神のお嬢ちゃんにはよろしく伝えておいてくれよな。ついでに今度一杯やろうってな」

「オイラもいっぱい黒いの倒したぞって言ってといてくれな!」

「必ず伝えておくわ」

 氷雨が答えた。疲労困憊している様子ではあるが、彼女もまた笑っている。

「そろそろ、わしらは帰るとしよう。この境界もいつまで開き続けているのか分からんしな」

「そうだな。お前らと戦えて楽しかったぜ。お嬢さんたちもまた会おう」

「またな! 今度遊びに来るぞ!」

 一人と二匹の妖たちはそれぞれ別れの挨拶を告げて、境界を潜って行った。それぞれの景色を映していた空間の裂け目はその直後、夜に溶けるようにして消えて行った。




「お、元気だね。勝ったのかい」

 近くの民家の壁に寄り掛かっていた蓮華は、歩いて来る良介を見て片手を上げてそう声を掛けた。

「楽勝だったさ」

 良介が彼女の側で立ち止まり、煙草に火を付けようとすると、蓮華の人差し指に灯った橙色の炎が彼の顔の前に差し出される。良介は素直にその火に煙草の先を近付けた。

「すまんな」

「お安い御用さ」

 蓮華は和傘に付着した汚れに不快そうに払うと、小さく溜息を吐いた。彼女が見上げる空には、星が瞬いている。良介の吐いた煙が空に昇り、消えて行く。

「さて、あたしもそろそろお暇しようかね。久々にあんたと一緒に戦えて結構楽しかったよ」

「もう帰るのか」

 煙草を咥えた良介が尋ねると、蓮華は「まあね」とつまらなさそうに答えた。

「今日は楽しみにしてたテレビ番組があるんだよ。なんてね。感謝されるのは昔から苦手でさ。ひっそりと帰るよ。お礼はまた今度、何か作ってくれれば良いよ」

「その時は腕によりをかけて好きなものを作るよ」

「期待してるからね」

 蓮華はそう片手を上げて、そして境界を潜って見えなくなった。良介はその境界が閉じるのを見届けた後、屋敷への道を歩き始める。




安岐あきさん、恐竜さん、ご無事でしたか」

 朱音は彼らの様子を見て、そうほっと安堵した。体の所々に怪我はしているものの、どちらもしっかりと自分の足で立っている。

「はい。朱音様たちも勝ったのですね。信じておりました」

「いえ、あなたたちの協力が無ければ私たちだってどうなっていたか」

 恐竜が優しげな声を漏らすのを朱音は聞いた。労ってくれているのだろう。顔を朱音に近付けた彼の鼻先を、朱音はゆっくりと撫でる。

「お役に立つことができて光栄でした。それでは私は山に帰ります。美琴様によろしくお伝えください」

「ええ必ず。恐竜さんも帰られるのですか」

 恐竜は答える代わりに、深海の景色を映した境界の方を見た。朱音はそっと頷く。

「では、また霧の海の季節に」

 恐竜は一度だけ霧笛に似た声を上げて、そして境界の向こうに帰って行った。安岐もまた一度礼をし、境界の向こうに消える。

 朱音もまた髪を一つの束にして紐で縛った。急に静けさが戻って来たような気がして、少しだけ落ち着かない。

 しかし戦いは終わったのだ。朱音は大きく息を吸い込み、そして吐き出した。春の夜の涼しげな空気が体を通り過ぎて行く。そして朱音は屋敷の方を見た。さあ、自分も家に帰ろう。




「私たち勝ったんだね……」

 力を使い果たしたように、加代と花子は地面に座り込んだ。戦いの間中霊力を発し続けていたのだ。相当な疲れがあるのだろう。安堵のためか腰が抜けてしまった様子の彼女たちを小町と恒とが抱き上げる。

 そんな彼らの前にはたくさんの老婆たちが立っていた。皆この国のために戦ってくれた異形のものたちだ。

「良く頑張ったな子供たち! わしは感動したぞ!」

 老婆たちの真ん中に立ったターボババアがそう声を上げた。既に姿は元の小さな老婆の姿に戻っているが、その目には本当に感涙が溜まっている。

「お前さんたちのような若者がいると思えば、この国の未来も安泰かもしれん! わしらに理想の未来をいつか見せておくれよ。さあお前ら! 帰るぞ! 月に向かって走れ!」

 老婆たちの応答の声が響き、そしてターボババアを先頭に彼女たちが走り出す。その姿はあっという間に境界へと消えて行った。




「美琴様!」

 刀を仕舞い屋敷への道を歩いていた時、そう自分を呼ぶ声が聞こえて美琴は顔を上げた。

 月光の下に良介たちが立っている。怪我をしているものもいるが、皆元気だ。それに安堵するとともに、一気に疲れが沸いて来るのを感じて苦笑した。

「皆、無事かしらね」

「ええ、家屋等に多少の被害はありましたが、皆健在です」

 良介が言った。その顔に乾いた血がこびり付いているが、足取りはしっかりしている。

「それなら良いわ。町は時間があれば復興できるから。それよりも今は皆に感謝しないとね。黄泉のものたちにも、国の外のものたちにも」

「お姉ちゃん!」

 花子が駆け寄って来て、美琴は彼女の体を抱きとめた。加代も小町と恒の側に立って笑顔を見せている。

「あなたたちも戦ってくれたのよね。本当にありがとう」

「私だって黄泉国の住人だもん!」

 花子がそう破顔した。美琴は微笑み、そして頷く。ここはもう、千年前のように自分だけの国ではない。だからこそ、皆がこの国のために戦ってくれたことが美琴には嬉しかった。

 美琴は夜を見上げる。またこの国に夜が来た。昨日と変わらぬ静かな夜が。

 千年の時を経て、この黄泉国は妖たちの国となった。伊耶那美がかつて言ったように、人の世界で生きられなくなったものたちが幸せな日々を生きられる、そんな場所にしたいと思い続けてきた。

「さあ帰りましょうか、私たちの家に」

 美琴は空から目を離し、そう言った。今夜は月が綺麗だ。今更ながらそんなことを想う。

 私はこれからも、数多の夜を見つめ続けて行くのだろう。この黄泉で、この国の主として。今はそれがいつまでも続いて欲しいと、そう思っている。夜を経る度に私の譚が紡がれるように、この国に住むものたちと同じ数だけそれぞれの黄泉の夜の譚が紡がれて行くのだろうから。

 それが生まれ続けるこの場所を守ることが、私が千年前に与えられた役割だ。そしてこの千年の間に、私はたくさんのものたちとの間に物語を紡いで来た。この国で、そして外の世界で。それは無駄ではなかったのだと美琴は思う。

 いつかその任に私が必要となくなるとその時まで、私はこの黄泉の主として在り続けたい。月夜の下、屋敷へと向かって歩き始めたに死神は一人、そう願った。



異形紹介


・死神

 その名の通り人の死に関わる神。多くはローブを身に纏い大鎌を持った骸骨として描かれるが、これは宙背ヨーロッパにペストが流行した際、死の擬人化として描かれた踊る骸骨がイメージの原型となったと考えられている。

 また神話や宗教においては人々の生死を司る特徴故に冥府の神が死神と呼称されることがあり、文化によっては死とともに再生を象徴する神としても現れる。上記の理由のため日本においては日本神話における冥界の神である伊耶那美命、また仏教における冥界の王である閻魔が死神として語られることもある。

 一方で日本の古典文学において現れる死神と呼ばれる怪異は『絵本百物語』等に見られるように人に取り憑き、死にたいという欲求を起こさせる妖怪として語られることが多い。また民間伝承においては熊本県にて「夜伽に出て帰る者は必ず、茶か飯一杯を食して寝るのである。死神につかれぬためである」という俗信が確認されており、近畿地方には「ドンバに引かれて誰かが死ぬと、それから3年目、7年目、13年目には、ドンバに引かれて死ぬ人ができるという。死神がついているのをドンバが引っぱるという」といった伝承が伝えられている。

 他に日本における死神としては三遊亭圓朝の落語『死神』が有名だが、これはグリム童話の『死神の名付け親』の翻案と考えられており、ここに現れる死神は蝋燭の火により人間の寿命を管理している存在として描かれる。

 このように世界中で様々に語られてきた死神だが、現在でも文学、映画、漫画等創作作品の中で様々な役割を与えられて描かれている。

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