表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
黄泉夜譚 ヨモツヤタン  作者: 朝里 樹
第三七話 いつか未来の夏の日に
147/206

一 最後の夏休み

手配書 幻の珍蛇 槌の子

 右のもの住所不定、たくみに偽名を用い、キネノコ、ワラヅチ、タンコロ、トッタリなどとも称し、正体つかみがたく、各地に出没する恐れあり。胴の太さ五寸、長さ八寸に近く、よって五八寸の異名をもち、行動きわめて俊敏なり。重要参考のものにつき、すみやかなる生け捕りを要す。

賞金

生け捕り 金三十万両

遺体   金十万両

写し絵  金六万両


ノータリンクラブ作成「ツチノコの指名手配書」より

 彼はいつもその場所から町を眺めていた。

 たった一人、言葉を交わす友もなく、しかし自分からは誰かの前に姿を見せることもできず、夏空の下に照らされる町を見つめていた。

 寂しいという感情がどんなものなのか彼には良く分からない。それでも、いつかここに友達が来ればとても楽しいだろう、そんな風に思いながら、ただたくさんの人々をその丸い目に映している。


第三七話「いつか未来の夏の日に」


 開けっ放しの窓から、生ぬるい風が流れ込んで来る。それでもクーラーも扇風機もないこの教室の中ではそれが唯一の冷房の代わりで、とても心地良い。

 江村浩平(えむらこうへい)は壇上に立つ先生の話をぼんやりと聞き流しながら、明日から始まる夏休みのことを考えている。普通ならばわくわくして仕方がないはずなのに、今日は気分が浮かない。

 公平はその原因となっている同級生の少年に視線を移す。ちょうど中瀬春樹(なかせはるき)は先生に呼ばれて教室の前へ歩いて行くところだった。

「ここで寂しいお知らせがあります。お父さんのお仕事の都合で春樹君が転校することになりました。春樹君」

 先生に促され、春樹が口を開く。

「みんな、今日まで仲良くありがとうございました。僕は遠くの学校に行きますが、ずっと覚えていてくれたなら嬉しいです」

 教室からまばらな拍手が起こる。だが、浩平はどうしても拍手などできなかった。

 この夏休みが終わったら、春樹とは会えなくなる。二学期の学校に春樹はいないのだ。

 浩平は口をきつく結ぶ。この夏が終わらなければ良い。無理だと分かっていながらも、そんな風に思った。




 放課後、入道雲が町の向こうに伸びる空の下、浩平と春樹は並んで坂を下っていた。

 二人の通う小学校は小高い丘の上にある。いつもならこの坂を駆け下りてどちらが先に麓に着くのか競争するのだが、今日はどちらもゆっくりと歩いていた。明日からの休みに歓声を上げ、楽しそうに走る同級生や下級生たちが、彼らを追い抜いて行くのが見える。

 これが一緒に放課後帰り道を辿る最後の日になる。当たり前だったものが急になくなってしまう心細さを、そんな経験のない浩平はどう扱えば良いのか知らなかった。

「暑いなぁ、今日も」

 春樹が言った。アスファルトがじりじりと焼き焦げるような日差しは、容赦なく二人の真上にも降り注いでいる。汗がこめかみを伝わるのを浩平も感じていた。きっと今首の後ろや髪を触ればとても熱いだろう。

「そうだな」

 もっと話したいことがあるはずが、浩平の口から出たのはそんな言葉だけだった。昨日見たテレビの話とか、読んだ漫画の話とか、学校の話とか、話題はいくらでもあるのに、喉の奥につかえて出て来ない。

「なあ春樹、夏休みの間、いつまでこっちにいられるんだ?」

 少しの逡巡の後に出た言葉はそれだった。春樹は浩平の方を見ずに答える。

「一週間ぐらいかな。来週の月曜には大阪にいないと駄目なんだって父さんが言ってた」

 今日は金曜日。引っ越しの準備もあるし、あっちでも色々準備があるだろうから。春樹と会える日はあと一週間もないだろう。精々三日か四日ぐらいかも知れない。

「そっか。何か、最後にやりたいな」

 大阪は遠い場所にある。新幹線か飛行機に乗らなければ行けないような。次に会えるのはいつになるか分からない。もしかしたら一生会えないかもしれない。東京から精々隣の県にしか出たことのない浩平にとって、大阪はそんな場所だった。

 春樹も同じように思っているのかもしれない。少しの間があって、春樹が口を開く。

「僕もそう思ってた。それでさ、昨日父さんから聞いたんだけど、ツチノコって知ってる?」

 浩平は首を傾げた。聞いたことがあるような、ないような名前だった。

「なんだっけ?」

「何か、太った短い蛇みたいなUMAなんだけど、父さんが子供の頃凄いブームになったんだって。それで見つけた人には三億円って懸賞金が掛けられたとか」

「三億円!? 一万円の三万倍じゃんか。それって、まだ見つかってないの?」

「うん。でも、この辺でも目撃されたって話があるんだ。だから最後に二人で、ツチノコを探しに行くのはどうかなって思って」

 UMAといえば確か誰にもまだ見つかっていない動物のことだ。それを見つければきっと新聞にも載るし、テレビにも出られるかもしれない。何だか少しずつ興奮してきた。春樹との最後の思い出としては特別なものになりそうだ。

 浩平は特に根拠もなく、ツチノコを見つける自信を抱いている。その昂りが、少しだけすぐに来る別れの寂しさを紛らわせてくれた。

「よし、じゃあ明日から早速探索だ! 春樹も父さんにもっとツチノコのこと聞いておいてくれよ。俺も聞いておくから」

「分かった。明日、いつもの公園に八時な!」

 少年たちはいつもと同じようにそう約束をした。とても暑い、真夏のある日のことだった。




「ねえ父さん。ツチノコって知ってる?」

 夕食後、テレビを見つめつつビールを飲んでいる父に向かって浩平はそう尋ねた。父は赤らんだ顔で浩平を見て、機嫌の良さそうな笑みを見せる。

「ツチノコかぁ。懐かしいなぁ。父さんがまだ生まれる前の頃にな、凄いブームがあったらしいんだよ。父さんが子供の頃も良く話題になったなぁ。知ってるか? あれ捕まえたら大金が貰えるってんで皆で探そうってなったこともある。なあ、母さんもツチノコ知ってるだろ?」

「あの、太くて短い蛇みたいなのでしょ? 最近聞かないけど」

 ぼんやりと雑誌をめくっていた母は、興味が無さそうにそう言った。そういえば、ツチノコの姿というものを良く知らない。浩平はポケットから携帯を取り出すと、検索画面にツチノコと単語を入力した。

「最近は便利になったなぁ。図書館なんて行かなくてもすぐ調べられちまうんだもんなぁ」

 父がしんみりとした調子でそんなことを言った。浩平にとっては目の前の小さな機械が当たり前にあったから、その感慨は良く分からない。

 それでも父にも子供の頃があったのかと、当たり前のことなのに何だか不思議な気分になる。浩平の知っている父は最初から大人だった。

 やがてスマートフォンの画面が切り替わり、短く太い蛇のような生き物が表示された。頭のすぐ下にくびれがあり、その先に三角形の頭がくっついている。また胴の割に尾は細く、鼠の尻尾のようだった。

「変な格好」

「そうか? よく見ると可愛いだろ?」

 父が横から画面を覗き込み、そんなことを言った。確かに目だけはつぶらな気もする。しかし、どうしてこんなのろそうな生き物が誰にも捕まっていないのか、浩平には不思議だった。

 それをビール缶を口に当てている父に問うと、父はあの苦い飲み物を美味そうに飲み込んでから楽しそうな笑みを見せた。大分酔っている。

「ツチノコはな、何メートルも跳ぶし、坂を凄い速さで転がって逃げるんだよ。それに凄い毒も持ってるからな、捕まえるのは難しいぞ」

「ふ~ん」

 毒はともかく、他の要素がどうツチノコが逃げるのに役に立つのか分からない。浩平は空を飛び回るトンボを捕まえたこともあるし、地面を凄い速さで走り回るトカゲだって追い掛けて捕まえられる。坂を転がるなら坂の下で誰かに待ち構えてもらえば良い。

 何だか、やっぱり春樹と二人ならツチノコを捕まえられるのではという希望が湧いてきた。




 光の届かない湿った空間。そこに漂う不快な匂いにその若者は顔をしかめる。この下水道の臭気には中々慣れることができない。

 ヘッドライトが照らす僅かな部分だけが視界に映る。ざらざらとした壁面や、灰汁色の水面。水滴が落ちる音だけが暗闇に響いている。

 彼がここにいる理由は、下水道に現れるというある生物を捕まえるためだった。町の地下に張り巡らされたトンネルのようなものだ。何がいてもおかしくはないように思う。

 そうは思うものの、やはりたった一人でこの中を歩くのは気が進まなかった。仲間は誘ったものの、誰も隙好んで下水などに入ろうというものはいなかった。

 長靴が何か硬いものを踏んだ。整備員は足元に光を向ける。そこに見慣れぬものがあった。

 色はどうやら白い。そして、規則的に凹凸が並んでいる。少しの間考えて、それが爬虫類の鱗のようなものであることが分かった。

 男は恐る恐るライトを動かした。その鱗は一向に途切れを見せない。下水道一杯に広がるように、それは佇んでいた。それはまさしく彼が探していた存在。だが、いざ目の前にすると足が竦んで動かなかった。

 赤く光る目が若者を捉える。彼の悲鳴が地下に響き渡る。その直後、鮮血が黒い水面に散った。




 夜、ベッドに寝っ転がった浩平は音のない世界でぼうっと今までのことを考えていた。

 明日が春樹と会う最後の日になるかもしれない。夜一人になると、その思いがまたぶり返してきた。

 窓の向こうからトラックが走り去る音が聞こえる。その音がとても心細いものに思えた。

 ツチノコは見つけられるだろうか。いやきっと見つけられる。浩平は自分で自分をそう鼓舞した。

 今夜は眠くなりそうもない。そう思っていたはずなのに、いつの間にか彼の目は閉じられていた。




 翌朝は、まだ空が薄暗いうちに目が覚めた。休みの日はいつも早いけれど、それにしたって今朝は特別早い。

 約束の時間まではまだ結構ある。だけど二度寝は出来そうになかった。楽しみと寂しさを納豆みたいに混ぜたような変な気持ちになって、浩平は布団を蹴り上げた。

 夏の朝はその間にも着実に青みを増していた。それと同時に気温も上がって行く。夏の匂いが浩平の鼻をくすぐった。

「よし!」

 そう自分に一声掛けて、起き上がった。夏休みは無限じゃない。早速行動を始めなければ。




 美琴は恒の話を聞き、眉根を顰めた。開け放たれた縁側の障子度の向こうから陽に暖められた風が流れ込む。

「下水道の白いワニ、それは元はアメリカの都市伝説ね」

「ええ、僕の友達もそう言ってました。でも、それが木久里町の下に通ってる下水道にいるって噂が流れているみたいで」

 恒のその言葉に、美琴は顎に指を当てて考えるような仕草をする。恒の高校は先週既に夏季休暇に入っているが、その前にはもう噂は発生していたのだろう。

「確かに、その都市伝説は日本にも流入して噂にはなったのだけれど、大分前の話なのよね。何故今更その噂が再燃したかと言えば……」

「やっぱり、下水道に何かいるんですか?」

 恒が心配そうな顔で尋ねる。美琴は小さく首を傾げた。

「そうね……、問題は私も心当たりがあることなのよね」

「心当たり……、ですか」

 美琴は頷いた。恒が腕を組む。

「ついこの間、街中で傷だらけになった死体が見つかったのがその白いワニのせいだって言われてるみたいなんですよね。死体に下水がたくさん付着していたって」

「そう……、彼は、そんなことはしないと思うのだけど、気になるわね。実際に被害者も出ているみたいだし」

 美琴はひとつ溜息を吐いた。美琴の知る彼は人を傷付けるようなことしないはずだ。何か理由があるか、それとも裏があるか。

 何れにせよ調べる必要がありそうだ。

「しないとは思うけど、しばらくは下水道には下りないこと。特にあなたのその、妖怪好きの友達には良く言っておいて」

「飯田の場合、言っても聞きなさそうな気もしますけど」

 恒は苦笑しながら頭を掻いた。彼の友人に限らず、噂が広まれば広まる程に件の現場へと足を運ぼうとするものたちは増えるだろう。その被害者もその一人だったのかもしれぬ。

 それは人にも妖にも良い結果にはならぬ。関東、特に東京で起きた事件である以上は、黄泉国の者が解決すべき事案だ。

 荒事にならぬことを祈りながら、死神は立ち上がった。




 浩平が公園に辿り着くと、既に春樹はブランコを漕ぎながら待っていた。浩平は公園の入り口に自転車を止め、ブランコに駆け寄る。

「よっ」

「おはよう」

 二人はいつものように挨拶を交わし、そして浩平は春樹の隣のブランコに腰かけた。

 春樹がブランコを漕ぐのをやめ、そして尋ねる。

「で、どうする?」

「ツチノコ探すんだろ。そういえば、この辺のどこで目撃されたのか知ってる?」

 浩平は空にぼんやりと視線を向けながらそうた尋ねた。雲を蹴散らすように太陽の光が降り注いでいる。これは当分雨など降りはしなさそうだ。

「うん、あの小学校の裏の山だって。結構有名だったらしいよ。いろんな人がツチノコ探しに来たんだとか」

「それでも見つからなかったのか。なら俺たちが見つければヒーローだな!」

 浩平はそう言ってブランコから飛び降りた。運動靴が砂埃を舞い上げる。

「行こうぜ。ツチノコが逃げちゃうかも」

「逃げてるならもうとっくに逃げてると思うよ」

 春樹が苦笑いしながらブランコから降りる。そして二人はいつものように並んで歩き始めた。




 この炎天下の下だと自転車を漕いでいるだけで汗が噴き出す。二人は途中コンビニでジュースとお菓子を仕入れ、また自転車に跨った。小学校まではこのまま走れば十分と掛からない。だが山道は別だ。山を登るときは自転車よりも徒歩の方が疲れないし、多分速い。

 山の麓に自転車を置き、浩平は緑に覆われた山を見上げた。蝉の鳴き声が津波みたいに押し寄せて来る。だけれど、この山だって人の手が入っていない訳ではない。ちゃんとアスファルトで舗装された道路が延びている。

 浩平と春樹はその人工的な山道を登り始めた。滅多に車等通りはしないが、学校の先生に言われていることを守って白線の内側を歩く。彼らのすぐ横側には草がもさもさと生えていて、その向こうには木々が生い茂っている。

 山の中でこの道路だけが自然を枯らし、山を切り開いて作られたのだろうかと、学校の社会科で習った公害や自然破壊なんかのことを思い出しながら浩平は考えた。

「なあ、ツチノコってどのぐらいのとこにいるんだろうな」

「僕の父さんの話だと、山の高いところの、森の奥だって」

「ふ~ん、この辺の草漁ればアオダイショウぐらいはいそうなのにな」

 浩平は道路の脇に生い茂る草を片足で蹴り、そう呟いた。マムシもアイダイショウも何度も見ているし、捕まえている。だからツチノコにいざ出くわしても捕まえる自信はあった。だが、見つからないことには始まらない。

「この山登るのも久し振りだよな」

「最近は外で遊ばなかったからね」

 浩平は頷いた。春樹と出会ったのは幼稚園の頃だ。性格は全然違うのに何だか気が合って、小学校に入学してもずっと一緒にいた。

 低学年だった頃はよく外で遊んだ。二人で自転車に乗って知らない場所を目指したり、クラスの皆と野球をしたり、鬼ごっこをしたりした。

 でも最近はどちらかの家でテレビゲームをやることが多かった。それはそれでとても楽しいけれど、やはり二人で最後に遊ぶ日になるのかもしれないのだから、こうして夏空の下を行くのが正しい気がした。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ