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黄泉夜譚 ヨモツヤタン  作者: 朝里 樹
第二六話 輝夜物語
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三 かぐやの記憶

 美琴は回想から意識を戻し、溜息を着いた。当事者たちの意見も聞く必要があるだろう。それに今日は彼らを人の世界に連れて行くという約束もしている。

 石段を降り、続く石畳の上を下駄の底が叩き、音が鳴る。やがてかぐやと剛の住む借家に辿り着く。二度ほどその戸を叩くと、剛の方が現れた。

「美琴殿、これからこちらの方から出向こうと考えていたのですが」

「ええ、ちょっと伝えたいことがあったのよ」

 借家に上がると、奥の部屋にいたかぐやが頭を下げた。美琴は剛とかぐやを並んで座らせると、今朝屋敷に届いた文を二人に見せた。

「こんなものが……。すみませぬ。わたくしがこの国を訪れてしまったために」

「気に病む必要はないわ。だけれど、次の望月の夜に天人たちが来ると言うことは知っておいた方が良いからね」

 美琴の言葉にかぐやは頷く。こちらからはあちらに情報を伝達する手段がないため、相手の出方を待つしかない。その前に彼らもできるだけの準備はしていたいだろう。

 かぐやにとっても天人の訪れは重大なことなのだ。かつて地上にいた時にそうだったように。

「あなたたちから見て、天人たちはどんな出方をすると思う?」

「そうですね……。いきなりの武力行使はないとは思いますが……」

 そう答える剛の言葉に自信は感じられない。

「しかし天人という種族は基本的に自分たちと他種族を区別します。姫様は例外ですが、私も下に見られています。よって警戒して損はないでしょう」

「剛の言う通りかも知れませぬ。この文面を見るに、黄泉国の方がわたくしを(かどか)わかしたと考えていてもおかしくはありませぬ。一千年以上の昔とは違って、彼らがわたくしを地上に送った訳ではないからでしょうか……。本当に謝る言葉がありませぬ」

 かぐやが頭を下げる。

「責めるつもりはないわ。こういうのは慣れているし」

 美琴は言って紙を畳む。彼らを責めても仕方がない。

「それよりも、今日は人間界に行くのだから、着替えましょう。その格好ではあちらでは目立ってしまうわ」




 かぐやには自分の、そして剛には良介の洋服を貸し、自身も洋装に着替えて屋敷を出る。

「不思議な着心地ですね」

 かぐやはセーターを下部分を引っ張りつつそう言う。天界においては現代の人間文化にはほぼ触れる機会はなかっただろう。美琴自身日本人の服装が和から洋へと移行し始めた頃にはその着心地に戸惑った覚えがあるため、その感覚は良く分かった

 男性用の服は着たことがないが、恐らく似たようなものだろうと戸惑う剛を見て思う。

「すぐに慣れるわ。それより最初は私から離れないように」

 美琴は言って、屋敷の裏庭に続く境界の門に掌を押し当てる。この向こうは彼らのまだ知らぬ人間界だ。




 境界の門の向こうには、わたくしの知らない世界が広がっておりました。

「これが今の人の世界」

 わたくしは思わずそう声に出してしまいます。山の下に広がる、石のような素材で構成された大きな町。大小様々な建物が立ち並び、見たことのない、たくさんの種類の車が走っている。

「すごい……」

「そう?昔とは違ってしまってがっかりするかもと思ったのだけど」

 美琴様はそう仰いますが、わたくしは首を横に振ります。確かにわたくしがこの地を訪れた千歳の昔とは変わってしまっています。だけれど、その間ほとんど変化というものを見せてくれなかった夜の食国に比べると、こうやって全く別の景色へと姿を変えたこの国が羨ましくもあるのです。

 人は変わらず、この中で生きているのでしょう。わたくしもかつての感覚を思い出すことができるでしょうか。

 美琴様に続いて山道を降りて行きます。こういった道には不慣れですが、剛が手を引いてくれるので心強いです。

 美琴様が道路と呼ぶ固い道を通って行くと、やがて人々の住む町に辿り着きます。人々はわたくしたちが先程着た洋服と呼ばれる服を着て、月の都や黄泉国に比べると何倍もの数の方々が道の両端を歩き、そしてその間を大きく馬や牛に引かれることなく車が走っております。

 書物で多少の知識はあったとは言え、やはり実際に見ると圧倒されます。

「少し歩いてみましょうか」

 美琴様がそう仰って下さいます。木久里町と呼ばれているこの人の町には様々なお店が並び、見たこともないものがたくさん売られているようです。

 美琴様に連れられていくつかのお店を見て回った後、食事を取ることになりました。ファミリーレストランと呼ばれるお店のひとつに入り、背の高い椅子に座ります。

 洋食と呼ばれるものもほとんど食したことがなかったため、どれがどのようなものなのかは分かりませんでしたが、写真というものの付いたお品書きと美琴様の説明によって大方は想像することができました。

 月の宮殿では毎日決まったものしか食べられず、自分で食べるものを選ぶということがなかったため、ひとつひとつ紙に写った料理を見ながら選ぶのは楽しいものです。

 最終的にはわたくしはドリアなるお料理を、剛はハンバーグなるお料理を頼むこととなりました。食べたことのないお料理なので楽しみです。

「どう?人間界は楽しい?」

「はい、とても」

 美琴様の言葉にわたくしは素直な気持ちを答えます。見たことのないものを見て、したことのない体験をする。長い年月を生きていれば生きている程そういったことは楽しいと思えるのではないでしょうか。

「剛は楽しいですか?」

「私は姫様の側にいることができればそれで」

 剛はそう真面目に答えます。勿論その言葉は嬉しいものですが、もっと個人的な楽しみを持ってくれても良いとは思います。

 それからお店の方が運んで来て下さったお料理を皆で食べました。ドリアというものはお米の上に良く伸びる、濃い味のする食べ物が乗っておりましたが、とてもおいしく頂くことができました。

 食事を終えた後はまた木久里町に出て、お店を見て回りました。途中の洋服屋さんに寄って、美琴様がこちらに来た記念と服を何枚か、わたくしと剛にそれぞれ買って下さいました。

 本当にこの方にはお世話になってばかりです。わたくしとしても何か恩を返したいと思うのですが、地上では月の姫という肩書は何も力を持ちません。わたくしひとりだと何の力も持っていないのだと改めて実感し、少し暗い気持ちになります。

 思えば、かつてここにやって来たときもそうだったように思います。いつか天に返ることを言付けられていたわたくしは関わり合った人々と必要以上には親しくなることが許されず、またわたくしでは現れた天人たちの行動を止めることはできませんでした。

 幸福な記憶だけではなく、心の痛む記憶もあったのだと思い出すことができました。それもまた、わたくしにとっては大切な過去の想いです。

 この地にいられる時間はもう長くはありません。それでも、その間にできる限りの思い出を取り戻したいと思います。




 美琴は小さくははしゃぐかぐやと、表情を崩さない剛を一歩下がったところから見つめつつ、周囲に気を配る。

 今の時代では当たり前となったものを彼らは知らない。信号ひとつが危険なものとなる。人間ではないから轢かれたぐらいでは死にはしないだろうが、それはそれで見られると厄介だ。怪我をする可能性も否定できないし。

 かぐやはとある洋服屋の前で店先のディスプレイを眺めている。珍しいのか、何か欲しいものがあるのか分からないが、天界に帰ってしまえばもう見る機会さえなくなってしまうだろうし、土産にも良いだろう。そう考え、美琴は二人を連れてその店に入ることにした。

 中は普通のアパレルショップだったが、かぐやにとってはそれも目新しいものなのだろう。ひとつひとつを手に取っては眺めている。

 一方の剛はそんなかぐやの様子を見ているだけで自らは服を見ることもしない。本当に自分のことには興味がないのか。

「あなたも何か選んだら?」

「いえ、私は特に」

 美琴の言葉にも剛は首を横に振る。美琴は小さく溜息をついた。

「ところで剛、あなたは次の望月の夜には食国に付くの、それともかぐやに付くの?」

 美琴様はマフラーに興味を持ち始めたかぐやを眺めつつ、剛にそう尋ねた。

「どちらに、とは?」

「そもそもかぐやは食国を逃げ出してきた身なのだから、天人たちと相容れない部分があったということでしょう。両者が対立したとして、どちらに付くのかということよ」

「それは……、もちろん私は姫様の護衛ではありますが、夜の食国に仕える身でもある。どちらかを選ばねばならぬとするのなら」

 剛はかぐやを見る。彼女はマフラーをひとつ持ち、何やら考えている。そして月の姫の護り手は、小さく笑って答えた。

「姫様でしょうね。あの方は話そうとはしませんが、私の命はあの方に救われました。元々私たち桂男という種族は月の都においては生まれてはならぬ存在だったのです。そんな私が今こうして姫様の側にいられるのは、あの方のお陰なのです」

 剛は珍しく感情を込めた話し方で言う。だが、その表情はかぐやがこちらに歩いて来た時には既にいつもの引き締まった表情へと戻っていた。

「美琴様、これは首に巻くものなのですね」

「ええ、そうやって寒さから身を守るの」

「面白いです」

 そうにこにこと藤色のマフラーを眺めているかぐやに、それを買ってあげることにする。どうやら気に入ったようだ。

 それから自分で選ぼうとしない剛の服をかぐやに選んでもらい、それらを購入して店を出た。

「美琴様、本日はありがとうございました。本当に楽しかったです」

「いいのよ。昔のことは思い出せた?」

「はい、それにまた幾つも思い出ができました。この感覚は忘れずにいたいです」

 かぐやは胸に手を当てて言う。その首には先程の藤色のマフラーが巻かれている。もうすぐ春になるとは言え、夕闇が近付いて来ればまだまだ気温は低い。

 それにしても、記憶というものから感覚というものだけが排除されたということには、何か理由があるはずだ。美琴は考える。このままでは折角思い出を取り戻したとしても、月の都に戻る際に千年前と同じことを繰り返すことになってしまうだろう。

 それでは意味がない。朧の満月が昇るまで後幾許(いくばく)か。その原因が分かれば良いのだが。



異形紹介

桂男(かつらおとこ)

 日本では和歌山県に伝わる妖怪で、満月でない日に月を見ていると桂男に招かれて命を落とすことになりかねないという伝承がある。また、江戸時代の『絵本百物語 桃山人夜話』には月を背景にして立つ雲のような体をした巨大な桂男の姿が描かれている。

 桂男は元々はインドの説話に登場する妖怪であり、それが中国を経由して日本に伝わって来たという。中国の唐代の『西陽雑俎』には、桂男は元々人間であり、性は呉、名は剛であったが、仙法を学んだ罪で月にある月宮殿という大宮殿で500丈(約1500メートル)もの高さの桂の木を刈っているのだという記述がある。

 また中国においては月には桂の木が生えているという伝承があり、日本においては『万葉集』において既に「黄葉(もみち)する 時になるらし 月人の (かつら)の枝の 色づく見れば」(詠み人しらず)という歌や、「目には見て 手には取らえぬ 月の(うち)の 桂のごとき妹を いかにせむ」(湯原王)という歌が書かれている。

 前者は月光を月の桂の紅葉に、後者は想いの届かない相手を月の桂に例えた歌(ただし桂男には美男を意味する使い方があるため、美しい人という意味が込められている可能性もある)だが、これらからこの時代には既に中国から日本へと月には桂の木があるという伝承が伝わっていたことが分かる。

 また、後者の歌を書いた湯原王は他にも月の歌をいくつか書いており、日本神話の神である月読命を歌った歌もある。

 このように、桂と月とは切り離せない関係にあり、妖怪「桂男」もまた月に関わる異形のものなのである。

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