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黄泉夜譚 ヨモツヤタン  作者: 朝里 樹
第三十話 夕暮れの怪人
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一 怪人・赤マント

 夕暮れ、赤に染まった町の中、一人の少女が歩いている。

 ランドセルを背負ったまだ幼いその少女は、やがて人気(ひとけ)のない住宅街へと入る。左右は背の高い塀に囲まれた家が並び、しんと静まり返っている。

 カラスの鳴き声がいくつか響き、消えて行く。

 少女は今日の晩ご飯は何だろうと、暖かな自分の家を頭に浮かべながら帰り道を辿る、そんな黄昏時。平穏な日々がいつまでも続くことを少女は疑うこともない。

 いつものようにこのまま家のドアを開けて、母親とまだ幼い弟の顔を見て、そして父親が帰って来てみんなでテレビを見ながらご飯を食べるのだ。そんな時間が来ることが少女にとっては当たり前だけれど、楽しみな日常だった。

 しかし、そんな少女の小さな幸福など、彼女の後ろに立つ男には関係がない。

 音も立てず、気配もなく、いつの間にかその影は立っていた。夕焼けの赤を背にしても、尚も映える赤マント。

 血色の悪いその顔には、仮面のように笑顔が張り付いている。男は喉の奥から息を漏らすような、粘ついた声で尋ねる。

「お嬢ちゃん、君の好きな色は何だい?」

 少女は振り返る。そこにいるのは(まさかり)を振り上げる深紅のマントを羽織った男。

 少女が答える間もなく、その(やいば)は振り下ろされる。


第三十話「夕暮れの怪人」


「お姉ちゃん、今日は近くの学校に行ったんだよ」

「そう。あんまり子供を驚かせては駄目よ?」

「分かってる~」

 縁側に座る美琴の膝に、花子がじゃれついている。穏やかな黄昏の光景だった。

「でもさ、その学校で変な噂が立ってたんだ。私とおんなじ、トイレに出て来るお化けの話」

 美琴は花子の髪を撫でながら、考える。学校の厠に現れる怪異、それは様々な形で、何十年も前から語られて来た。水場は霊を呼び易いから、怪現象が起こる確率が高いせいかもしれない。

「どんな怪談なの?」

 美琴が尋ねると、花子は聞いた噂を思い出すように腕を組みながら言う。

「トイレに入ると、どこからか赤が好きか青が好きか聞く声がするんだって。それで赤と答えると、上からナイフが降って来て血まみれになって殺されて、青と答えると血を吸われて、真っ青になって殺されるって」

「赤マント・青マントの都市伝説ね」

 空は丁度、夕焼けの赤が夕闇の青に呑まれようとしているところだった。学校の厠において好きな色を尋ね、その答え方によって殺し方を変える怪異。これには他にも白だったり、黄色だったり、いくつか種類があったはずだ。

 それにしても赤マントか。美琴は花子に分からぬよう顔を微かにしかめた。その名前には嫌というほど覚えがある。できればもう、二度と思い出したくはない名だ。

「そろそろ中に入りましょう」

 美琴は言い、縁側から立ち上がる。季節は春になり、夜になってもそれなりに暖かいが、もうすぐ夕食の時間だった。

 一ヶ月程前に恒は高校二年生に、小町は高校三年生に上がった。(あやかし)の寿命は長く、老いるのも遅いため、一年という年月を実感できる出来事は少ない。だが、彼らの進学は美琴にその時間がどんなものであるかを思い出させてくれる。

 恒は去年の春に出会った頃よりもかなり背が伸びた。父親の血が目覚めたせいか、体格もかなりしっかりして来たように思う。少しずつ大人に近付いているのだろう。

 小町の方は人化の術を使っているとはいえ恒よりずっと長く生きているため、彼よりは変化は少ない。それでもこの一年で色々なことがあって、成長したと思う。特に精神面では。

 襖を開け、居間に入ると、朱音と恒がテレビ画面を眺めていた。良介の姿はない。夕食を作っているのだろう。

 テレビではニュース番組が流れている。この屋敷では人間界で起きていることを把握するため、ニュースを良く見る。異形の関わる事件が起きていれば見逃す訳にもいかない。

 画面には小学二年生の少女が何者かに惨殺されたという情報が流れている。夕暮れ時、一人下校していたところを襲われたようだ。可哀想に。まだほんの小さな子供なのに。

 美琴は花子とともに卓袱台(ちゃぶだい)の前に座り、そしてそのニュースに集中する。何か引っ掛かるものがある。

「傷口から凶器は斧のような刃物であると判明しましたが、目撃者はおらず、現在警察が捜査しています」

 ニュースキャスターは淡々と原稿を読み上げる。

「斧のようなもの、ね」

 美琴はひとりそう漏らす。先程花子との話のせいか、どうも今日はあの男が脳裏に過る。杞憂で終われば良いが、悪い予感ほど良く当たるもの。

 もしかすれば、またあの男が現れたのかもしれない。

 夕暮れ時に現れる都市伝説、怪人・赤マントが。




「ああ、素晴らしい。この感覚は久々だ」

 ねっとりと纏わりつくような声で、赤いマントの男は呟いた。

 街灯の下、彼の右手に握られるのは若い女の首。酸素を求めて足掻いているが、その顔は既に青白く、男の腕を掴む手からも力が抜けて行く。

 力を込めれば簡単にその首を折ることもできる。だが、赤マントの男はわざわざその女の呼吸を止めるのみに留めていた。

 女の命は、彼の視界の中で次第に小さくなり、消えて行く。男はそれを恍惚とした表情で眺めている。そして、女の命は朽ち果てた時、赤マントの男は呼吸を思い出したかのように、深く息を吐いた。

「おやおや」

 男は微かに残念そうな声でそう言うと、女の亡骸を無造作に放り棄てた。そして、それを振り返りもせずに歩き出す。

 後にはただ、真っ青な顔で死んだ女だけが残った。




「昨日この近くで女の人が殺されたんだって」

 上野映子に話しかけられ、窓の外に目を向けていた小町はそちらを振り返った。

「そうなん?」

「うん。首を絞められた女の人の死体が見つかったって。真夜中に襲われたらしいよ」

「恐ろしいことする人もいるもんやねぇ」

「ほんとほんと。今日は早く帰らないと」

 そう小さく笑いながら映子は言った。少し前に比べ、彼女も大分明るくなったと小町は思う。

 三年生になってクラス替えがあってからも、小町と映子は同じ教室だった。

 数か月前に起きた連鎖自殺事件によって、映子は二人の友人を失っている。事件の直後はかなり塞ぎ込んでいたが、大分元気を取り戻して来ているようだ。

 あの事件では彼女自身も妖怪の手に掛けられそうになっていた。だが、その記憶はもう消えているはずだ。それでも仲良くしていた人間が二人、理由も分からずに自殺を起こしたのだからショックを受けても当然だったろう。

「そうやね。昨日は小さな女の子も誰かに殺されたみたいやし、物騒やね」

「ほんと。もしかしたら同一犯なのかもしれないね。他の子たちは赤マントが出たなんてって言って面白がってるけど」

「有名な都市伝説やねぇ」

 赤いマントを羽織った怪人が子供を攫ったり、人を殺したりするという都市伝説。それが怪人・赤マント。ずっと昔、昭和の初期には既に広まっていたのだと、美琴から聞いたことがある。その正体は男だとも女だとも、子供を狙う猟奇犯罪者だとも、吸血鬼だとも言われていたようで、色々な派生した噂があるようだった。その上、美琴はその怪人は実在したと言っていた。

 都市伝説として語られる怪異が妖怪や幽霊として実際に存在していることは珍しいことではないが、しかしそれが人の世界に現れ、被害を及ぼしたとなると厄介だった。人間界では異形のものの存在は知られていないから、大きな脅威となる。ただの人間の犯罪者とはまるで違うのだから。それに近代以降に現れる都市伝説などの怪異は、人の世界で生まれることが多いため、人が被害に遭うことも多いのだと聞いている。

「うん、でもさ、赤マントの男って実際にいたんだよね、昔」

 映子の口から予想外の言葉が聞こえて来て、小町は彼女の顔を見た。映子の性格ならば、あんなものは噂だと一蹴するのではと思っていたのだが。

「ええとね、都市伝説とかじゃなくて、実際にあった事件らしいんだ。お父さんから聞いたんだけど、ずっと昔、昭和の時代に赤いマントを着た男が現れたんだって。その男は子供を何人も誘拐して、殺していたって。犯人はまだ見つかってなくて、未解決らしいよ」

「じゃあその男がまた現れたとか?」

 尋ねると映子は首を横に振った。

「それはないと思う。兄さんに聞いたら生きてたらもうよぼよぼのお爺さんだって言ってたから。人を襲ったりはできないよ。でも、未解決のまま終わっちゃったっていうのは気になるよね」

 映子の兄は警察官だ。ということは実際にあった事件なのだろう。しかしそれは都市伝説の赤マントが実際に現れたのか、それとも赤マントを羽織ったただの人間だったのだろうか。どちらにせよ殺人鬼であることには変わりはないが。

「それに今回の犯人は子供だけでなく大人も狙うみたいだからね。葛葉さんも気をつけてね」

 そう言われ、小町は頷いた。何にせよ平気で人を殺すものがこの辺りにいるのだ。用心に越したことはない。




 その放課後、高校からの帰り道、映子は住宅街を歩いていた。薄暗い空の下とは言え、まだまだ人の姿は多い。それでも完全に暗くなる前に帰ろうと、次第に早足になる。

 何にせよ殺人犯がここらをうろついているのかもしれないのだから、用心に越したことはない。途中までは友達と一緒に歩いていたこともあって、暗くなり始めた空と、一人で歩いているという状況が不安を増長させる。

 時間は五時を過ぎ、街灯が灯り始める。夕暮れが訪れた。明かりが点いたことに少し安堵しつつ、彼女は家路を辿る。この先の十字路を右に曲がればもうすぐ自宅だった。

 だが、その角の向こう側から現れるものがいた。


 辻は境界、怪異と人とが出会う場所。


 夕闇の中に浮かび上がる真っ赤な影。その左手には首から血を流す小さな男の子の体が握られ、そして右手には血に濡れたナイフが握られている。

 その姿はまるで、都市伝説の中に語られる怪人・赤マントの姿。二メートル近くはある長身の男は、分かれ道の入り口で立ち止まった。

「え……」

 絶句する映子の方に赤いマントの男は顔を向け、そしてにんまりと笑った。

「この子は、赤が好きらしい」

 そう赤マントは言って、男の子から手を放した。うつ伏せに地面に倒れた少年の背には、何本ものナイフが突き刺さっており、衣服を赤く染め上げていた。まるで隣に立つ男と揃いの赤マントを羽織っているように。

 血の匂いが映子の鼻を突いた。吐き気と涙を堪えながら、映子は赤いマントの男を見る。

「君は何色が好きかな?赤か、青か、それとも他の何色か」

 赤マントは血濡れのナイフを道路に放り、そしてマントの中から刃渡りの異様に長い包丁を取り出した。それを愛おしそうに眺めた後、ゆったりとした足取りで映子の方に歩いて来る。

 足が竦んで動かなかった。赤いマントに異様な雰囲気を纏った怪人は、包丁を持った手をだらりとぶら下げながら近付いて来る。逃げなければ、殺される。それは分かっているのに。

「まあ、私の糧となってくれればそれで良い」

 赤マントは映子の前まで来て、立ち止った。そして緩慢な動作で包丁を振り上げる。

 映子はそこで初めてその男から逃げようとした。だが、今度は左腕が素早く伸びて映子の右腕を掴んだ。

「助けて……!」

「ああ、君は生きているなぁ」

 赤マントは本当に楽しそうに口の両端を釣り上げた。

 そして、包丁を振り下ろそうとした、その直後だった。

 赤マントに向かって突如として突風が吹いた。一瞬赤マントが怯む。その僅かな隙に、何者かが彼から映子を奪い去った。




「大丈夫?」

 その声を聞いて初めて、映子は自分の腕を引いて走る人物が誰なのかを知ったのだろう、絞り出すような声でその名前を呼んだ。

「葛葉さん……」

「大丈夫そうやね。怪我はしてない?」

 走りながら小町が問う。映子は頷いた。まだ体の震えが止まっていない。

「ここまで来れば、ええか」

 小町はそう言い、映子の腕を放した。あの男の姿はもう見えないが、あれは明らかにただの人間ではなかった。強い妖気が感じられた。そして、気分が悪くなるような霊気も。

「あの人、子供を殺してた……、まだ小さな男の子を……」

 まだ映子は恐怖の表情を顔に張り付けている。小町は慰めるようにその肩をさすり、声をかける。

「上野さん、家まで送ろうか?」

「まず、警察に連絡を、お兄ちゃんに」

 映子は言い、震える手で携帯電話のボタンを押している。小町は妖気に注意しながらそれを見守った。

 こちらも美琴に報告するべきだろう。小町は自分の電話に手を掛けた。




「やはり、あの男なのね」

 美琴は電話を切り、そう呟いた。赤いマントを羽織った連続殺人鬼、またあの男が現れた。

 美琴は十六夜(いざよい)を腰に佩くと、屋敷を出る。そのまま裏庭を横切り、境界の門へと進んで行く。

「今度こそは……」

 そう言いながら、美琴は門に掌を当てた。




 赤マントの男は暗くなった空の下を歩いている。街灯の薄い明りの下でも、その真っ赤に染められたマントは良く目立つ。

「ちょっといいですか?」

 そう声を掛けられ、赤マントは足を止める。振り向けば警官らしき男がいる。首を傾げ、笑みを湛えながら赤マントは警官に問う。

「何か、御用かな?」

「いえ、不審者がこの辺りに現れたとの通報があったので、お話を伺おうかと」

 そう言いながら、警官は明らかな疑いの目を赤マントに向けている。赤マントは二、三度頷いて、深く息を吐いた。

「それはそれは、御苦労だ。私を疑うのも無理はない」

 言いながら、マントの中に手を入れ、そして鎌を取り出した。牧草や麦を刈るために使われるような、長柄を両手で握る大鎌だった。

「ところで君は、赤いマントは欲しくないかね?」

 警官は慌てて拳銃に手を掛けるが、赤マントは笑みを浮かべたままそれを見ていた。そして拳銃を向けられても怯む様子はなく、鎌を一度宙に放り、そして掴み直す。

「武器を捨てなさい!」

 赤マントはその言葉を無視し、わざとらしく鎌を振り上げた。直後に銃口が火を吹き、銃弾が赤マントの腕を貫通する。

「市井のものに簡単に銃を撃つなど、警官としてはどうかと思うがね」

 不気味な笑みを顔に張り付けたまま、赤マントは言った。腕からは血を流しているが、全く気にする素振りはない。そのまま警察の方へと一歩踏み出す。

 警察は続けて発砲した。今度は体の中心に穴を開けるが、赤マントはそれに反応することもなく、鎌を警官の首に向かって振り下ろした。

 鮮血が辺りに飛び散り、警官の体が地面に崩れ落ちた。首の後ろに抉られた傷から流れる血液は、彼の背を赤く染めて行く。まるで赤いマントのように。

 警官はうめき声を上げながら痙攣している。赤マントの男はしばらくその様子を眺めていたが、警官の体が動かなくなり、最後の呼吸が吐き出されると、興味を失くしたように視線を外し、自ら作り上げた死体を跨いで行った。



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