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黄泉夜譚 ヨモツヤタン  作者: 朝里 樹
第四四話 黄泉夜譚(後篇)
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三 私の名は

 恐らく花子たちによるものだろう。黄泉国に開かれた数々の境界、そこから現れた様々な異形のものたちの加勢により、増え続けていた筈の黒い妖たちの姿が今度は逆に次第に減り始めていた。妖の生成が倒される数に追い付いていないということだ。

 それに気が付いたのだろう、天逆毎の表情が曇った。

 無限に妖を生み出す力、それは確かに恐ろしい能力だ。だが黄泉国の外から彼らが来てくれた。魂なき怪物たちが、この世界を生き続けた化け物たちに敵う筈がない。

 死神は天逆毎と対峙する。両手には十六夜を握り、紫の瞳はじっと荒神を見据えている。天逆毎は憎々しげに死神に問う。

「お前は一体何なんだ」

 その問いに、美琴はかつてこの黄泉の主が自分に与えてくれた名を告げる。

「私の名は美琴、死神よ」

 美琴は十六夜を正眼に構えた。この名が与えられてから、これまでにいくつも巡ってきた黄泉の夜。そこで紡がれた数え切れぬ譚は、この黄泉国の歴史であり、美琴という名の死神が紡いで来た全てだ。そしてそれが今、この黄泉にて結実している。

 美琴は大地を蹴った。天逆毎が生成した異形たちは、横に薙いだ十六夜により一撃で葬られる。

「お前は、伊耶那美いざなみにはなれぬと認めた訳か」

「ええ、私はあの人とは違う。でも……」

 美琴の振り下ろした刃は天逆毎の腕によって止められた。その強靭な皮膚と筋肉が美琴の刀とぶつかり、鈍い音が響く。

「それで構わない。私は美琴という名の死神、そしてたった一人の妖よ。それがこの私。故に黄泉国の主として、あなたに黄泉を明け渡す訳には行かないの」

 十六夜の刀身に陰の妖気が通う。美琴が再び刃に力を込めると、食い込んだ刀身が天逆毎の右腕を切り飛ばした。

 美琴は着地し、刀身に付着した血を払う。そして失った右腕の傷口を抑える天逆毎に語り掛ける。

「あなたこそ自ら神を捨てたのでしょう? かつてこの国を神が治めていた時代、天探女あまのさぐめという国津神がいたそうね。天津神の命に悉く逆らい、そして滅ぼされたという。だけれど彼女は死なず、天の神いずれにも逆らう妖となった。そう聞いているわ」

 天逆毎がほう、と感心したような声を上げ、そして頷く。

「昔のことを良く知っているねぇ。天探女、懐かしい響きだよ。天の神たちによって付けられた、忌々しい名前だ」

 天逆毎の切り取られた右腕の傷は、彼女の黒い妖気によって塞がった。

「私はただ国津神として生きたかった。それなのにやつらは力によって私たちを統べ、配下としようとした。それに逆らった神は殺されたのだ。この私のように。お前の母が作り出した神たちによってな」

 天逆毎の目が見開かれる。その鉛色の瞳が怒りに染まっている。その怒りと憎しみによって彼女は神から妖となったのだろう。死神となった美琴と同じように。そしてその怨みは、消えることなく未だ彼女の中に渦巻いている。

 それが晴れることはこの先ないのだろう。そしてそのために、関わりなき命を奪い続ける。

 美琴は両手に刀を握り締めた。

「ならばあなたのけがれは、この私がはらいましょう」

「小娘が、やってみな」




「ほら、今だよ!」

 飛縁魔ひのえんまの開いた和傘が大鬼の刀を弾き、直後畳まれたその傘が炎を纏って鬼の刀をへし折った。黒い刀は空中で雲散霧消する。

 その霧を突き破り、良介が大鬼の顔面に迫った。右の拳に青い炎が灯り、そして正拳が鬼の顔を貫く。巨大な鬼の体はその一撃で大地に沈み、消滅した。

「全く手こずらせられたね。ここはもうあたしに任せて、あんたは進みな。こいつらを生み出した忌々しい奴をやっつけて来なよ」

「恩に着る、蓮華」

 蓮華はその言葉に軽く手を振って答える。

「じゃ、そのうちおいしいもの食べさしてね」

「了解だ」

 良介が走り出した。前を塞ぐ黒い影の姿はまばらだ。これなら十分走り抜けられる。目指すは、あの天魔雄神のみ。




 安岐の投げた短刀が天狗の眉間に当たる部分に突き刺さった。無論痛みなど感じてはいないのだろうが、それでも動きは鈍った。

 その巨体に、今度は恐竜の巨体が体当たりする。下にいた影の妖たちを巻き込んで大天狗が倒れ込む。

「これで、終わりです!」

 地を蹴って跳んだ朱音の髪が一つに束ねられ、巨大な槍を作り上げる。それは一度上に向かって伸びたかと思うと、下に向かって落ちて大天狗の胸を貫いた。さらに拡散した髪が大天狗の体をばらばらに砕き去る。朱音は息を荒くしてその怪物のその後を見守るが、それ以上はもう復活する様子はないようだった。

 朱音の横に安岐が立ち、そして頷く。

「朱音様、お行き下さい。このような化け物たちを生み続ける邪なるものに引導を」

「はい、必ずや」

 朱音は髪を家々の屋根に巻き付け、中空の道を急ぐ。その目が捉えるは、一人の妖。




「まだ、まだ……!」

 花子は闇に染まり始めた空の下、そう呟くように言った。

 花子と加代の体は既に屋敷の中ではなく星空の下にあった。より広く黄泉国を見渡せるように、この空間に強く霊力を作用させるために、二人は安全な屋敷の外へと出て戦っていた。そして、彼女たちを守る影もまた二つ。

 恒の笛が槍へと変化する。白い鬼の姿となった恒は、迫る黒い鬼にそれを突き出し、消滅させた。すぐ側では小町が薙刀を振るっている。

 花子たちを無害な子供ではなく明確な敵として認識したのか、影の妖たちが彼女たちに迫っていた。

「恒ちゃん、もうすぐよ。きっと美琴様たちがあいつらを倒してくれるから」

 背中合わせになった小町が、息切れしながらそう願うように言った。花子と加代もまた、祈るようにして霊力を発し続けている。この国のために、彼女たちに手を出させる訳にはいかない。

 だが黒い妖たちは容赦なく彼らに迫る。鬼たちの攻撃により恒と小町が弾き飛ばされ、土埃を上げた地面に叩き付けられた。

 衝撃で肺から息が無理矢理に吐き出され、恒は咳をしながらも何とか立ち上がった。だが彼が手を伸ばす前に黒い天狗の爪が花子と加代に振り下ろされようとしていた。




 花子は自らに向かってくる妖たちの腕に怯え、目を閉じた。あれが当たれば怪我では済まないかもしれない。だけどその痛みはいつまで経っても来なかった。

「大丈夫かいお嬢ちゃんたち?」

 花子はその優しげな声に恐る恐る目を開く。まず彼女の目に入ったのは、自分に向かって笑い掛けるしわくちゃの顔だった。

 天狗の爪を受け止めたのは老婆の妖は、片手に握ったそれをもぎ取るようにして砕いた後、天狗を鋭い目で睨みつけた。

「あたしゃターボババアというもんじゃ。お前らが何なのかは知らんがね、どんな時代だろうとどんな奴だろうと、子供泣かすやつぁ許せないね」

 ターボババアの腕の筋肉が盛り上がり、そして丸太程にまで太くなる。その腕を振り上げて、ターボババアはにやりと口の片端を釣り上げた。

「……ババア・インパクトォ!!」

 ハイパーババアへと変化した老婆の拳が目の前の天狗の顔面を叩き潰す。同時に発生した衝撃波の余波が、周囲の鬼と天狗を跡形もなく吹き飛ばした。

 黒い塵のような妖たちの残骸が舞うその場所で、花子と加代はターボババアと名乗った妖を見上げた。彼女もまた、花子たちの願いに応えてやって来てくれた妖のようだった。

「あ、ありがとう、お婆さん」

「なあに、朝飯前さ」

 筋肉の塊のようになった老婆はそう誇らしげに花子と加代に笑むと、右腕を空に突き上げて大声は上げた。

「さあ行くぞお前ら! 今宵は一世一代の大舞台! 昨日の敵は今日の友、友は救うが粋ってもんよ!」

 それに応えるたくさんの野太い声があった。直後開かれた境界からわらわらと現れるたくさんの老婆たち。何十人もの都市伝説のババアたちが、天魔雄神の生み出した命のない妖たちに正面から激突する。




 形勢は、ババアたちの加勢により一気に黄泉国の側に傾いた。黄泉国を覆う傀儡の影が消えて行く。

 その様子を確認し、天魔雄神の元へと急いでいた良介に朱音が合流した。互いに傷だらけだが、まだ気力は失ってはいない。

 朱音が背後を振り返り、小さく笑って良介に言う。

「良介さん、あの方たちは……」

「ああ、味方になると滅茶苦茶心強いな」

「はい、本当に」

 良介は額に流れる血を袖で拭い、そして朱音を見据える。

「あの化け物たちは皆に任せよう。俺たちは、本体を叩くぞ」

「分かっています。いつもの黄泉国の景色にて、美琴様をお迎えしましょう」




「あやつらにも意地があるか……、しかし異界の外から妖を呼び寄せるとはな」

 天魔雄神は苦々しげに唇を噛んだ。何故こんなにも妖が増え続けるのだ。傀儡を生成し続けるのも限界がある。増やすよりも早く数を減らされればいずれは全滅する。

 それでは母に合わせる顔がない。母の願いを叶えることができない。それが何より、天魔雄神にとっては恐ろしい。

 彼に父はいない。母の血肉により生まれ、そして母に齎された力をただ母のために使ってきた。そうすれば母が喜んでくれたから。それだけが彼に与えられた役割だった。

 故にそれしか知らぬ彼にとって、母の願いは絶対だった。

 その彼の前に迫る二つの妖の影。天魔雄神は自らの前に妖たちを生み出し、壁を作ろうとするが、それらは青い妖気を帯びた炎と赤い妖気を帯びた髪によって滅ぼされた。

 天魔雄神は背から剣を抜いた。こうなれば、自らの手であの二人の妖を殺すまで。恐らくあの男女はこの国の中でも上位に入る実力者だ。ならばそれらがいなくなれば、この国に勝ち目はない。

 母の願いのため、天魔雄神は剣を構える。




 火車と針女がついに天魔雄神の前に立った。少年の姿をした妖だが、背丈は彼らの倍以上ある。そして彼はその腕に静かに剣をその手に握り、構えていた。

「俺は神だ。たった二人の妖が神に勝てる道理があるものか」

 天魔雄神が落ち着いた声で言った。良介は口に咥えた煙草に火をつけ、そして煙を吐く。

「神の子か。神が戦い、人が戦い、妖が戦う。確かにこの世界では良くあることだ。だがな」

 良介が一歩前に踏み出す。

「これは妖と神との戦いとは違う。この黄泉国を攻めるものと守るものの戦いだ。ただそれだけだ」

 朱音もまたその髪を揺らし、天魔雄神を睨み付ける。

「その通り、私たちはこの黄泉に住むものとして、あなたを討つ」

 天魔雄神が首を傾げ、挑発するように前に伸ばした腕を曲げる。

「やってみろ」

 三者はほぼ同時に、互いに向かって飛び出した。

 天魔雄神により振るわれた剣は朱音の髪によって防がれる。一本一本が鋼の如き強度を帯びた髪が束になったそれは、簡単に切り裂けるものではない。更にその髪は獲物を襲う数多の蛇の如く剣へと絡まり、動きを奪った。

 朱音がもう一つの髪の束を地面へと突き刺し、天魔雄神の怪力に負けぬよう自身の体をそこに固定した。そしてその横を良介が駆け抜ける。口に咥えた煙草が燃え尽きるとともに、彼の体が赤い毛をその身に纏った虎のような妖怪、火車の姿に変化する。

 火車の拳が天魔雄神の腹部を打つ。天魔雄神から苦しげな呻き声が漏れたが、負けじとその拳で良介の頬を殴り返した。

 良介の口の中に血の味が広がった。だがこんなものでは怯まない。良介は両足で地面を踏み締め、炎を纏った拳を天魔雄神の顎に下から拳を叩き込んだ。

 その衝撃で天魔雄神の剣を握る力が緩む。朱音は髪に一気に妖力を通わせ、彼の腕から剣を奪い取ると、後方へ放り投げた。重い金属音を鳴らし、剣が石畳の上を滑る。

 朱音もまた天魔雄神との距離を詰めた。目の前に天魔雄神の妖力が変形した黒い鬼たちが現れるが、前に突き出された針女の髪によって消し飛ばされる。

「この国を選んだことを、あの世で嘆き悔いなさい」

 前へと突き出された髪は捩じれるようにして一つにまとまり、そして槍となって天魔雄神を貫いた。天魔雄神はそれでもまだその束を掴み、体から引き抜こうとするが、その上部から今度は拳を後ろに引いた良介が迫る。

 雄叫びを上げながら、良介の拳が天魔雄神の脳天を砕いた。それが決定打となり、天魔雄神の巨体がぐらりと揺れる。

「母……上……」

 潰れた喉で辛うじてそう呟き、天魔雄神はうつ伏せに倒れた。黒い血が黄泉国の地面を染めて行く。

 その亡骸はもう動くことはなく、やがてその姿は、黒い塊となって消えて行った。

「これで終わりか」

 良介は辺りを見回す。黒い傀儡たちもまた、主の死とともに消失を始めたようだった。黒い妖気は形を崩して雲散して行き、次第に御中町の景色が戻って行く。

「あとは天逆毎ですね。美琴様はご無事でしょうか」

 朱音が心配そうに屋敷の向こうを見つめる。その向こうで、美琴が戦っている。

「心配ないさ。あちらももうすぐ終わる」

 良介は強大な妖気が消失して行くのを感じて、そう呟いた。空はもう夜に染まり、月が高く昇っている。



異形紹介


天逆毎あまのざこ

 『和漢三才図会』等に記載のある日本の女神、また妖怪。『和漢三才図会』巻四十四「治鳥付録天狗 天魔雄」においては「須佐之男が胸・腹に満ちあまった猛気を吐き出した際、それが口外に出て天狗神となった。姫神であって身体は人、首から上は獣である。鼻が高く耳が長く牙は長い。何事も意のままにならなければ大いに怒り、暴れ狂い、大力の神でも千里の彼方へ跳ね飛ばし、強堅な武器でもその牙で破壊してしまったという。何事も左にあるものは逆に右であるといい、前にあるものは後であるといい、自ら天逆毎姫あまのざこのひめという。天の逆気を呑み独りで妊んで子を生み、この子を天魔雄神あまのさかおのかみと名づけた。天尊の命に従わず、諸事をなすも順善を成さない。八百万神なども悉くもてあました。天祖は赦して天魔雄神を九天の王とし、荒ぶる神、逆らう神は皆これに属した。彼らは人の心腑にとりついて心を乱し、賢きものをたかぶらせ、愚かなものを迷わせる」といったことが書かれており、また鳥山石燕の『今昔画図続百鬼』においても天魔雄神を片脇に抱く天逆毎の絵とともに、前述した文とほぼ同じ内容の分が添えられている。


 この『和漢三才図会』の文は『先代旧事本紀大成経』からの引用と見られ、同じように同書を引用した書には『天狗名義考』がある。またその性質からか天狗や天邪鬼の祖先とされることもある。同様に天邪鬼の元となったとされる女神には天探女という神もおり、こちらは『古事記』に記述がある。天探女は天の神の葦原中国を平定せよという命に従わぬ天若日子あめのわかひこに対し、真意を糺すために送られた雉、鳴女が天照大神の言葉を告げた際に、「この鳥の鳴き声は不吉だ」だと伝えた神とされている。それにより天若日子は鳴女を射殺し、そしてその矢を、天津神たちが「悪神が射た矢なら天若日子には当たらぬが、天若日子に悪い心があるなら当たる」と言挙げし、矢を投げ返すとが天若日子の胸に刺さって死んだと伝えられる。また天探女については『古事記』内においてこれ以上の描写がないため、その後どのような結末を迎えたのかは不明である。

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