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あすちるべ  作者: 瑞雨
初恋
9/30

松田の御隠居様(中)


華雲を見た次の日、慶二は華雲のいる菊乃屋に向かった。


だが、行ってもすぐには話せない。初回は顔合わせだけで花魁は一切話さない。二回目も同じである。三回目でようやく話すことが許される。


慶二は何度も何度も華雲のもとへと通った。それから、周りが驚くほど嘘のように今までの女遊びの一切を止めた。



何度も想いを告げてはそのたびにピシャリと跳ね返された。しかし慶ニは足を止めることはなかった。



そして、この日も慶二は華雲の元へと足を運んだ。足を崩し、胸元はだらしなく開けている。華雲の奏でる琵琶の音に夢見心地で酔いしれながら小さな猪口を口に運ぶ。華雲が一曲弾き終えると慶二はへらりとした表情をこれまで見せたことのないような真剣なものへと変え、ゆっくりと口を開いた。


「なぁ、華雲さん。俺ぁ、本気であんたに惚れてしもぅたんやぁ」

「何人のおなごに同じことを……」

「そりゃ、今までは女の子はみんな可愛いて思てたわぁ。それは今でも同じやで。女の子はみーんな可愛いわぁ。でもあんたはちゃうんや。可愛いとかやない。よう分からんけど…あんたを抱きしめたいて思た。あんたが欲しいと思た」

「旦那がいくら、あちきのことを好いてくれても、あちきにはどうにもできんことでござりんすよ。」


華雲は一枚の紙を慶二に見せた。


「あちきのおっかさんからの手紙でありんす」


慶二は華雲がなぜ母からの手紙を出したのか分からなかった。


「あちきのおっかさんは病にかかって床に伏せってるでありんす。あちきは口減らしのためにここに売られたんどす。あちきがここでこうしてる間にもおっかさんの病状は悪くなってるでありんす。あちきは早くおっかさんの所に行きたい……」


それきり口を閉ざした華雲に慶二は考えるように目を閉じる。そして、ゆるりとその目を開くと華雲を見た。


「…年期が明けるまであとどれくらいなん?」

「さぁ……。年期が明けてここをでる人など、ほんの一握りもないでありんす。それに……、」


華雲は寂しそうに笑い、慶二の手を両手でとった。


「あちきは……、初めて旦那と会った時から旦那に惚れてたでありんす。あの日、あの花魁道中の日、旦那が、慶二はんがあちきのことを見てくれはったあの日から……、あちきは慶二はんのことを好いておりました。…あちきは慶二さんと生きたかった……」

「やったら、えぇやん!!俺と一緒にここを出るんや!!」


華雲は俯いたまま静かに首を振った。


「何でや!金ならようさんある!!あんたを身請けすることやって出来るんやで!!?あんたも知ってるやろ?俺は松田や!!金やったらなんぼでもあるねん!」


華雲は微笑を浮かべた。


「無理でありんす…。もう、身請けが決まったでござりんす。島田の旦那のとこに……」

慶二はカッと頭に血が昇り、そして一瞬で、体の中の血がサーッと引いた思いがした。そして俯いたまま素早い動作で立ち上がり、勢いよく出て行った。




菊乃屋を飛び出し暗い表情のまま歩いていると、いつの間にかお松の元へと来ていた。


「あれぇ、慶ちゃんやん。最近寄ってくれへんからうち寂しいわぁ~」

「堪忍なぁ。俺もう女遊びはやめてん」


慶二のこの言葉にお松はニヤリと笑った。


「慶ちゃん、運命の人見つけたんやね。慶ちゃん言うてたもんなぁ。『運命の人見つけたら絶対捕まえたるねん』って」


お松は腕を組み、目をつぶって慶二の真似をした。


「良かったなぁ、慶ちゃん。絶対捕まえなあかんで。んで、うちに見せに来てや。慶ちゃんに愛された幸せもんを」

「お松………」

「慶ちゃん、最近本間に笑うようなったな。毎日楽しそうや。慶ちゃん、うちと居るときも、ほかの子と居るときも心から笑てへんかったやろ?」

「な、んで……」


慶二の泣きそうな表情にお松は眉尻を下げて笑った。


「安心しぃ。他の子は気づいてへん。気づいとんはうちだけや。うち、慶ちゃんには本間の笑顔でおって欲しいんや。うちには出来んかったことや。慶ちゃん、華雲さん、絶対捕まえてきぃや」

「……お松!!知っとったんか!?」


慶二は目を見開き、お松の微笑む顔を、穴が空きそうな勢いで見つめた。


「慶ちゃんが華雲さんのこと好きなんうちにはバレバレや。」


   さ、行ってきぃ。


そう言うとお松はそっと慶二の背中を押した。


「お松……おおきに!!」


慶二はそう言って再び華雲の元へと走り去った。




  慶ちゃん……、うちほんまのほんまに、慶ちゃんのこと、好きやってんで…?


 


お松の呟きは誰の耳に届くこともなく、風にのって消えた。





         ***




菊乃屋に着くと、慶二は華雲の元へと一直線に向かった。勢いよく襖を開けると、慶二が出て行ったまま

の状態で華雲がいた。


「慶二はん……」


華雲の目には涙が溜まっていた。華雲は急いで涙を拭った。そしてきゅっと口元を引き締めるとそっと顔

を背けた。


「慶二はん、何しにきたでありんすか……」


慶二は華雲の問いには答えずに、ずかずかと部屋の中心へと進むと、その手を掴み、自分の元へと引き寄せた。


「あ……、」


倒れそうになる体を慶二はしっかり支えると、離さないようにぎゅっと抱きしめた。


「俺と一緒に来い!!島田の旦那のとこなんか行かんでえぇ!!俺がどうにかしたる!やから俺と一緒になってくれ……!!後生やから………!!」


慶二のだんだんと小さくなる声と、強くなる力に華雲はいよいよ本格的に涙を流した。


「うち、一緒に行ってえぇの?こんなうちでも慶二さんの側におってもえぇの…!!?うち、うち…、ここ出たら何も持ってへん!!お金も、着物も、何一つ持ってへん。丸裸や……!それでもえぇの?」

「それがっ、それが欲しい!!他に何もいらん!!あんたが欲しいんや!!!」


慶二の言葉に華雲は泣き崩れた。慶二の着物を掴み、涙が枯れるまで泣いた。声が嗄れるまで泣き続けた。




どれくらい泣いただろうか。泣き疲れた華雲は眠ってしまった。


「さぁ、これからが一仕事やな。」


華雲をそっと寝かせると、慶二は静かに部屋を出て行った。





目が覚めると誰もいなかった。あれは夢だったのだろうか。しかし、かすかに匂う慶二の香りと、慶二の残した根付けが夢ではないと、華雲をほっとさせた。


だがしかし、


「夢でもいい……。あんな夢、もう二度と見ることはないでありんすなぁ……」







「それで?おじい様と華雲さんはどうなったの?」

「まぁ、そう焦りなや、お小夜」


 





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