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黄泉夜譚 ヨモツヤタン  作者: 朝里 樹
第三五話 寺生まれの男
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一 寺生まれのTさん

 袈裟を身に纏った二十前後ほどの若い男。その剃髪(ていはつ)の頭からは汗が滲み、口元はきつく一文字に結ばれている。

 彼の後ろには彼を見守る多くの人たちが、そして彼の前には闇の塊のような物体の中に、様々な人や化け物顔が浮かぶ奇怪な異形が呻きにも似た音を響かせている。

 男は不安げに彼を見る人々に振り返り、笑みを見せた。彼はここから一歩も退くつもりはなかった。

「破ぁ!」

 男はひとつ、そう叫んだ。そしてその手から、青白い光が発せられる。


第三五話「寺生まれの男」


 これは俺が体験したある不思議な出来事だ。

 それは俺にはやっと初めての彼女ができてすぐの頃で、浮かれていた。

 彼女は色白で背も低く病弱で、学校でもよく虐められていたそうだ。

 そんな彼女の事を守ってあげたいと思った俺は一世一代で思いで告白し、そしてめでたく付き合うことになった。あの頃の俺は幸せの絶頂だったろう。

 付き合い出してから一ヶ月後、彼女が初めて家に泊りに来た。

 だが奥手な俺は彼女にキスすることすら出来ず、ただ手持無沙汰に酒を飲んでいるうちに酔ってしまい、そのままソファーで眠ってしまった。

 四時間ほど眠っていただろうか。夜中何か妙な音がして目が覚めた。点けっぱなしだったはずの電気は消えており、真っ暗なせいでよりその妙な音が響いて来るように感じられた。

 よく耳を澄ませてみると、それは誰かがブツブツと何かを言っているようにも聞こえる。そして隣の部屋のドアの隙間から、明りが漏れていた。

 俺は彼女が電話しているのかと思い、邪魔をしてはいけないと音をたてないようにして隣の部屋を覗き込んだ。だがそこにあったのは、予想もしない恐ろしい光景だった。

「おうち、おうち、あたらしいおうち」

 目を血走らせ、口元を奇妙に歪めた彼女がそう呟きながら自分の髪の毛を数本ずつ頭から抜き取って、壁とタンスの隙間や戸棚の下に押し込んでいる姿がそこにあった。

 俺はあまりの恐怖に言葉を出すことさえ出来ず、一人ソファに戻って震えたまま朝を迎えた。




 翌日、恐る恐る隣の部屋を覗いてみると、何事も無かったかの様に眠る彼女の姿があった。

 俺はどうして良いのか分からず、寺生まれで霊感の強い先輩のTさんに電話をし、わけを話した。

「よし、待ってろ、すぐ行く」

 黙って俺の話を聞いていたTさんだったが、最後にそう言ってくれた。電話が切れたあとも俺は不安で、時折彼女の様子を覗きながらTさんを待った。

 ものの三十分もするとTさんはやって来た。寺生まれである故か頭を剃っているが、しかし目鼻立ちのはっきりとして筋肉質のTさんの場合、洋服を着ていると坊主の剃髪よりギャングのスキンヘッドに見える、などと失礼なことを考えながら、俺は彼女に気付かれないようにこっそりTさんを上げた。

 彼女はまだ眠っているようだ。起こさないようそっとドアを開け、彼女の様子をTさんに見せる。するとTさんは「これは……」と呟き、そして俺に振り返った。

「俺の後ろに下がってろ、絶対に前に来るなよ……」

 そう言って彼女のいる部屋へと入ったTさんは、何か小声で呪文のようなものを唱えた後、突然大声で「破ぁ!」と叫んだ。

 すると部屋中に仕込まれていたのであろう髪の毛が一斉に青白く燃え上がり、そしてついには彼女の髪の毛までもが燃え上がったのだ。

「姿を見せな……」

 Tさんがそう眉を顰めて言うと、長かった彼女の髪の毛がバサリと抜け落ち、髪から女の生首が生えて来た。その恐ろしい光景を前に、Tさんは怒声を響かせる。

「こんな女の子に取り付いて自分の結界を広げてたのかい、この小悪党め!」

 生首を両手でガシリと掴むTさん。次の瞬間生首は断末魔を上げながら青白い炎とともに燃え上がり、そして灰になって消えた。

 俺が呆気に取られていると、しゃがみ込んだTさんが無残に抜け降ちた彼女の髪の毛に触れ、「お前たち、元の場所に帰りな……」と優しく呟いた。

 その言葉を聞き入れたようにフワフワと浮かび上がった髪の毛たちは、そのまま彼女の頭に生え移り、何事もなかったように元通りとなった。彼女はまだ眠ったままだ。

「二人に『カミ』のご加護がありますように」

 Tさんは気さくに笑いながらそう言い、彼女が目を覚ますのも待たずに帰って行った。

 お前仏門じゃないのかよと思いながらも、寺生まれってスゴイ、やっぱり俺はそう思った。




「寺生まれのTさん?」

 水木は紙パックのジュースに刺したストローから口を離し、そう怪訝な声を出した。

「何だよその曖昧な名前」

「知らないのかい? 今ネット界隈で有名な彼のことを! 怪異に襲われている人の元へと颯爽と現れて颯爽と解決し、去って行く、誰もが知っていて誰もが知らない男、それがTさんさ」

「そんなこと言われたって俺知らねえもん。なあ恒」

 飯田の熱弁を鬱陶しそうにあしらって、水木は恒に同意を求める。恒は小さく首を縦に振った。

「僕も聞いたことないなぁ。寺生まれって、どこかの寺の息子さんってこと?」

「それが分かれば苦労しないよ。だがしかしね、彼に助けられたという報告は幾つもあるんだ! これはつまりこの世に霊や妖怪が存在する証拠と言って良いだろう!」

「何で名前もはっきりしていないのに証拠になるんだよ。というか霊はいるだろ」

 水木は呆れた調子で言いながら、机の上に置かれた数学の教科書に目を向けた。昼休みが終わったすぐ後にある数学の授業までにやっておかねばならない宿題を、案の定彼は今この時までやっていない。

 水木は数秒の間数式と睨み合っていたが、溜息とともに背もたれにもたれかかった。

「その寺生まれのTさんの特徴っていうのは、どういうものなの?」

 まだ何か言いたくて仕方がない様子の飯田を見かねて、恒がそう言葉を掛ける。

「よくぞ聞いてくれたね池上君。僕がたくさんのTさん体験談を調査したところによると、まず最初の特徴として、誰もがTさんのことを知っている、ということが挙げられる」

「そんな顔が広いのかその寺生まれ」

 既にシャープペンシルを投げ出した水木が背もたれにだらしなく寄り掛かりながら言った。成績が悪さが原因で両親に塾に行かされてしばらく経った筈だが、その効果はあまりないようだ。

「違うよ。誰も彼の正確な名前を書いているのは見たことがない。なのに彼はまるで以前からの知り合いだったかのように描写されているんだ。いくら顔が広いと言ったって、ネット上に報告される全ての事件の被害者に関与しているなんて考え難いだろ? あと、事件を解決する時、その時に彼が発する「破ぁ!」という言葉と、青白い光がもう一つの特徴だ」

 飯田は両手の指をからませるように組み、そして肘を机に乗せた。

「彼は圧倒的なパワーで怪異を消し去る。まるで幽霊や妖怪に対する天敵みたいだ」

「ネットなら誰かの報告を面白がって色々作ってるだけじゃねえの? それに妖怪の天敵ってお前にとっても天敵だろ」

 水木の言葉に、飯田は悩ましそうに首を傾げた。

「そうかもしれない。だが、彼は実在すると僕は信じたいんだ。彼とともにいれば僕は幽霊や妖怪に会えるかもしれないんだからね! そのためにはまず彼の正体を突き止めねば……」

 恒は相変らずそのままぶつぶつと呟き続ける飯田を眺めながら、そのTという男のことを考えていた。突然怪異の前に現れて人々を助けるというのは、まるで美琴のようだと思う。彼女と初めて会った時、恒は妖怪に襲われていたところを助けられたのだ。

 もっとも美琴は妖怪や幽霊ならば無差別に滅する訳ではないが、そのTという男はどうなのだろう。そんなことを考えていた時、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。




 それから数時間後、恒はぶつくさと文句を言う水木の隣を歩いていた。理由は宿題をやって来なかったことを厳しいことで有名な数学の先生にお叱りを受けたせいだが、明らかに自業自得なので慰めの言葉も思い付かず、恒は苦笑しながら水木の文句を聞いている。

「このトンネル長いんだよな」

 途中、差し掛かったトンネルで水木がそう言った。恒は頷く。だがこのトンネルを通らなけらば相当な遠回りをする羽目になる。

 しかし、どこへ向かっていたのだろうか。恒はどうしても具体的な場所の名前が思い浮かばず、首を傾げた。

 陽は既に傾き、昼間でも暗いトンネルの中はより不気味だ。水木は一度ぶるりと震えてから、そっとトンネルの中に足を踏み入れた。




 五分ほど歩いてもトンネルの終わりは見えなかった。季節は夏になろうとしているにも関わらず中はひんやりとしており、時折風が吹き抜けるような音が響く。

「おい、あれ何だ?」

 水木のそう言う声が長い人工の洞穴に反響した。

 恒が彼の指す方向を見ると、向かい側の歩道を誰かが歩いている。暗いために細かい部分までは分からなかったが、背の高さや髪型からして男のようだった。

 遠目に見ても存在していた違和感は、男との距離が縮むにつれて増して行った。半袖に短パンという服装は良い、だが、その短パンから覗く足が異様に長い。

 体の倍はあるかというその足を、奇妙に折り畳み、また伸ばすようにして男は歩いていた。その姿は、どこか虫を連想させる。

「あんまり目を合わせない方が良い」

 恒は言った。あれは人間ではない。水木にも見えているということは恐らく妖怪の一種だ。恒は以前飯田に見せてもらった本に載っていた、「手長足長」という妖怪を思い出した。

 気味が悪いと思いながら、恒は目を逸らす。しかし直後に悲鳴を響かせた水木のお陰で何かが起きたのが分かった。

「おいあいつこっち来るぞ!」

 恒の目にもその姿は映っていた。足をぐにゃりと曲げ伸ばししながら走って来る。瞼は目玉が飛び出す程に見開かれ、腕は不規則に、だが狂ったように振られている。

 恒は固まっている水木の腕を握り、ひたすらに来た道を走った。今にも男の手に肩を掴まれるのではないかという恐怖感に襲われながらも、振り返ることなく全速力で逃げる。

 やがてトンネルを抜け、街灯や民家の明りが見えて来る。恒は少し安堵して後ろを見た。もう男の姿は無かった。

「な、何だったんだあいつ……」

 水木が息を切らしながら言う。恒は答える気力もなく首を傾げ、そして近くの家の塀の角に手を掛け、道を曲がろうとして顔を引き攣らせた。

 通りの向こう側にあの男がいた。ここに来るまで一本道のはずだったのに、何故あの男が先回りしているのか恒には見当もつかない。

 水木の様子から、もう走って逃げるのは無理そうだと判断し、恒がすぐ近くの家に助けを求めようとその庭に足を踏み入れた時、あの男の方から声が聞こえてきた。

「みづげた」

 不明瞭な発音だったが、それが余計に不気味さを助長させていた。男は再びあの奇怪な動きで走り寄って来る。

 水木は青い顔をしてそれを見るしかなかった。恒は懐に手を入れ、父親の形見である笛に触れた。

 こうなれば自分が戦うしかない。男の姿が次第に近付いて来る。街灯の明かりに照らされたその目は、コールタールを塗りたくったように真っ黒だった。

 男は頭を前に突き出し、近付いて来る。恒は覚悟を決めた。其の時だった。

「そこまでだ」

 その声を聞いた時、それが当たり前のように恒の中にある名前が浮かんだ。これは寺生まれで霊感の強いTさんだ。

 Tさんは勢い良く跳び上がったかと思うと、恒たちと足長男の間に降り立った。

「トンネルに巣食って獲物を待ち伏せてたってわけか。こんな高校生まで毒牙に掛けようとするとは、この小悪党め!」

 Tさんは異様に響く声で足長男に向かってそう言った。足長男が標的をTさんに変え、そして顔に笑みを貼り付けながら迫って来る。だがTさんは一歩も退かず、拳を前に突き出すと同時に「破ぁ!!」と叫んだ。

 するとTさんが男の顔面を殴り飛ばすと同時に青白い光弾が飛び出し、男を包み込んだ 。男は苦悶の声を上げながら痩せ細るようにして縮まって行き、やがて消え去った。

「Tさん、 なんでここに?」

 水木が尋ねる。その問いにTさんは咥えた煙草に火を付け、そして言う。

「コンビニに行くのにアシが必要だったんだが、高校生じゃな。今度からああいうのに目を付けられないよう気を付けな」

 煙草の煙を吐き出しながら去って行くTさん。寺生まれって凄い。初めて恒はそう思った。




「寺生まれのTさん、ねぇ」

 美琴は腕を組み、首を傾げた。黒い髪がその動きに合わせて揺れる。

「あなたはそのTとかいう男のことを、どうしてなのか前から知っていると思ったのよね」

「はい。水木はもう忘れているみたいですが」

 恒は思い出す。自分の知り合いにはそもそも寺生まれの人間などいなかったはずだ。事前に飯田から話を聞いていたせいなのかとも考えたが、しかしそれでは彼の声を聞いた瞬間に彼をTさんだと直感した理由にはならない。

「霊や妖に襲われている人々の前に現れて、颯爽と人々を救う人間……、いないとも言えないけれど、何か引っ掛かるわね」

 美琴は眉根を顰める。そして恒を見て言った。

「分かった。一応調べてみるわ。今夜は私も仕事があるから、少し待っていてね」

 美琴は言い、立ち上がった。



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