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黄泉夜譚 ヨモツヤタン  作者: 朝里 樹
第四十話 夜の果てへの疾走
160/206

二 道士と僵尸

 気が付けば藤村はあの洋館の中に足を踏み入れていた。子供の頃、何度も入ったことのあるその屋内は、昔の面影をほとんど残していない。中は藤村の家とは比べ物にならない程荒らされていて、意味があるのか良く分からない漢字やアルファベットの羅列が壁面を占拠ししている。壁紙は所々ボロボロに剥がされ、硝子は割られ、家具などはほとんど残っていない。

 藤村はその惨状から目をそらすようにただ二階に上がるための階段を探す。だがそれはあるべき場所に見つからなかった。かつてこの家にやって来た頃の記憶を辿るも、その場所に見えるのはとても手の届かない場所にぽっかりと空いた二階の入り口だけで、そこに到るまでの道は消えていた。

 この十年の間に階段は壊れてしまったようだ。だが、確かに藤村は二階の窓にかつての真由美の姿を見た。

 あの頃の姿のままに、あの頃と同じように彼女は窓から海を眺めていた。病に倒れた彼女と、いつかまた二人で空の下で遊ぼう、海へ行こうと窓越しに話したことを思い出す。

 真由美の姿はもしかしたら目の錯覚だったのかもしれない。それならばそれを確かめたい。

 藤村は一度外に出て梯子か何かを探したが、見当たらなかった。一度近くの町に戻って用意してから戻って来ようかとも考え、一度洋館から出たその時、藤村は館の方へと歩いて来る人影を見た。

「おや、君は」

 その男も藤村に気付いたようで、緩やかな足取りで近付いて来た。

 道衣というのだろうか。中国の時代映画に出て来るような服を身に纏ったその男には見覚えがあった。かつてこの村、この洋館を定期的に訪れていた人間だった筈だ。村でも噂になっていて、藤村自身もこの洋館に入って行く姿を何度か見ている。

 真由美の父親は、確か医者だと言っていたと思う。その癖に真由美が死んだ後も屋敷に出入りしていたようだが。

「藤村隆君、だね。懐かしいな。僕のことは覚えているかい?」

 藤村は無言で頷いた。この男の名前は聞いたことが無いし、話したこともなかった。それに十年前と見た目がほとんど変わっていないように見える。だからすぐに思い出せたのかもしれない。それに比べ自分は十年前から比べれば大きく変わっているだろう。何故すぐに自分の名前が分かったのか、藤村は疑問に思いながら男に訝しげな視線を向けていると、男は弁解するように口を開いた。

「この村では君は有名だったんだよ。行方不明だったからね。君のご両親はもう君は死んだものと諦めていたようだが、そうか、逆に君は唯一人生き残ったのか」

 男は穏やかな顔のままそう言った。藤村は片眉を吊り上げる。

「生き残ったって、どういうことですか?」

 そう問うと、男は少し驚いたような顔をした。そして言いにくそうに口を何度か動かした後、諦めたように声を発した。

「知らなかったのか。うん、話せば長くなるが、実はね、この村の人たちは君がこの村を去って一年程した頃、たった一人の手によって皆殺しにされたんだよ。大量殺人というやつさ」

 藤村は耳を疑った。確かにこの村には今、誰も人は住んでいないようだ。だからと言って全員が死んでいるとは信じられない。小さな村だったとはいえ、四十人ぐらいの村人はいたはずだ。

「そんな事件、聞いたことがありません」

「報道はされなかったようだね。死体が忽然と消えてしまったし、犯人だって見つかっていない。ただ私は見ているんだ。村の人たちが殺される現場をね」

 悪い冗談だろうか。だが男の表情は真剣だった。藤村は混乱する頭を押さえ、そして尋ねる。

「その犯人は、誰だったんですか?」

「その洋館に囚われていた少女だよ。君も良く知っているはずだ。死んだはずの彼女は、その夜この洋館で家族を殺し、そして村人たちを次々と殺して行った。僕も未だに自分が見た光景を信じられないよ。彼女の死を見届けたのは、他でもない僕だったのだからね」

 男は洋館の二階を見上げながらそう言った。藤村も視線を上に上げる。そこに真由美の姿は見えない。

「死んだ人間が人を殺すなんて、そんな馬鹿な話がありますか」

「あったんだよ。どうやら、あの洋館の父親は死んだ娘を生き返らせようとしていたらしい。死体をあの部屋に安置して、腐らせないように様々な処理を施していたよ。死んだことが認められなかったのだろうね。僕も彼女を死から救い出す方法を幾度も問われたよ」

 藤村は再び男を見る。この男は何者なのだろう。子供の頃は素直に信じていたが、今見ると医者には見えない。その疑問を察したように男が口を開いた。

「僕は道士だよ。中国に道教という宗教があることは知っているかい? 僕はそれを学んでいる、そうだな、分かり易く言えば仏教の僧のようなものでね」

 男は一度無意味に頷いた。そして言葉を続ける。

「道教は医学とも関連が深いんだ。と言っても漢方等の薬に多少詳しかったり、様々な(まじな)いのようなものが伝わっているだけだけどね。でもあの真由美という子の父は、医者に見放された娘を見捨てられず、僕を頼ったんだ。科学で駄目ならば宗教の力で何とかしようと、そう思ったのかもしれない。でもやっぱり僕の力では駄目でね、真由美さんは死んでしまった」

 男は悔しそうに言った。藤村は、ほんの少しだけ彼に親近感を持った。彼もまた真由美を助けようとしてくれていたのだろう。

「でも、それならなぜ真由美が死んだ後もこの洋館に通っていたんです?」

「うん、それはね、道教には死者を蘇生する秘術が伝わっていたからなんだ。勿論、伝説上のものでしかなけれどね。でも阪野さんは真由美さんのことを諦めきれなかったのだろうね。彼は僕に幾度も彼女を蘇らせる術を問うた。真由美さんの死体をあの二階の部屋に安置したままね。そして、僕は道教に伝わる死者蘇生の術を教えた。阪野さんはもうほとんど正気を失っていたように見えたよ。だから、その術でさえ真由美さんを生き返らせることができなかったならば、諦めてくれるのではと、そう思ったんだ」

 男は溜息を吐いた。

「でも信じられないことに、それは成功、してしまったのかもしれない。僕は立ち上がり、血に濡れたチェーンソーを握った真由美さんを見てしまったのだから。最初は夢だと思ったさ。だけど翌朝村に向かったら、もう村人たちの姿はなかった。死体ごと消えていたんだ」

 そんなことがあり得るのだろうか。藤村は信じられなかった。全てはこの男の妄想、そう考えることもできる。だがそれならば、村の人たちはどこに消えたのだろう。

 だが自分も先程この二階に真由美の姿を見てしまったばかりなのだ。人のことを馬鹿にはできない。

「なら、あなたはどうしてこの村に来たのですか?」

「確かめに来たんだよ。僕の見たあの光景は幻だったのかどうか。僕もあの日以来この村には恐ろしくて近付いていなかったからね。でも、やはり村人はいなかった。それにこの付近を色々調べてたり聞き込みをしたりしてみたのだけど、誰もこの村が十年前まで存在していたことを覚えていないんだ。この村は昭和初期に廃村になったのだと、そう信じている。さっき君が言ったようにメディアだってこの事件をどこも取り上げていない。明らかにおかしいだろう?」

「そんな……」

 一体何が起きているというのだろう。自分の記憶が偽物であると、そう言うのだろうか。いやそれはまだこの男と同じように付近のものたちに自分で直接聞いてみなければ分からない。でも、この男の言う通りだったとしたら……。

 頭に鉛を入れられたような重さがあって、藤村は右手で額を抑えた。

「だから君がこの村を覚えていてくれたことで、僕はこの村に何かがあったのだと確信したんだ。僕はそれを調べるつもりだ。君はどうする?」

 藤村は鉛の詰まった頭のまま、無意識に頷いていた。何があったのか知らなければならない。それに真由美のことも。

 藤村が顔を上げた。鉄格子が嵌められた窓の向こうには、今度は少女の顔は見えなかった。




「昨日、不老不死に纏わる話をしたのは覚えているわよね」

 車窓から景色を眺めていた美琴が不意に尋ねた。新潟県までは人の世界の乗り物を使った方が早い。新幹線を使えば二時間前後で着くそうだ。

 その新幹線の席に美琴と朱音は向かい合うようにして座っている。窓の向こうの景色は、凄い速さで通り過ぎて行く。

「ええ。あの時も中国の話が出て来ましたね。そういえば、徐福(じょふく)という方は道教にも関連が深い人物でしたよね」

「ええ、道教にとって不老不死を得ることは大きな目的のひとつだからね」

 美琴はそう言ってから、朱音の方に顔を向けた。

「道教にはね、太歳星君たいさいせいくんという名の凶神が伝えられているの。『三教捜神大全』という書物によれば殷の殷の紂王(ちゅうおう)の子でね、母である(きょう)皇后が巨人の足跡を踏んで子を成し、産み落とした肉塊の中にいたのだと伝わっているわ。この話はある妖怪を思い起こさせるとは思わない?」

「太歳……、確か中国に伝わる肉塊のような姿をした妖怪ですよね。あの、その肉を食べれば不老不死になれるなんていう……」

 また不老不死だ。朱音は美琴の反応を待つ。美琴が無駄な話をすることはあまりない。これにも何か意味があるのだろう。

「そう。太歳に限らずその肉を食らえば不老長寿を得られるという話は多いわ。この国にも、八百比丘尼(やおびくに)で有名な人魚の肉や、『源平盛衰記』にも記述がある九穴(くけつ)(あわび)、それに『清悦物語』に記されたにんかんなんていう魚の肉なんかもそうね」

 美琴は真剣な目で朱音を見据える。

「道教においては不老不死を目指す方法には様々なものがあるの。その中の一つに外丹法がいたんほうと言って、仙薬を作りそれを摂取することにより延命しようというものがある。その薬の製法は様々でね、古くは金や水銀などを原料とするものから、時代が下ると人の排泄物を使ったものまであったそうよ。ならばその原料と見なされたものの中に……」

「妖の肉があってもおかしくないと、そういうことですね?」

 朱音が問うと美琴は頷いた。

「そうね。実際『一宵話(いっしょうわ)』という近世の随筆集には徳川家康の前に現れた肉人という怪異が記されていてね、その書にはこんなことが書かれているわ。"かかる仙薬を君に奉らざりし。此れは、白沢図に出たる、封といふものなり。此れを食すれば、多力になり、武勇もすぐるるよし"、妖の肉が仙薬になるという発想はあったことは確かなのよね」

 妖力を得るため人を食う妖がいるように、人もまた長寿を得るため妖を食わんとした。それも歴史のひとつとしてあったということだろう。

「それなら、その妖を狩る道士の目的は妖の肉、ということなのでしょうか」

「恐らくね。彼に殺された妖の亡骸は、必ず体のどこからか肉の一部を持ち去られているようなのよ」

 美琴は淡々と言った。つい最近、と言っても一年以上前だが、同じように人間が妖を狙う事件があった。あれはその人間の独自の正義感による粛清のようなことが目的だったが、今回は自身の寿命を延ばすという私欲が目的となるのだろう。

 それが邪だとか、間違っているとは言い切れぬ。人だって妖だって、他の生物の命を奪い、それを糧にして生きている。

 だが、同じ妖として、そしてその妖たちが住む異界を統べる長として、それを見逃す訳には行かないのだろう。いや、それ以前に死神という種族の目が何かを捉えるのかもしれない。

「もう一つの問題はね、私たちが今向かっているところは、ある都市伝説の舞台でもあるのよ」

 窓枠に肘を乗せ、美琴が言った。

「都市伝説、ですか」

「新潟ホワイトハウスと呼ばれる都市伝説でね。所謂地図から消えた村に纏わる話なのだけど、昭和初期、その村に暮らしていたある精神病を患っていた少女がいたというの。その子の病気は解離性人格障害、つまり多重人格で、80歳くらいの老婆、中年の男性、若い女性、そして少女本人という四人の人格がその身に宿っていた。そして、その中でも凶暴な人格だった中年の男性が表に現れた時には少女とは思えない力を発揮したそうでね。ある村はずれの洋館の二階に幽閉されていたというわ」

 この世では都市伝説というものは往々にして現実のものとして存在している場合がある。美琴はそれを警戒しているのだろう。

「その少女はどうなったのですか?」

「ある日ね、その中年の男性の人格が彼女を支配し、家族を、村の人々を惨殺したそうよ。それが消えた村とされる由来。少女は大量殺人の後、その罪を悔いたのか自殺電波塔と呼ばれる場所で自殺したというわ」

 朱音は首を傾げる。小さな村だとしても住んでいる者は一人や二人ではないだろう。たった九歳の少女が村人全員を殺したとは考え難かった。

「少女一人が村人全員を殺すことができるのでしょうか」

「さあねぇ。多重人格により筋力が増加するという例はあるようだけど、それでも限界はあるでしょうし。ただの噂なのか、それとも少女に何かが起こっていたのか。それにそんなことがあったのならまず大々的に報道されるでしょうから、隠蔽された可能性だって考えねばならないわ」

 美琴は小さく溜息を吐いた。その事件がもし本当にあったことなのだとすれば、遣りきれない。元の少女の人格に戻った時、彼女は何を思ったのだろう。その絶望が、彼女を自殺に向かわせたのかもしれない。

「都市伝説は都市伝説であって欲しいのだけどね。最悪の場合、道士がこの事件に関与している可能性も考えられる。その角浜村の跡地に道士は拠点を持っているようだから」

 新幹線が止まった。美琴の話が終わるとともに丁度新潟駅に着いたようだった。二人の妖は静かに立ち上がる。




「良く眠れたかい?」

 昨日と変わらず道衣を着た男はそう尋ねた。藤村は目を擦りながら頷く。

 豊島と名乗ったその男と出会った後、藤村は彼に紹介された村の近くの宿に一泊していた。海の近くではあるが、海水浴のシーズンは既に終わっているため宿泊客は豊島と藤村しかいないようだ。

 昨日、子供の頃にも良く訪れた村の近くの小さな町で角浜村のことを聞いた。だが、応えは皆覚えていないか、それとも豊島の言う通り昭和の初期に廃村になったかのどちらかだった。

 尋ねた者の中にはかつて会ったことのある人物だっていた。少年時代家族とともに訪れた店にだって行った。それなのに彼らは何も覚えていない。村人たちの名前を幾つ挙げたところで知らないと言う。

 自分の記憶は幻だったのだろうかと、掴みどころのない不安に襲われた。あの道士以外にたった十年前までは存在した筈の村の存在を保証してくれる人間がいないのだ。

「浮かない顔をしているね」

 豊島が言った。藤村は彼を見る。心配そうな顔をしている。その表情が何故だかとてもわざとらしいものに見えた。過去を否定され続けて、現実が信用できなくなっているせいかもしれない。

「本当に自分はあの村で生まれたのか、分からなくなって来てしまって」

「その気持ちはよくわかるよ」

 豊島は同情するように言った。彼の言葉を全て信用した訳ではない。だがこの村に何があったのか、その真相を確かめるためには彼と一緒にいるのが必要がある。そう藤村は考えていた。

「今日はあの屋敷の二階へ行くつもりなのだろう? 僕も一緒に行くよ。僕もあそこはまだ見ていない。もしかしたら、何かが分かるかもしれないしね。それに真由美さんのことだって気になる」

 藤村は頷いた。昨日見た少女の姿。あれは幻だったのか。それを確かめたかった。まだ信じられてはいないが豊島の言葉が本当ならば、真由美は角浜村の人々全てを殺した犯人ともなる。

 それが本当であれば、その理由も知りたかった。

 折りたたみ式の梯子を背負い、豊島とともに朝早くに宿を出た。今朝は曇りで今にも雨が降りそうだ。そのどんよりとした曇り空は少し心を落ちつけてくれた。




 村の景色は昨日と変わらない。違うのは自分の前に道士姿の男がいることだけだ。藤村は歩きながらそんなことを思う。

 やはり目に映るのは自分の見知った故郷の景色だ。この記憶が嘘だと言うのか。藤村は自問自答しながら、一歩一歩確かめながら歩いていく。

 あの家は小さな駄菓子屋だった。気の良いお婆さんがやっていたはずだ。あの家は八百屋だった。そこの息子とは仲が良くて、良く一緒に学校から帰った。あの家に住んでいた子供だって、あの家に住んでいた大人だって、こんな小さな村なのだから皆知っている。

 それが偽りの思い出だなんてやはり信じることはできない。

「何か、嫌な感じがするね」

 道士が言った。嫌な感じといえば嫌だらけだ。自分の存在が不確かになって行くような感覚がずっと続いている。

 やがて村を抜け、あの洋館へと続く道に入る。空は分厚い雲に覆われ、益々暗くなっている。まだ昼前なのに、まるで夕暮れのようだった。

 白い洋館の窓には、少女の姿は見えなかった。だが今日はそれを確かめに来たのだ。藤村は背から梯子を下ろし、館の中に入って組み立てる。

 洋館の中はさらに暗く、硝子の割れた窓から入る僅かな光だけが室内を照らしている。

「うん、ひとつ話をしようか」

 藤村の様子を眺めながら、豊島はそう口にした。藤村はちらりと後ろを振り返る。にこやかな顔をした豊島の姿が目に入った。

「中国にはね、僵尸(きょうし)という死体が動き出す化け物の話が伝わっているんだ。日本ではキョンシーという呼び方が有名かな。君も知っているだろう?」

 突然何を言い出すのか。藤村は振り返り、訝しげに豊島を見る。

「ああ、それにその梯子は必要ないよ。彼女ならそこにいるから」

 今までの豊島の態度とは明らかに違う、人を見下すような顔が目の前にあった。一体何だと言うのだろう。問おうと口を開きかけたその直後、空気を震わせる振動音が響き渡った。藤村は再び前を見て、そして目を見開く。

 そこに少女が立っていた。彼女の持つあまり手入れがされているとは言い難いチェーンソーが、轟音を響かせて凄まじい勢いで回転している。

「真由美……?」

 その姿を藤村は良く知っていた。薄汚れた白いドレスを着た、生気のない濁り切った目と黄土色の肌をした死人のようなその娘は、だが確かに彼が少年時代を共に過ごしたあの少女だった。

「君にはたくさん嘘を吐いてしまった。まさか村に戻って来るとは思わなくてね。だけど、まあ、君の願いは叶えてあげたのだから良いだろう。それに新しい実験もできた」

 真由美の隣に立った豊島はそう一人納得するように頷いた。

「生きて真由美さんに逢えたのだからね。でも彼女は特別な僵尸だから、君にあげる訳には行かないのだけどね。それに思った通り君は彼女にとっては危険なようだ」

 豊島は笑った。

「道教にはね、死体を生き返らせる術は本当にあるのだよ。おかげで君はこの子に会うことができたんだ。僕に感謝だね」

 真由美がチェーンソーを振り上げる。虚ろな目が藤村を捉えている。

 何も分からない。このまま自分は真由美に殺されるのか。何も知ることなく、死んでしまうのか。回転する刃が迫る。だがその刃は首の皮に触れる触れないかというところで止まった。藤村は真由美の瞳に揺れる感情を見る。

 しかしそれは一瞬だった。真由美の体が何者かの攻撃によって後ろに弾き飛ばされた。

 何か、黒い紐で束ねた鞭のようなものが真由美に叩きつけられたのだ。その体が廃墟の壁にぶつかった後、その黒い紐たちは意思を持っているかのように勝手に引っ込んだ。

「うむ、少し悠長過ぎたかな」

 豊島がのんびりとした口調で言った。彼の視線の先を辿ると、長い髪を地面に垂らした若い女が豊島を睨んでいた。

「あなたが妖を襲い、その肉を食らうという道士ですか」

 女の喉から冷たい声が響いた。その間にも、彼女の頭部から伸びる髪は蛇のように自在に動き回っている。

 その鈎針のようになった先端が豊島の方に向けられた。

「邪魔なやつを消すついでに新しい僵尸でも作ろうと思ってたのだけど、でも妖が来たなら話は別かな」

 豊島の後ろからまた新たな人影が現れる。そして、藤村はその姿に見覚えがあった。

 あれは、真由美の父親だ。目は白く濁り、ふらつくような歩き方をしている。あれも死体なのか。

 ならこの村の人たちが死んでいるというのは、本当だったということになる。混乱する頭を抱えながら、藤村は本能的に化け物たちから離れる。

 あの豊島という男は何かを知っている。だが今それを問い正すことはできそうもない。

 藤村は真由美の方を見た。壁にもたれてぐったりとしている彼女は、しかし死んでいる訳ではなさそうだった。首を動かしてこちらを見返している。

 いや、死体なのだから死んでいないというのはおかしいかもしれない。彼女の姿は十年前から成長していない。それも亡骸だからなのか。そう思うと無性に悔しくなった。

 先程までの光景を見る限り、真由美はあの豊島という男の言葉に従っているようだった。死体を生き返らせる術があるなら、その死体を操ることができても不思議ではない。

 もう自分の知っている現実なんてとっくに壊れているのだ。なら、それについて考えるよりまず真由美をあの男から助けなければ。

「君たち、あの妖怪は頼んだよ。家族で頑張ってくれたまえ。あの針女と藤村君を殺すんだ。死体は綺麗に残すように」

 だが藤村の決意をあざ笑うかのように、道士のその声とともにさらに死体の数は増える。その全てに藤村は見覚えがあった。

 あれは真由美の母と、弟だ。二人とも死んでいる。死臭を漂わせながら動いている。

「人の亡骸を使うなど、悪趣味な」

 針女と呼ばれた女はそう憎々しげに言った。そして一気に髪を豊島に伸ばす。だがそれを真由美の父が遮った。

 髪は死体を突き抜け、壁に突き刺さる。その間に豊島は真由美を後ろに従え、館の外へと出て行ってしまう。藤村はそれを追いかけようとするが、彼女を除く三人の家族と針女との戦いの間に割り込むほどの力は持っていなかった。

 藤村は目と首を動かして真由美の姿を探す。豊島は特別な僵尸だと言っていた。それがどういう意味なのかは分からないが、だが、彼女をあの男の側にいさせるのはどうしても嫌だった。

 あんなに苦しんで、そして命を失ったのに、その死体まであんな男に使われるなんて許せない。

 針女は三つの髪の束を作り出すと、同時に三人の死体を壁に叩きつけた。そのまま髪を途中で切り離し、彼らを壁に釘付けにする。だが僵尸たちはあっさりとその髪を引き抜いた。痛みなど感じないのだろう。胴に空いた風穴からごぽりと黒く粘ついた塊が落ちている。

「しぶといですね……。ああ、あなたは生者ですよね。さあ、早くこちらに」

 針女は苦々しい表情を僵尸たちに向けた後、藤村の方を見た。藤村は少しの間逡巡して、そしてその言葉に従うことにした。



異形紹介


・新潟ホワイトハウス

 新潟県、角田浜に実在するある廃墟に纏わる都市伝説。この白い洋館はある外交官の父、妻、娘、息子の4人の家族が昭和初期東京から新潟へと引っ越して来た折に建てられたのだという。

 人々は何故外交官一家がこんな片田舎に引っ越して来たのかと訝しんだが、その理由は娘にあった。当時9歳だった外交官の娘は解離性人格障害を患っており、80歳くらいの老婆、中年の男性、若い女性、そして少女本人の四つの人格を一つの体に宿していた。その中でも中年の男性の人格は凶暴であり、この人格が現れている時は9歳の少女とは思えないほどの怪力を発揮し、家族にも危害を加えたという。

 突如現れた外交官一家と白い洋館については付近にあった村でも話題になっており、少女について様々な噂が飛び交った。そして外交官の一家は少女を人々の奇異の目から守るため、二階のある部屋に少女を閉じ込め、そして全ての窓に鉄格子を嵌めた。

 少女は建物から出られぬまま、その窓からいつも海を眺めていたと言う。そして極限状態に追い詰められた少女の精神はあの中年の男の人格に支配され、父親の猟銃を使って一家を惨殺した後姿をくらました。

 現在新潟ホワイトハウスと呼ばれるその廃墟には、今でも少女の霊がさ迷っているという。


・新潟ジェイソン村

 前述した新潟ホワイトハウスの続きとされ、実在するキャンプ場の廃墟を舞台として語られる都市伝説。自身の家族を惨殺した少女は、洋館からほど近い場所にあった集落に辿り着いた。少女は次々と寝静まった家々に侵入し、猟銃、鉈、日本刀等でそこに住む人々を惨殺し、最後にはチェーンソーを持ち出して人々を次々と死体に変えて行った。そうして、一夜にして集落の住人は全滅する。全てを終え、茫然と立ち尽くしてた少女は突如何かに取り憑かれたように南に向かって走り出し、集落から姿を消した。

 その後集落は放置され、いつしか新潟ジェイソン村と呼ばれるようになったという。


・自殺電波塔

 ブラックハウスとも呼ばれる。新潟ホワイトハウス、新潟ジェイソン村に続く都市伝説とされ、そして少女の最後を語る都市伝説。同じく新潟県に実在する無線中継所の廃墟を舞台にしている。

 惨劇を巻き起こした少女が村を出た後、最後にこの辿り着いたのがこの自殺電波塔であったとされる。我に返った少女は自身の行いを悔いたのか、この建物の二階奥にあるフックにロープを掛け、首を括ったのだという。それから、この廃墟には少女の幽霊が現れるようになった。

 またこの廃墟では少女の他にも様々な自殺者の霊が出ると言い、それは皆そこで自殺したものたちの霊であるとされる。そんなにも自殺者を呼び込むのは、この建物近くに立つ無線中継の電波塔が自殺を促す電波を発し、被害者をこの廃墟に呼びこんでいるからであり、それ故に自殺電波塔という名前がついたと語られることもある。



 これら三つの都市伝説は新潟ホワイトハウス伝説としてある多重人格を持った少女が起こした惨劇、そして少女の最後を語る連結した物語となっている。しかし新潟ジェイソン村に関しては新潟ホワイトハウスの都市伝説から派生して生まれたと考えられている。また、新潟ホワイトハウスと自殺電波塔がセットで語られることもあるため、ジェイソン村より以前に自殺電波塔の都市伝説が存在した可能性もある。ちなみにジェイソン村と名がつけられた都市伝説は全国に散在し、秋田のジェイソン村や茨城のジェイソン村等がある。

 元々新潟ホワイトハウスに伝わっていた都市伝説は、少女の病気の療養のためこの屋敷に住んでいた一家があったが、その甲斐なく少女は病死し、まもなく一家は屋敷を離れて行ったというもので、少女が一家を惨殺するという内容の噂が語られるようになったのはその噂が発生した時期より後になるという。また自殺電波塔の正式名称は弥彦無線中継所であり、この廃墟では1990年代に若い女性が自殺したといった新潟ホワイトハウスとは関係のない都市伝説も別に語られていた。そのため元々少女とは無関係の都市伝説の舞台であった自殺電波塔が、地理的な距離の近さからか新潟ホワイトハウスに繋がる噂として新たに都市伝説を発生させた可能性も高い。ただし三か所の廃墟は全て新潟県に実在する場所であり、心霊スポットとしても扱われている。

 少女のモデルとなった誰かがその周辺に住んでいたのかは定かではない。少女の霊が本当にいるかどうかは、自身の目で確かめてみるしかないだろう。

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