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黄泉夜譚 ヨモツヤタン  作者: 朝里 樹
第 四 話 硝子のオルゴール
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一 依頼

 狭く暗く冷たい闇の中、その女は降り注ぐ光を見上げた。そこにあるのは、丸く切り取られた青い空。もう自分には決して届くことのない、明るい世界。

 女は恨んだ。近く、そして遠い世界を。そう、もう自分はあちらの世界の住人ではなくなるのだ。残酷な現実が、彼女の体と心を蝕む。

 女は最後の力を振り絞って、口で旋律を紡いだ。それが彼女にとって、この世にいた時の最後の楽しい思い出だったから。しかし、そのメロディは半ばで途切れる。それが完成されることは無い。

 女の意識が消える。そして、その肉体は命を手放した。


第四話「硝子(がらす)のオルゴール」


 晴天の空の下、小町は巨大な白い家を見上げた。東京のとある高級住宅街の、さらに中心にあるこの屋敷。美琴の屋敷よりは幾分か小さいが、立派な石垣に囲まれた和風建築の豪邸である。

 古くは町の職人の家系であったが、今の主人の先々代が大きな事業を起こし、成功したらしい。そのためか周りにはここまで大きな建物はなく、この屋敷は他の家に比べても目立っていた。

 小町の隣には浮かない表情の美琴が、さらにその隣に恒が立っており、それぞれが日の光に照らされた屋敷を見上げている。美琴は珍しく洋服を着ていた。三人は、赤く塗られた門の前に立っている。

「はぁ……」

 恒の隣で、美琴が溜息をついた。

「どうしたんです?美琴様」

 不思議そうな様子で、恒が問う。

「こういう事件は碌なことがないのよね」

 美琴は静かな調子でそう言うと、門の横に付いたインターホンに指を伸ばした。




 彼ら三人がこの屋敷を尋ねた理由は、つい昨日まで遡る。

 いつも通り学校を終えた小町は、山道を登り、黄泉国へ続く門に手をかけようとして、ふと足元に落ちている封筒に気が付いた。

「なんやろ」

 そう独りごちながら妖狐の少女は茶色い紙の封筒を拾い上げた。汚れがほとんど見えないことから、最近ここに落とされたらしいと分かる。中には手紙が入っているようだったが、宛名は無い。

 誰かが落としたのかもしれないとも考えたが、ここは山のほぼ頂上。わざわざここに来る人間がいるとは考えにくい。

 しばらくの思案の後、小町はそれを黄泉国に持ち帰ることにした。屋敷の誰かに宛てたものかもしれない。妖怪宛ならば、自分が知らない何かが目印とされている可能性も考えられる。

 小町は封筒を片手に、門を開けた。




 門の先には、美琴の屋敷の裏庭が広がっている。四季折々の花や木が植えられたこの屋敷の庭は、いつ見ても美しい。六月である現在は紫陽花(あじさい)百合(ゆり)が咲き、風に揺られている。

 この門は黄泉国の東西南北にひとつずつある境界に作られたものの一つで、北門となっている。

 普段ならこのまま庭を横切り自分の住む家へと帰るのだが、今日はこの屋敷に寄ることにした。この封筒のこともあるし、たまに顔見せぐらいはしても良いだろう。小町は裏口の引き戸をそっと開けた。

「おじゃまします」

 言ってはみたものの、この広い屋敷内で自分の声が届くとは思えない。小町は履物を脱ぎ、廊下に上がった。




「小町さん、来てたの」

 とりあえず誰かいるだろうと居間へと向かうと、恒が小町を出迎えた。居間で一人テレビを見ていたようだ。

 恒がこの屋敷に住むようになってもう一ヶ月を過ぎた。あの日、小町もよく知っていた彼の祖父母の家が鬼に壊されてから、この屋敷に一室を借り暮らしている。彼が自分の中に妖怪の血が流れていると知ったのもその頃だ。そしてその時にやっと、小町は妖孤である自分の正体を彼に知らせることができた。

 妖怪である小町はここ黄泉国に住んでいるが、恒のように美琴の屋敷に住まわせてもらっている訳ではない。だが幼い恒を見守るため、小町はある術を使って結界に干渉せずに恒に近付く方法を使ってずっと彼の側にいた。こうして改めて成長した彼を見ると何か感慨深いものがある。

「どうしたの?」

「なんも。たまに寄ろうかと思って帰りに来たんやけど」

 恒が卓袱台(ちゃぶだい)を挟んで小町のために座布団を置き、小町は「ありがと」と言ってその上に座った。

「美琴様たちは、いないん?」

「そうみたいだよ」

 現在美琴たちは留守のようだった。恒が学校から帰ってきたときには既に誰もいなかったらしい。だがまあ、それで困ることもない。

 二人は居間に座って、他愛のない話をした。幼少時からの知り合いであり、同じ学校に通っているため、話題に困ることは無い。

 話がひと段落した時、ふと小町が懐かしそうに笑みを漏らした。

「なんだか、久しぶりやねぇ。こうやって恒ちゃんと二人で話すのも」

「そうだね」

 美琴や良介、朱音と違い、恒にとって小町は幼いころからお互いに良く知っている存在だった。彼女は恒を弟的存在として可愛がり、また彼も小町を慕っていた。

 妖怪である彼女が人間として生活するのは、中々大変なものだったのを思い出す。丁度、人間として生活してきた恒が現在妖の生活に順応しようとしているようなものだ。

 学校はもちろん、買い物や人間界での娯楽などもほとんど知らない小町だったが、恒が成長するように、彼女もまた人間界に順応していった。最初のころはただ恒を見守るという使命でがちがちに縛られていたが、今は大分余裕もできた。

 しかしもう恒は高校生だ。いつの頃からか彼は小町から離れ、自立しようとしていると感じるようになった。そして今彼は自分の正体を受け入れ、しっかりと己の足で歩いて行こうとしている。そろそろ保護者としての自分の仕事も終わりか、そう思うと少しだけ寂しさが心に染みる。

「中学生くらいから急によそよそしくなって。お姉ちゃん寂しかったんよ」

 そう言って笑いかけると、恒は少し気恥ずかしそうに頭を掻いた。『お姉ちゃん』という呼び方は、かなり昔に、彼が小町を呼ぶ際使っていた言葉だ。多分恒が小学校低学年ごろまでだろう。

「そりゃあ、いつまでも小学生のようには居られないし」

「あら、生意気言うわ~、この子ったら」

 中学に上がる頃になると、なんとなく男女の間で親しくするのが恥ずかしくなった様子で、小町の言う通り、少し彼女に対してそっけなくなった。水木や飯田と友人となったのもその頃なので、その影響もあるだろう。

 そして祖父母の亡くなったとき、一層それが顕著となった。てっきり自分を頼りにしてくるだろうと思っていた小町は、恒が誰の手も借りようとせず、一人で全てをこなそうとしているのを見て、少し驚いた。

 成長したと感じたのも確かだ。でも孤独に頑張っている姿は可哀想で、小町は何度か手を貸した。友人たちの手伝いは断っていた様子の恒も、小町の助けだけは受け入れた。自分が彼のことを弟のように思っていたように、彼も自分を家族のように思ってくれているのだろう。

 恒も大人になった。それなら少しからかってみよう。

「じゃあ成長した恒ちゃんは、誰か好きな人とかおるの?」

 恒は少し驚いた様子で、首を横に振った。

「いないよ、そんなの」

「ほんまに?」

「本当に」

「誰か気になる人がおったら、お姉ちゃんの言うんよ。女の子はプレゼントとかあげると喜ぶんやから。昔、恒ちゃんが私にしてくれたみたいに」

「小学生ぐらいのときの話でしょ?」

「そうそう。恒君、たまにお花とか摘んできては私にくれたやん。懐かしいわ」

 恒がまた照れ臭そうに頭を掻いた。あの頃を思い出したのだろう。もちろんあの頃の彼の行動にはただ小町を喜ばせたいという思いしかなかったのだろうけれど。

「でも、元気そうで安心やわ。最近、あんまり話す機会が無かったし」

 そう言って小町が悪戯っぽく笑う。恒も釣られて笑い返す。久々に楽しい会話だった。

 その時、奥で玄関の戸が開く音がした。狐の耳は良く音を拾う。

「誰か帰ってきたみたい?」

「そうやねぇ」

 小町は微かに残念そうな声色でそう言った。もう少し恒と二人きりで話したかったが仕方がない。

 廊下を歩く音が近付いて来て、やがて居間の襖が開いた。

 現れたのは、黒く澄んだ瞳をした見た目一七、八の少女。

「あら、町。いらっしゃい」

 美琴は留守中の訪問者に驚いた様子もなく、そう言った。

「お邪魔してます」

 小町はそう挨拶して、軽く頭を下げる。

「人間界の方に行ってたんですか?」

 美琴が珍しく洋服姿なのを見て、恒が言った。普段美琴は和服で生活しており、たまに人間界に行く際のみ目立たないように洋服を着る。本人は洋服はあまり好みではないらしい。小町も昔は和服を好んだが、今では洋服も気にならなくなった。和服と違って洋服は種類が豊富で安く手に入るため、選ぶのが楽しい。

「ええ。良介と朱音もよ。二人はしばらく帰らないわ」

 そう言いながら、美琴は卓袱台(ちゃぶだい)から少し離れたところにある座椅子に座った。美琴専用として置いてある、藤色の座椅子だ。

「何かあったんどすか?」

 小町が尋ねる。

「大したことじゃないわ。それより、あなたこそなにか用事があるんじゃないの?」

「いえ、私はただたまに寄ってみようかと思っただけどすから。あ、でもそういえば、門の前にこんなものが」

 そう言って、小町は茶色の封筒を取り出した。美琴はそれを見て怪訝な顔をする。

「なぁに、それ?」

「さあ。宛名もなく差出人名もなく」

「いいわ、開けてみてくれる?」

「いいんどすか?」

「勝手に家の前に落ちてたのでしょう?外に何も書いていないなら、中を見るしかないわ」

「ほんなら」

 小町は指で丁寧に封筒を開け、中に入った白い紙を取り出した。三つ折りになったそれを開いてみると、何やら筆で描いたような文字びっしりと並んでいる。

「手紙、ですかね?」

 後ろから覗きこんでいた恒が、そう呟いた。

「そうみたいやねぇ。美琴様、読みますか?」

「ええ、お願い」

 美琴が頷くと、小町は手紙を顔の前に広げた。罫線が無い白の紙の上には、文字が綺麗に縦横を揃って並んでいた。これを書いた主の几帳面な性格を窺わせる。




「初めてお手紙さし上げます。私、青山宗太郎(あおやまそうたろう)と申すものですが、人伝(ひとづて)あなた様の噂をお聞きしました。お名前は存じ上げませんが、有名な霊能力者であると聞いております。実は、私の屋敷にとある幽霊が現れ、甚大な被害が出ております。その幽霊の、除霊をお願いいたしたいのです。突然の手紙、失礼とは思いますが、どうか私の願いを聞き入れてくださいませ。下に、私の家の住所、電話番号を記しておきます。どうか、お願いいたします。敬具」




 読み上げて、小町はあら、呟いた。どうやら美琴に対する仕事の依頼らしい。しかしこんな個人情報を書いたものを山の上とは地面に落しておいて良いのか、そしてそもそも、どうしてここや美琴のことが分かったのだろう。色々と考えながら小町が美琴の方を見ると、眉間に皺を寄せ、難しい顔をしている。

「変どすなぁ、人間がここを知ってるはずありまへんのに」

「たまに情報を売る妖怪がいるのよ。名前や住所までは明かさなかったみたいだけど。多分ここに手紙を届けたのも、どこかの妖怪でしょうね」

 美琴は深い溜息を()くと、小町の手から手紙を受け取った。

「行くんですか?」

 恒が尋ねる。

「ええ、放っておけないわ。人間じゃなくて幽霊の方だけど。明日向かうわ。小町、恒、準備しておいて」




 そして三人は今日、この屋敷にやって来ていた。手紙に記されていた住所は、木久里町から電車で数十分ほどの場所にあった。今日は土曜であるため、三人は朝ではあるがあまり人の乗っていない電車に揺られ、昼前にはここに到着した。インターホンを押して数秒、スピーカーから女の声が聞こえてくる。

「どちらさまでしょうか?」

「先日、手紙をいただいたものです」

「お待ち下さい」

 直ぐに門が開き、家政婦と思わしき着物姿の女性が現れ、三人に一礼して門の中へと導いた。

 松が伸び、大きな池まで設置された和風庭園を抜け、広い玄関に入ると、着流し姿の一人の初老の男性が三人を出迎えた。

 がっしりとした体格で険しい顔をしているが、その表情には疲労が(にじ)み出ていりる。深く(しわ)の刻まれた皮膚に、目の下の大きな隈、そして瞳は焦点が定まらないように落ち着きなく動いている。

「はじめまして。私が青山宗太郎と申します」

 美琴らを招き入れ、男はそう名乗った。

「お手紙を拝見して参った、伊波(いなみ)美琴(みこと)です。この二人は私の助手」

 そう言って美琴は軽く頭を下げた。それに従い、小町と恒もお辞儀する。青山も礼を返すと、三人を奥の部屋へ導いた。どうやら客間のようだ。

 広い畳の部屋の中には一つも家具が置いていない。ただ青山と三人が正面を向き合って座れるように置かれた座布団が四枚あるだけだ。部屋の片側は障子が開け放たれており、縁側が床続きになっている。

 そして陽の光が流れ込むその先には、大きな庭が広がっていた。小さな池を中心に庭石や草木が配され、派手ではないが美しい景観が形作られている。このような屋敷を建てるぐらいだ。庭にもこだわりがあるのだろう。

 ただその景色において、庭の隅に掘られた井戸だけがぽっかりと浮いていた。何年も放置されたように汚れ、苔生したそれは昼間にも関わらず不気味で重苦しい空気を醸し出し、その周辺だけがまるで異世界に取り込まれてしまったような印象を見る者に与える。

「お座り下さい」

 青山に促されて三人が座ると、女中が茶を盆に載せて持って来た。

「あなたが、その……本当にその有名な霊能者なんですね?」

 無遠慮に疑いの視線を美琴に向け、青山が言った。見た目は十代後半ほどの彼女であるから信用できないのも頷ける。美琴はたじろぐことなくそれに答える。

「はい。あなたのいう霊能者が幽霊について対応できるものという意味であるのなら、私は霊能者になります」

「ならばあなたは、幽霊というものを信じていますね?」

「ええ」

 そう言って、美琴は一口茶を啜った。青山はしばらく思案気な顔をしていたが、やがて決心したように口を開いた。

「では、あなたを信用してこの事件の解決をお願いしたいのです。私の屋敷には、夜な夜な幽霊が出るのです」

 神妙な口調で青山が語り出す。美琴はそれを促す訳でも止める訳でもなく、ただじっと青山の話に耳を傾ける。

「その幽霊は毎日夜になると家の庭にある井戸に現れます。その姿は、かつて私の屋敷に仕え、数ヶ月前にその井戸に身を投げて自殺した正子という名の女中に似ているのです。それが原因で私の家内は自殺に追い込まれ、女中もほとんどがやめて行きました」

 そこで青山は言葉を区切った。そして、庭の方に目を向ける。そこにあるのは、古びた一つの井戸。

「あの井戸ですか」

 美琴は表情を変えず、青山と同じく井戸の方に視線を向けて言った。

 青山は言葉を発さず、ただ何度か頷いた。恐怖を思い出したようで、顔面は蒼白となり体は微かに震えている。余程追い詰められているのだろう。

「警察には、勿論取り合ってはもらえませんでした。私一人ではもうどうすることもできません。どうかお助け下さい。報酬は、どんな金額でもお払いいたします」

 悲痛な様子で青山が深々と頭を下げる。少しの間沈黙が続いた。それを破ったのは、少女の声だった。

「分かりました。引き受けましょう。では私は現場の検証に向かいますので、詳しい話はそこの二人にお聞かせください。頼んだわよ、小町、恒」

「はい、お任せ下さい」

 小町がにっこりと笑って、答える。恒は慣れないためか、困惑した表情で美琴と小町を見比べた。

 美琴が立ち上がり、部屋を出て行こうとする。その背に向かって青山が声を掛ける。

「報酬は、いくらほど用意すれば」

「そんなものはいりません。ただし正直に質問には答えてください」

 そう言葉を残して、美琴は部屋を後にした。

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