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あすちるべ  作者: 瑞雨
日常
19/30

兵助の白兎



『はぁー』



吐いた息が白くなってふわふわと冷たい空気の中で揺れた。鼻の頭も頬も耳も赤く染まり、手足はかじかむ。地面も木も石も、周りのすべてが真っ白の中自分だけが赤く、また音を放つのも己のみで、この雪化粧の施された景色の中でただ自分だけが馴染まず異色を放っている。


外気の触れる肌が痛い。


息と共に漏れた声はシン、と静かな庭に響いた。



「冷えるねぇ……」



こうも寒いと何もする気が起こらない。雪が降ったからと言って嬉々として外に出るような歳はとっくの昔に過ぎた。今では背を丸め足早に暖を取りに行くのが正解だ。



『こんな寒い中に外に出るなんざ正気の沙汰じゃぁねぇや』



この兵助、暑さに強いが寒さには滅法弱い。雪なんて降ろうものなら外へは一歩も出ないほどだ。子供の時分は近所の子供が遊びに誘っても頑として炬燵から出なかった。


だが、岡っ引きとなった今はそうも行かない。雪が降ろうと雹が降ろうと事件は起こる。寒いから仕事をしないというわけにはいかないのだ。


しかし今日は幸いかな仕事は休みである。ここ一番の冷え込み日に外に出なくても良いことに兵助は笑顔を浮かべた。


ただ一つ言っておけば、兵助は寒いのは嫌いだが、冬が嫌いなわけではない。


雪がふわふわと降りてくる様子は可愛らしいし、あたり一面真っ白に積もり、植物や建物が白く化粧された様子は綺麗だと思う。だけど、やっぱり寒いのは苦手だ。雪は家の中から見るに限る。



『こんな寒い日は炬燵でのんびりとするのが正しい過ごし方でぃ』


縁側から冷える体を移動し、体を丸めながら炬燵に入ると座布団を枕に寝転がった。つい先ほどまで布団の中にいたが、今ならいくらでも眠れる気がする。



「あ~あ、熊は良いねぇ。俺も冬眠してぇなぁ」


「なぁに莫迦なこと言ってんだい」


独り言に返事が返ってきた。声の主は分かっているので別段驚きはしない。勝手に家に入ってくるのは一人しかいない。兵助は顔を横にしたまま目だけをそろりと開けた。呆れたように笑う於凛が兵助の頭元に立っている。いつもは見下ろす於凛を見上げる事などもう随分とない。なんだか可笑しな感覚に兵助は微かに笑った。


「ほらほら、起きて」


於凛は炬燵を捲った。


「寒ぃ…っ!姐さん閉めておくんなせぇ!!」


於凛の手から炬燵布団を取り上げ自分の体に巻きつけた。


「あんたは昔から雪の日はでんでん虫になるんだ」


目だけを出す兵助に於凛は両の眉を上げて苦笑する。


「どうせ寒いからご飯を作るのが面倒だ、って朝駒も食べてないんだろう?作ってあげるから待ってな」

「さっすが於凛姉さん!」


炬燵の中からくぐもった声を出す兵助に於凛は声を漏らして笑った。



『これが二十五の男かい…。こんな姿町娘たちには見せられないねぇ』



小さい頃から寒いのが苦手だった兵助は於凛が遊びに誘っても外に出ることを頑なに拒んだ。


そこで於凛は外へ一歩も出ようとしない兵助のために小さな雪兎を一つ作った。目は赤い南天の実で、耳は深緑の椿の葉。ふわふわと光る白い兎は今にも跳んでいきそうで、兵助は手をたたいて喜んだ。



『うわぁ!かわいーなぁ、かわいーねぇ』



雪兎を床に起き、自分も同じ目線に寝転がると、兵助は頬を桃色にしてうっとりと雪兎を眺めた。


男の子なのに兵助は可愛いものが大好きだった。

勿論於凛が作ったとなればその雪兎は何倍も何十倍も愛おしいものとなる。


兵助は雪兎を溶けないようにそっと持ち上げて軒先に置いた。それからと言うもの部屋から全く出ようとしなかった兵助が、この可愛らしい雪兎を見るために毎日軒先には出るようになったのだった。


だが、そこから先には行かない。

どんなに於凛が誘っても兵助は軒先から雪兎を眺めてうっとりするだけで、外で元気に駆け回るなんて気は一向に起こらない。子供は風の子なんて言ったものだが兵助ばかりにはあてはまりそうにもなかった。




兵助がいつものように炬燵に埋もれてでんでん虫になっていると、鼻を真っ赤にした於凛が息を切らせてやって来た。


『兵助!!来て!!』

『なぁに、姉さん。私は外へは行かないよ』

『石里橋に兎がたっくさんいるの!!』

『えっ!!?本当!?』

『早く早く!!』



誰が何を言っても外に出ることのなかった兵助が於凛のこの一言で、嘘のように素早く動いた。


なにより兵助が好きなのは兎だった。可愛いものが大好きな兵助にとって、小さくてふわふわした兎はなによりも愛でたくなる。そんな兎がたくさんいると聞いて飛び出さないわけにはいかなかった。雪がなんだ。兎には勝てまい。


兵助はあんなにも頑なに炬燵にかじりついていた体を起こし、於凛も驚くほどお速さで石里橋へと走った。



石里橋に着くと、そこには小さな雪兎が端っこに所狭しときれいに整列して並んでいた。



『うわぁ~』

『本物じゃないけど……』

『すごいや!!すごいや姉さん!!うわぁ~!!!』

『兵助のために雪兎が集まってきたのよ』

『きっと姉さんの雪兎の仲間がお礼を言いに来てくれたんだよ!毎日愛でてくれてありがとうって!!』



何匹もの雪兎がきちんと整列して可愛らしく並ぶ様子に兵助は目を輝かせて喜んだ。そんな兵助の様子に於凛も顔いっぱいに笑顔を貼り付け満足げに笑った。そして、日が暮れた頃二人して鼻の頭と頬を真っ赤にして家に帰ったのだった。







「ねぇ、兵助」

「ん~?何ですかぃ?」

「ご飯食べたら雪兎作ろうか」

「へへ、良いねェ。いっぱい作って石里橋にでも並べに行くかィ?」


兵助の言葉に於凛は目を軽く開いて包丁を動かす手を止めた。

自分が昔のことを回想してたのを見透かしたような兵助の台詞に驚いた。


「あの時は姉さん一人だったけど、今日は二人だからもっとたくさん作れやすぜィ」


にやりと笑う兵助に於凛はほんのりと顔を染めて恥ずかしそうに笑った。


「気づいてたの?あたしが作ったって」


気づかないはずがない。


優しい於凛が自分のためにしてくれたことを気がつかないはずはないのだ。

どんなに寒かっただろうか。手足の先は冷たさで痛くなったに違いない。

それでもきっと於凛は笑みを浮かべながらたくさんの雪兎を作ったのだろう。


「勿論でさぁ。俺が姉さんの雪兎を見間違うわけがねぇ。毎日見てたんだから」


兵助の言葉に於凛は嬉しそうに微笑むと、照れたのを隠すように料理作りを再開した。





きらきらと輝く太陽が真っ白な雪に反射して眩しい。すっかりと辺りは騒がしくなり子供たちのはしゃぐ声が聞こえる。


於凛の奏でる包丁のリズムを聞きながら兵助は心地よく瞳を閉じた。



『あぁ、やっぱり雪の日は家の中でじっとしてるのがいいやぁ』



於凛姉さんも来てくれるし、な。





<兵助の白兎~完~> 


この後、兵助の家の軒先には2匹の雪兎が仲良く隣通しに並びます。

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