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黄泉夜譚 ヨモツヤタン  作者: 朝里 樹
第二六話 輝夜物語
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二 月の都の姫君

 わたくしが外へ出ようとすると、(ごう)もまたともに行くと言いました。

「剛、まだ謝っておりませんでしたね。ごめんなさい。わたくしのために月の都を離れることとなってしまって」

「いえ、私の使命は姫様を守護すること。姫様がいない月の都にいても仕方がありませぬ」

「勝手に(みやこ)を抜けだしたことに関しては、怒らないのですか?」

「私は姫様に意見できる立場では無い故」

 空には十六夜の月が浮かんでいます。ずっと昔に昼というものを経験していたとは言え、降り注ぐ日差しはわたくしたちには眩し過ぎます。

 そこで、わたくしは夜を待ってこの黄泉国という地を歩くことにしたのです。美琴様も、夜の方がこの国に住んでおられる(あやかし)の方々が盛んに活動しているのだとおっしゃっていました。

 美琴様のお屋敷から伸びる石の階段は、左右を様々な木々で挟まれていて、緑の良い香りが夜風に乗って漂っております。草木の少ない夜の食国(おすくに)ではあまり感じることができない感覚に心が躍るのです。

「ねえ剛、空を見てください」

 わたくしは月を指し、そう言います。

「あれがこの世界から見る月というものなのですよ」

「あれが、月……」

 剛は不思議そうに夜を見上げます。無理もありません。わたくしたちの住む夜の食国は月に近いが故、月の全体を見ることが叶わぬ世界なのです。

 そう、わたくしは人の世に来て初めて、月がこんなにも美しかったと実感した筈なのです。その気持ちを、もう一度思い出したい。

 石段を下りると、真っ直ぐと道が続いていております。月明りと行燈に照らされるその道は不思議な艶めかしさと清らかさの二つを兼ね備えているようです。

「不思議な光景ですな」

 剛のその言葉に、わたくしも頷きました。石段から続く道の向こうには町が広がっておりますが、石畳と瓦屋根で作られたその空間には、宙に浮かぶ火の魂が舞い、様々な妖の方々が行き交っておられるのが見えます。

「本当に賑やかですね」

 月の宮殿の中でほとんどの時を過ごしていたわたくしにとっては、とても新鮮な光景でした。石畳にひとつ足を踏み入れれば心地よい喧騒が体全体を包みます。

 道の両脇にはお店や住居が並び、種族も様々な方々が互いに言葉を交わしながら歩いていて、わたくしは思わず息を呑みました。

 わたくしがかつて人に拾われ、時を過ごした場所もこのように多くの方々が道を行き、話しておりました。そして、わたくしもその一人として、多くの方々と言葉を交わすことができた。少しずつ、その頃の感覚が体の内側に燻ぶる気がします。

「我々の国とは全く違うのですな」

「そうですよ。国というものはそれぞれ、違った顔を持っているのです」

 そう言ってみますが私自身もそこまで多くの国を知っている訳ではありません。それでも世界には違いが溢れていて、それらが組み合わさって世界が支えられているのだということは知っています。

 わたくしたちは町の中を一通り見て回りました。露店が並ぶ道を抜け、長屋の前を通り、可愛らしく手を繋いで走る妖の子を眺め、食事をしながら語らう方々の声を聞き、やがてわたくしたちは町の外に出ていました。

 短い石段を上り、茶店の前を過ぎたところで私は思わず立ち止りました。

 わたくしの目の前に広がるのは、それはそれは大きな竹林でした。その青々とした世界の中央に、低い石の塀で両側を囲まれたひとつ道が通っています。

 わたくしがその道に入ると、剛もわたくしの後ろを追って来てくれました。

「剛、隣に来てくれませんか?」

「そんな、恐れ多い」

「ここは夜の食国でもありませぬし、周りに見ている方もおりませぬ。ならば隣にいてくれた方が話しやすいでしょう?」

 剛がわたくしより前に出るのは、わたくしを守ろうとする時だけでした。それ以外はずっとわたくしの一歩後ろを歩いているので、話しかけようとすると一々首を回さねばならず、話し難いのです。

「で、では失礼して……」

 剛は遠慮がちにわたくしの横に並びました。わたくしは満足して、歩き始めます。

「わたくしはかつて人の世に転生した時、このような竹の中のひとつから生まれたのですよ」

 星空を覆い尽くすような竹の葉と、高く高く伸びる竹の幹。遥か昔、わたくしは地の上で人として生きるため、このような竹の中に、ひとりの人としての生を受けました。

 そして心優しい人に拾われ、娘として育てられ、最後に別れを告げて人の世を去った。その短くも大切な時を過ごした感覚だけが、欠けてしまった月のようにありませぬ。しかし、月は欠けても満ちるもの。わたくしのどこかに置いて行ってしまった感覚も、いつかは満ちることでしょう。

「姫様は、竹からお生まれになったのですか」

「ええ。桂の木より生まれたあなたと同じですね。わたくしはただ人の世を見に行ったのではなく、罪を犯して人の世で生きることを課せられたのです。だから、天人としての力を失わせる必要があった」

 わたくしは竹林を見上げます。竹と葉の間から月光が漏れるようにして、とても綺麗です。

「姫様が、罪を?」

「ええ、わたくしは罪を犯しました。しかし、それを後悔はしていません」

 わたくしは思い出します。わたくしの罪、それは目の前にいる剛についてのものでした。桂男と呼ばれる彼らの種族は、かつてはわたくしたち天人に忌むべきものとされておりました。

 夜の食国に存在する数少ない草木のひとつとして、桂の木と呼ばれるものがあります。桂男と呼ばれる妖は、その木から生まれる妖でした。

 彼らは生まれながらにして他者の寿命を縮め、時にはその命を奪う力を持っているとされていました。今ではそれが妖力の吸収によるものだと分かっていますが、かつてはそれは不浄、穢れの力だとされ、特にそうしたものを許さない月の都においては、桂男は生まれながらにして殺される対象であったのです。

 だけれど、わたくしは生まれたばかりのあどけない顔をした剛を見つけた時、思わず彼を他の天人から庇いました。ただ生まれてくることが罪なのだと言うことなど認めたくなかったのです。

 そして、わたくしはその小さな命を守る代償として地上に降りることが課せられました。仮にも月の宮殿の姫がそんな妖を庇うこと自体が、他の天人たちにとっては許されざることだったのでです。

 彼ら天人が低俗と蔑む地上の人々の元へと流刑にすることが、彼らにとってはわたくしに対しての最大の罰だったのでしょう。

 わたくしが罪を負ったことで、剛は命を取られることなく、わたくしの側近として育てられることとなりました。そして今では一番の護衛として、わたくしの側にいてくれています。

 もちろん目の前にいる剛は、そんな過去は知りませぬし、わたくしも教えるつもりはありません。真面目過ぎる彼に、きっと悩み苦しむ理由を作ってしまうでしょうから。これは、わたくしの胸の内にあれば良いのです。

「大きくなりましたね、剛」

「突然何を」

「わたくしの元に来た頃は、こんなに小さかったではありませぬか」

 うろたえる剛の姿がおかしくて、わたくしはついからかってしまいます。こうして人の世にまでわたくしを追って来てくれて、今隣にいてくれるのですから、わたくしのしたことは間違いではなかったのでしょう。

 竹林の先には短い洞窟があり、そこを抜けると先程の瓦屋根に石畳の大きな町とは違って、藁ぶき屋根に砂利道で畑が広がった農村に出ました。入り口の看板を見る限り、ここは「産巣村(むすむら)」というところらしいです。

「ここで、この国の方々の生きる糧が作られているのですね」

 わたくしは所々に雪と呼ばれる白く小さな氷を残した田畑を見つめ、そう思わず呟きました。様々な景色を見せてくれるこの地においては、ただ歩くと言うことが新鮮です。

 初めてこのように地の上を歩いた時も、こんな風に世界を見ていたのでしょう。だけどそれを取り戻すまでにはまだまだ時間がかかりそうです。

「姫様、お疲れではありませぬか?」

「大丈夫ですよ。でもこんなに自分の足で歩いたのも久し振り」

 固い石の、柔らかな土の、しなやかな草の、そんな感触が足の裏を通して伝わって来ます。それに比べれば疲れや足の痛みなど気にはなりません。

「そろそろ美琴様のお屋敷に戻りましょうか」

「分かりました」

「ふふ、そんなに気負わずともこの国の方々はわたくしをどうにかしようとはしませぬよ」

「しかし貴女様は月の姫君。どこの誰が姫様を狙っているのか分からないのですよ」

 剛は言います。ですが、わたくしは首を横に振り、それを否定します。

「本当にそうならば、わたくし一人の力で都を出ることも、かつて地上にひとり生み落とされることもなかったでしょう。もう天界と地界とは隔絶された世界であり、互いに干渉することなどほとんどないのです」

 その説明を、剛は肯定も否定もしませんでした。

「だから、わたくしに縛られる必要もないのですよ。それでも側にいてくれるのなら、わたくしは嬉しいですが」

「私は姫様を守るために存在しております。ですから、一握りでも貴女様に危害が及ぶ可能性があるのなら、側にいることを許していただきたい」

 そう真剣な面持ちで言われるとわたくしも喜ばしい想いとともに気恥ずかしさも感じます。でも、悪い気持ちはしませぬ。

 狭い畦道を二人並んで歩く、ただそれだけのことがささやかな幸せを感じさせてくれました。




 かぐやと剛が黄泉国を訪れてから二週間という時間が経とうとしている。その間にも人の世界や異界で事件はあったが、二人は平穏に過ごしているようだ。美琴は屋敷から御中町へと続く石段を降りながら考える。

 彼らは現在、屋敷近くの長屋にある空き部屋で生活している。最近は昼間でも外を出歩くようになったようだ。

 かぐやが地上にやって来たという平安の世は美琴も知っている。あの頃と比べてしまうと地上は全く変わってしまった。

 天界や冥界は古より存在するが、変化の少ない世界だと聞いている。夜の食国も住民はほとんど固定化され、季節の変化どころか気候の変化さえほとんどなく、夜と昼の区別もない世界だったようだ。

 だが、地上の変化は著しい。かぐやの出会ったであろう人間にはもう生きているものはいないのだろうし、彼女が見た景色も残ってはいない。

 人の世界に比べればこの黄泉国は彼女のいた世に近いだろうが、それでもあの時代とは違っている。

 かぐやたちの長屋は石段を下りてすぐのところにある。近くには小町の住む家もあるためか、仲良くしているようだ。

「問題は、これよねぇ」

 美琴は歩きながら右手に持った文を見る。和紙が使われたこの文はつい今朝屋敷に届いたものだ。




 その朝、美琴は縁側に腰かけ、春の近付く庭を眺めていた。早いものは既に蕾をつけ、花を咲かせる日を待っている。

「お茶でもどうです?」

 良介がそう言いながら現れた。両手に持った盆の上には緑茶と大福が乗せられている。

「いただこうかしら」

 そう言って良介からおぼんを受け取った時、空から黒い(からす)が彼らの方に向かって飛んで来るのが見えた。美琴は怪訝な顔をしてその鳥を見る。あの妖には覚えがある。

八咫(やた)(がらす)……」

 三本の足を持ったその大きな烏は美琴のすぐ側まで降りて来ると、右端の足を突き出した。そこには折り畳まれた一枚の和紙がある。

 それを受け取ると、八咫烏はそのまま後ろを向いて飛び去って行った。八咫烏は天界に住む妖であり、境界に関係なく異界の中、また異界から人間界へと移動する能力を持っている。となれば、この文の主は大方の予想が付く。

「天界からですか」

「ええ、夜の食国から」

 美琴は文を開く。そこに書かれているのは予想通りかぐやについての内容。美琴は隣にいる良介のため、その言葉を要約する。

「かぐやがこの黄泉国にいることはあちらも知っている。このまま彼女をこの穢れた地に留めるようなら食国への反逆と見なす。次の望月の夜にかぐやを引き渡すように、ということみたいね。何故私の黄泉国があちらより下に見られているのかしら。不快だわ」

 美琴は言って、文を畳み直す。恐らく次の満月の夜には天人たちがこの国を訪れることだろう。平和的に解決するのならそれに越したことはないが、あちらは黄泉国を自分たちと同等には見ていない。それでこちらに危害を加えようとするのなら、国の領主としてこちらも黙ってはいられない。



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