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黄泉夜譚 ヨモツヤタン  作者: 朝里 樹
第三二話 幸せの白い球
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四 幸せの白い球

 勇樹はじっとその後ろ姿を見つめていたが、やがて見えなくなると残された白球に目を落とした。それを裏返してみると、大崎が書いたサイン、そして「頑張れ」という文字が目に入った。あの大崎選手が自分に向けてメッセージを書いてくれた。勇樹はぐっと白球を握り締める。

「あ、勇樹!」

 良く知った声に顔を上げる。大崎が去って行った入口とは逆の入り口から姉が公園に入って来るのが見えた。小走りでこちらに近付いて来る、。

「ほら、今夜の大崎さんの試合のチケット、買って来たよ!」

 そう自慢げに姉が見せる二枚の券には確かに今日の日付と、「東京フォレスツ対狩野フォックス」という字が並んでいる。ここから歩いてでも行ける球場で行われる試合。自分が大崎と話している間に姉はこのチケットを買って来てくれたのか。

「姉さん、ありがとう」

「ちゃんと礼は言えるようになったのね。素直でよろしい。大崎選手には会えた?」

 姉は微笑み、尋ねる。勇樹は笑い、頷いた。そして大崎に貰った白球をポケットにしまった。

 少しずつ変わって行っていることを勇樹自身も感じていた。




 大崎は思い切り芝生を蹴り、ライナーとして彼の横を抜けようとしていた白球に飛び付いた。使い込んだグローブの端に白球が引っ掛かり、大崎はそれを落とすまいと右手で掴む。そして倒れ込んだ体を起こし、一塁へとボールを投げた。慌てて戻ろうとしていたランナーを追い越し、ボールはファーストミットへと収まる。

「アウト!チェンジ!」

 審判の声が響いた。歓声が球場を包んでいる。一アウト一、三塁にランナーがおり、ボールが外野へ飛んでいれば確実に一点が入っていた状況だったが、ボールに追い付き、ダブルプレーにすることができたお陰で無失点でこの回を終えることができた。

 ふうと一息付き、大崎はベンチに引き上げようと歩き始める。その後ろから誰かが肩を叩いた。

「今日は気合い入ってるな大崎!次の攻撃頼むぞ!」

「分かってますよ、恩田さん」

 振り返ればフォレスツの投手、恩田がいた。笑ってはいるが、やはりその顔には疲れが見える。先発として初回から投げているのだから当たり前だ。

 先程の守備は九回の表。点差は一点でフォレスツが負けている。次の攻撃がこの試合、点数を入れられなければフォレスツ最後の攻撃となる。

 打順は三番から始まる。四番である大崎に確実に回って来る。大崎はベンチに入る前にライト側のスタンドを見た。

 ずっと昔、アメリカで病気の子供のためにホームランを約束し、実際にそれをやってのけた選手がいたと言う。子供の頃はその選手の逸話に憧れ、バットを握ったものだった。それが今では同じような立場で野球場に立っている。

 あの観客席のどこかに勇樹がいて、自分のプレーを見守っている。彼のためにも気合いを入れて行かねばなるまい。

 自分が誰かの力となれるのなら、全力でそれに応えるまでだ。




「さあ、次は四番の大崎です。今日は三打数三安打。しかもそれぞれ三塁打、一塁打、二塁打を放っています。最終打席になるであろうこの打席でホームランを打てばサイクルヒット達成、かつサヨナラです」

 テレビ画面から聞こえて来る実況の声に、恒はいつも以上に真剣に耳を傾ける。鈴原は弟とともにあの球場で大崎の活躍を見るのだと聞いた。そのせいか、大崎の打席はいつも以上に気に掛かる。

「心配なのね」

 同じく卓袱台の前に座っている美琴が微笑み、言った。

「僕が心配しても、意味はないかもしれないですけどね」

 恒が言うが、美琴は首を横に振った。

「そんなことはないわ。誰かが自分のことを考えてくれるということは、嬉しいものよ。それに、それももしかしたらケセランパサランに届いているかもしれないわ」




 バッターボックスに立った大崎がバットを構える。現在は一点差で負けているが、一塁にランナーがいる。長打を打てば同点、少なくとも延長に持ち込むことができる。

 それでも良い、とにかくこの試合には負けたくなかった。狩野フォックスは現在首位を走るチーム。確かに強いが、一点差ならいくらでも覆せる。

 一球目は空振りのストライク、二球目は内角に外れるボール、三球目はレフト側へのファールだった。次が四球目。ストライクで来るのならば後はない。

 相手のピッチャー、森瀬が腕を振り上げる。大崎は白球に集中する。森瀬の指から離れたボールは外角に向かって真っ直ぐに飛んで来る。

 スピードはある。先発で初回から投げているとは思えない、渾身のストレート。だが、大崎は左足を一歩踏み出すと、両手に握り占めたバットを振った。

 ホームベース上、外角低めにてバットとボールが衝突する。高い音が鳴り響き、白球が跳ね返された。




 大崎選手がボールを打った、その瞬間を私は弟とともに観客席で見ていた。大崎選手の放った打球はレフト側へと高々と上がり、そして私たちの頭上を越えてスタンドの上段へと突き刺さった。

「サヨナラホームランだ……!」

 白球の行方を追っていた勇樹がそう目を輝かせて言う。その直後、球場を大歓声が包み込んだ。

 大崎選手が右手を掲げてダイヤモンドを一周して行く。勿論これは弟のためだけではない、チームのため、そしてファンのために打ったホームラン。でも今日の大崎選手の活躍が、勇樹に力を与えてくれたのは確かなようだ。

 私は、他の人たちと一緒になって立ち上がり、声を上げている弟を見てそう思う。私も自然に笑顔になって、大崎選手に歓声を送る。

 それは母がいなくなってから、弟と共に過ごす一番幸せな時間だった。




 それから勇樹は変わった。いや、変わったというより少しずつ元に戻り始めたと言った方が良いかもしれない。中学校では野球部に入り、一年のブランクを取り返すために毎日遅くまで練習している。野球部の子たちにもすぐに馴染んだようだ。

 それに良く笑うようになった。部屋に引き籠ることもなくなり、大崎選手への憧れも大きくなったようで、夢はプロ野球チームでセカンドを守ることだ、なんて言っている。

「そうか、元気が出たようでよかった」

 そのことを池上君に話すと、そう笑顔で言ってくれた。

「池上君にもお世話になったから、今度何かお礼するね。ほんと、ケセランパサランのことで真剣に相談に乗ってくれる人が同じ学校にいて良かった」

 彼の助言があったお陰で、私も勇気を出して行動することができた。今回は色々な人に感謝しなければならないなと改めて思う。

「どういたしまして。でも、今回一番活躍したのはケセランパサランだと思うよ」

 池上君はそんなことを言う。確かにそうかもしれないけれど、真面目に言う池上君がおかしくて小さく笑う。でも、そんな人だから私の突拍子のない話も聞いてくれたのだろう。

「分かってる。白粉いっぱいあげなきゃね」




それから数日後のこと、私は池上君に頼んでケセランパサランについて教えてくれたという人物を呼んでもらい、そして待ち合わせ場所へと向かっていた。

 場所は木久里駅前。池上君も私も良く知っている場所ということでそこになったのだが、そこに着いて私が一番初めに驚いたのが池上君の隣に座る綺麗な女の子だった。

 一応年上だとは聞いていたけど、私とそう歳は変わらないように見える。

「あの、初めまして。鈴原満春です。今回はありがとうございました」

 色々な疑問はとりあえず胸の中に仕舞い、私は礼をする。その人は微笑んで、「気にしないで」と言ってくれた。

 それから池上君と一緒に、伊波美琴と名乗ったその人と少し会話をした。落ち着いた話し方をする人で、話してみると見た目よりも随分と大人びて見えた。

「一件落着という訳ね」

 今の弟の話をすると、伊波さんは一度頷いてそう言った。

「はい、そうみたいです。ケセランパサランのお陰です」

 私はテーブルの上に乗せた桐の箱を見る。せっかく直接会うのだから、もっとこの子たちのことを教えてもらおうと思って持って来たのだ。

「そういえば、もうこの中を最後に見てから一年以上経っているのですけど、この蓋をあけても良いのでしょうか?」

 私は伊波さんにそんなことを聞いてみる。この中を見たのは母にケセランパサランをもらった日。それ以来その姿は見ていないが、何故一年に一度しか見てはならないのか、その理由が知りたかった。

「大丈夫よ。一年に一度というのは、特に決まった回数ではないの。ただケセランパサランは光や外気にあまり強い生き物ではないから、あまり箱の外に出すと弱ってしまって、時には死んでしまうの。それを戒めるために、一年に一度しか出していけないという伝承が生まれたのだと思うわ」

 伊波さんはそう解説してくれた。言われてみれば一年に一度と明確に決められているのも何かおかしい気もする。妖怪とは言えケセランパサランも生き物なのだから。

 とにかく見ても良いということなので、私はそっと桐の箱の蓋に手を置き、それを静かに持ち上げてみた。

「あれ?」

 私がそんな声を出したのは、母とともに見た時と箱の中身が違っていたからだ。

 白粉を敷きつめるように入れた箱の中には、母と共に見たピンポン玉のような大きさの毛玉が一匹と、それに寄りそうようにしているビー玉ぐらいの大きさの毛玉が一匹いる。

「増えてる?」

 池上君が私の代わりにそう言った。私と池上君は答えを求めて伊波さんを見る。

「子を生んだのね」

 伊波さんの言葉に私ははっとする。母も、ケセランパサランは子供を生んで増えるのだと言っていた。

「ケセランパサランはね、自分に近しい人間の幸福を力にする妖なの。そしてそれによって新しい自分の仲間を増やす。あなたのお家のように東北の旧家ではね、そうやって増えたケセランパサランを母から娘へと託して行くのが本来の株分けなのよ。そうして幸せは母から娘へと受け継がれ、ケセランパサランたちもまた生きる場を得るの」

 伊波さんがそう私に教えてくれた。私は一年前、母がこのケセランパサランが生んだ子供を、私の子供に渡して欲しいと私に頼んだことを思い出す。それを伊波さんに話すと、彼女は優しく微笑んだ。

「そうね、ケセランパサランが子供を生むのには、長い時間か大きな幸福がいるの。それに成長するのにもね。だから、このケセランパサランの世話をしているあなたは、大きな幸せを得ることができたということなのでしょう」

 大きなケセランパサランがふわふわとした毛を微かに動かして、子を撫でているように見える。私がこの子たちのお陰で幸せを得られたように、私もこの子たちに幸せを与えられたのだろうか。それなら嬉しいと、素直にそう思う。

「本当に、色々とお世話になりました」

「どういたしまして。あなたもお母さんに託されたその子のを見守ってあげてね。いつか、自分の娘さんがお嫁に行く時のために」

「はい!」

 母がしてくれたように、私もいつか自分の娘にケセランパサランを渡す時が来るのだろう。それは何十年も先のことなのだろうけど。

 寄り添うようにしている二匹のケセランパサランを見ていると、何だか微笑ましい気持ちになる。

 たくさんの幸福を得たケセランパサランは、子供を生んで未来を繋ぐ。この小さな親子を見て私は母を思い出し、そして自分が今幸せであることをこの子たちに思う。

 いつか、私に娘ができたとき。その時に私はケセランパサランがくれた幸せをたくさん話してあげよう。そして、その子が幸せになるように、またこのケセランパサランたちの未来を繋ぐために、私は幸せのケセランパサランをひとつ、自分の娘に託すのだろう。




 それから二人と別れて帰り道を辿る途中、私は弟の中学校の前を通った。いつもの通りならばこのくらいの時間に学校を出ているはずだだから、もしかしたらと思っていたけれど、丁度弟が校門から出て来るところだった。これも今は鞄の中にいるケセランパサランのお陰だろうか。

 私は弟に声を掛け、一緒に帰ることにした。こんな当たり前のことが今は楽しい。

 勇樹は野球ボールを右手に持って、上に投げては掴むという動作を繰り返していた。それを見ていて、ふと頭に浮かんだことを、私はそのまま口に出してみる。

「ねえ勇樹、私たちにとっての幸せは、白い球が運んでくれるのね」

 勇樹は良く分からないという顔をしていたけれど、私は満足だった。いつか、母が私にしてくれたように、自分の娘にこの子を渡すことができるまで、きっとその時までは幸せでいようと、そう思う。

 だから、ケセランパサランとはこれからも長い付き合いになるだろう。それだけで少しだけ幸せな気分になる。

 私は笑顔のままで、弟とケセランパサランと一緒に夕暮れの帰り道を辿る。



異形紹介


・ケセランパサラン

 江戸時代以降に現れ、現代においても伝承されている異形のもののひとつ。妖怪としてもUMAとしても都市伝説としても紹介され、発祥は東北地方だと伝えられる。1970年代後半には全国に広まり、一大ブームとなって多くの人々が白い毛玉をケセランパサランとして飼育した。また、ビワの木に良く現れることからビワの精とされることもある。

 見た目は白いふわふわとした毛玉であるとされ、大きさは数センチほどで天から降って来る、また神社の境内や深山に落ちているという。動物か植物かは分かっておらず、白粉(おしろい)を餌とするとされ、また白粉と一緒に入れておくと増えるとされることもある。

 その力は飼い主、持ち主に対して幸福を与えるというものであり、また70年代後半以降では主の願いを叶えることができるが、その後消えてしまうともされた。

 穴のあいた桐の箱の中で飼育され、その中に食物として白粉を与えるが、一年に一度しか見てはならないとされており、二度以上見ると幸福を与えるという効果が消えてしまう、また逆に不幸が起きるとされるため、給餌の際にはその姿を見ないようにせねばならないという。

 東北地方の旧家では娘の嫁入りの際に母から娘へケセランパサランを小分けして与える風習があるとも言われている。


 現代においても多くの人々に知られる都市伝説であり、またUMA、妖怪である。その正体には幾つかの説があり、小動物が捕食された際に食べ残された毛皮の皮膚の部分が縮まり、毛を外側にして丸まったものという動物性の毛玉説、植物の花の冠毛が寄り集まって固まったものであるとされ、またガガイモの種の綿毛とも言われる植物の毛玉説という二説が有名だが、他に綿状のカビだという説、またオーケン石という細いガラス状の繊維が放射状に伸び、多くは綿のボール、兎の尾のような形になる石をその正体とする説、白い綿で包まれたような姿をしている雪虫や、蝋物質を出してその粉末を体に纏うアオバハゴロモの幼虫など昆虫を正体とする説などがある。

 またその「ケセランパサラン」という名前の語源についても諸説あり、スペイン語の「ケセラセラ」が語源だという説、「袈裟羅けさら)婆裟羅(ばさら」という梵語が語源だという説、『和漢三才図会』に載る「鮓荅(へいせらばさら)」が元になっているという説などがある。鮓荅は獣の肝臓や胆嚢に生じる白い玉で、鶏卵ほどの大きさのものから、栗やハシバミくらいの小さいものまであり、石や骨にも似ているがそれとは別物で、蒙古人はこれを使って雨乞いをしたと記述されている。またこれは南蛮渡りの秘薬「平佐羅婆佐留」と同じもので、痘疹、解毒の作用があり、万能薬として伝えられるこの玉が幸福を与える存在へと変化して行ったとも考えられている。実際に山形県ではケセランパサランをテンセラバサラ、宮城県ではケセラバサラと呼び、鮓荅の影響の可能性が伺える。

 また、東北地方に伝わる神、オシラ様について「おしら祭文」では「月の十六日に白ぎ虫黒ぎ虫として二つの虫は降るべきぞや、白ぎ虫は姫の姿なり黒ぎ虫はせんだん栗毛の形なり」と伝えており、この関係の可能性も指摘されている。オシラ様は蚕、農業、馬の神である。

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