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黄泉夜譚 ヨモツヤタン  作者: 朝里 樹
第三八話 影の中の記憶
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三 影の中の記憶

「蛇?」

 西塚が訝しげな視線を美琴に寄越す。だがそのこめかみに薄らと汗が滲んでいるのが美琴の目に見えた。

「それに憑きもの筋? 何を根拠にそんなことを言う」

「根拠が無い訳ではありませぬ。まずあなた達の祖先は讃岐の島からやって来たそうですね。その島の名は、小豆島(しょうどしま)というのではありませんか?」

 西塚が美琴を睨み、そして問い返す。

「何故そう思われる?」

「小豆島にはある憑きもの筋の家系が存在します。彼らに憑く妖の名は蛇蠱(へびみこ)。名の通り蛇の憑きものです。そして蛇蠱は、蛇蠱筋の者が相手を憎いと思った時その体内に入り込み、臓腑を食らうという特性を持つ。まるでこの村の伝説に伝わる大蛇の流行らせた(やまい)と同じ」

 これから話すことは、恐らく彼らにとって最も他者に知られたくはない事項ではあろう。だが伝説は歴史とは異なるもの。この村の影に葬られた記憶を暴かなければ、姦姦蛇螺の本当の正体は見えて来ない。

 美琴は淡々と話を続ける。

「あの姦姦蛇螺を封じるための(まじな)いの様式も蛇蠱を連想させる。あの類感呪術の中で、唯一何にも見立てられていなかった長持(ながもち)がありましたね。中の棒や壺を保護するためのものと考えればそれまででしょうが、蛇を長持の中で飼うという思想を持つ家系がある。それが蛇蠱筋です。あなたがたの祖先は、自分たちがずっと行ってきた(まじな)いの方法を姦姦蛇螺を封じる際に応用したのではないかと、そう考えたのです」

 類感呪術は見立ての呪術。代々長持の中に蛇を入れるという呪法を引き継いで来た彼らにとって、蛇の怪異でもある姦姦蛇螺を長持の中に納めるという見立ては蛇を制御するという考えの内においては最も馴染みの深い方法だったと思われる。言わばあの注連縄で区切られた結界の見立ての中に更に長持による結界の見立てを入れた、二重の結界だったのだろう。

「そもそも祀るとは言いますが、あれは姦姦蛇螺を隔離し、制御するための方法でしょう。神を祀る様式には思えない。それも蛇蠱以外を祀ることを許されぬあなた方の血筋のせいでもあるのでしょうが」

 蛇蠱は元々、長持の中から現れたのだと伝えられている。小豆島の海岸に現れた長持。それを見た島民たちの中にその箱の占有権を主張するものたちが現れ、最終的には中身を分配しようということで落ち着いた。そして彼らがその長持を開けてみると中から蛇が大量に現れ、その占有権を主張したものたちの家の下へと入り込んで行き、その家の者たちが蛇蠱筋の元祖となったという。それ故に、蛇蠱筋の者たちは蛇蠱を長持の中で飼うのだと聞いている。

「憑きものが憑くのは土地ではなく家、つまり血筋ですから小豆島の外に蛇蠱持ちがいてもおかしくはありませぬ。同じ蛇の憑きものであるトウビョウは、かなりの広範囲に伝わっておりますしね」

 葵が不安げな目で西塚を見るのが見えた。葵と名乗る一族であるならば、彼女もまた同じように蛇蠱を己の内に飼っている。西塚は諦めたように溜息を吐いた。

「葵官女が話したのか」

 美琴は首を横に振る。

「いいえ、彼女は何も言ってはおりません。これはただ私が推測しただけのこと。ただ、あなた方から漂う微かな妖気が気になっていたせいでもありますが」

 西塚は少しの間を置き、そして小さく溜息を吐いた。

「なるほどな。もう隠す意味はなさそうだ」

「西塚様……!」

「我々も葵の一族の過去と向き合う時が来たようですな」

 西塚は穏やかな声で葵に告げた。そして、美琴へと向き直る。その目に自身の血筋を暴かれたことに対する憎しみの色はない。

「我らは確かに蛇蠱筋だ。俺たちは生まれた時からこの村にいたから実感はないが祖先は酷い差別に苦しめられていたようだ。そして生まれた島を出て、本土へと渡った」

 西塚が話し始める。美琴は思う。村落共同体の中に置いて憑きもの筋は富の偏りを説明するために作られた概念だと言われることも多い。村の外部からやって来たものが短期間で富を得た際、彼らは憑きものを使役することによって他者の富貴を奪ったのだと説明されるのだ。

 しかし本当に憑きものを祀る血筋の場合はさらに厄介だ。差別に大義名分を与えてしまうことになる上、その血筋に生まれたものはそれから逃れることはできない。憑きものを捨てることはその富どころか全ての財を失うことを意味し、時には命さえも奪われる。さらに誰か他者を憎いと思ってしまえば、行動に起こさずとも、そのつもりがなくとも憑きものは相手へと向かい、肉体的に苦しめたりその家の財を奪って来るなどの行動を起こす。

 その家系に生まれてしまうことそのものが、ある意味で呪いとなる。

「そうやって迫害を逃れた結果やって来たのが、同じように蛇神を祀るこの村だったのでしょうね」

「そうなんだろうなぁ。だが長くはもたなかったことも予想はできる。この村の神であった大蛇を崇めることは、自分たちの神の怒りを買うことになり兼ねない。それは我々のような憑きもの筋にとっては致命的だ。だから、俺たちの祖先にとってこの村の神と巫女は邪魔だった。どうしてこの村に留まろうとしたのかまでは分からんがな」

「ではこの村に祟りを起こしたのは、本当は私たちの祖先だったと、そういうことなのでしょうか」

 葵は瞳を揺らし、美琴と西塚、どちらにともなくそう問いかける。それに答えたのは西塚だった。

「その可能性は高いでしょう。詳細な記録としては残っていないものの、断片的な記録は見たことがあります。この村に住処を得ようとする上で我々の祖先にとって巫女や蛇神は最も危険な存在だったはずです。神の子であれば我々のような特殊な力を持っていたと考えられますし、その場合は自分たちが憑きもの筋であることを看破される可能性も高い。それに蛇蠱筋にとって他に崇められる神は邪魔だった。だから村に祀られていた大蛇が祟りを起こしていると見せかけるため、裏で村人たちを犠牲にし、そして最終的に大蛇は自分に仕える巫女さえもに殺したと見せかけることで村の神を零落させようとした、そう想像はできます」

「そんなこと、今の話だけでは納得はできません。私たちの祖先が、そんな」

 西塚の言葉に葵が震える声で反論する。それはその通りだろう。あの伝説がどこまで事実を反映しているのか、それが問題となる。

「そうですね。私が姦姦蛇螺の伝説の真偽について疑問を持ったのには、もうひとつ大きな理由があります。それが姦姦蛇螺自身から流れてきた怨念と言う名の記憶です」

 美琴は葵を見据え、そして話し始める。

「姦姦蛇螺の下半身を見ることは彼女の怨念を浴びることとなる。葵さんの言っていたそれを私は身を持って体験しました。そして、彼女の怨念は一人のものではなかった。複数の怨念が私の中に流れ込んで来ました。その数は恐らく八つ。あの怪異は、八つの怨念をその身に背負っている」

「八つ……?」

 葵の巫女の唇が震えている。彼女は何も知らぬのだろう。

「ええ。一つは巫女のものでしょう。記憶の中心になっているのも恐らく彼女でした。しかし彼女その他の七人が何者なのか、それを考えると今から提示する疑問に対する答えともなる」

 美琴は居住まいを正し、そして二人の巫覡(ふげき)に問う。

「まずは姦姦蛇螺の腕です。腕を奪われ死んだ筈の彼女が、何故あのような六臂(ろっぴ)の怪異となったのか。それに彼女を鎮めるために作られたあの呪術の形式についてです。そこで彼女の姿を現す六本の棒は、殺された六人の巫女を表しているそうですね。何故姦姦蛇螺を象るために彼女を裏切り、殺された巫女に見立てたものを使うのでしょうか」

「殺した巫女の腕を奪った、とは考え難いということか」

 西塚は顎に手を当て言った。美琴は首肯する。

「そうですね。八つの怨嗟は同調していた。巫女と同じ怨みを持つものたちが彼女の中にいるということです。ならば人ではなくなった彼女に自分たちの腕を捧げることで、巫女の家族は彼女とひとつになったのではないか、そう私は考えました。同じ蛇神に仕える巫女として、蛇神の血を引く一族として、そして何より裏切りにより殺された巫女の家族として、その怨みを晴らさんがために」

 それにただ姦姦蛇螺に殺され取り込まれたのではなく、自らの意思で姦姦蛇螺の一部となったと考えた方が彼女らを象徴する棒により姦姦蛇螺を象った理由に納得できる。

 そしてそれは巫女の家族が巫女が蛇に呑まれることを画策したという姦姦蛇螺の伝説の内容を否定することとなる。ならば、何故そんな内容が伝説のうちに必要となったのか。

「死んだ巫女の家族に、姦姦蛇螺を生み出した罪を背負わせた、という訳か。上手くやるもんだ」

「そう、なのですか。西塚様は知っていたのですか」

 葵は沈んだ面持ちで言う。西塚は首を横に振った。

「いや、私も疑問には思っていたのです。あの伝説は本当に事実なのかと」

 西塚は言い、そして美琴を見た。

「では、残るひとつの怨念は、大蛇のものだったということになるか」

「そうなるでしょう。巫女の失われた下半身は、彼女が人であることをやめた際に蛇のものとなった。恐らくこれは、彼女が祀っていた蛇神のもの。姦姦蛇螺という怪異は巫女の怨念から生まれた存在というだけではなく、村に裏切られた蛇神の一族の怨念そのものなのかもしれません。巫女が失った手足を、一族の者たちは自分たちの体の一部により補い、そして怨嗟により生まれた化け物として村の人々の前に現れた」

「そうか。巫女にとって大蛇は、敵などではなかったんだろうな」

 西塚は言った。美琴は頷く。

「ええ。恐らく、巫女の下半身を奪ったのも大蛇ではなく人だったのでしょう。そもそも蛇の口の構造は何かを咀嚼したり食い千切るようにはできてはいない。大蛇ならば食い千切りかねないかもしれませぬが、しかし足を奪われた巫女は他の何よりも大蛇が祟り神となってしまったことを村人たちに分かり易く表現できる存在であったとは予想できます」

 そこで美琴は一度言葉を区切った。そして、姦姦蛇螺の怨念の中で覗いたその過去を思い出す。

「私は姦姦蛇螺の記憶を体験した際、手足を切断され、為す術のない状態で葵の巫女を見上げている情景を覗きました。それがあなたがたの祖先を疑った大きな理由の一つでもあります」

「なるほどな。それならば葵の者が村の巫女が姦姦蛇螺へと変わる原因に関わりを持っていたとしか考えられないな」

 西塚は美琴を見つめ、問う。

「それでどうする。我々を姦姦蛇螺へと捧げるか。そうすれば彼女の怨念も消えるかもしれん」

「いえ、そうは致しません。恐らく彼女の怨念は村の者を全員殺すまでは終わりません。それに彼女を変えてしまったのは、あなたたちの祖先であってあなたたちではない」

 美琴はひとつ息を吐いた。そして言う。

「私はただ忘れられた姦姦蛇螺の本当の過去を確かめたかっただけです。それを知らずに彼女を殺したくはなかった。後は私が決着を付けて来ましょう。もう全ての悪夢は終わらせねばなりません」

 村落共同体の影に討ち捨てられた記憶はここに甦った。それを姦姦蛇螺が望んでいたとは思わぬ。彼女たちの中に残されているものは、恐らくもう怨嗟しかない。

 だからこれは、ただの自己満足かもしれぬ。

 死神はゆるりと立ち上がった。

「貴女が、姦姦蛇螺様を殺すというのですか。私の命を犠牲にすれば最悪祟りを鎮めることはできます。私も一緒に……」

「そうかもしれない。でも私は姦姦蛇螺を殺すためにここに呼ばれたの」

 この葵家の者たちもまた、何人もが姦姦蛇螺の手によって殺されてきたことだろう。そして次に犠牲となるのは今不安げに自分を見つめている葵かもしれない。

 血で血を洗う二つの巫覡の一族の争いは、このままでは延々と続くことになる。更に外部に姦姦蛇螺が解き放たれ、無関係な者たちまで襲うようになった今、それは放置できぬ。

「葵殿を、救ってくれると言うのか。ならば俺からも頼みたい。私たちの祖先が作り出してしまったこの呪いを、解いてくれ」

 西塚が頭を下げた。美琴は首肯する。そして小袖の裾を翻す。

 ここからは妖同士の殺し合い。怨嗟も悔恨も挟む余地はない。




 暗く闇に沈む森の中、姦姦蛇螺は身に負った傷を癒すため、眠りながら夢を見る。この数百年の間何度も見た同じ夢。そしてこの村の影に討ち捨てられた記憶。




 少女が螺良(つぶら)様と家族が呼ぶ蛇神の姿を初めて見たのは、まだ数えで六つになったばかりの頃だった。巫女の家系に生まれた少女は、母親に連れられて螺良様の住むという村の山へ登った。

 螺良様はとても大きくて、白い蛇だった。人など簡単に丸呑みにできそうな蟒蛇(うわばみ)が少女を見下ろしていた。

 だけれど少女は螺良様が怖くなかった。螺良様は村の守り神だと母たちから教えられていたこともあった。しかし、それ以上に螺良様が慈しむように目を細め、まだ幼い少女を見つめていたことが、とても温かなものを感じさせた。

「私の娘です。いつかはこの子が、貴方様に仕える螺良官女となるでしょう」

 母が螺良様に言った。少女が白い大蛇を見上げ、思う。母は螺良様が村を守って下さる代わりに私たちは螺良様に仕え、そして螺良様の言葉を村に伝えるのだと教えられて来た。そして、母たちがどうしてずっとこの神様に仕えてきたのか、分かった気がした。

 螺良様はそっとその頭部を少女のすぐ側まで下ろし、そして先の割れた舌で一度頬を舐めた。腕のない蛇にとっては、それが子を撫でる代わりだったのだろう。

「吾が子よ。そなたが生まれ、その姿をこの目に映すことができ、吾は今とても幸せだ」

 螺良様の鼻先が手に触れる。ひんやりとしていたが、心地良い。少女は何だかとても嬉しくなった。

 私はこの神様の元に仕え、そして自分が生まれた村のために生きるのだと、それを幼い心に誇りに思った。



異形紹介


蛇蠱(へびみこ)

 香川県小豆島に伝わる憑きものの一つ。大きさ等姿形ついて詳しい記述はないが蛇の憑きもので、蛇蠱の憑きもの筋の者が誰かに対して憎悪の念を抱くと相手は憎いと思われた瞬間から悩まされ、時にはその臓腑に蛇が食い込んで死んでしまうという。

 その蛇蠱の始まりは次のように伝えられている。ある時小豆島の海岸に一つの長持が流れついた。それを見た村民の中にこの長持の中身は自分のものだという者たちが多く現れた。その結果主張し合う者たちの間で公平に分け合おうと取り決めがなされ、長持の蓋が開かれた。中には無数の蛇がおり、占有権を主張した者たちの家へと入り込んで行ったという。その家々が蛇蠱の家系となったと伝えられている。


 同じ四国には蛇の憑きものとしてトウビョウというものがおり、こちらに関してはその名前の由来である土瓶に入れて床下に置いておくという扱い方が伝えられているが、蛇蠱に関してはその家筋のものがどのように憑きものを扱うのかは記録に残っていない。しかし蛇蠱の出てきたという長持に関しては、蛇蠱以外にも幾つか蛇に関連する話が残っている。例えば江戸時代の随筆集『耳嚢』巻之三には「蛇を祀りし長持の事」という話が記されており、ここでは元々は富貴な家で使われていた、所持していれば富貴になれるという長持が出て来る。しかしその長持は売り払われようとしていたためその理由を尋ねると、長持の中には三尺ばかりの蛇がおり、四季には必ずそれぞれの草を入れ、そして一日に二度食事を与え、二、三カ月に一度ずつ長持の中に入り、布で中の蛇を掃除しなければならない、その忌わしさに耐えきれず、人に譲ろうと考えたと長持の所持者は言ったと言う。

 また高知県に伝わる話ではこんなものもある。白い小さな蛇のいる家があり、その蛇が育つにつれて家も富んだ。蛇は長持に入りきらない程に大きくなり、家人は気味が悪くなったために蛇を大きな箱に入れて縄をかけて焼いてしまった。するとたちまち家は没落し、潰れてしまったという。

 どちらの蛇も長持の中に入れられ、家に富を与えたという点で共通している。また岡山県の昔話には先述したトウビョウ(話中ではとうびょう蛇とされる)を長持の中で世話をしている家があったが、その家に嫁いだ嫁が気味悪がって長持の中に熱湯を浴びせかけたため、家は火事になり、逃げ出した家の主も数年間「熱い、熱い」と悶えて死に、一家も皆死に絶えたと伝えられている。

 このように家に富貴をもたらす蛇を長持の中で飼う、という例は幾つかある。また『日本巫女史』においては「而して巫女は、随意に此の憑き物を使役する者として恐れられた」という記述があり、その具体的な例として犬神や管狐とともにトウビョウの名も挙げられている。蛇蠱に関する資料は少ないが、これがどのような憑きものであったのか、想像してみるのも楽しいだろう。


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