三 あなたの体
篤の腕を掴んでいた未央が悲鳴を上げた。それを聞き、マネキンたちが一斉に彼らの方を見る。焼け焦げた顔に辛うじて残る黒い二つの目。表情のないマネキンたちは、声ひとつ上げず二人の方に向かってエスカレーターを上がって来た。
篤と未央は再び逃げ出した。あんな化け物たちがいるところへ行く勇気はなかった。その間にも煙はどんどん五階に充満して行く。逃げ場のなくなった二人は、次の階へと上がるしかない。
「なんなのよ……!」
しゃくりを上げて言う未央の頭を篤は撫でてやる。どうすればこのデパートから逃げられるだろう。上へ上へと逃げたところでいずれは進む道がなくなってしまう。
「非常階段ぐらいあるはずだよな」
篤は言って、立ち上がった。六階もまた明りが辺りを満たしいる。そしてやはりここも時代が今とは違うような景色だった。テレビでたまにしか見られないような、今では年老いた芸能人たちの若い頃の写真が飾られ、カウンターに並べられたレジも見たことが無いようなものばかりだ。それに売り場に並んだ服も今のセンスとは違う。
とにかく篤は店内の案内図を探し、それを見つけた。どうやらここから反対側に非常階段が設置されているようだ。
「ほら、行くぞ」
泣きじゃくる未央を立たせ、走り出す。白煙はもう到るところから漏れ始めている。
途中未央に引っ張られて何度も転びそうになりながらも、何とか非常階段の緑色の表示を見つけ、その扉に手を掛けようとした。だが、そのドアノブは彼が触れる前にあちら側から回された。
焦げ臭い匂いとともに現れる黒い頭。虚ろな眼球が恐怖に染まった篤の顔を映す。
二人は逃げた。逃げて、そして追い詰められた。七階の窓の側に立った時、既に煙はその階を満たそうとしていた。近くにあった椅子を使い、窓ガラスを割る。新鮮な空気を吸い込み、そして咳き込みながら眼下に広がる変わらない世界を見る。
本当なら、今頃あの世界で未央と一緒に歩いていた筈なのに、どうしてこうなってしまったのか。
煙と共にに熱も迫って来る。そしてあのマネキンたちも。未央はずっと泣いている。もうどうしようもなかった。
煙の中からマネキンたちが現れる。篤は椅子を振り上げてそれらに躍りかかった。
椅子を叩きつけると、焦げたマネキンの頭が飛んだ。だが頭部を失ってもマネキンは動きを止めない。その上たくさんのマネキンたちが一斉に群がって来る。その手が触れた場所からは煙が上がり、鋭い痛みが走った。煙は充満し、その向こうに炎の光が見える。
「もういやぁあ!」
未央が叫び、そして割れた窓から身を投げた。篤はそれを絶望的な思いで見た。守ろうとした恋人の姿は、あっさりと、夜の闇へと消えて見えなくなった。
デパートの中とは逆に、涼しい夜風が割れた窓から吹き込んで来る。だがそれはすぐにマネキンの手によって遮られた。熱と煙と絶望の中、彼は意識を手放した
高所から飛び降りた女性の死体と、デパートの中で見つかった男の焼死体。
その衝撃的な事件は人々の興味を引き、心中だった、男が女を突き落としてから焼身自殺を図った、女が男に火を着け、飛び降りた、二人とも殺人犯に襲われて別々の殺され方をしたなど、様々な噂が飛び交っていた。
「何なんだろうな、一体……」
良介は煙草の煙を吐き、呟くように言った。
だが、当然犯人は見つからない。そもそも人間には無理だ。存在していないと思っている相手が犯人なのだから。
良介はデパートを見上げている。美琴の命で調査に来たは良いが、やはり妖気が漂っている。
この場所にはかつて、また別のデパートが建っていた。そして今から三十年以上前、そのデパートは大火に包まれた。
原因は定かではないが、当時きちんとした防火設備が整っていなかったために火は瞬く間に燃え広がり、数十人の死者を出したと聞いている。
その火災があった日付が昨日だったのだ。毎年この日にはデパートをいつもより早い時間に閉店させ、従業員たちを家に帰して決して店には入れないのだと聞いていたが、どうやらあの二人は不法に侵入したらしい。
このデパートでは火災があったのと同じ日になると、夜になれば当時死んだものたちが無念からそこにいるものを同じ目にあわせると言う都市伝説がまことしやかに囁かされていた。だがかつて調査した時にはいくらかの妖気や霊気を感じたものの、少なくとも人を殺せるほどの力は見受けられなかった。
この漂う妖気のせいだろうか。前二つと同じく人形の仕業だと考えるのなら、確かあの火事で焼け焦げた呉服屋のマネキン人形の写真がネット上で恐怖の写真として出回っていたらしい。その恐怖心を霊力として吸い、火事のあったあの場所で妖怪化したという可能性もある。
「こりゃひとつずつ調べて行くしかないな」
良介は一人そう言い、現場を離れる。まずは過去に起きた人形たちの事件を洗い直してみよう。
第四夜 あなたのからだ
その日、雛と弓子は共に放課後の小学校に残っていた。理由はこの学校に伝わるある怪談を調べるためだった。その結果を今度作る学級新聞に載せるのだ。
「確か、二階の端っこの教室だったよね」
雛が言う。その教室は昔、今よりずっと子どもが多かったという時代に使われていたらしいもので、少子化が進んだ現在では使う必要がなくなり、放置されているのだと先生は言っていた。
「夕方の学校ってなんかいいよね~」
廊下の窓枠に切り取られ、規則正しく並ぶオレンジ色の光を見て、雛が言う。見慣れた光景のはずなのに、人のいないその場所はどこか幻想的だ。
しかし数分もあるけば廊下は行き止まりとなり、端の放置された教室へと辿り着く。鍵どころかドアさえも撤去されたその教室の中には教壇と黒板があるだけで、机も椅子もない。電気も切れているため薄暗く、いつも使っている教室とは異質な空気が溜まっている。
二人は恐る恐るといった様子で中に入った。上靴が床を叩く度、乾いた音が響く。
「ええと、確かこの教室に四時四四分まで待っているとお人形を持った幽霊が現れるんだよね」
弓子の言葉に雛が頷いた。もちろん二人ともそんな噂を信じているわけではない。ただ子供らしい興味と、学級新聞の記事のためにやって来ただけだ。
そのはずだったのに、彼女たちは時計に三つの四が並んだ時の空気の変化に背筋を凍らせた。
「え、何?」
雛が不安そうな声を上げる。目には見えない空気は淀み、重くなる。体中を形の持たない何かに圧迫されるような心地がして、二人は泣きそうな表情で顔を見合わせる。その直後だった。
「私のお人形の手足を無くしたのは、あなたたち?」
後ろから声が聞こえた。静かな怒りを漂わせた恐ろしげな女の声。振り返ると、白の帽子、ワンピースという出で立ちの、雛や弓子と同じぐらいの年齢の少女が立っていた。
見た目だけならば可愛らしい少女だった。だが、その瞳は真っ赤に血走り、口元はきつく結ばれている。そして、片手に持った灰色の塊を良く見ると、それは手足と頭のない人形の胴体だった。
雛と弓子は呼吸を忘れたように、ただ震えながらその少女を見ていた。少女は怒りの表情を崩さないまま二人の方へと近付き、雛の方に人形の胴を突き付けた。
「探して。わたしのお人形の体を探して。今日のうちに見つからなかったら、許さない」
その形相に、雛は思わずその妙に柔らかな塊を手に取ってしまった。その瞬間、少女の姿は消えた。
後には先程までの生徒のいない教室が残っているだけ。音ひとつしない空間の中、胴だけの人形が今起きたことを現実だと知らしめる。
弓子が腰を抜かし、床に座り込む。雛は震えの止まらない手に握りしめられた人形の体に視線を向けた。
「どうしよう……これ」
雛は弓子に胴を見せる。手は震え、あまりの恐怖に涙も出ない。弓子も同様に、ただ灰色の物体を見つめている。
「どうしようって……。私じゃどうにもできないよ……」
弓子は不安を一杯に湛えた目で雛を見る。
「とにかく、探さなきゃ……たしか噂だと幽霊の女の子は、昔学校でいじめられて大事にしていた人形をばらばらにされて、学校のどこかに隠されたせいで自殺したって聞いてる……」
雛は頭の中の情報を確認するようにそう言った。それがこの小学校に伝わる怪談。自殺によって怨霊となった少女は、この使われていない教室の生徒だった。そして、四時四四分になるとこの教室に現れ、子どもに人形を押し付けてその失った体を探させるのだと言う。
「それで、見つからなかった場合は……?」
震える声で弓子が尋ねる。
「分からない。聞いたことが無いから。怪談は手足を探せというところで終わってるの」
雛はまるで本当に人間の肌と肉のような感触を持ったその胴体を見つめながら答えた。怪談の結末がどうであろうとも、探せと言われた以上見つけられないことをあの少女が許すとは思えない。少女の憤怒の形相を思い出し、雛は人形を放り出しそうになるのをぐっと堪える。
「探そう。とにかく見つけられないと私たちが危ない」
雛が言うと、弓子は涙を見せつつも頷いた。ちょっとした興味だったのに、本当に幽霊が出るなんて。だが後悔してももう取り返しは付かなかった。
日は既に落ち始めている。二人はまずその教室の中を探し始めた。教壇の中を見て、それからロッカーの中をひとつずつ確認して行く。
気持ちばかり焦るが、小さな人形の一部は中々見つからない。見落としていたらまた探し直さねばならない。手の震えが止まらない。
「あった!!」
弓子の声が聞こえ、雛は振り返る。弓子は足らしきものを持って雛の方に走って来た。
「右足だ」
雛は弓子に渡されたそれを人形の胴体に空いた穴に嵌め、そう呟いた。これで五つのうちひとつが見つかった。
だが、それからいくら探してもその教室の中には他の体のパーツは見つからなかった。二人は教室を出て、そして改めてこの広い校舎の中からあと四つの小さなパーツを見つけなければならないと言う事実に直面し、絶望を覚える。
「とにかく、手分けして探そう」
雛が提案した。弓子は不安な表情を見せつつも頷く。夜の校舎をひとりで歩くのは恐ろしいが、それ以上に人形の全身を見つけられない方が怖い。
焦れども時間の流れが遅くなるわけではない。雛は一階を、弓子は二階をそれぞれ探し始めたが、小さな人形の体など簡単に見つかるはずもなかった。
異形紹介
・大洋デパートのマネキン
今回は少し異形とは異なるが、紹介。第三夜『焼け跡のマネキン』には直接元となった怪談というものはないが、参考にした「大洋デパート火災」の焼け焦げたマネキン人形と火災事故について解説する。写真を見たい方は「大洋デパート マネキン」で検索すれば出て来るはずである。ただし人によっては相当怖い思いをする可能性があるため注意が必要である。
焼け焦げた呉服屋のマネキンたちが並ぶ写真は不気味であり、現在では心霊写真として扱われることもあるが、これは元々心霊やオカルトの類のものではなくただ火事の後にデパートの中に見つかったマネキンたちである。しかし現在では検索してはいけない言葉として「大洋デパート マネキン」が挙げられることがあるほど恐ろしい写真として有名になってしまった。
大洋デパート火災は1973年に起きた火災事故であり、死者計103人を出すと言うこの国の火災事故の中でも最悪のもののひとつとなった。
防災設備の不備、拡張工事によるスプリンクラーの停止や非常階段の通行停止などが重なった状態で火災は発生し、煙や熱に耐えきれず窓から飛び降りた人間もいたという。
こういった実際にあった事故の記録というものは怪談とは別種の怖さがある。そしてあの写真の中のマネキンたちはオカルトではなく、現実の炎に焼かれた実在したマネキンたちなのだということを記しておく。




