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あすちるべ  作者: 瑞雨
日常
24/30

卯月の椿

おはなちゃんの過去のお話。





麗らかな風がふわりと髪を運ぶ。満開に咲いたソメイヨシノが暖かい風にさらわれて、桃色の甘い薫りを降らすそんな卯月の話。



「行ってきまーす!」


「おはな、ちょっと待ちなさい」


「なぁに?お母さん」


「ほらほら、歪んでる」


歪んだ箱結びを真っ直ぐに正してもらった。


「えへへ」


「もう、お転婆さんなんだから。お父さんの所に着いたらおしとやかにね」


父の所にお弁当を届けるのがおはなの日課だった。

おはなの父は廻船問屋を営み、たった一代で名誉と富を築き上げたなかなかのやり手だった。薬屋の隣の大きな屋敷に妻とおはなの家族三人と、たくさんの侍女や奉公人と暮らしている。庭の椿は如月の頃には真っ赤な大輪を花咲かせた。おはなの父はこの椿をたいそう愛でていた。



「おとーさま!はい、これ」


「あぁ、おはな。ありがとう」


父は優しくおはなの頭を撫でた。おはなは、ふふ、と笑うと父の腕に抱きついた。そんなおはなにはしたないと叱りながらも、強く咎めることはしない。なんだかんだで娘がこうして慕ってくれることが嬉しいのだ。


「政さん、羨ましいっすねぇ」


奉公人の一人が微笑ましそうに父に話しかけた。


「そうでしょう?あたしお父様がだぁいすきなんですもの」


おはなはぎゅぅっと父の腕にしがみつく。


「これこれ」


父は笑みを浮かべておはなの頭にポンと手を乗せた。


これがおはなの日常だった。


優しくて少し厳しい父と、温かくてきれいな母、気のいい奉公人たちに、自分を可愛がってくれる侍女たち。毎日楽しくて、可笑しくて、つまらないときもたまにあるけれど、とても幸せな日々だった。これからもずっと続くはずだった。そう信じて疑わなかった。



みんなで夕飯を食べて、父と母と仲のいい侍女と談話して、そろそろ眠ろうか、と布団を敷く。もう十二にも三にもなるのに父と母の間に寝転んで川の字で夢を見るのが常だった。



この日もいつものように三人並んで眠りについた。明日は煮物の作り方を教えてもらう約束を母とした。父に弁当を作る約束もした。明日が待ち遠しくてなかなか眠れないおはなに母は優しい声で歌を歌ってくれた。するとあんなに眠れなかったのに、母の歌を聞くと不思議とすーっと眠気が襲いおはなは眠りについた。おはなが眠ったのを見ると、父と母は穏やかに笑い、自らも眠りについた。



真っ暗闇に丸々太った満月がぽっかりと浮かぶ。


星はきらきらと瞬き、絵に描いたような夜空だった。不思議なことといえば、不気味なほどに静けさが漂っていたことくらいだろうか。



誰もが寝静まる丑三つ時、その時はきた。


ガタガタと鳴る音でおはなの父は目を覚ました。風でも吹いているのだろうか……

しかし風の吹くような音は聞こえない。


「あなた、どうなさったの?」


おはなの母が目を覚まし、父を見た。


「いや、なんでもない」


気のせいかと父は再び横になった。しかし先程から何故か胸騒ぎを覚える。速まる胸を抑えつつ瞼を閉じてから暫くたったその時、誰かの叫ぶ声が聞こえた。父はハッと起き上がり襖を開けた。すると汗を流し、息カラカラに侍女が走ってきた。


「だ、だんなさま……っ!!」


顔は強張り、声が出ない。


「どうした?」


「や、や…、や、とう、夜盗です!」


「何!?みんな無事か!?」


侍女は青ざめて涙を流した。


「だ、だめです。かたな、刀、持ってて、それで、それで、わたし、なんとか逃げて……っ」


頭を抱えしゃがみこむ侍女に父は優しく手をかけた。


「そうか…、よく逃げてくれた。君はここにいなさい」


父は母に振り返った。


「お静、おはなを起こしなさい」


母は静かに頷き、おはなを起こした。おはなは寝ぼけ眼で父と母、そして侍女を見た。なぜ侍女がいるのか、なぜみんな怖い顔をしているのか。なんとなく聞けなかった。


「おはな、良く聞きなさい。家に夜盗が入った。刀を持っているそうだ」


おはなは、えっ?と口を開けた。

怖い顔の父に、無表情の母、そして肩を震わせすすり泣く侍女。

嘘でしょう?とは聞けない雰囲気だった。


「お前たちは屋根裏に行きなさい。私は少し様子を見てくる」


父の言葉に母と侍女は顔を険しくした。


「だ、だめです!」


「あなた!」


「大丈夫。心配しないで」


優しく笑う父に母も侍女もすがりついた。おはなはいったい何が起きているのか分からずぼーっとするばかりである。



みんな何してんの?夜盗……?なにそれ……。みんな、しんじゃう、の?おとーさん、死んじゃうの……?



「さぁ、行きなさい」


そう言って父は襖を閉めて、いなくなった。三人だけになり、部屋はシンと静まり返った。


「おはな、あなたは屋根裏に隠れなさい。母はここに残ります」


母はおはなに向き直り、静かに呟いた。


「お母さん!?」


慌てるおはなに母はゆっくりと笑った。


「大丈夫。心配しないで。きっと大丈夫だから。お父さん一人残せないでしょう?それに誰かここにいないと怪しまれてしまうわ」


いやいやと顔を降るおはなを母は優しく抱きしめた。


「大丈夫。大丈夫よ。明日は一緒に煮物作るんでしょう?だから、ねっ?」


おはなは涙を流しながら母を見上げた。


「きっと、きっとよ?きっと無事でいてね」


「えぇ。もちろん。お母さん、嘘ついたことある?」


「うぅん、ない」


ぐすっと鼻をすすりながら母から離れた。さ、行きなさいと母はおはなを屋根裏へと向かわせた。


「さぁ、あなたも行きなさい」


「いいえ、いいえ奥様。私も残ります」


目を赤く腫らしながらも侍女は力強く母を見た。揺るぎないその目に母はふぅ、と息を吐いてありがとう、と呟いた。





それからね、あたしは屋根裏にいたから何が起きたか分からないの。

怖くて怖くて、目をぎゅっとつぶって耳も手で押さえて、暗くて埃だらけの部屋で縮こまってたの。

どれくらい経ったか分からないわ。どれくらい長い時間そうしてたのか。

もしかしたらほんの少しだったかもしれない。


気づけば目の前には兵助様がいて、あたしは兵助様に抱き抱えられて下へと降りたわ。

あぁ、終わったのね、って目を開けたら目の前は真っ赤だった。

部屋中が血だらけで、箪笥から畳から何から何までひっくり返されて、自分がどこにいるのかさえ分からなくなるほどだった。


家には誰もいなくって、何にも残っていなかった。廊下も柱もみんな血だらけ。あたし独りぼっちになっちゃった。もうお父さんもお母さんも侍女もみんないないんだって分かった。

頭の中が空っぽで何にも考えられなかった。涙も出なかった。


そんなあたしを兵助様は抱きしめてくれたけれど、あたしは何の感情もなくって、ただ立ったままそこから動かなかった。兵助様は歩けないあたしを抱えて外に連れ出してくれたの。


そしたらね、庭の椿が咲いていたわ。

昨日までは咲いてなかったのにね、真っ赤な椿がたくさん咲いていたの。


おかしいでしょう?

だって椿は冬の花なのに、卯月だったあの日に咲くなんて。


でも、でもね、あたしそれ見てやっと涙が出た。

良かったって。お父さんの大切な椿が無事で良かったって。

血だらけにならなくて良かったなって、ボロボロ泣いたわ。


時期はずれに咲いたあの椿が不気味だなんて思わない。もしかしたらお父さんやお母さんや女中さんたちの命を引き継いだのかもしれないって思ったの。


みんながあたしを守ってくれたから、あたしはいるの。みんなが椿になってあたしを見守ってくれてる、ってそう思ったの。この椿はいつまでもあたしを見ててくれるかもしれない。だからあたしもずっとこの時季はずれの椿を見ていなきゃ駄目だって思った。



でも、結局誰もいなくなった屋敷にあたし一人で住むなんてできなくてあたしは於凛姉さんに引き取られたの。


見ず知らずのあたしをお姉様は何にも言わないで引き取ってくれたわ。あたしがあの日の夜を思い出して眠れない時は黙って手をつないでくれるの。それで、あたしが眠れるまで色んなお話をしてくれたり歌ってくれるの。お姉様の歌はね、お母さんみたいに優しくて温かくて、あたしは安心して眠れるの。


椿茶屋だってあたしのために椿の名を入れてくれて、あのお屋敷のあの椿を庭にも植えてくれた。お父さんの椿はあれから三年、毎年卯月に咲くのよ。


「ねぇ、与吉さん。あたし、今とっても幸せなの」


おはなはにっこりと笑った。


「お父さんもお母さんもいないけど、あたしには姉さまも兵助様も、お小夜ちゃんや左助さん、それに……与吉さん。たっくさんの大切な人がいるから。寂しくないっていったら嘘になるわ。だけどあたしが寂しい時は姉さまも与吉さんもいるから。だから、あたしは大丈夫なの。みんなに出逢えたから、だから、だからあたしは、とっても幸せなのよ?」




ねぇ、お父さん。お弁当作ってあげるって言ったのに叶わなかったね。ごめんね。

ねぇ、お母さん。煮物、一緒に作れなかったね。楽しみにしてたのになぁ。



ねぇ、お父さん、お母さん。あたし大丈夫だよ。

みんながいるから。あたし、幸せよ。



お父さん、お母さん。大好きよ。


ずーっと、ずーっと。だぁいすき。




                                     

(~卯月の椿~ 完)





おはなちゃんの御両親が亡くなったお話は第2話の於凛と兵助の会話の中にあります。その詳細が今回のお話。

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