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黄泉夜譚 ヨモツヤタン  作者: 朝里 樹
第四四話 黄泉夜譚(後篇)
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二 逢魔刻、黄昏

 死神は右手で柄を、左手で刃を支え、振り下ろされた天逆毎の十束剣を受け止めた。刀身を通してその衝撃が体を伝わり、美琴は歯を食いしばる。肉が裂け、骨が砕けるような怪力だ。

 後世において天逆毎は大力の神でも千里先まで跳ね飛ばすなどと伝えられている。それを真正面から受けていては体がいつまで持つか分からない。

 美琴は大地を踏みしめ、そして刀を傾けて天逆毎の剣を逸らした。美琴の体以上の大きさを持った十束剣は、美琴の横にあった岩を砕き、地面に深く刺さり込む。

 美琴はその剣に足を乗せ、刀身を駆け上がる。美琴の刀が天逆毎の首に迫るが、それが届く前に天逆毎は剣を引き抜く勢いを使って死神を弾き飛ばした。

 このまま追撃を許す訳には行かない。そう判断し、美琴は空中で体勢を整えながら掌の上に作り出した妖力の弾を天逆毎に放った。それは美琴の着地と同時に天逆毎の体に当たって爆発し、小さな傷を作る。

「なるほど、確かにお前はあの頃の小娘と違うようだ」

 天逆毎は自らの傷から流れる血を指で拭い、そして舐め取りながら呟いた。だがその目には尚も笑みが浮かんでいる。あの程度の傷では致命傷にはならぬことは美琴にも分かっていた。精々かすり傷と言ったところだろう。

「しかし私がお前の相手をしてやっている間に、我が子がお前の国を滅ぼしてしまいそうだね」

 美琴はちらと後ろを振り返る。天逆毎が妖を作り出すことは何とか防いでいるが、天魔雄神の能力はこの天逆毎以上に妖を生み出す力に特化しているようだ。良介たちが戦っているが、黒い影の数は増え続けている。

「天の逆気を孕んで子を産んだのかしら?」

 激しい戦闘のために砕かれ、ひびだらけとなってしまった石畳の上で美琴はそう問い掛ける。妖を作り出す力を持った天逆毎が、一人生み出した霊体を持った妖、他の傀儡くぐつとは異なる、より重要な役割を与えられた彼女の子、それが天魔雄神なのだろう。

 美琴の問いには答えず、天逆毎は嘲るように死神の少女に吐き捨てる。

「伊耶那美は、お前の母はお前を見捨てた。たった独り残されたお前が私たちに勝てるとは思えないね」

「見捨てられたのではない、託されたのよ」

 美琴は表情を変えぬまま、天逆毎を見据える。

「それに私は独りではないわ。黄泉国の妖たちが、あなたたちの望みを打ち砕く」

「おめでたい頭だね。ならばまずはこの国の頭を、この手で潰させてもらおうか」

 美琴は体中に、そして十六夜に妖力を通わせる。その紫色の瞳が天逆毎が纏う穢れを映す。

 死神としても、黄泉国の主としても、この妖には負けられぬ。

「やってみなさい。出来るものならね」




 黄泉国の屋敷からも、御中町を埋め尽くさんとする黒い妖たちの姿は良く見えた。あの中で良介や朱音たちが戦っている。

 恒は夕闇に染まらんとする空の下、ウィルスのように国を浸食する黒い影を見つめていた。

 美琴らにはこの屋敷から出ず、小町とともにここで花子と加代を見ているようにと言われている。そして同時にそれは、自分たちは戦うには力不足ということでもあるのだろう。

 ただこの黄泉国が壊されて行くのを黙って見ているしかない。それが恒には悔しくてならなかった。

 そんな彼の横で花子が同じように窓を覗いている。その瞳が不安そうに揺れている。彼女もまた黄泉国の住人だ。この国があんなやつらに蹂躙されるのに良い気持ちはしていないだろう。

「大丈夫だよ、花子ちゃん」

「加代ちゃん」

 赤い和服を来た加代が花子にそう微笑みかけた。そしてそっとの肩に片手を置く。

「一緒に、美琴お姉さんたちを助けよう」

「……私たちが?」

 花子が首を傾げる。それに対し、加代は力強く頷いた。

「助けるって、どうするの? あなたたちをあの怪物と戦わせる訳にはいかへんよ?」

 小町が二人にそう問うた。加代は小さく首を縦に振る。

「うん、私たちだけじゃ美琴お姉さんたちは助けられない。でも、みんななら……黄泉国の外にいるみんななら」

 加代は空に目を向けた。恒もまたそれに倣い、そして思い付いた。あの天逆毎たちが空間に穴を開けたせいで、黄泉国に流れる霊気は酷く歪んでいる。これを利用しようとしているのならば花子たちが何をしようとしているのか予想ができた。恒はその考えを頭の中で整理しながら口に出す。

「あの怪物は、外の世界から無理矢理境界を繋げてこっち側に現れたと美琴様は言っていたよね。つまり今の黄泉国は、あの不安定な霊気のせいで外と繋がりやすい状態にあるってことなんだと思う。それなら花子ちゃんの能力を使えば、外の世界とこの世界を繋げられるかもしれない」

「まさか……、それで外に助けを求めるってこと? でも花子ちゃんの境界は、他の妖じゃ通り抜けられない筈やろ?」

 小町が加代を見る。見返す彼女の目つきは真剣だ。

「そのために私がいるんです。私の力は幸福という目に見えないものに作用するんだって、以前美琴お姉さんに教えてもらいました。だから私はこの国のみんなの幸福のために祈ります。奇跡の一つや二つ起こせないで、座敷童子ざしきわらしが名乗れるものですか」

 加代は花子の手を握る。花子もまた握り返す。

「私たちにだってできることがある。私たちも一緒に戦おう、花子ちゃん。恒さんも、小町さんも一緒に願って下さい」

 加代の言葉に花子は力強く頷いた。恒と小町もまた同意する。この国のために何かができるのならば、何でもするつもりだった。だから彼女たちを助けることがこの国を守ることに繋がるのならば力は惜しまない。

「分かったわ。あなたたちのことは私たちが何としてでも守る。だから安心して力を使って。ねえ、恒ちゃん」

「そうだね、僕たちは、僕たちにできることをしよう」

 恒が頷くと、加代と花子は恒らに笑いかけた。そして目を瞑り、祈るようにして霊力を開放する。その力が黄泉国の境界へ作用して行くのが恒にも分かった。

「黄泉国を、助けて……!」

 その願いは霊力となり、座敷童子の幸運を呼び込む力によって増幅される。そして二人の霊気は黄泉国の空に無数の境界を作り出す。




 夕暮れの空の下、日傘代わりの番傘を片手に持ったその女は、突如現れた空間の裂け目を訝しげに眺めていた。黒い影が跋扈するその景色の中で、見知った一人の妖が戦っている。

 そんな女の頭に、不意に声が響いた。彼女に助けを求める小さな声。だがそれで、女は境界の向こうで何が起きているのかを理解した。

 女は前を睨み、そして迷うことなくその境界に足を踏み入れた。




 暗く静かな海の底で、その異形のものは声を聞いた。瞼を持ち上げた彼の眼は、かつて自分を救い出してくれた女の妖を映していた。彼女が傷付いている。それは彼にとって、その眠りを覚ますのに十分な事実だった。

 そして名もなき太古の竜は、友のためその巨大な足を一歩踏み出した。




 かつての生家の跡地で沈む夕焼けを眺めていた寺生まれの男もまた、その黒い影に覆われる妖の国を見た。助けを求める声がその国の到るところで響いている。

 人々の希望から生まれた最強の対抗神話は、拳を握りその境界を潜った。




 そこでただ夕闇に呑まれて行く木久里町を眺めていたその小さな生き物もまた、自分を呼ぶ声に気が付いた。そして目の前に現れた境界の景色に、逡巡することもなく飛び込んだ。友だちに危機が迫っている。彼が動くのには、それだけの理由で十分だった。




 人の世界で、妖の世界で、彼らは助けを求める声を聞いた。そして彼らの目の前に現れた境界は、ただひとつの場所、黄泉国へと繋がっていた。


 逢魔刻おうまがどき黄昏たそがれ。境界は開き、妖たちが顔を出す。


 その夕闇の下、数多の妖たちが黄泉国に現れた。そして天魔雄神が作り出した命なき妖の群れを前に、様々な異形のものたちが立ち塞がる。




 良介に向かって鬼の黒い手が伸びる。傷付けられた血まみれの腕で良介はその手を叩き潰すが、またすぐに次の怪物が現れる。

 きりが無い。そう舌打ちを漏らした直後、橙色の炎が吹き荒れ、良介に群がる黒い異形たちを掻き消した。良く知った、だが黄泉国のものの誰とも違う炎の妖気。

「あらまあ何があったのかと思ったら、大変なことになってるじゃないかい」

 見覚えのある番傘が良介の視界を遮った。それはくるりと一度回転し、女の妖の肩の上に乗せられる。その動作も良く知っている。

 良介は驚きながら、流し眼で自分を見るその女の名を呼んだ。

蓮華れんげ……、なんでお前がここに」

「呼ばれたんだよ、お嬢ちゃんたちの声にさ。しっかし境界を無理矢理こじ開けるなんて凄いことするねぇ」

 上から飛び掛かって来た天狗の傀儡が、閉じた蓮華の傘に叩き落とされた。飛縁魔はその整った顔を良介から背け、前方に広がる黒い闇の塊を見つめた。巨大な鬼の姿をしたその怪物は、今度は腕を巨大な刀のように変形させて二人の炎の妖を見下ろしている。

「とりあえずまずはこいつをぶっ壊せば良いんだろ? さあ手伝うからさっさとやっちまいな。行くよ」

「ああ、お前が一緒なら心強い」

 良介は小さく笑って蓮華の横に立った。青色と橙色、二色の炎が彼らの周囲に渦を巻く。




「何これ!?」

 氷雨が手に握った氷の剣で黒い鬼たちを切り倒した直後、彼女の目の前に三つの空間の裂け目が現れた。その裂け目の向こうには、黄泉国のものではない別の景色が見える。

「境界……? でもどうして」

 新たな敵が現れるということだろうか。詩乃がそう身構えた直後、一つの空間の裂け目から青い白い光が迸った。それと同時に、太く短い男の声も。

「破ぁ!」

 その良く響く声とともに青白い光弾が撃ち出され、影の妖たちを一気に消滅させた。詩乃は頬の傷から流れる血を拭いながら、境界を潜り現れたその攻撃の主を見る。

「こんな美人さんの顔に傷を付けるとは、これを許しちゃ男が廃るってもんだ。なぁ、ちっこいの」

「オイラはちっこくないぞ! 山の仲間の中だとおっきかったんだからな! あとオイラにはツチノコって名前があるぞ! な、おっちゃん!」

 境界の向こうからやって来たのは、禿頭の背の高い男と白い鰐、そしてその背に乗ったビール瓶のような形をした蛇だった。ツチノコと名乗った早口の蛇は転がって白い鰐の頭の上に乗っかると、小さな瞳で前方を睨んだ。

「何か変な感じの奴らだけどあいつらがオイラの友だちをいじめてるんだな! 八広やひろのおっちゃん!」

「そうじゃろうな。さて美琴さんのためじゃ。一肌脱ぐとするか。彼女には恩義がある。それを返すことができるまたとない機会じゃからな」

 八広と呼ばれた白い鰐はそうゆったりとツチノコの言葉に返した後、横目で坊主姿の男を見た。

「さてそこのお坊さんや。あんたは敵ではないんじゃろ?」

 白い鰐の問いに男は頷いた。そして詩乃と氷雨の方を振り返る。

「と言う訳だお嬢ちゃん方。急に呼び出されて戸惑ったが、状況は把握したぜ。俺のことは寺生まれのTさんとでも呼んでくれ。俺たちもあんたたちに加勢しよう」

 一瞬ぽかんとしていた詩乃らだったが、味方が来てくれたことを理解し、小さく笑んで頷いた。

 彼らもまた、自分と同じようにどこかで美琴と出会い、共に時を過ごしたものたちなのだろう。彼女のために、この国のために戦ってくれるなら、ありがたい。

「ありがとうございます。私からもお願いします。我々黄泉国とともに戦って下さいませ」

 その言葉に寺生まれの男は親指を、ツチノコは尻尾を立てて答えた。白い鰐もまた、目を細めて笑みのような表情を作り、頷く。

 黒い影たちは怯むことなく襲い掛かって来る。白い鰐がその巨体を翻し、尾で影たちを薙ぎ倒す。それを避けて迫って来た鬼は、ツチノコの牙によって噛み砕かれた。

「やるなぁちっこいの。破ぁ!」

 寺生まれと名乗った男の光弾は、触れた怪物たちを瞬く間に消失させる。前に美琴から聞いた怪異を消滅させる力を持つ男というのがこの男なのか、そう詩乃は気付き、笑みを漏らした。妖にとっては恐ろしい力だが、今はその力がとてもありがたい。

 そんな詩乃の肩に、氷雨が片手を置いた。

「私たちも行こう、詩乃ちゃん」

 詩乃もまた頷き、答える。

「はい、黄泉国のために」




 朱音は前方を塞ぐ黒い大天狗に憤りの声を上げた。どれだけその体を破壊しても、この怪物は回りの天狗たちを吸収して壊された部分を修復する。

 いつまでも終わらぬ戦闘に、妖力の消費も疲労の蓄積も激しい。

 背後から変形した妖の腕が朱音の腹部を貫いた。鋭い痛みを覚えるとともに、口から血が吐き出され、朱音は口を押さえる。

 後ろに向かって髪の束を振り、妖たちを消滅させた。だが腹部の傷のせいで動きが鈍った。今度は前方から鬼と天狗たちの群れが迫る。対応が遅れ、防御のために髪を自身の体に巻き付けようとした、その時だった。

 突如として朱音の上部から振り下ろされた巨大な足が、天狗と鬼とを踏み潰した。予想していなかった出来事に朱音は目を見開く。

 見覚えのあるその灰色の皮膚。朱音が顔を上げると、長い首を持った太古の竜の姿がある。以前、海原を覆う霧の向こうから姿を現したあの恐竜だった。

「あなたは……」

 灰色の恐竜は首を曲げて朱音を見た。そのごつごつとした皮膚からは、深い海の匂いがした。

 恐竜は一歩前に出る。そしてその喉から、朱音の言葉に答えるように灯台の霧笛に似た彼の鳴き声が空に響き渡った。

「朱音様! ご無事ですか?」

 そして朱音を腕をそっと持ち、立ち上がらせるものもいた。片手に銀色に光る短刀を握ったその女妖は、朱音を見て微笑んだ。朱音もまたその懐かしい顔に安堵の表情を浮かべる。

安岐あきさん、あなたまで」

「ええ、小さな女の子の声に呼ばれたんです。あなたに危機が迫っていると」

 経立ふったちはその手に握った短刀を逆手に構え、そして朱音の前に背を向けて立った。

「今度は敵ではなく味方として、あなたの側に立たせて下さい」

「ええ勿論。とてもありがたいです。恐竜さんにも、お願いして良いですか?」

 恐竜はその長い首を曲げて朱音を見つめ、そして小さく唸るような声を上げた。それを同意の表現と受け取り、朱音は微笑する。

 これでまだまだ戦える。朱音はしっかりと己の二本の足で立ち上がり、口元に流れる血を拭った。そしてその髪が、黄昏空の下に拡散する。



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