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あすちるべ  作者: 瑞雨
日常
26/30

花見1



春、明るい日差し、麗らかな陽気、可愛らしい桃色の桜に……、豪華なお重。



寒い冬が開け、誰もが心を躍らせる春がきた。春眠暁を覚えず、とは言ったもので、ぽかぽかと照るお天道さまの下で、鳥も猫も犬も、体を伸ばして眠る。そんな誰もが浮かれる季節に必ず付いてくる祭事といえば、そう、花見だ。兵助は、寒い寒い冬を花見のことを考えて乗り切ったと言っても過言ではない。祭と喧嘩は江戸の華。兵助は立派な江戸っ子だ。




「はぁ~、幸せだねぇ。ずーっと春みたいに暖かかったらいいんでィ」



猫を膝に縁側で茶を飲む。庭には八分咲きの桜。お天道さんはほっこり暖かくて、風は甘い薫りを運ぶ。


幸せってこういう事だろィ。



兵助はにこにこと胡座をかいて膝上に乗る猫の首を撫でた。猫は気持ちよさそうにゴロゴロと喉を鳴らす。


「兵助!」

「於凛姐さん」


庭から猫じゃらしを引っこ抜き、チロチロと揺らして猫と遊んでいると、於凛が姿を現した。


「あーんた、また年寄りみたいなことして」


腰に手を当ておかしそうに笑う於凛に兵助も嬉しそうに笑みを返した。


「いいんでぃ。俺ァ、こうしてのんびりと縁側で茶ァ飲むのが一番幸せなんでィ。じぃちゃんになってもこうしてんだァ」


穏やかに笑い、うつらうつらと眠そうな兵助を見て、於凛はふふ、と笑うと、兵助の額をピンとはじいた。


「ん~?姐さんなんでィ」


瞼が半分閉じる兵助の目の前にドンと立つ。


「あんた暇だろ?うん、暇だね。どっからどう見ても暇人だ」

「なんでィ。急に。確かに暇だけどさぁ、そんな言い方しなくても……」


兵助は口を尖らせてブツブツと呟いた。


「今から花見するんだ。あんたが来るのをみんな楽しみにしてるよ」


どうだい?来ないのかい?とニヤリと笑う於凛に、兵助は慌てて立ち上がった。眠そうに閉じられていた瞼は今ではパッチリと開き、爛々と輝いている。


「行く!!」


まるで子供のようだ、と於凛は豪快に笑った。


「そう言うと思った。場所は神楽坂丘の染井吉野の下だよ」


兵助はウキウキと部屋へと入った。



本当に、二十五とは思えないよ。



於凛は呆れたように笑い、縁側に腰掛けた。眠たそうに丸まる猫の頭をゆっくりとなでる。


「あっ、姉さーん!!」


奥から兵助がひょっこりと顔を出した。


「待ってくだせぇ。一緒に行きやしょー!!」


大声を出し、慌てて準備をする兵助を見て、子供のころから何ひとつ変わっていないな、と可笑しくな

った。


「慌てなくても桜は逃げないよ。待っててあげるからゆっくり着替えな」


そうは言っても早く花見に行きたい兵助は、ドタバタと一人で大騒ぎしている。於凛は苦笑いをして、猫の体を毛並みに沿って撫で続けた。


「あんたのご主人様は慌てん坊だねぇ」

「にゃぁ~」


まるでそうだと言わんばかりにタイミング良く鳴いた猫に於凛はクツクツと笑う。


「姉さん、早く行きやしょう!」


兵助は見るからにワクワクと心を躍らせ、足踏みした。


「まったく。そんなに急かさなくても桜は逃げないって言ってるじゃぁないか」


呆れたように肩を竦める於凛に兵助は心外だとばかりに大きく息をついた。


「分かってないなぁー、姉さんは」


兵助はチチチと人差し指を立てて揺らした。


「桜は逃げねぇが、見頃と春は逃げちまう。思いたったらすぐに行くってもんだろィ!」


確かに一理ある、と於凛は頷き、早速行こうかと立ち上がった。兵助はすでに玄関へと草履を履きに行った。


於凛は踏みだそうとした足を止め、丸くなる猫へと振り返った。


「あぁ、あんたも行くかい?」


猫は一瞬ちらりと於凛を見たが、すぐに興味なさそうに目を細め、ふい、と顔をそらした。


「ここで寝とくのが一番ってか」


確かに気持ちいいねぇ~。



兵助ではないが、ここでのんびり昼寝をするのも良いかもしれない。そんなことを考えていると、兵助が玄関から外をまわってやってきた。


「姉さん、何してんでィ。置いて行きやすよ!!」


早く早くと急かす兵助に於凛は、はいはいと返事をして歩き出した。



「一回あたしん家よってくれ。料理と団子持って行くから」


料理と聞いて兵助は何かを思い出したかのようにポンと手を打った。


「姉さん先に行ってて下せぇ」


ちょいと忘れ物、と兵助は再び中へと戻った。

兵助に急かされて今出発しようとしたところなのに、待てや行けやと忙しいやつだ、と於凛は眉を上げた。







於凛の家、つまり椿茶屋は兵助の隣にある。於凛の家と兵助の家の玄関は東に位置している。そして椿茶屋の入り口は西側。兵助の家の裏側に椿茶屋があると言ったところか。

於凛が家へと戻るとおはなが料理の入ったお重を抱えて待っていた。


「お姉様、兵助様は来ないの?」


兵助の姿が見あたらずおはなは残念そうに尋ねた。


「いや…、」


於凛が口を開きかけた時、駆け足の音が聞こえた。


「姐さん、待たせたぜィ!」

「兵助様!」


兵助が現れておはなはパァッと顔を明るくさせた。


「よぅ!おはなちゃん」


兵助は右手を上げた。左手は背中に回っている。何かを持っているようだ。


「あんた何持ってんだい」


於凛の問いかけに、兵助はニシシと笑うと、ジャーン、と左手を上げた。


「これなぁーんだ?」


於凛は首を傾げそれを見た。


「酒…?」


於凛の言葉に兵助は得意げな顔をして指を振った。


「チッチッチ、ただの酒じゃぁねんだな、これが。な、なんと~!?」

「なんと?」


兵助はニヤリと口を上げ酒を撫でた。



「天下の鬼神様だぜィ!」



於凛は一度きょとんと目を丸くすると声を張り上げた。



「なんだってぇ!!?」




なかなか手に入らないという逸品、鬼神。酒の中では有無を言わさず上物に位置し、これを手にすることなど、何年に一度あるかないか。それが今ここにある。於凛は目を開いた。


「へへん。どうでィ!!」


兵助は誇らしげに酒を掲げた。


「すごい!すごいよ、兵助!」

「そうだろ、そうだろ!?すごいだろィ?」


キャーっとはしゃぐ二人におはなは料理を持ったままぽけっと突っ立ったままだ。


「あんた、これいったいどうしたのさ?」


嬉しさを隠しきれない様子で於凛は鬼神を手にした。


「この間捕まえた盗人が入った屋敷ってのがあの柏木家だったんでィ」

「柏木と言やぁ、あの酒造の柏木家かい!?」


兵助は大きく頷いた。


「家宝を取り返してくれた礼だっつって、こいつをくれたんでィ。姉さんと呑もうと思ってとっておいたんだ」


「でかした!!流石あたしの兵助だ!」


於凛はワシャワシャと兵助の頭を撫で回した。キャッキャッと喜ぶ於凛に兵助はへへ、と顔を緩ませた。


「おねーさまぁ、兵助様ぁ、早く行きましょーよー。みんな待ってるわ」


酒に足をとられてだいぶ時間をくってしまった。おはなの言葉にハッと気づくと、ようやく出発した。




「姐さん、みんなって誰なんでィ?」

「藤治郎さんに、与吉さんに、龍之進さん、それからお小夜ちゃん。きっとお小夜ちゃんが左助さんも連れてくるはずだよ」

「そうかィ。なら早く行きやしょう!」


鼻歌を歌いながらはしゃぐ兵助に於凛とおはなはクスクスと笑った。


「ねぇ、ねぇ。姉さま」


おはなが声を潜めて於凛の袖をクイッと引っ張った。ん?と於凛がおはなの方を向くとおはなは可笑しそうに兵助を見ていた。


「兵助様、子供みたいね」


確かにそうだ、と於凛はフッと笑い、跳ねるように歩く兵助を見た。






神楽坂丘に着くと既に与吉たちが揃っていた。兵助はこちらを向いて笑う与吉たちに手を振りながら小走りで近寄った。於凛とおはなも笑いながらつづいた。



八人入ってもまだまだ余るほどの大きな桜の傘下に入り、バーンと酒を出した。それに反応したのは左助で、目を輝かせて鬼神に近寄った。


「あ、兄貴ィ……っ!!」


感動で震えながら左助は兵助と鬼神に交互に目をやる。兵助はにひひと笑って酒の前にドーンと座っ

た。


「どうでィ」

「うわぁー!!俺感動っす~!」


左助は泣き真似をしながら兵助に抱きついた。


「うわっ、ちょ、おま、」


兵助はぎゅうぎゅうと抱きつく左助を笑いながら引きはがした。


「ほれほれ、あんたたち。じゃれるのもそこそこにして花見を始めるよ」




二段のお重を開くと、所狭しと料理が顔をそろえて整列してあた。握り飯、京人参と牛蒡の煮しめに里芋の煮っ転がし、フキノトウの天ぷら。煮豆に鹿尾菜の白和え。そして、


「うわぁ…!!卵焼きじゃないっすかぁ……っ!!」


左助が感動したようにお重を覗き込んだ。卵など富豪でなければ日頃口にすることなど叶わない。それこそ祝い事や特別な日に奮発して食べるもの。それがいま目の前に出されたとすれば、それはもう、言葉も出ない。


「藤治郎さんがくれたんだよ」


藤治郎からの差し入れと聞き、左助はお重から目を離して藤治郎を見た。




「藤治郎さん……!!あんたただの死にかけた病人じゃぁなかったんすね!!」




ニコニコと笑いながらとんでもないことを口にする左助の頭を兵助がはたいた。


「痛っ!」


目に涙を浮かべ頭を抑えた。恨めしそうにこちらを見る左助に兵助は呆れたように口を開いた。


「馬鹿かおまえは。んなこと言ってるようじゃおまえ、あれだ。食いたくねぇみたいだなぁ」


うんうん、と腕を組み頷く兵助に左助はそんなぁ、と眉を下げた。


「於凛姐さん!!姐さんは俺の味方っすよね!?」

「さぁ?どうだろう?」


意地悪くニヤリと笑う於凛に左助はがっくりと肩を下げていじけ始めた。


「いいよ、いいよぉ。俺ってばどうせ……」


うじうじとのの字を書く左助をしばらく真顔を保って見ていた兵助だが、情けない面の左助を見て耐えきれず吹き出した。


「左助君、遠慮しないで食べて下さい」


藤治郎がクスクスと笑うと、たまらずみんな笑い出した。自分が笑われていると知って左助は頬を紅くして口を尖らせた。


「ちぇ。みんなして俺をからかってさ」


左助の拗ねた様子に一段と笑いがはじけた。



「ねぇ。お小夜ちゃん、お小夜ちゃん」



おはなが口元に手をやり声を潜めてお小夜の裾を引っ張った。その目と口は可笑しそうに歪められている。


「なぁに?」

「左助さんって……可愛い人ね」


クスクス笑いながら左助を見るおはなにお小夜はむ、っと眉を寄せた。


「おはなちゃん。左助さんに惚れちゃイヤよ」


お小夜のへの字になった口元を見ておはなはプッと吹き出した。


「やぁだ、お小夜ちゃんたら」


おはなはちらりと与吉を見ると更にお小夜に近づき、耳元に口を寄せた。


「あたしには与吉さんがいるもの。お小夜ちゃんの左助さんをとったりしないわよー」


その言葉にお小夜は自分がおはなに嫉妬していたと知り、顔を真っ赤に染めた。


「お小夜ちゃん。心配しなくても大丈夫さ」


隣に座っていた於凛がニコリと微笑んだ。


「おはなは与吉さんしか見えてないし、それに……、左助もお小夜ちゃんしか見えていないさ」


自分たちの話を聞かれていたことに対しておはなとお小夜は恥ずかしそうに肩をすぼませた。於凛の視線はずっと兵助と左助のじゃれあいに向けられていたのに。今も楽しそうに見つめている。何時の間にか耳はおはなたちに向けられていたようだ。


「やだ、お姉さま聞いてたの?」

「あら、心外。聞いてたんじゃなくて聞こえたのよ」


おはなの真似をして話す於凛におはなは、もう、と膨れた。




「なぁに女だけで盛り上がってんでィ」


左助の首に腕を回した兵助が於凛の横に座った。


「痛てて、兄貴いい加減離して下さいよぉ~」


自分の首に回っている兵助の腕をパンパンと叩き離すように頼んだ。


「おっと、すまねィ。忘れてたぜィ」


パッと手を上に上げると左助はガクンと手を突いて離れた。兵助はどこ吹く風という顔で鼻歌を歌っている。


「絶対嘘だ。忘れてたなんて嘘た。わざとだ」


左助はぶつぶつと文句を言った。


「お小夜ちゃん」


おはなの呼びかけに頷くと、お小夜は左助の近くに座った。


「左助さん」


お小夜がちょいちょいと左助の肩に手をかけると、左助はきらきらと目を潤ませて見上げた。


「お小夜ちゃーん、兄貴が俺をいじめるんでぃ」


ぐすんっと泣き真似をする左助にお小夜はクスクスと笑った。そんなお小夜の様子に左助もあははと可笑しそうに笑った。


「おいおい、左助よぉ。お前さん、んな事言っていいんかい?」


自分の名を出す左助に兵助はニヤリと笑って酒を出した。


「これはいらねーってわけか」


鬼神を抱きかかえる兵助に左助は慌てて正座した。


「すみません、すみません!!兄貴は素晴らしいお方っす!!よっ、男前ーー!!お代官さまー!!」


やけくそに兵助を誉め、必死になる左助を見て兵助は気をよくした。


「頭が高ぇ!!これは天下の鬼神様でィ。もっと俺様を崇め奉りなぁー!!」


あははと高笑いする兵助とへへぇーと頭を下げる左助のお代官さまごっこにみんなが腹を抱えて笑いこけた。



「ねぇ、お姉さま…」

「ん?なんだい?」

「兵助様……もう酔ってらっしゃるの?まだお酒呑んでないのに……」


おはなの言葉に於凛はあはははと目を細めて笑った。


「確かに酔ってるよ。ただし、酒じゃなくて自分に、ね」


於凛抑えきれない笑い声をたてて笑った。


「自分に……。いやーん、そんな兵助様もすてきぃー!!」


おはなの高い声に気づいた兵助はニヤリと笑ってグイとおはなに顔を近づけた。


「おはなちゃんは見る目があるねィ。俺様嬉しいよ」



おはなは溶けそうな表情で頬を緩ませ胸の前で手を組んだ。にこにこと女受けの良い顔で笑う兵助におはなは顔を赤くしてきゃぁきゃぁと黄色い声を上げる。きらきらと目を輝かせながら兵助と見つめ合うおはなに心中穏やかでないのは与吉だ。情けない面で与吉はおはなを見た。



「そんなぁ~。おはなちゃーん」



キャッキャッとはしゃぐおはなに与吉は泣きそうに肩をがっくりと落とした。そんな与吉の様子を見てお小夜はちょいちょいとおはなの肩をつついた。


「おはなちゃん。与吉さん見てみなさいよ」


お小夜に言われ横に顔をやると、泣きそうな顔の与吉と目があった。おはなは慌てて与吉に近寄った


「あ、ち、ちがうのよ!!与吉さん、これはね、あのね」



手を大袈裟に振りながら弁解するおはなと、泣きそうな与吉のやりとりに龍之進はたまらず噴き出した。於凛もそれを見ていたようで、噴き出すタイミングが重なった。龍之進と於凛は顔を見合わせて、また噴き出した。



「おはなちゃん、やりますねぇ。若旦那ったらもう尻に敷かれてますよ」

「そうだろ?」


ニヤリと笑い二人は更に笑い声をたてた。


「おはなちゃん、あんまり若旦那をいじめないで下さいね」

「ち、ちがうの、こ、これは……於凛姉さまぁ~~」


龍之進たつのしんに言われおはなは顔を真っ赤にして於凛に助けを求めた。


「そうだよ、おはな。兵助ばっかり見てちゃぁ与吉さんが可哀想じゃないか」


助けを求めたのに逆に追い込まれおはなは更に眉を下げて肩を落とした。


「お姉さままでぇ~」


ぶぅと頬を膨らませたおはなに於凛たちが笑い、ついには与吉までもが笑い始めた。


「んもぅ!与吉さんまで……!!もう知らないっ!!」

「そんな、おはなちゃ~ん」


先ほどまでと立場が逆転した二人に於凛と龍之進は笑い転げた。


「ほらっ、ぷ、や、っばりおはなちゃん、ぷぷ、強ぇ、やぁ!!」

「あはは、さすが、あたしのっ、おはなだ。あははは!」



与吉がおはなの機嫌をとる間於凛と龍之進は笑い続けた。

久しぶりの更新です。


藤治郎さん、普通にいますが、一応甲斐の国での療養生活から帰ってきてしばらく経ってからの話です。藤治郎さんが帰ってきたという話は、途中までできてたんですが、データがぶっとんだのでまた作りなおします。いつできるかは不明ですが・・・。

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