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あすちるべ  作者: 瑞雨
日常
21/30

慶二の幸せ



ひゅるり、と冷たい風が肌に刺さる。


むき出しの手や顔に容赦なく寒さを与え、慶二は帰路への足を早めた。


『さみぃなぁ、ちくしょー』


赤くなっているであろう鼻をすする。力を入れなければガタガタと震えてしまう顎をしっかりと閉め、ただ家一点を目指して足を素早く動かした。



『あ゛ー!早よう着かんかいな。何でこないな日ぃに限って呼び出されなあかんねん!!しょうもない事で俺を呼ぶな、あほんだれー!!』



ここ三日ほどは休暇を取っていたのに、絶対に自分を呼び出すな、と言っていたのに。

慶二じゃないと処理できない、と泣きつかれてしまい厭々向かうこととなった。



『休みやぁ言うとんのに、ほんましゃぁないやつらばっかりやなぁ!こんなことしとる場合やないちゅーねん!ほんまにぃー!!』



少し気を緩めただけでガタガタと小刻みになる顎を閉じたまま、慶二は悪態をついた。


「チッ」


あまりの腹立たしさに舌打ちが出る。


「くそったれがぁー!!間に合わんかったらどないすんねんーー!!!」


静けさ漂う闇夜に慶二の叫びが響いた。そんな慶二の場違いな大声に犬が反応し慶二に向かって容赦なく吼える。


「おーっと。すまんなぁ!」


しつこく吼える犬に一言謝罪し、慶二は足に力を入れて走った。



きっと今日なのだ。きっと今夜慶二にとって人生の何度かある大切な日の一つになる。


慶二は息も切れ切れにただひたすら家に向かって走った。



「お鈴ーー!!今帰ったでー!!」


玄関に入ると雪駄を脱ぎ捨て部屋に跳び入った。慶二を迎えたのは最愛の妻であるお鈴…ではなく白い割烹着を着けた老婆だった。


「慶二、やや子はまだや」

「ばぁちゃん、ほんまか!!?」


産婆の言葉を聞き、間に合ったかぁー、と声を漏らすも束の間、慶二はバタバタと廊下を走り、勢いよく襖を開けた。


「お鈴!大丈夫か!?」

「慶二はん…お帰り」


お鈴は額に小さな汗をびっしりつけて微笑んだ。


「あぁ、もう!!起きあがらんでえぇさかい!!」


体を起こそうとするお鈴を制すると慶二はお鈴の血の気の失せた青白い手を握った。


「お鈴!頑張るんやで!!俺がついとるからな!!頑張りやぁ!!」

「慶二はん……」


力無く微笑むお鈴に慶二は力一杯笑顔を作った。


「元気な子産むんやで!弱気になったらあかん!!お鈴と子供と俺と、みんなで頑張るんや!!」

「えぇ……そうや、ね。…っ!!…い……っ!!」


慶二の手を握り締め、お鈴は体をそらせた。


「お鈴!!きたんか!!?」


浅く短い息を吐き、痛々しい表情を見せるお鈴に慶二は体を乗り出し、その手を強く握りしめた。


「頑張れっ!!お鈴っ、頑張れ!!」

「ほれほれ、男は出ていきな。こっからは女の仕事や」


産婆に促され、慶二はしぶしぶその場を立った。立ち去る寸前に、慶二はお鈴の額についた髪をそっと横に流し、お鈴の膨れた腹に手を充てた。


「頑張りや。お父ちゃんがついとるさかいな。お母ちゃんは今必死で頑張っとるんや。お前も頑張るんやで」


お鈴のお腹にいる新しい命に話しかけ、最後にお鈴の手を優しく握り、慶二はその場を後にした。


廊下に出ると、慶二はじっとしていることが出来ずに、襖の前を行ったりきたり。ここ一番の苦しい時

にお鈴の側にいることの出来ない自分に苛々し、親指の爪カジカジと噛んだ。



『あぁ!もう…!!まだか、まだ産まれんのか!』



どんなに辛いだろうか。どんなに痛いだろうか。子を産むのは女の特権だ。男が同じように出産できたとしたら、あまりの痛さに失神してしまうと言う。女は強い。だが、かと言ってもやはり出産の痛みは相当なものであろう。お鈴を心配する気持ちと、これから誕生する新しい家族への期待に、慶二の心臓はその速さを増し、今にも口から出てきそうなくらい大きな音をたてていた。



まだか、まだか、まだか。


早く、早く、早く……!!



慶二が廊下の端までついた瞬間、大きな音が慶二の耳をついた。


「…んぎゃーー、おんぎゃ、んぎ、うぎゃーーー!!」


その大きな音が赤ん坊の泣き声だと判断するのにしばしの時間を要した。


「産まれた、んか……?あかん、ぼう、産まれたん、か……?」


しばらく放心していたが、産婆の自分を呼ぶ声でハッと気がついた。慶二は勢いよく駆け出し、滑り込むようにお鈴と赤ん坊の待つ部屋へと駆け込んだ。


「お鈴、お鈴!!」


慶二が部屋へと足を踏み入れると、そこには弱々しく、しかし愛おしそうに我が子を見つめるお鈴がいた。


「元気な女の子や」

「そうかぁ…女の子かぁ。ばぁちゃん、おおきに!!」

「お母ちゃんもよう頑張ったわ」


産婆はお鈴と慶二に笑いかけると、部屋を出た。


「ほんまよう頑張ったなぁ」


そう言うと慶二はお鈴をぎゅっと抱きしめた。


「慶二はん、赤ん坊はこっちや」


赤ん坊ではなく、自分を抱きしめる慶二にお鈴はクスクスと笑った。


「分かっとる。分かっとるで。でも先にお鈴や。お鈴、よう頑張ったなぁ。痛かったやろ?ほんま、…おおきになぁ」


出産の痛みにも耐えぬいたお鈴が、慶二の言葉に初めて涙した。そして、慶二はそっとお鈴を離すと赤ん坊を抱き上げた。


「お前もよう頑張ったなぁ」


その小さな命を抱き締めた途端、慶二はポロポロと大きな涙を落とした。


「ほん、まに…、よう生まれてきてくれたなぁ、おおきにな、おおきに…な…!!」


赤ん坊の頬に自分の頬を擦り付けて慶二は愛おしそうに我が子を抱き締めた。そんな慶二を、お鈴は静かに涙を流して見つめた。




「お鈴、俺な、もう名前考えてんねん」

「ほんま?なんて名前なん?」

「あんな……」









ふわりと優しい風が頬を撫でた。暖かい陽気が家族であろう三人を照らした。


「おとーちゃん、おかーちゃん!!」

「ん?なんや?」

「どないしたん?」

「かよな、これみつけてん」


小さな手のひらに白詰草が一つ。


「かよ、おまっ!これ四つ葉やんけ!!」

「かよ、凄いわぁ!」

「かよ、すごい?すごいん?あんな、あっちにあってん」


両親に褒められ、少女はにっこりと笑うと、小さなの人差し指だけピンと立てて白詰草の生える場所を指した。


「凄い、凄いで!これ見つけたらなぁ、幸せになれるんや!!」

「かよ、しやわせなれる?」

「当たり前や!幸せいっぱい、笑顔いっぱいや!」


父親に頭を撫でられ、少女はきゃー、とその大きな手の上に自分の小さな手を乗せた。


「おとーちゃんも?おかーちゃんも?みんなしやわせ?」


少女の言葉に両親は顔を見合わせてゆっくりと微笑んだ。


「当たり前や」


幸せや。お父ちゃんもお母ちゃんもとうの昔から幸せや。お鈴と出会って、結婚して、かよが産まれた。俺はもう大分前から幸せなんやで?四つ葉を見つけるずーっと前から誰よりも幸せや。お鈴とかよと三人で過ごせることがな、お父ちゃんの一番の宝物や。


なぁ、かよ。早よぅ大きいなりや。お父ちゃんもお母ちゃんも、かよが大きいなるん待っとるんやで。かよはどんな大人になるやろな。どんな男と結婚すんねやろ。お父ちゃんがお母ちゃん見つけたみたいにかよもえぇ人見つけるんやで。



かよ、お父ちゃんとお母ちゃんの子供に生まれてきてくれて、ほんまに、ありがとうなぁ。


慶二とお鈴の子供の誕生話。

名前はかよ。未来のお小夜のお母さん。



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