一 メリーさんの電話
人の姿を象り作られるもの、それは人形と呼ばれる。
古来より人形たちは様々な用途に使われて来た。ただ観賞ために作られるもの、幼子の遊び相手として作られるもの、動物を払うために作られるもの、そして、呪い、身代りのために作られるもの。
それは人の都合のために作られ、使われ、そして捨てられる。心の無いものたちだから、彼らは何も言わない。
しかし、そんな人形の中に心を持ってしまったものがいたら、彼らは人に対し何を思うのだろう。
第二七話「人形十夜(前篇)」
その人形は、感情の無い目で虚ろを見つめている。埃の積もった机の上、彼女は何年もそこでひとり暗闇を見つめていた。
だがその人形は、自分がなぜ生まれたのかを知っていた。だから、それを全うすることにした。
第一夜 メリーさんの電話
その日、目鳥三沙子は一人引越し準備のため、自室の荷物を段ボールに詰めていた。
高校を卒業するまでの十八年間を過ごして来たこの部屋には、服も玩具も思い出も、たくさんのものが詰まっている。ここを去らなければならないのは寂しいが、新しい生活への希望の方が大きい。だから、気持ちを整理するためにもいらないものは捨てていかなければ。
「わぁ、懐かしい」
三沙子は小さい頃に使っていた玩具箱を開け、そう一人呟いた。着せ替え人形やままごと用のプラスチック製の野菜や肉、そして調理用具を手に取る。
ひとつひとつ眺めていると幼いころを思い出す。妹と一緒に遊んだ、電池の切れた携帯ゲームや、転校する友達にもらった綺麗なビー玉。だけど、これらを一人暮らしの住まいに持って行っても使い道はない。そう思い、玩具箱を閉じようとした時、三沙子はある人形に気が付いた。
片方の目がなくなってしまった西洋人形。大きさは三十センチほどで、三頭身ぐらいの少女の姿。
「……メリーさん」
三沙子はその人形を抱き上げ、そう名前を呼んだ。かつて彼女はこの人形にそう名前を付け、可愛がっていた。
長いこと放置していたせいだろう。昔はふわふわとしていた金色の髪はすっかり傷んでしまっており、触るとごわごわとした感触がある。服も所々破け、さらに右手の指が二本欠けている。
メリーさんはかつて三沙子が大好きな人形だった。五歳の誕生日に買ってもらって、それからいつも一緒に遊んでいた。起きているときも眠るときも一緒だった。
だけれどある日階段から落としてしまって、片方の目が欠けてしまったのだ。それは幼心にも不気味で、そしてこれ以上壊したくないという気持ちから三沙子はそれを玩具箱の奥に仕舞い込んだ。それから新しいぬいぐるみを買ってもらって、すっかり忘れていた。
「もういいか」
三沙子は抱いたメリーさんを見てそう言った。修復が不可能なほどの壊れ方ではないだろうが、きっと今日玩具箱を開かなければこれを見つけることもなかっただろう。それなら、またずっとこの玩具箱に入れて置くよりも処分してしまった方が良い。きっとこの人形もその方が幸せだ。
そう考え、三沙子は捨てるものを集めた段ボールの中にかつての友人であった人形を入れた。そして、片目の人形はそのまま他のゴミの中に埋もれて行った。
それから一ヶ月ほどの時間が経った。三沙子は実家を離れ、東京で一人暮らしを始めていた。入学した大学でも新しく友人もでき、サークルにも入って充実した生活を送っていた。
あとは恋人だけかな、などと考えながらベッドの上で携帯電話をいじっていた時のことだ。彼女の目の前で小さな画面の中に見知らぬ番号が並び、着信音が響いた。
「誰だろう……」
業者からだろうか。だが、もし大学で知り合った新しい友人の番号を登録し忘れていたりしたら、今度会った時に気まずい。そう考え、三沙子は通話ボタンに親指を当てる。
「はい、もしもし目鳥です」
「あたしメリーさん。今ゴミ捨て場にいるの」
抑揚のない、機械が発したようなのに、どこか幼さを感じさせる女の声。その電話の相手はそれだけ告げて通話を切ってしまった。
「メリーさん……?」
三沙子は声の途切れた携帯電話を見てそう漏らす。確かに電話の相手はメリーさんと名乗った。自分が一月前に捨てた人形の名前を。
たちの悪い悪戯だろうか。だけど、自分が人形にメリーさんと名付けていたことを知っている人は少ない。家族と、一部の友達だけ。それに誰かに嫌がらせをされる覚えはない。
悩んでいると、再び携帯が鳴った。恐る恐る覗いてみるが、番号は先程とは異なっている。少し安心して電話を耳に当てる。
「もしも」
「あたしメリーさん。今駅の前にいるの」
三沙子の声を遮る形で再びあの声が聞こえた。感情の籠らない、冷たさも熱さも感じない声。三沙子は小さく悲鳴を上げ、携帯電話を放り投げた。
どうしてこんな電話が来るのだろう。地元の友人の誰かが自分の電話番号を他人に教えたのだろうか。そうだとすれば許せない。
友達に電話をしようとも考えたが、携帯電話を触るのが怖かったが、このままではまた掛かって来る。三沙子は携帯電話の電源を切り、それをテーブルの上に置いた。ただベッドの端に蹲り、携帯を見つめる。
誰が悪戯などに付き合ってやるものか。そう考えていた。電源さえ切ってしまえば着信は来ない。
それなのに、三度目の着信音がワンルームに響いた。電話が震動し、折り畳みのテーブルの上を微かに動く。三沙子は小さく叫び声を上げ携帯電話から遠ざかるように壁際を移動した。何があってももう手に取るつもりはなかった。
しかし、触れてさえいないはずの携帯は勝手に通話状態に入り、そしてスピーカーからあの声が響く。
「あたしメリーさん。今あなたのお家の前にいるの」
もう限界だった。三沙子は悲鳴を上げて携帯を掴むと、床に叩き付けた。画面が割れ、電源が消える。あの人形は一月前に捨てたのだ。今頃もう焼却炉の中で灰になっているはずだ。だから、ここに来ることなどあり得ない。
人形が勝手に動き出すという現象を自分で肯定していることにも気付かず、三沙子は玄関に駆け寄った。ドアノブに手を掛け、一度覗き穴を見て何もいないことを確認した。
そして深く息を吐き、一気にドアを開く。だが、そこには何もない。ただ閑散とした渡り廊下があるだけだった。
そうだ。いる筈なんてないんだ。きっと小さい頃あの人形を大事にしていたのに捨ててしまった罪悪感が、余計に不安を煽ったのだろう。体から力が抜けるのを感じながら三沙子は部屋に戻った。震えはまだ止まらないが、それでも少し安堵していた。やっぱり誰かの悪戯だったのだ。
床に座り込み、そして壊してしまった携帯を手に取った。勿体ない事をしてしまった。仕方がない。明日買い替えに行こう。そのついでに警察に寄って悪質な悪戯を受けたと相談しよう。
そう考え、携帯をテーブルの上に置こうとした時、壊れたはずの電話が鳴った。全ての音が消え、ただその着信音だけが部屋の空気を支配するような感覚。
三沙子は青ざめて携帯の画面を見た。だが、割れてしまったそれは何も映さない。
それなのに、三沙子の指の動きには関係なく通話ボタンがひとりでにへこんだ。そして、電話の向こうから聞こえるのと同時に、彼女の背後からあの声がした。
「あたしメリーさん。今あなたのうしろよ」
「ねえ、知ってる?この前の事件」
小学生ほどの少女二人が下校道を歩いている。
「えーなに?」
「女の人が包丁かなんかで刺された殺されたんだって。でも玄関には鍵が掛かってたし、指紋も凶器も見つからないのに、部屋にあったおかしなものは、お人形の青い目玉ひとつぐらいだったんだよ」
「何それこわーい」
「それでね、これは私の友達の友達が聞いたらしいんだけど、その青い目を置いていったのはメリーさんっていうお人形だって噂だよ。電話で自分が今どこにいるのか知らせて来て、最後には後ろにいるって言うんだって。だからこの事件の犯人は人間じゃなくて人形かも!」
「知ってるそれ!メリーさんの電話!怖いよねー。ほんとにいるのかなぁ?」
少女二人は笑いながら話し合っている。それを聞いている一人の異形。
美琴は二人の少女たちから目を離し、その事件があったというアパートを見上げた。彼女たちの噂は正確ではない。ここにあった死体は片手の指を二本切断され、片方の眼球を抉りだされた上にその眼孔に青い人形の眼球を捻じ込まれていたのだ。そして、その失われた体の一部はまだ見つかっていない。
築十年ほどの何の変哲もない三階建ての建物。この建物自体からは特別な妖気も感じられない。
だが、確実に何かが起こっている。この町全体に漂う異様な妖気は今まで感じたことが無い。今回もただの人間による犯罪なのか、それともあの子たちの言う通り人形の異形によって引き起こされた事件なのか。
人形が妖怪と化すことは珍しくない。器物が妖怪化したものは付喪神と呼ばれるが、人形はその名が示す通り人の形に作られるもの。人に似せられたものには霊体が宿り易い。
とにかく調査の必要がありそうだった。恐らくこの妖気が晴れぬ以上、犠牲者は増え続ける。
第二夜 アケミちゃん
その男、堀口信也は夜、ほとんど人のいない電車に乗っていた。大学の友人と遊んだ帰りだった。
特にやることもなく携帯電話をいじっていると、ひとりの乗客が電車に乗り、彼の向かい側に座った。何の気なしにちらりとそちらを見る。
黒のセミロングの髪に、白い服を着た地味で大人しそうだが整った顔をした同い年ぐらいの女性。心臓が少し速いスピードで脈打つのを感じ、思わずじっとその女性を見てしまう。
視線を向けているうちに、その女性が信也の方を見た。目が合ってしまい、慌てて目を逸らそうとした彼に女性はにっこりと笑いかけた。
「なんですかぁ?」
女性は可愛らしい声でそう尋ねる。
「え、ええと」
「私のこと見てたよね?」
その女性はそうくすくすと笑いながら言うと、信也の隣まで歩いて来て、座った。信也は内心かなり喜びながらも、それを表情には出さないように努める。
「あたし、アケミって言うんだ。よろしくね」
「あ、僕は堀口信也と言います」
積極的な人だと思いながら、信也はアケミと名乗った女性に自分の名前を教えた。これは運命の出会いなのではないかと、そんな浮かれた気持ちも少しあった。
それから降りる駅までの十五分ほどの間に色々な話をした。その会話の中でアケミが自分と同じ大学に通っていること、年齢も一緒であることが分かった。
アケミはころころと表情の変わる人だった。最近話題になっている芸能人のことを楽しそうに話し、同い年ということで何年も前の懐かしい話を二人でしたときには驚いたような顔をしたり、また政治や経済のような難しい話も彼女は良く知っていた。きっと大学でちゃんと勉強しているのだろう。さぼってばかりの自分とは大違いだ。
ただひとつ気になったのは、電車が揺れる度に聞こえる「カチ……、カチ……」というプラスチックが軽くぶつかるような音だった。音はアケミの方から聞こえて来たが、彼女の持っている鞄の中に何か入ってるのだろうと思い、気にしなかった。
電車が目的の駅に近付いた時、アケミの携帯電話が鳴った。アケミは信也に一言断り、彼に背を向け、鞄を隠すようにしてそのファスナーを開け始めた。信也はちょっとした興味からその鞄を覗こうとして、そして顔から血の気が引くのを感じた。
錆びついた中華包丁が二本、電車の明りを鈍く反射していた。明らかに十代の女性には似つかわしくない荷物。そして使い込まれたその刃に付着した黒い塊は何なのか。
アケミは電話を始めた。不思議なことに隣に座っているのにその電話からは相手の声が聞こえて来ない。まさかひとりで話しているのか。そのアケミの話も、全く要領を掴めず何を話してるのか内容が分からない。
ここで初めて、信也は自分が関わってはいけないものと関わっているのではないかと思い始めた。かち、かちという音は相変わらず聞こえて来る。先程までは気にならなかったそれも、今は恐怖を助長する材料にしかならなかった。
アケミはちらちらとこちらを見ながら通話をしている。逃げる方法を考えるが、ただここで降りると告げて電車から出るだけでは追ってくる可能性もある。そうなったら走って逃げるしかない。それは最後の選択肢だ。
信也は電車が駅に止まったのを確認した。目的の駅ではないが、ここで降りるしかない。発車直前、ドアが閉まる前に飛び出せば追っては来られないはずだ。
信也は緊張を表情に出さないようにして、ドアの動きを見守った。そして、それが動き出した直後、彼はいきなり席を立って駆け出した。
「ごめん、ここで降りるから!」
電車のドアが閉まり切る直前、体を外に捻じ込むことができた。そのまま電車は走り出した。安堵とともに駅のホームで溜息をつく。
駅員が駆け寄って来て注意を受けたが、それよりもあのアケミから逃れられたという安心感が大きかった。
ここから自宅は遠いが、タクシーを使って帰ろう。そう思いながら駅前のタクシー停留所へ向かった。
異形紹介
・メリーさん
都市伝説のひとつであり、多くは外国の少女の姿をした人形として語られる。
その概要は、少女に捨てられた「メリーさん」という名の人形がその捨てた主に対し何度も電話を掛け、自分の居場所を知らせながら少しずつ近付いて来るというもの。多くは「今あなたのうしろにいるの」という言葉を残し怪談が終わるが、振り返ると殺される、刃物で刺される、全身の血を抜かれる、など具体的な被害が書かれる場合もある。
対処法として家の扉を開けない、鍵を全て閉める、シュークリームを与えるなどの方法が挙げられることもある。
メリーさんの電話番号は「111」とされることがあるが、これは「線路試験受付」に繋がるので掛けてもあまり意味はない。
ちなみにこの人形が電話をしながら近付いて来る怪談は、古いサイトや書籍だとリカちゃん人形の怪談として紹介されていることが多いため、恐らくは「リカちゃん電話」というサービスが元となって怪談が作られ、それがメリーさんの電話となっていたのだと思われる。なぜメリーさんという名前が使われたのかは「メリーさんの羊」や別の都市伝説である「横浜のメリーさん」(実在していた人物)からではないかという説があるものの不明である。しかし「横浜のメリーさん」の場合は一度「メリーさん人形」と呼ばれるタイアップ企画が計画されたものの頓挫したことがあり、その噂が独り歩きして「リカちゃん人形の電話」と結びついた可能性がある。
またメリーさんの場合は人形が電話して来る以外の都市伝説も存在する。同じように電話が掛かって来て次第に近付いて来るが、その相手が捨てられた人形ではなく轢き逃げされた少女であるというパターンがあり、これはメリーさんが人形である怪談よりも古い可能性がある。
また、メリーさんという名の少女が学校でいじめられ、大事にしていた人形の手足を隠されたために自殺した。そして悪霊化したメリーさんは校内に出現するというものもあるが、これは後に詳しく解説したい。
また交通事故で死んだメリーさんという少女が小指を失くし、雨の降る夕方に駅前の横断歩道に現れるという怪談があり、この怪談を聞くと三日以内にメリーさんが現れてメリーさんの小指を探しに行かねばならなくなるという。また小指を探し出すためには正確な手順を踏んで探さねばならず、これには死亡時に失くしたハーモニカを探させる都市伝説「ブキミちゃん」の影響が伺える。この話に出て来るのはメリーさんではなく男の子とされることもある。
また、この夢を見ないためには「ソウシナハノコ」と言えば良いとされ、この「そうしなはのこ」が怪談の名称として使われていることも多い。これは単純な逆さ言葉である。
少しずつ相手に近付きそれを相手に伝えると言う都市伝説は他に「13階段」があるが、松山ひろし氏はこれらの怪談はイギリスの民話「エミリーの赤い手袋」をルーツとしているのではないかという説を書いている。
これは手袋を失くしてしまったエミリーという少女が誰にも言わないことを条件に白い丘に住む老人に手袋を返してもらうが、母に問い詰められてそのことを話してしまい(この部分は「浄連の滝」という日本の妖怪譚に似ている)、最後は何者かに連れ去られると言う話であるが、エミリーが捕まる際に「エミリー、ほぅら、1段のぼったぞ」「エミリー、ほぅら、2段目だ」「エミリー、ほぅら、3段目だ」……「エミリー、いよいよ11段だ」「エミリー、とうとう12段のぼったぞ」「エミリー、いまわしはおまえの部屋の前だ」「エミリー、わしはおまえをつかまえた!」という言葉が掛けられるのである。
この話は確かに「メリーさんの電話」や「13階段」に似ており、断言はできないが影響があった可能性も考えられる。
現在ではメリーさんは都市伝説の中でも大きな地位を獲得しており、様々な創作の中に登場したり、可愛らしいキャラクターとなって親しまれたりしているようだ。




