二 ツチノコを探しに
それからしばらく歩いたところで浩平は立ち止まった。舗装されているとは言え坂を上り続けて三十分、さすがに疲れる。春樹と何か言葉を交わしたかったが、口から出るのは荒い息ばかりだった。
呼吸を整え、そして辺りを見回す。景色は坂を登り始めた時と違いがあまりない。
「なあ、この道怪しくない?」
浩平は道路脇に見える獣道を指して言った。本当はあまり景色の変わらない道路に飽きて提案しただけなのだが、春樹は頷いた。彼も同じように変化のなさに飽きていたのかもしれない。汗を拭って頷いた。
「ツチノコ~」
どうせ誰もいないのだし、とそんな声を出しながらがさがさという音とともにまず浩平が草を踏んだ。生き物なのだから、あんな熱々になった道路の上よりも湿った土の方がいそうな気がする。
森の中はアスファルトの上よりも幾分か涼しかった。元気も出て来て、二人はいつも昆虫を探す時のように石をどけたり、草を払ったりしながらツチノコを探した。こうしていると良く蛇に出くわすのだ。
だがそう簡単にツチノコが見つかるわけがない。それでも二人で他愛のない話をしながら山を分け入って行くのは楽しかった。隊員がたった二人だけの冒険だ。浩平はわくわくしながら見ていたテレビの特番を思い起こす。ジャングルや洞窟の中を突き進む隊員たちの姿に憧れた。でも、あのシリーズも最近はやらなくなってしまった。
「いたか~春樹」
「いな~い」
浩平は額の汗を拭い、溜息を吐いた。どれくらい時間が経ったのかは分からないが、実感としては大分森の奥まで来たようだった。小さい山だし何度も入った山だから迷う心配はないだろうが、それでも日が落ちてから山の中を歩くのは怖い。幽霊でも出て来そうだ。
「ちょっと休憩しようか」
春樹の言葉に浩平も同意し、適当な石を見つけてそこに腰かけた。休日に一日がかりで遊ぶ時はいつもそうしているように、二人は家で母親に作ってもらったおにぎりをリュックから取り出し、コンビニで買ったジュースを飲みながら食べた。腹ぺこだからおかずなんて無くてもやたらにおいしかった。
「あっちの学校に行っても、浩平みたいな友達ができるかな」
春樹がおにぎりを食べる手を止め、ふとそんなことを言った。
「作ろうと思えばできるだろ。こっちに来た転校生だって、皆仲良くやってるじゃん」
そう言いながら、浩平も彼がいなくなった後どうなるのか不安だった。他にも友達はいるが、一番良く遊んでいたのは春樹だ。中学に行っても、高校に行ってもそれは変わらないようにぼんやりと思っていた。根拠なんてなかったけれど、ずっと一緒だと思っていた。
浩平は手の中に残ったおにぎりの欠片を口の中に放り込む。
「もしツチノコが見つかって三億円がもらえたらさ、また浩平に会いに行けるかな」
「三億円あれば新幹線だって飛行機だって乗り放題だ。でも、どっちがツチノコ見つけても一億五千万ずつで山分けだからな」
そう浩平が笑うと、春樹も釣られたように笑った。
「あ~あ、ツチノコ出て来ねえかな~」
寂しい話題を向こう側に放ってしまうように、浩平は小石を蹴った。それは綺麗に弧を描いて飛び、そして何かに当たって跳ね返った。
「いて!」
直後に響いたその声は、浩平のものでも春樹のものでもなかった。妙に甲高いが、何となく女性のものとも思い難かった。浩平と春樹は顔を見合わせ、立ち上がってその声のした方へと近付いてみる。
「何だいオイラを呼ぶ声がすると思ったら石飛んできたぞ! オマエラか! オマエラか!」
とんでもない早口でそう文句を言う相手は、どう見ても人間ではなかった。一言で言うならば短い蛇。だが体の部分は丘のように半球体になっていて丸っこい。頭は蛇のようだが三角形に近く、尾は短くてちょろりと体から伸びているようだった。当然足はない。
昨日ネットで検索した姿とは少し違う。だがこれは……。
「ツチノコ!?」
「そうだオイラに何か用か言っとくけど捕まえるなんて無理だからな! オイラの逃げ足舐めるなよ!」
ツチノコと思しき蛇は一息にそう言いながらぴょんぴょんと跳ねる。その様子がおかしくて、二人は吹き出してしまった。しかし、ツチノコを見つけられたのはともかくまさかツチノコがしゃべるなんて思わなかった。
「何笑ってんだ! 噛むぞ! オイラの牙には毒があるんだぞ!」
ツチノコは地面におりて今度は左右に転がりながらそう叫んだ。相変らずの早口だ。
「捕まえる気もなくなっちゃったよ。面白いなお前」
浩平はそう素直な感想を口にした。ツチノコがぴたりと止まり、ひっくり返った状態で浩平を見る。蛇なのに、意外と丸い目つきをしていると浩平は思う。
「変な奴だな! ここに来る奴はみんなオイラを捕まえようとする奴ばっかりだったからな! お前らはイイ奴なんだな!」
ツチノコは小さく跳んで起き上がった後、今度は嬉しそうに言った。そんな簡単に信じてしまうのもどうかと思うが、とりあえず噛みつかれることはもうなさそうだ。
「お前ら名前なんて言うんだ!? オイラはツチノコだ! みんなそう呼んでるからきっとそうだ!」
奇妙な蛇は甲高い声でそう叫ぶ。単純な性格なのかもしれない。でも、その様子を見ているうちに本当に捕まえる気は失せていた。隣を見るに、春樹もそのようだ。
確かに三億円は欲しいけれど、誰かに引き渡したツチノコがどうなるのかは分からない。動物園みたいなところに閉じ込められるか、研究所みたいな場所に連れて行かれるか、そんな光景が思い浮かぶ。それは、目の前にいるこの愉快なやつには相応しくないと、そう思った。
「お前たち友達か! 友達はいいな! いいもんだ!」
ツチノコは近くの岩に跳び乗りながらそんなことを言った。二人はすっかり言葉を話す蛇にも慣れて、その両脇に腰を下ろす。
「そうなんだ。でも、僕もうすぐ引っ越さなきゃならなくて」
「引っ越す? 引っ越すって何だ?」
ツチノコはその三角形の頭を捻るようにして傾げた。喋るたびに先の割れた舌がちろりと覗く。
「遠くに行かなきゃならないってこと。僕は今この近くに住んでるんだけど、あと何日かしたら、ずっと遠くで暮らすことになる」
「そうか。それは辛いな。会えなくなるもんな」
ツチノコは鱗に覆われた顔を器用にしかめた。
「オイラもな、色んな友達がいなくなったんだ。オイラと同じような姿をしたやつらがな、昔はもっといっぱいいたんだ」
ツチノコは早口で、しかししんみりとした調子で語り出す。
「オイラたちはな、土の中で暮らしてたんだ! だけどなんだかな、その土が掘り返されたり汚くなったりしてな、皆どっかへ行ったり死んじゃったりした。オイラはこの山が好きだからずっと残ってたんだけど、もうずっと友達は見てないな」
ツチノコは真っ直ぐな瞳を浩平らに向けている。この小さな蛇も友達をなくしてしまったのだろうか。浩平は思う。
それはやはりあの道路の工事のせいだろうか。あとは工場が流す汚水とか、酸性雨とか。学校の社会科で習った知識を頭の中から引っ張り出してはみるものの、だけどそれを人間がやったと言ったら嫌われそうで、口には出さなかった。
「でもな、オイラにも友達はいるんだ! そいつはオイラよりずっとでっかくて年寄りだけど、友達なんだ!」
そう言うツチノコの声は嬉しそうだった。それで何となく、少しだけ浩平の気持ちは軽くなった。
「ふ~ん、そいつもこの山にいるのか?」
「いんや! ずっと土の下の方に行くとな、なんかでっかい穴があるんだ! そこに臭い水が流れててな、オイラが前にどれだけ深く潜れるか試してた時に落っこちた時、そいつに助けてもらった!」
言い終わると同時に短い尾がピンと立った。小さな体全体で感情を表現しているのが面白くて、浩平は笑った。
「下水道のことかな?」
春樹が言う。そう言われると、そんな気もする。だが、確かこの町の下水道には最近変な噂が流れていたはずだ。
「何だっけ、下水道に入るとでっかいワニに襲われるんだっけ?」
「そういえば、そんな噂あったね」
「なんだ? あの穴に危ないのがいるのか?」
不安そうな顔でツチノコが浩平を見上げた。本当に表情がころころと変わる蛇だ。
「ただの噂だと思うけど、そのお前が言う穴にな、怪物が出るって話があって……」
「ほんとか!? ならすぐ行かなきゃ!」
ツチノコはおろおろと岩の上を這い回る。本当に大事な友達なのだろう。浩平は軽い気持ちでそんな話を口にしたことを後悔した。
「でも、ただの噂だから……」
春樹がそうなだめようとするが、ツチノコは春樹をきっと睨んだ。
「本当かもしれないんだろ! おっちゃんは俺の大事な友達何だ! 会えなくなるのは嫌だ! お前たちだって会えなくなるのは嫌だろ!」
浩平は考える間もなく頷いた。もし春樹が死んでしまったら、本当に二度と会えなくなる。引っ越し何かよりずっと嫌だ。だから口から自然に言葉は出ていた。
「だけど、どうやってそこに行く気だ?」
「人間の町には穴に入るためのちっちゃい穴があるんだろ? おっちゃんが言ってた! だからそれで行く」
「駄目だよ、ツチノコが町に出たらすぐ誰かに捕まっちゃうよ」
それはそうだろう。なんたって捕まえれば三億だ。浩平は少しの間考えて、それからツチノコを抱え上げた。
「よし、俺のリュックの中に入れ。俺が連れてってやる」
「ほんとか!? リュックてのはこの背中のやつだな! ありがとう!」
ツチノコはそう言って自分からリュックの中に入って行った。その分だけリュックがずしりと重くなる。
このままこのリュックを大人たちに見せればきっとテレビにも新聞にも出られるだろう。だが、浩平はそんなことよりずっと大事なことを知っている。もう彼はツチノコを誰かに売り飛ばすなんてことは絶対にするつもりはなかった。
友達は裏切れない。それはツチノコだって人間だって同じだ。下水道の話が例え噂でも、友達が無事であることを確かめるのが大事なんだ。
「行こう春樹!」
「うん!」
二人の少年は山を駆け下りる。太陽は、彼らの真上を少し過ぎたところだった。
下水の据えた匂いが美琴の鼻を吐いた。微かに顔を歪めながら、死神は湿った足場を進む。下駄のからりという音が反響した。
淀んだ空気の中、微かに覚えのある妖気が漂って来る。だがそれは弱々しい。美琴は少しだけ早足に人工の洞穴を進む。
「八広、いるの?」
そう問う死神の声はまるで闇に吸い込まれるようだった。だが、微かに妖気が反応したことを美琴は感じていた。妖の目は闇を見透かす。美琴は洞穴のずっと奥に白い影を見た。動かず、じっとししているようだ。
その姿は巨大な鰐。大きさは八メートルはあり、不規則に並ぶ硬い鱗は白に染められている。
その姿はまるで、日の当らないために白い鱗を持ち、栄養豊富な地下下水道で巨大に成長したとされる都市伝説の下水道の白い鰐そのものだ。しかし正確には彼はその都市伝説の鰐とはまた別の存在。元々海の向こうの都市伝説なのだから、実在するのならニューヨークだろう。
それよりもその体にいくつも傷が付き、血が流れていることが気に掛かる。美琴は不審げに眉を顰めた。
「どうしたの? 酷い怪我よ」
「美琴さん……、後ろだ」
問いに答える代わりに八広の口からその言葉が発せられた。美琴は振り返るが、何もいない。しかしその直後に右腕に激痛が走った。
見えぬ何かが腕に食い込み、皮膚を突き破って肉に突き刺さる。
美琴が思い切り腕を払うと、腕に食らいついた何かは離れた。妖気は感じないが、美琴から流れた血が何かに付着し、空中を動いている。
明らかに何かがいる。しかし妖怪ではない。返り血を浴びた怪物は天井へと張り付いたようだった。八広に傷を負わせたのもこの怪物か。
美琴は太刀を抜いた。だが見えない怪物は水飛沫を上げて下水へと飛び込んだ。これでは嗅覚も視覚も頼りにならぬ。残すは聴覚だが、水面は次第に静かになり、他の物音もしない。
逃した。美琴は警戒のため太刀を握ったまま八広へと向き直る。
「あれが、下水道にやって来た人間を襲っているという怪異かしら」
目の前の白い鰐からは穢れの気配は感じない。彼が人を襲う怪異ではなかったことに安堵しつつ、正体不明の化け物がこの町に巣食っていることを思い、眉間に皺を寄せた。
「その前にひとまず、手当てがいるわね」
「この蓋の下にあの穴があるのか!」
浩平がマンホールの蓋に手を掛けていると、リュックから顔を覗かせたツチノコが相変らずの早口で言った。
「出て来ちゃだめだって!」
浩平はリュックの中にツチノコを押し込むと、慌てて周囲を確認した。幸い誰もいないようだ。浩平はほっと安堵する。ツチノコである上に言葉を喋るなど大人に見つかればきっと捕まえられてしまう。
マンホールの蓋は予想していたよりも重かった。浩平と春樹は車がやってこないことを確認しつつ、二人掛かりでずらすようにして蓋をどけた。
蓋の下には深い闇が広がっていた。浩平は一度唾を飲む。一応懐中電灯は持ってきているが、その光りは酷くたどたどしく思え、心許ない。
だが一瞬の躊躇のうちにまたツチノコがリュックから這い出し、そして穴へと飛び込んでいた。ぺたりと彼の体が地面に当たった音が微かに聞こえた。
「よし、行こう」
そう言ったのは春樹だった。浩平は頷き、そのランニングシューズを梯子にかけた。
異形紹介
・下水道の白いワニ
ニューヨークの下水道でホームレスや下水局職員が相次いで行方不明になり、調査してみると下水道に巨大な白いワニが住み着いていたというアメリカ発祥の都市伝説、もといUMA。その正体は元々は人間にペットとして飼われていた子ワニで、飼い主が子ワニを持て余し下水道に捨てた(トイレに流したとされることも)ところ、栄養豊富な下水道の中で異常成長し、陽の当らない地下にいたため皮膚が脱色されて白くなってしまったのだという。現在も密かに白いワニ捕獲隊が組織されていると続くこともある。
アメリカの人類学者、ローレン・コールマン氏の研究が都市伝説の発端となったとされることが多い。また1935年2月10日の「ニューヨーク・タイムス」に下水溝で見つかったワニが捕まえられ、レスキュー隊に射殺されたという記事が載せられており、それが発端になった可能性もある。日本にもこの都市伝説は輸入され、舞台を日本として語られることも多い。
1980年にはアメリカにてこの都市伝説を題材にした『アリゲーター』(原題『Alligator』)が公開され、ここでは下水道に捨てられたペットのワニが研究所から下水道に投棄された成長ホルモンの実験動物の死体を食らったために以上成長し、体長10メートル以上の巨大ワニと化して大暴れする様が見られた。




