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あすちるべ  作者: 瑞雨
日常
25/30

雨と夕陽と雨音と


青かった空に浮かぶお天道様が東から南、南から西へと首を傾げる。いつもならほんのりと紫になる遠くの空が、今日は橙色に染まっていた。これぞ夕日だと言えそうなくらい真っ赤で大きくまん丸な太陽が雄々しい姿でこちらを見ている。普段ならいつの間にか姿を消し、何時の間にか現れて白く慎ましく微笑んでいる月を目にするのに、今日は何故か自らを強調するかのようにドンと腰を据えてこちらを見ている。



「不気味なくらい真っ赤だねぇ」


於凛は暖簾を下ろす手を止めて巨大な夕日を見た。橙色の光は於凛の顔までも橙色に染めた。



「だけど、すっごく綺麗だ」



於凛は瞼を伏せてふふ、と笑った。


「お姉さまー?」


湯飲みやら何やらを片付けすっかりと店じまいをしたおはなは、外に出たきりなかなか入ってこない於凛に片付いたことを知らせに外へと顔を覗かせた。


「お姉さま?中、終わりました」


ぴょんと足を踏み出して於凛の前へと出た。於凛はおはなの顔を見て微笑むと、西空を見るように視線を促した。おはなは於凛の見つめる先へと首だけを右に向けた。



「うわぁ~~!!」



おはなの輝く眼に於凛は満足げに口を上げた。そして二人して真っ赤な太陽が少しずつ沈む様子を眺めた。




「於凛姐さん」




背後から声をかけられ振り返ると右手をひらひらと振る兵助がにっこりと笑って立っていた。自分に気づいたことが分かると、上げていた右手を左手とともに胸の前で組んだ。いきなり現れた兵助を於凛は呆れた顔で見つめた。


「兵助、あんた閉店後に来るなら家の方から来なって言ってるじゃないか」



椿茶屋は於凛の家の一角にある。椿茶屋の奥は於凛の家の居間へと続いている。店と家とが兼用なのだ。そのため店の玄関と家の玄関と二つの入り口がある。兵助の家とは隣り合わせで、幼い頃から気心知れた相手同士のためお互い勝手に家に入ってくつろいでいる事も多々ある。於凛が何度も家の玄関から入るように言っているにも関わらず兵助は店の玄関から、しかも閉店後にしれっとやって来る。なぜこちらからやってくるのかは分からないが、何やらこだわりがあるのだろう。兵助が言うとおりに行動することなどもうとっくの昔に諦めている。家の玄関から入ってこいと言うのは、そう決まり文句のようなものだ。なにも本気で怒っているわけではない。


「う~ん。こっちのが好きなんでィ。姉さんとおじさんとおばさんの生きる場所だから」


ニカッと笑う兵助の顔は正面にそびえる夕陽に照らされ真っ赤に染まった。



「それより、今日の夕陽は良いねェ。いつもよりでっけぇ」



地の下に顎が隠れそうになる太陽を見つめニィっと笑った。



「兵助様は真っ赤な夕陽がお好き?」


おはなはニコニコと沈みゆく太陽を見つめる兵助の隣に立った。下から自分を見上げるおはなの頭にぽんと手を乗せて、口を上げた。


「あぁ。大好きでィ。どうしてだと思う?」


う~ん、と顎に人差し指をやりおはなは考える姿を作った。ほんの少しのあと大袈裟にぽんと手を打ち分かったわ、と声を上げた。



「兵助様の好きな色だから!そうでしょう?」


「せーかい!それから?」


「え~っと、きれいだから?」


「それから?」


「え~?まだあるのー?」


うんうんと唸って考えるが分からない。おはなだってこの夕陽を好きだと思うけどどうして好きなのかと聞かれると、きれいからとしか言えない。兵助が夕陽を好きな理由は他にあるというが、おはなには全く検討がつかない。いくら考えても考えが浮かばない。於凛には理由が分かっているらしいが教えてくれない。


おはなはついに降参、と兵助に答えを求めた。兵助は腕を組んだままピンと指をあげ、ほんのり暗くなった空を指差した。


「雨が降るからさ」


「雨?」


おはなの不思議そうな顔に、兵助は優しく笑った。


「そう、雨。こんな夕陽の次の日は雨が振るんでィ」


「そうなの?」


おはなは於凛に問いかけた。於凛は静かに頷くと兵助と同じように空を見上げた。おはなは、本当かしら、と顎を上げて一番星を見つめた。


「だってこんなに晴れてるのに。星だって出てるわ」


絶対に明日は晴れよ、とおはなは首を傾げた。そんなおはなの自分を疑う仕草に兵助は、明日になれば分かるさ、と笑った。



「さ、もう暗いし、続きは中で話そうか」


於凛は二人を家の中へと促した。いつの間にか当たりは薄暗くなりいくつかの星が瞬き始めている。あの大きな太陽は一体どこに姿を隠したのかと思うほど見事に隠れん坊を成功させていた。



居間に行き兵助たちは共に夕駒をとった。



「兵助様は雨がお好きなの?」


「あぁ。大好きさぁ」


兵助の返答におはなはえ~、と口を歪ませた。


「雨なんてちっとも良くないわ。髪はうねるし、ジメジメするし、外に出たら濡れちゃうし汚れちゃうし、他にもたーっくさん嫌なことばかり」


まるで今雨が降っているかのようにおはなは髪を気にしてしわを寄せている。


「雨はさ、天からの恵みって言うだろう?それはただ食物を良く育てるってだけじゃないんだ。少なくとも俺にとってはね」


「兵助様にとっては?」


「雨の日は少し肌寒い部屋に座って外を見るんだ。トントンと葉や木をつたって落ちる雨の音に耳を澄ませる。雨の音は一つじゃない。屋根に落ちる音、葉や花に落ちる音、土に落ちる音、池に落ちる音、傘に落ちる音。それから雨自身の音」


「私には一つにしか聞こえないけどなぁ」


兵助は湯飲みを傾け茶を飲むと必至で雨の音を思い出そうと目をつぶるおはなを見て、ついた手に顎を乗せて優しく笑った。於凛はのんびり茶をすすり二人のやりとりを見つめている。



「雨の日は全部が深く色づく。葉はより深く緑に、花は滴を抱えて、山は白い霧を纏う。水には波紋が生まれ、家も土も空も何もかもが色濃く艶やかになる。騒がしい音は雨にかき消されて静かになる。まるで自分しかいないみたいな感覚になって寂しさを感じる。だけど水は温かい」



「温かい?雨は冷たいわ。すっかり体の温もりを奪ってしまうもの」


「実質的なものでなくて、包まれるようなあたたかさでィ。人の温もりとか、そういう類の、実際に触れて感じられるものでないあたたかさ」


分かるかい?と尋ねられおはなはう~ん、と悩んだ後、あ、と声を上げた。


「於凛姉さんや兵助様といるときに感じるものね!心がほっこりするの」


胸に手を当てはにかむおはなに於凛は本当に嬉しそうにおはなを見つめる。まるで本当の母子のようだ、と兵助は思った。



「雨は嫌なことばかりじゃぁない。楽しいことも面白いこともたくさんあるんでィ」



兵助はとっておきの贈り物を準備した子供のようにニカリと笑った。



「雨の後の夜空はいつもよりも空気が澄んでて星が綺麗に見えるんでさぁ。雨は降る前は輝く夕陽でみんなを赤く染め、降ってる時はいつもと違う景色と雨音の歌を聴かせ、降った後はきれいな星空を見せてくれる。これ以上ないってくらい沢山の贈り物だ」


「そんな事考えたこともなかったわ」


おはなは感心したように息を吐いた。


「兵助は昔から雨が好きでね、雨が降ったら一日中ぼんやり座って飽きずに外を見てたんだ」




兵助が雨の日が好きなのはずっと小さな頃から変わらない。雨が降るとわくわくした。それと同時になぜか切ない気持ちにもなったが、気持ちが高揚するのを止めることはできない。少しの雨も、強い雨も、晴れの日では聴くことのできない音楽を奏でて兵助を楽しませる。


傘の中から雨を見るのもまた楽しい。雨自身は見えないが、傘に落ちる時の雨の不規則な音が兵助を楽しませてくれる。シンと静まり返った世界に雨の音だけが響く。


とても大きな音なのに決して煩わしいとは感じさせない。むしろ逆に静かに感じることに不思議な気持ちを抱く。冷たい空気は肌寒さを覚えるのに、なぜかとても心地良かった。キュッと肌が縮むような感覚がより胸を躍らせる。



ピチョン、トントン、ポツン、タタタ、ザー。


落ちてくる雫は同じものなのに、違う音をたてるのが可笑しくて、音の出どこを探すのに夢中になっているといつの間にか一日が過ぎていた、なんてこともあった。



「今でもそうやってるんだから、まるで子供みたいだと思わないかい?」


於凛は一日を雨を見ることについやす兵助を子供の頃から成長していない、とおはなに可笑しそうに話した。おはなもついクスクスと声をもらしてしまう。


「分かってないなぁ、姐さんは。大人になったからこその楽しみ方なんでィ。一日をこんなにのんびり、優雅に過ごせるんだ。みんなが嫌だ嫌だって顔をしかめる雨を俺はこんなにも楽しんでるんだ。贅沢だろィ?」


そう言って兵助はパチンと片目を瞑った。於凛は兵助らしい言い分だ、と苦笑する。



「兵助様ってやっぱり凄い!あんなに嫌だと思ってた雨が、私今ではとっても楽しみなんですもの!」


おはなは両手を組みパァッと顔を輝かせた。兵助は茶を啜ると、こう言った。


「明日雨が降ったらうちに来なせェ。雨の楽しみ方ってやつを教えてやらぁ。もちろん於凛姐さんも」


於凛は、肩をくすめてハイハイ、と返事した。


「じゃぁ明日は兵助の言う雨の良さをとくと味わせてもらおうかねぇ」


「明日が楽しみね、姉さま!」




雨が降ることを願い、静かな夜が更けていった。


そして、次の日兵助の言うとおり朝から雨が降り、その日からおはなが雨の日を今か今かと待つようになったのは言うまでもない、そんな弥生月のお話。






                          (~雨と夕陽と雨音と~ 完)






雨が大好きなのは私の話。

雨、大好きです。

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