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黄泉夜譚 ヨモツヤタン  作者: 朝里 樹
第四十話 夜の果てへの疾走
159/206

一 消えた村の都市伝説

 藤村ふじむらたかしは夜気が自動車のドアを通して染み込んでくるような、そんな感覚を覚えた。

 もうすぐ冬がやって来るという秋の終わりの夜。暖房も付けていない車内は容赦なく冷気に満たされている。吐く息が白く濁る。

 時刻は午前二時を過ぎた高速道路の上。周りには車の姿は見えない。車窓から見える景色はゆっくりと流れて行く。高架の横に立ち並んだビルの明りや、道路の脇に設置された街灯、それらが夜の闇に光の線を引き、やがて通り過ぎ去て見えなくなる。

 まるで自分の過去のようだなと、藤村はそう感傷的なことを思った。

 この夜が果てる頃、自分は生まれた故郷へと辿り着いていることだろう。


第四十話「夜の果てへの疾走」


 サービスエリアに立ち寄って自動販売機でホットコーヒーを買った。一口飲み込むと喉から食道を通り、熱い液体が胃に落ちて行くのが分かる。

 誰もいない静かな空間は、とても心が落ち着く。だから藤村は車の中が好きだった。あそこに一人でいる限り、自分は外界と遮断されて一人になれる。それを求めて藤村は良く車に乗った。

 当てもなく走り、人気が無いところまで来て車を降りる。そんな無為な休日を幾度も繰り返していた。目的などない。強いて言えば、一人になりたいという月並みな理由だろうか。元々家族などいないのに。

 中学を卒業してから藤村は一人で生きて来た。父親と喧嘩して、家出同然で生まれ育ったあの小さな村を飛び出て十年以上。一度も帰郷していない。

 だから家族が今どうしているかなどは知らない。しかし最近その故郷の村について妙な噂を耳にしたのだ。それが、彼が今車を走らせている理由だった。

 彼の生まれた村は新潟県にある。角浜村かどはまむらという名前だったのは覚えているが、そこが今廃墟になっているという。

 少なくとも十年前にはちゃんと人はいたし、あの時代にしても古臭いとはいえ村も機能していた。それが廃墟と化しているなんて。そこに住んでいた人たちはどうなったというのか。

 あの村に未練はないつもりだった。だがいざ自分の故郷がなくなったと聞き確認するためにこうして車を走らせている。だがそれはただ角浜村がどうなったのか確かめたい以外にも理由があることは自分でも分かっていた。

 空になったコーヒー缶をゴミ箱に捨て、藤村は再び車に乗り込む。キーを差し込み、回すとエンジン音がやけに大きく聞こえた。

 廃墟と化した角浜村に現れるというある少女の亡霊の噂。新潟ホワイトハウスなんて名前の都市伝説まで出回っているそれが藤村を突き動かしている大きな理由だった。

 まだ子供だった頃の記憶。彼より四つ年下だった少女があの村にはいた。子供の少ないあの村では学校のは全学年合わせて一クラスしかなかったから、年齢に関係なく子供は皆友達だった。

 特に隣家に住んでいた阪野さかの真由美まゆみという少女とは特に仲が良かった。昭和の初期に引っ越して来た外交官の一家が建てた家だったという彼女の家はあの古臭い村には似つかわしくない洒落た白い洋館で、村から離れた山奥にぽつんとひとつだけ建っていた。大人たちはその家を快くは思っていないようだったが、子供である藤村にはあまり関係なく、真由美ともお互いの家を行き来して遊んでいた。彼にとってはまるで妹のような存在だった。

 ただ体が弱かったからよく学校を休んでいたのを覚えている。そして、いつの日からか全く学校に来なくなった。確か自分が中学校に上がったばかりの頃だったと藤村は思い出す。

 彼女の母親は、何と言っていただろう。確か具体的な病気の名前は教えてもらえなかったと思う。ただ医者も治せない病なのだと言っていた。

 相変らず高速道路に他の車の姿はない。藤村はラジオをつけようとして、そしてその手を引っ込めた。

 あの後真由美はずっと家から出してもらえなかった。療養のためだったのだろう。ずっと彼女は二階にある自室に籠ることしかできなかった。

 たまに窓から外を眺めている彼女の姿は、見る度にやせ衰えて行くようで辛かった。それでも彼女は私の姿を見ると笑いかけてくれた。

 そして、その療養の甲斐もなく彼女は死んだ。確か真由美はまだ九歳だった筈だ。窓から外を見ることもなくなり、その家の者たちもほとんど外には出なくなった。

 家族との仲がぎくしゃくし始めたのもその頃からかもしれぬ。何か大きな理由があった訳ではない。ただ真由美がいなくなった寂しさを家族にぶつけていただけなのかもしれない。

 父も母も自分に対して冷たかったように思う。真由美が病に倒れ部屋から出られなくなってから彼女には近付くなと言われ、死んだ後にもあの家に近付くなと、そう教えられていた。それが拍車をかけたのかもしれない。

 だから彼女があの家から出られなくなってから、一度も彼女に会うことはできなかった。言葉を交わすことも、ほとんどできなかった。

 今思えば、真由美がどんな病気だったのかは知る由もない。だが人から人へと感染する大病だったという可能性もある。それで、両親は彼女から自分を遠ざけようとあんな態度を取ったとも考えられる。

 あの頃の自分はそんなところにまで考えが及ばす、反発ばかりしていたけれど。それから二年ばかりの間家族間の関係は剣呑なままで、中学を卒業後にすぐ家を出たのだ。

 村の廃墟に出る亡霊とは、真由美なのだろうか。それを確かめたかった。亡霊など信じている訳ではないが、それでも気になった。

 いや、本当はただ故郷に帰る理由が欲しかっただけなのかもしれない。藤村は混乱する思考を振り払うように頭を振る。

 廃墟となっているのが真実ならば両親もあの村を出てどこか別の場所で暮らしているのだろう。村の近辺に行けばそれについても何か聞けるかもしれない。

 藤村は車を走らせ続ける。空は少しずつ白み始めている。




「あの、やはりかぐや姫様が帝に渡した不老不死の薬と言うのは変若水(おちみず)だったのですか?」

 少々興奮気味な様子で詩乃がかぐやに尋ねた。黄泉国は美琴の屋敷。その縁側に繋がる部屋にて美琴は二人の様子を眺めている。

「よくご存じですね。あれは変若水でした。あのお方はお使いにならなかったようでしたが」

「わあやはりそうなのだったのですね! 『竹取物語』にはあの薬が何であるかはっきりとは書いてはおりませんので、ずっと疑問だったのです。それを姫様本人にお聞きできるなんて」

 こうしてかぐやと直接話すことができるのは、文学作品に親しみの深い詩乃にとっては夢のようなことなのかもしれぬ。常よりも高揚している。先程からかぐやに対し質問攻めだ。

「変若水ということは、月読様が託したものだったのね」

 美琴が尋ねた。変若水は『万葉集』にて四首の和歌の中に書かれている霊水のことだ。

 和歌によれば変若水は月読の持つ霊水として書かれ、若返りの効能があるとされている。それは同時に人の寿命を延ばす効果もあったのだろう。

「ええ。あの水を持っているのは月読様だけです。もっとも私たちのような人ならざるものが変若水を飲んでもあまり意味はないと仰っておりましたが」

「少なくともここにいる私たちには、老化という現象そのものがないですからね」

 詩乃が言った。妖にはそういったものも多い。付喪神である詩乃は妖となった時から同じ姿のままであるし、元々は人であった美琴や朱音のような妖も人として死したその時に時間の流れは止まっている。

「でも、ある意味女性には夢のような薬かもしれませんね。若返ることができるなんて、女性ならば望む方も多いでしょうし」

 四人分の茶を盆に乗せてやって来た朱音が言った。確かに妖でも人でも手に入るのならば欲しいと思うものは多いかもしれない。

「そうね、でも歴史的には若返りや不老不死の薬を求めたのは女性よりもむしろ、権力者かしらね」

「ええ。秦の始皇帝は有名ですわね」

 詩乃が言った。美琴は頷く。富も名誉も手に入れた強大な権力者が最後に求めるもの。それが寿命や若さであることは多い。どんなに金銭を積んでも得られないものだからだろう。世界最古の物語であるギルガメッシュ叙事詩にも不老不死の霊薬を求める下りはあるのだ。

「徐福の伝説ね。司馬遷の『史記』によれば彼は東方の蓬莱ほうらい方丈ほうじょう瀛洲えいしゅうという三神山に不老不死の霊薬があると具申し、始皇帝の命を受けて東方に船出したと伝えられているわ。そのまま徐福は中国へは戻らなかったそうだけど」

「この国にはいくつも彼が上陸したという伝承が残っておりますわね。後に瀛洲は日本を指す言葉ともなりましたし、この国のどこかに不老不死の霊薬があると徐福は考えていたのでしょうか」

 詩乃が首を傾げた。

「さあね。そもそも徐福がこの国にやってきたという決定的な証拠はないから。でももし来ていたのだとすれば、彼は日本で一生を終えたのかしらね」

「日本と言えば、確か、日本神話にも不老不死の霊薬について書かれておりましたよね」

 そう問うたのは朱音だった。詩乃がそれに答える。

「記紀には垂仁天皇が田道間守(たじまのもり)という人物に常世国(とこよのくに)に行って取って来よと命じた非時香木実(ときじくのかぐのこのみ)というものがありますわ。記紀では現在の(たちばな)のことを指すと書かれておりますが、わざわざ常世国にあると言うのですから異界に育つ果実だったと予想されておりますわね」

「そうね。それに垂仁天皇の妃の一人に()()()()()という人がいるわ。もしかしたら、あなたと何か関係があるのかもね」

 美琴はかぐやを見た。にこにこと笑いながら会話を聞いていた月の姫は唐突に自分と同じ名前が出てきたことに驚いたようで目を丸くしている。

「そうなのですか。その方のことは存じ上げませんでした。でももし関係があるのならば何だか嬉しいです。地上にわたくしがいたという証になるやもしれませぬから」

 かぐやはそう柔らかく笑った。彼女が地上に降り立ったことは、人々だけでなく妖たちにもお伽噺の中のことと思われている。しかしかぐや姫確かにここに存在し、かつて地上に降り立った。その記憶が、地上のどこかに残っていることを彼女は望んでいるのだろう。

「そうね。それと、不老や長寿は今の方が欲しがる人間は多いかもしれないわ。他の色々なものが手に入り易くなった時代だから。特に妖の肉は不老長寿をもたらすという言い伝えは多いから、それを狙う人間の話も聞くわ。かぐやも気をつけてね」

 かぐやは桂男である剛を伴ってたまに人間界に出る。人と見た目は変わらぬから滅多なことはないと思うが、用心に越したことはない。

 それに、近頃人間界で不穏な妖狩りの噂があるのも事実だった。

「分かっております。なるべく目立たぬよう心がけています」

 美琴は頷いた。人と妖では身体能力ならば基本的に妖の方に軍配が上がるが、しかし人間も何千年も前から妖と同じ地の上で暮らしていたのだ。妖に対処する方法も妖を捕獲する方法も当然編み出されてはいる。

 妖の実在がほとんど認識されていない現代では近世以前よりは危険は少ないとは思うが、それでも用心に越したことはない。

 美琴は湯呑を口に運ぶ。少し濃いほうじ茶の味がした。




 十年前と比べ景色は大幅に変わっていたが、面影はそこかしこにあった。海辺の道を車で進み、やがて町外れで止まる。

 この海辺に角浜村はある。そこまでの道のりはほとんど変わっていなかった。いや、碌に整備もされていなかったから変わり様がなかったのかもしれない。

 歩いて五分程で村の入り口は見えて来た。藤村は唾を飲み込み、そして意を決して村に足を踏み込んだ。

 だが中に入っても人の気配はない。見覚えのある家や店は散見されるが、どれも空き家のようだった。

 少しだけ寂しさが胸に去来した。本当に村はなくなってしまっていた。村の中を駆け回った記憶が甦る。小さな村だったから、子供の足でもすぐに端から端まで辿り着いてしまう。それでも楽しかった。

 よく知っている潮風の匂いを乗せた風が村を抜けて行く。藤村は一歩一歩踏みしめるように村を歩く。

 角浜村に住んでいるものはいないが、人が訪れていない訳ではなさそうだった。廃墟となったかつての家の壁に所々スプレーで落書きした跡が残っているし、ゴミもそこら中に散乱している。

 心霊スポットとして扱われているためだろう。レジャー気分でこの村にやって来ては好き勝手に過ごして行った痕跡ばかりだ。

 自身も村を捨てた身であることは十分承知しているのに、身勝手な怒りが湧いた。人の感情と言うものはそう簡単に割り切れないものなのかもしれない。

 だがただ突っ立っていてもなにも始まらない。藤村はまずかつて自分が住んでいた家の方へと足を進めた。ひどく荒らされてはいたが、そこに到るまでの景色には確かに見覚えがあった。

 言い知れぬ不安が胸の内で燻ぶっている。藤村は足を止めた。

 彼の目の前には、少年時代を過ごした家があった。だが彼の記憶の中の家とは一致しない。外見は同じだが、生気がない。

 この家は死んでいる。直感的にそう思った。

 人が住んでいない建物はもう家とは呼べないのだろう。藤村がその古びた引戸に手を掛けると、それは簡単に開いた。

 玄関には放置されたままの履物が散乱している。この村を自分の家族は村を出る際に持っていかなかったのだろうか。疑問に思いながら藤村は靴のまま廊下に上がった。塵や埃にまみれていて、どうしても靴を脱いで上がる気にはなれなかった。

 室内は荒れ放題だった。ここに肝試しにでも来た者がいたのか、箪笥等の引き出しは好き勝手に開けられ、中に入っていた物は散々に床に討ち捨てられている。その中には、かつて藤村が遊んでいた玩具や着ていた服もあった。

 捨てられず、ずっとこの家に残っていたのだろうか。だがもうここに家族はいない。

 藤村はその空っぽの箱から外に出た。空は彼の心情に反して、忌々しい程の秋晴れだ。その眩しさに一度目を細めてから、藤村は再び歩き出す。

 村の側に聳える小さな山。その山道をしばらく進んだところにあの家はある。かつて一人の少女とその家族が住み、そしてあの日少女が死んだ家。

 その白い洋館は変わらずそこに建っていた。他の建物と同じように落書きが目立ち、記憶の中よりも大分古びているものの、そこは確かにあの少女の家だった。

 藤村は真由美の部屋があった二階に目を向けた。その窓には記憶にはない鉄格子が嵌められている。ネットで読んだ噂の通りだ。

 何故この洋館が都市伝説の舞台となってしまったのだろう。藤村はその白い壁に手を触れた。ざらざらとした懐かしい感触があった。

 この洋館には少女の幽霊が出ると言う。かつてこの館に住み、命を落としたひとりの少女。それが無念のためかこの館に、村に彷徨い出るのだと聞いている。

 それが本当ならば、幽霊でも良い。死人でも良い。もう一度彼女に逢いたかった。

 藤村はもう一度鉄格子の嵌められた窓に目を向けた。そして、そこに確かにこちらを眺める少女の姿を見た。




 美琴は携帯電話の電源ボタンを押し、通話状態を終了した。そしておもむろに立ち上がる。そして壁に立てかけられた日本刀を右手に掴んだ。

「朱音、仕事よ」

 そのまま階段を下り、顔を出した朱音に告げる。朱音は頷き、そして問う。

「また何か事件ですか?」

「ええ。ここ数カ月妖を狙って狩っているという道士の噂があったでしょう? その居場所が判明したみたいなの」

 人間界に現れた妖を狙い、何らかの手によって惨殺する道士姿の男。異界にて都市伝説のように語られていたその噂は、今実在のものとして美琴の前に現れた。

「なるほど、それで、その男はどこに?」

「新潟県らしいわ。情報もそちらの異界から入ったものよ。どうも、一筋縄では行かない相手のようね」

 相手は確かに人間ではあるらしい。だが、ただの人間ではないのも確かなようだ。そもそも妖怪を狩ろう等と考える人間がまともではないのは確かだが。

「そうなのですか。では今回のお仕事はその男の正体を確かめ、場合によっては荒事になると、そういう感じですね」

「ええ。少し遠いし時間もかかるかもしれないから一旦黄泉国は良介に預けるわ。さっさと終わらせて帰って来ましょう」



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