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黄泉夜譚 ヨモツヤタン  作者: 朝里 樹
第二七話 人形十夜(前篇)
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二 アケミちゃん

 恐ろしい体験をした。明日大学の友人にこのことを話してやろうなどと考えながら自宅に辿り着き、鍵を開けようとした時、ふと悪い予感がして信也はマンションの廊下から下を見た。そして、恐怖のあまり鍵を下へと落としてしまった。

 見覚えのある白い服を着た女がこちらを見て笑っていた。彼女は落ちた鍵の方へと歩いて行く。冷や汗が体中から噴き出すのを感じて、信也はどうすれば良いか考えた。

 このままでは確実にアケミは確実にこちらにやって来る。どうしてここが分かったのか知らないが、それを調べる余裕などない。そもそも鍵はあのアケミの手の中にある。

 数秒の間考え、信也はすぐ隣の、ここに越して来てすぐに友人となった浅田に助けを求めることにした。

 ドアの前に立ち、必死にインターホンを連打する。

「なんだよこんな夜に」

 ドアが開き、面倒臭そうな顔をした浅田が出て来た。信也にはそれが神にも仏にも等しく見えた。

「いいから!いいから入れてくれ!」

 信也の必死の表情に何かを感じたのか、浅田は黙ったまま信也を部屋に迎え入れた。信也は転がるように玄関に入り込むと、浅田に断ることなく内側から部屋の鍵を掛け、そして靴を放り出すようにして脱いで中に入る。

「どうしたんだよ」

「追われてるんだよ、女の子に……」

 震える声でそう言うと、浅田は笑うことなく怪訝な顔をした。

「ストーカーか?」

「いや、つい一時間ぐらい前に会ったばかりなんだ。アケミちゃんって名前で、可愛い子だったんだけど、でも、なんか中華包丁持っててさ。だから、隙を見て逃げて来たら、このマンションのすぐ下まで追って来てて……」

「そうか……」

 浅田は考えるように顎に手を当てた。その時だった。部屋のインターホンが連続で鳴らされた。

 信也はびくりと体を震わせ、浅田は警戒した表情でドアの方を見る。

「アケミちゃんが来た……」

「お前はそこにいろ。俺が確かめて来る」

 浅田は言って、覗き穴を覗いた。そして信也の方を振り返る。

「多分、お前の言ってたアケミとかいう女だな」

 浅田は言い、机を挟んで信也の向かい側に座った。その間もインターホンの音は止まらず、その上ドアを何かで削るような音まで聞こえて来る。きっとあの包丁でドアをひっ掻いているのだ。

 浅田は冷静さを崩さず、携帯電話から警察に電話を掛けた。落ち着いた声で通話相手に現在の状況を伝える。その間、信也はただ震えて膝を抱えていた。

 やがてパトカーのサイレンが聞こえて来た。ドアの向こうで何かが争うような音と声が聞こえる。警察が来てくれたのだ。信也は安堵と不安を同時に感じながら、音のみの攻防を聞いていた。

 外が静かになってしばらくしてから、再びインターホンが鳴った。ただし、今回は一回だけだった。

「警察です。女は取り押さえました」

「ありがとうございます」

 信也は浅田と警察の会話を聞きながら、茫然としていた。これで、あの不気味な女からは解放されたのだ。

 警察によればアケミは警察官が来てからも抵抗を続け、二人を負傷させたため現行犯で逮捕されたようだった。あの包丁を使ったのかと思うとぞっとしたが、それが自分に向けられなくて良かったと言う気持ちもあった。

 それから一時間ほど警察に話をして、鍵を無くしたことを大家に話し、自分の部屋に入った。数時間ぶりの我が家は、まるで何年か振りに帰って来たかのように思えた。

 息を吐き、テーブルの前に座ろうとした時、異変に気が付いた。僅かにものを動かしたような跡がある。そして、その近くに何か細長い、白い物体があった。

 それを拾い上げ、信也は悲鳴を上げた。それは感触はプラスチックのようだったが、見た目は人間の指そのものだった。それを放り投げ、腰を抜かしたまま後ずさると、背中が何かにぶつかった。

 信也は恐る恐る顔を上へと向ける。そこには、この家の鍵を片手ににやにやと笑いを浮かべるアケミの姿があった。

「私を捨てるなんてひどいね。今度捨てたら、殺すから」

 アケミは言いながら、信也の投げた指を持ち上げた。この女が何を言っているのか分からないが、正気ではないことは分かった。

 アケミはまだあのバッグを持っている。かち、かち、かちという音をさせながら笑顔で信也を見つめている。

 もう手段は選んでいられなかった。信也は熱湯の入ったポットを掴むと、それをアケミに向かって投げつけた。それは見事に彼女の頭部に当たり、アケミは後ろに向かって倒れた。

「いったーい」

 それなりに重量のあるものがぶつかったにも関わらず、あまり痛そうな声は出さずにアケミは上半身を起こした。そして、信也はその顔を見て短い悲鳴を上げた。

 アケミの鼻から上の部分が無かった。その上その頭の中にはある筈の器官は無く、ただ肌色の空洞が覗いており、ばらばらになって散らばった頭の欠片を見れば、まるでプラスチックのような素材でできている。

 信也はひたすらに走り出した。ドアを開け、とにかくアケミから離れる。エレベーターは使えない。密室であの女と二人きりになるのは避けたい。信也は迷わず階段に向かい、幾度も転びそうになりながら駆け降りた。

 人間、命の危機を感じるときには通常の何倍もの身体能力を発揮することがあると聞いたことがある。火事場の馬鹿力というやつだ。それはまさに信也は体験していた。普段運動などしていないのにも関わらず彼は一度も足を止めずに階段を下り切り、そしてマンションから離れるためさらにスピードを上げる。

 だが、後ろを振り返れば頭の半分がなくなった女が追って来ていた。口元だけの顔で笑い声を上げながら、片手の自身の顔の上部を掴み、手と足を統一の取れていない奇怪な動きで振り回して迫って来る。信也は信号さえ確認することなく道路へと飛び出し、奇跡的に渡り切った。その直後だった。

 甲高い音と鈍い音が同時に響いた。思わず振り返ると、急ブレーキを踏んだ自動車と、轢かれて弾き飛ばされるアケミの姿があった。

 アケミは地面に叩き付けられ、ばらばらになった。それは人体とは思えない、体を繋ぎとめていたパーツが外れて飛んでいくような、そんな光景だった。血は見えず、悲鳴も聞こえなかった。

 信也は恐る恐る事故現場に近寄った。自動車を運転していた男も慌てて降りて来る。そして、二人は残された物体を見て唖然とした。

 そこにあるのは等身大の人形の残骸だった。手足や頭が胴から外れたそれはアケミとは似ても似つかない、目も鼻も指もないただのプラスチック製の人形だったが、胴に張り付いた衣服はアケミのものだった。




 それから一週間が過ぎていた。警察の話によればアケミはふと目を離した隙にいなくなっていたようだ。そして、鍵を使ってこの家に侵入したのか。今思い出してもぞっとする出来事だった。

 結局、アケミは何だったのだろう。人形が妖怪か何かになってしまったものが、襲って来たのだろうか。でも彼女は車に轢かれてばらばらになってしまった。これでこの事件は終わったのだ。そう自分に言い聞かせ、床に寝転がる。

 だがその時、彼は見つけてしまった。テーブルの下に放置された、細長く白い物体。それは人間の指のようなもの。

「それが私だって教えたのに」

 からかうような、無邪気な声が聞こえた。信也は声の方に首を回す。そこにあるのは、中華包丁を振り上げるアケミの姿。そして左手には切り取られた人間の首が掴まれている。それは、一週間前信也を助けた浅田の顔だった。

「でもこれからは、信也君はずっとあたしと一緒になるんだよ」

 そう話す異形の女の目には、歓喜が浮かんでいた。




 その日、ひとりの男が行方不明になった。犯人の目星は付けられているもののそれに繋がる手掛かりはほぼなく、捜査は進められているが髪の毛ひとつ見つからないようだ。

 美琴は溜息をつく。この町の誰が襲われるのかなど見当もつかない。その上現場に残る妖気は先日とは別のもの。これでは妖怪としての能力を使っても探すことは難しい。その上相手は複数いるらしい。

 この辺りで見つかった手掛かりと言えば、微かな妖気を帯びた人形の破片だけ。これでは妖気を辿ることはできない。

 良介や朱音にも協力してもらってはいるが、時間が掛かりそうだった。




第三夜 焼け跡のマネキン


 夜、客も従業員もいなくなってしまった暗いデパートを歩く二人の影。ひとりは男で、ひとりは女。ふたりとも二十にも届かない年齢で、それぞれが懐中電灯を持っている。

「やっぱ誰もいないデパートって不気味だね~、(あつし)

 女の方がそう笑いを含んだ声で言った。

「離れるなよ未央(みお)。ここってさ、昔火事が起きたデパートを直したものらしいぜ。幽霊とか出るかもな」

 篤と呼ばれた男は暗闇の中、からかうようにそう言った。普段は明るさと喧騒に満ちているこの場所が、今ではそれが嘘のようにすっかり静まり返っている。その異質で非日常な空間が彼らの気分を盛り上げる。

 閉店時間を過ぎて彼らがここにいる理由は単純だった。閉店間近のこのデパートに入店し、隠れていたのだ。見つかるか見つからないかのスリルを二人で楽しみ、そして奇跡的に見つからずにここにいる。

 彼らは自分たちの運の良さを喜んでいた。だが、彼らは知らなかった。従業員たちはこの日、夜中までこの店に残ってはいけないと言付けられていたことを。そして当然その理由も。

 七階建のデパートの四階から五階へと上がる。エレベーターは当然動いていないので階段を使うことになるが、その暗く狭い空間さえも彼らの気分を高揚させる材料となった。

 だが、階段の出口を抜けた彼らがまず感じたのは光だった。突然の白い発光に二人を片手を目の上に掲げる。

 付く筈のない電灯が次々と明りを灯し、デパートの内部を照らし出す。そして、二人はその光景に絶句した。

 そこにあるのは明らかにいつものデパートではなかった。スポーツ用具や文具、玩具などが置かれたその階にあるのは、どう見ても一昔前のものたちばかり。

 玩具屋には馴染みのないアニメキャラクターや特撮ヒーローが並び、スポーツ用具売り場にはテレビで辛うじて知っているかつての有名スポーツ選手たちの現役時代の写真が飾られている。その写真も今ほど鮮やかな色ではなく、少しくすんだ色をしている。

 昭和フェアでもやっていたのだろうかと思うが、それにしても、並んでいる商品に見覚えがない。

「何これ……」

「分かんねぇ」

 未央が腕にしっかりと掴まっているのを確認し、篤は慎重に歩みを進める。

 明りが点いたにも関わらず人の気配はなかった。ただ、ここだけ時代から取り残されてしまったかのような光景が広がっているだけ。それがますます不気味だった。

「もう帰ろうよぉ」

「あ、ああ、そうだな」

 今にも泣き出しそうな未央の声に同意し、篤がもう一度階段の方に戻ろうと後ろを向いた時、彼らは更なる異変に直面することとなった。

 階段の方から白い煙が昇っている。それに気がついた直後、火災警報器がけたたましい音を鳴らし始めた。

「何なんだよ!」

 苛立ちと不安から声を上げ、篤は未央の腕を引っ張って走り出した。とにかくここからでなければならない。だが、階段に辿り着いた時にはもう昇って来る煙は白から黒に変わっており、とてもその中に突入できる状況ではなかった。

 煙を吸ってしまったことで咳き込みながら、二人は階段から離れる。とにかくこの建物で火事が起きている。早くここから離れなければならない。

 二人は階段を諦め、エスカレーターの方へと急いだ。止まってはいるが階段と同じように降りれば問題ない。幸い遠目に見た限りでは、エスカレーターの部分は煙が充満していなかった。

 全力疾走してエスカレーターまで辿り着き、その上へと足を乗せた時だった。白い煙が漂う階下に、薄らと人影のようなものが見えた。誰かがここにいるのだ。きっと救助に来てくれた人だろう。そう考え、自分たちの居場所を知らせようとして、篤の口は開いたまま固まった。

 煙から現れたそれは、火事場には似つかわしくない和服を着ていた。頭髪はなく、顔は所々真っ黒に焦げており、袖から見える手首はだらりと下に向かって曲がっている。それと似たような服装、容姿をしたものが何人も四階で動き回っていた。

 そう、それは人間ではなく、人形だった。



異形紹介

・アケミちゃん

 2ちゃんねるの「死ぬほど洒落にならない怖い話を集めてみない?」スレッドに投稿された怪談の名称であり、その中に出て来る怪異の名前。初出は筆者が確認した限りでは2012年4月7日が最も古いようだった。この先はまだ怪談を未読の方にはネタバレとなってしまうので、先に怪談を読みたいと言う方は「アケミちゃん」で検索して読んでいただきたい。

 外見は黒のセミロングの髪に大人しそうな感じだと語られている。また、怪談の語り手と同じ大学に通っていると話し怪しまれていないところや、語り手が「十代の女の子」と表現していることから見た目は十代後半から二十代前半ほどだったと考えられる。

 時代がばらばらの話題を立て続けに話したり、同じ話を繰り返したり、急に無言になるなど不可解な言動が見られたほか、バッグの中に中華包丁を二本所持していたらしい。また、「カチ……カチ……」とプラスチックがぶつかり合うような音を出すと言う特徴がみられる。

 怪談の語り手はアケミから逃げ出し、友人の家まで逃げ込むものの、彼を追ってその家まで現れると言う執着ぶりを見せ、その後警察に追われたものの逃亡したようだ。

 それから一月以上過ぎた後、アケミは語り手の前に再び現れる。夜の公園にあの中華包丁が入っているであろう大きなバッグを持って。

 アケミは語り手のジーンズの中に「私」がいると話すが、それは細長い人の指のようなものであり、人間のものではなくマネキンのような感触だったと語られている。

 その後首もとの髪をかき上げた下に薄らとつなぎ目があり、うなじの真上部分が噛み合っていない状態になっていたこと、顔の上半分が破壊された状態にも関わらず平気で話し続けたことから彼女が人間ではない別の何かであることが判明する。

 語り手は逃亡を図るもアケミは自身の頭半分を掴んで追いかけて来る。そこで語り手はあのマネキンの指のようなものを神社に放り投げ、その直後にアケミが車に轢かれたことで事件は収束に向かう。

 事故現場にはアケミと同じ衣服を着た人形の残骸が転がっていたと言う。

 このようにアケミの正体は人形であり、指のような細長い物体が本体だったのではないかと示唆されているが、明確な答えはこの怪談の中ではだされていない。

 もしかしたらまだアケミちゃんはどこかに存在しているのかもしれない。


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