表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
黄泉夜譚 ヨモツヤタン  作者: 朝里 樹
第二九話 散りぬる風のなごりには
116/206

三 桜吹雪の舞う丘で

 次の日もまた、僕は外を歩いた。人の世界に帰る道が分からない以上どうしようもない。

 それにこの世界には綺麗なものがたくさんあった。地上を二つに区切るように途切れなく流れる大きな川や、広大な山々、草原、昔のままの姿が残されているのであろう町並み。それらを眺めながら、僕は持って来たスケッチブックにその景色を描き込んだ。

「ねえ、人の世界には写真機とかいう簡単に景色を写せるものがあるんだろう?なんでわざわざ絵に描くんだ?」

 今日は一緒に付いて来た山坐(さんざ)が僕に問う。昨日のように勝手に出て行っては困る、ということらしい。

「そうだね。でも、僕は写真家ではなくて、絵描きだから。この景色そのものではなく、今この目で見たこの景色というものを記録するにはこれが一番なんだよ」

「……よく分かんないなあ」

 それはそうかと僕は笑う。僕がこの情景を見て感じたこと、考えたことを絵という一枚の紙に封じ込める。それが絵を描くことだと僕は思っている。そう説明すると、山坐は何となく分かったと曖昧に頷いた。

「つまりさ、自分の手で描くことに意味があるんだね」

「そういうことかな」

 僕は紙の上に鉛筆を走らせた。何もない世界に、次第に形が浮き上がって来る。自分の力で世界を作り上げられるこの時間が僕は好きだ。

 下描きを終えて、僕は立ち上がる。ずっとこうして絵を描いていたいという気持ちもあるが、そうもいかない。あの桜の絵についての情報を集めねばとも思っていた。ここでなら何か手掛かりを得られるかもしれない。

 山坐に案内してもらい、昨日の町へと辿り着く。

「ここは御中町(みなかまち)って言うんだ。黄泉国の真ん中にある町さ」

「それなら誰か何か知ってる人がいるかもしれないね」

「まあね。あ、見てみなよ。あの大きな山の上にあるのがこの黄泉国の主、美琴様のお屋敷なんだ」

 山坐が指す先には木々に覆われた小さな山があり、その真ん中に伸びる石段と、塀に囲まれた大きな屋敷が見えた。

「綺麗な女の人らしいんだけどさ。俺はまだお姿を見たこともないんだよ。やっぱり田舎生まれって損だ」

 山坐はそんなことを言って腕を組む。妖怪でもそんなことを思うのかと、少しおかしかった。

 それから色々な店を回りつつ、持った絵を見せたが、(かんば)しい情報は得られなかった。ただ丘の上で咲いた桜と、詳細の描き込まれていない女性の姿だけでこれがなにか分かるものは少ないかもしれない。

 それでも僕は、この絵が僕をこの世界に連れて来たことには何か意味があると確信していた。

「やっぱり誰も分かんないみたいだね」

 山坐はあの桜の絵を両手で持ち、眺めながら言った。

「でも妖怪になったのに何で自分でやってほしいことを言わないんだろ。そうすれば一発なのに」

「きっと、何か理由があるんだよ」

 僕は山坐の手から絵を受け取る。日は傾き、夕闇に覆われた空の下、桜はキャンバスの中で舞い散っている。

「あの、もしもし?」

 そう後ろから女性の声が聞こえて来て、僕は振り返った。そこには若い女性がおり、そして彼女の後ろには生真面目そうな顔をした若い男がいた。

「その桜の絵について知りたいのですよね?」

 女性は言い、微笑した。

「ええ、何か知っているのですか?」

 僕が尋ねると、女性は静かに頷き、話し始める。

「この絵そのものについては分かりませぬが、わたくしたちは恐らく、この絵に描かれた景色を知っております。ねえ、(ごう)?」

「はい」

 彼女の後ろにいた男はそう言い、しっかりと頷く。

「あの場所は、この国に住んでいる方々もあまり知らぬ場所のようなのです。しかし、この町をずっと進み、そのまま道なき道を行けば辿り着くことができます。以前わたくしがいただいた図をお貸しいたしましょう」

 女性はそう言ってにっこりと笑み、袖から一枚の紙を取り出して僕に差し出す。

「しかしかぐや様、それは美琴殿からいただいたものでは?」

「困った方にお貸しするのなら、美琴様も分かって下さるでしょう。どうぞ殿方様。こちらの通りに行けば必ずや辿り着けます」

 そう言って、かぐやと呼ばれた女性は僕に紙を持った手を伸ばす。僕は礼を言い、それを受け取った。

「あなた様の探しているものが、見つかれば良いのですが」

「ありがとうございます。きっと見つけます」

 僕はもう一度頭を下げ、そして二人から離れた。

「ねえ兄ちゃん、あの女の人綺麗だったね。美琴様って言ってたところを見るにあの美琴様の知り合いなのかな」

 山坐が僕に言う。確かに美しい姿をした人だった。かぐやと呼ばれていたが、子供の頃に良く聞いた「かぐや姫」も、あんな姿をしていたのかもしれない。

「この地図の通りに行けば、この絵に描かれた桜があるかもしれないんだ。本当に親切にしてくれたよ」

「でももう夜だぜ。兄ちゃんの目だと遠出するのは危なくないか?今日は諦めて、町を歩こうよ。母ちゃんも兄ちゃんと一緒ならいいって言ってたんだ」

 山坐は目を輝かせて言う。妖怪の町は夜になると活気を増すと言う。僕もそれは一度見てみたかった。

 すっかり陽が大地の向こうに落ち、夜の帳が下りた頃、ぽつぽつと町中に明りが灯り始めた。しかしそれは電気を使った街灯のようなものではなく、宙に浮かぶ火の玉。青や赤のそれらは僕の頭上を舞い、その中の一部は道の両側に設置された灯篭へと入って行く。

 それを合図にか、町にも妖怪たちの影は増えて行く。ほとんどは人の姿をしたものたちだったが、尾が生えていたり、動物のものと思われる耳を生やしていたり、目が多かったり少なかったり、実に多様なものたちが同じ道を歩き、店を覗いていた。

 昼間からずっといたにも関わらず、僕は一気に異世界に迷い込んでしまったように思った。雰囲気が昼と夜では全く違う。いきなり賑やかな縁日の中に入り込んでしまったような、そんな感覚だった。

「行こう!色々見たいものがあるんだ!」

 山坐は僕の手を引き、僕はそれに従った。

 熱に浮かされたような気分で様々な店を回り、そして色々な妖怪と交流した。途中茶店で甘味を食べたり、人の世界では見たことのない絵描きの道具を買ったりしながら、やがて夜は更けて行った。

 朝日が昇り始める少し前、妖怪たちの姿は次第に消えて行った。閉まる店も多くなり、それこそ祭りの後のように空気は静寂に包まれる。

 そんな中、山坐は髪飾りを売っている店の前で何やら選んでいた。

「なんかさ、イコに買ってきてって頼まれて」

 山坐は照れ臭そうに言う。それでも真剣な眼差しで髪飾りを選んでいる。きっと彼女に似合うものを探しているのだろう。

「決めた!」

 山坐はそう宣言し、桜色の(かんざし)を手に取った。子供が買えるぐらいだからそれほど高いものではないが、それでもイコに良く似合いそうだと思った。

「で、兄ちゃんどうする?昨日寝てないだろ?一回家に帰る?」

 山坐が尋ねるが、僕は首を横に振った。

「いや、この絵に描かれた桜のところに行ってみるよ。早く見てみたいんだ。お母さんが心配するだろうから、君は一度帰った方が良い。昼間なら僕一人でも大丈夫だから」

 僕が言うと、山坐は少しの間考えてから頷いた。母のこともあるが、買った簪をイコに早く見せたかったのかもしれない。

 僕たちは御中町で別れ、それぞれ歩き始めた。




 地図の通りにしばらく行くと、川があった。そこにひとつ小さな太鼓橋が掛かっている。これを渡ればもうすぐのようだった。

 川の上を過ぎ、十分ほど歩くと、遠くに小さな丘が見えた。そしてその上にひとつだけある大きな桜も。僕はあの絵と見比べる。間違いない。あれがこの絵に描かれた景色だった。




 丘を登り、僕はこの絵と同じ景色が見える場所を探し、そこで立ち止った。春の訪れとともに咲いた花々は、既にその花びらを散らし始めているようだった。この絵の中と同じように。

 僕はしばらく目の前の桜を見つめていた。作者はこの絵を描いた時、何を思っていたのだろうと考えながら。そして、僕の過去を思い出しながら。

 七年前、僕はこんな大きな山桜が散る中で、幼馴染であり、もう死んでしまっていた里奈の魂と最後の別れを経験した。桜花が散る中で、里奈の魂は夕空へと消えて行った。微笑みだけを残して。

 その最後に僕を里奈に会わせてくれたのが、死神を名乗る少女だった。彼女もまた、こんな桜の下で僕の前から姿を消した。

 こんな見事な山桜を見ると、どうしてもあの時を思い出してしまう。

 そんな時が幾許ほど過ぎたろう。僕を再び動かしたのは、あるひとつの声だった。

「綺麗な桜でしょう?」

 透き通るような、それでいて凛としたその声には、聞き覚えがあった。七年前、僕に里奈と最後に会わせてくれた人物。

 僕が振り返ると、そこにあの死神の少女が立っていた。

「お久しぶりですね。穂村正志さん」




「君は、この場所の住人だったのか」

「ええ。ここは現世(うつしよ)ではあるけれど、人の世ではない。不思議な世界でしょう?」

 彼女の問いに、僕は頷いて答えた。

「それで僕は、どうしてこの世界にやって来たのだろう」

「それは、あなたの持つその絵が知っています」

 少女は言い、僕の持った絵に触れた。そして瞳を閉じる。

「穂村さん、ここでひとつ、昔話をしましょうか」

 少女は目を開き、僕に言った。

「ずっと昔、あなたと同じようにこの異界に迷い込んでしまったある人間のお話を」




 それは今から何十年も前のこと、ある画家の男性がおりました。彼は絵を描くことが何よりも好きでしたが、ある日一人の女性と恋に落ちました。

 その女性もまた男性を愛しておりました。二人は数年の間幸せに過ごしました。しかし、それに終わりがやって来る出来事がありました。

 女性の体は病に蝕まれていました。それはもう助からない程に重い病でした。彼女は男性には何も言わず、その前から姿を消しました。

 男性は嘆き、そして悲しみました。どうしていなくなってしまったのか彼には分かりませんでした。そして彼は絵を描くこともせず、あの女性を探し始めました。

 その頃、女性は自分の故郷へと帰っていました。その地の名は黄泉国。彼女は人間ではなく、妖怪だったのです。それ故男性に話すこともできず、一人その命が燃え尽きるのを待つつもりでした。男性との思い出を心にしまって。

 それでも、男性は女性を探し続けていました。そしてその執念は、彼を異界へと導きました。もしかすれば、女性ももう一度その男性に会いたいと強く思っていたからかもしれません。

 男性は異界において、女性と再び会うことができました。そして、そこで女性が妖怪であること、重い病に侵されていることを知りました。

 その病はどんな治療法を持っても治せぬものでした。だから最後に女性は男性に自らの絵を描いてもらうことを望み、そして男性もまた彼女の姿を最後に残すことを望みました。

 季節は春でした。二人はあの丘に毎日のように通い、そして男性は桜とその下に佇む女性を描きました。しかし病魔の侵攻は早く、やがて女性は亡くなりました。男性と、未だ完成せぬ絵画を残して。

 それ後の男性の行方は誰も知りません。絵を持ったまま黄泉国から消えてしまったから。そしてそれから、何十年もの時が過ぎました。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ