お小夜の鈴
左助とお小夜のデートのお話。
日がてっぺんに登る少し前、お小夜は巾着を片手に石里橋に立っていた。桃色の生地に白い桜が舞い散る可愛らしい巾着は着物とお揃いである。そして髪には赤い小花が咲く簪を差している。頭を傾げると揺れる簪はお小夜の可愛らしさを引き立てる。
(この格好、変じゃないかしら…。…やっぱり萌黄の着物にしたらよかった…)
お小夜は一人、橋の上から川に映る自分の姿に眉尻を下げため息をついた。
(左助さん、まだかな…)
今日は左助との逢瀬の日である。前に逢った日から数えて六日。働いていない自分と違って左助は岡っ引きとして日々忙しく走り回っている。毎日会えるものではないのだ。たった六日だけなのに、とても長く感じる。だからこそ今日の逢瀬は楽しみで楽しみで仕方がなかった。自分の格好は変じゃないだろうか、上手く話せるだろうか、と嬉しさと心配事が入り混じり自然とため息が出る。会いたいけど、会いたくない。複雑な思いが交叉する。
「はぁ~」
自然と重くなる表情に視線も下がり、お小夜は自分の足を見つめる。
「お小夜ちゃん!!」
左助だ。お小夜はうなだれていた頭を上げ、左助を見た。
「すまねぇ。待ったかぃ?」
「ううん。今来たところ」
嘘だ。
本当は随分前からここで待っていた。
夜も眠れなくなる程楽しみで、着物をどれにするか一日中考えて、何度も何度も確認して、待ち合わせ時間まで待てなくて半刻も前から待っていた。
「そうですかぃ………。じゃぁ、行きやしょう」
「はい」
左助は、へへ、と笑ってお小夜と並んで歩き出した。走ってきたのか少し顔が火照っている。
「左助さん…走ってきたの…?」
「へへ、兄貴が待たせちゃいけねぇって言ってさっ」
照れているのか頬を掻きながら視線を泳がす左助にお小夜は嬉しくなった。
自分のために走ってきてくれた、その左助の気持ちが嬉しかった。
「ありがとう」
左助は頬を染めたまま嬉しそうににっこりと笑った。その笑顔は兵助や他の人に見せるものではない、お小夜だけに見せる笑顔だ。
きっと兵助が左助のその顔を見たら、毎日からかってくるのだろう。それほど、左助の目は優しくお小夜を見ている。
その目が自分だけに見せていることなどお小夜はまだ知らない。他の女の子が左助を見ているだけで嫉妬してしまう。
左助はただでさえ普段から岡っ引きとしてあの兵助と町中を走り回っていることでみんなから親しまれている。左助は兵助と並べばその容姿が目立つことはないが、左助一人を見ると、これがなかなか整っている。自分と歩く左助を見て、お小夜は知らず知らずのうちに表情が暗くなる。
そんなお小夜とは違い、左助はちらちらとお小夜を見ては何か言いたそうに口を開いている。そして、意を決したように声を出した。
「あぁ~……」
頭を掻き、なかか言葉が出てこない左助にお小夜首を傾げて左助を見上げた。
「あのさ、……それ、……似合ってる」
「…え?あ、あの、うん……。ありがとう……」
斜め上を見ている左助の首が赤く染まっている。たったこの一言がお小夜の表情を一転させた。
(やっぱり、この着物にして良かった。)
嬉しさと恥ずかしさがお小夜の顔を真っ赤に染め、2人して真っ赤な顔で目線を合わすこともないまま歩き続けた。
今日は市がたつ日なので数多くの露店が所狭しと並んでいる。人の数も多く、左助とお小夜は自然と縦並びになった。
「あ……」
左助の姿が見えなくなる。お小夜は焦った。
(どうしよ…あたしがぐずぐずしてるから…。左助さん…っ)
泣きそうになった。久しぶりに会ったのに、ろくに話さないままはぐれてしまうなんて…。
「お小夜ちゃん!!」
俯き立っていると目の前に左助が現れた。
「あ、ご、ごめ「すまねぇ!!」…え?」
肩を落とし謝ろうとしたお小夜の声を遮り左助が頭を下げた。
「さ、左助さん…?」
「すまねぇ!俺が何にも考えずに行っちまって……!!」
息を切らす左助にお小夜は涙が出そうだった。普段町中を走りまわっても平気なくらい鍛えているから、少し走っただけでは息など切れない左助が、ほんの少しの距離をお小夜のために息が切れるくらい走ってきてくれた。
「ごめんなさい。あたしがぐずぐずしてるから…」
「いや、俺が悪かったんでぃ。久しぶりに会えるからって舞い上がっちまって……」
「左助さん、」
自分だけではなかったのだ。
今日が待ち遠しくて待ち遠しくて、会いたくて会いたくて、いざ会えば何も言えなくて…。
左助も同じ気持ちだったのだ。
「さぁ、行きやしょうか」
「はい」
お小夜は笑って返事をした。
「あっ!そうだ、」
急に声を出した左助にお小夜は首を傾げた。
「こっち!!」
自分の手を掴み走り出した左助にお小夜は驚いた。左助が自分の手を掴んでいる。その事がお小夜の頬を桃色に染めた。二人を繋ぐ手を穴があくほど見つめながら走った。
「大丈夫ですかぃ?」
「う、うん」
左助は足を止めてお小夜の手を離した。離れた温もりをお小夜は少し残念に思った。
「ここでさぁ」
「ここ…?」
着いた先は小さな鈴屋だった。
「この間来たときに見つけてさ」
色とりどりの紐についた大小の鈴が店の中いっぱいに溢れ、つり下がった鈴はふわりと風が吹く度に揺れてチリーンと可愛い音を出す。
「可愛い…」
お小夜の呟きに左助は嬉しそうに笑った。そして、桃色と紅色で編んだ紐がついた小さな鈴を手に取り、金を払った。
「はい」
左助はお小夜に買ったばかりの鈴を渡した。
「……?」
「これを見たときに、お小夜ちゃんに似合うと思ったんでさぁ」
お小夜はちりんと小さく鳴る可愛らしい鈴を見つめた。左助は一度渡した鈴をもう一度お小夜の小さな手から取ると、お小夜の持つ桃色の巾着につけた。
「これで大丈夫でさぁ。これならすぐにお小夜ちゃんを見つけられる」
自分のために買ってくれた小さな鈴がとても愛しく思えた。
ありふれた鈴なのに、左助がくれたというだけで特別な鈴になった。にこにこと自分を見つめる左助の気持ちがお小夜の心の中をいっぱいにする。お小夜は鈴を両手でそっと包み込んだ。
「ありがとう……」
震える声で囁いた感謝の言葉は左助を更に笑顔にさせた。
「ありがとう」
もう一度述べた感謝の言葉と同時に見せたお小夜の笑顔は今日一番の笑顔だった。
「さ、行きやしょう」
「うん」
「あ、そうだ。ここ掴んでりゃぁいい」
左助はお小夜の右手を取り、自分の袖を掴ませた。
「そしたらはぐれねぇでさぁ」
「……うん!」
歩く度に小さく鳴る鈴はお小夜の気持ちを表しているようだった。
そして、歩き出した二人の後ろ姿は店の者を微笑ましくさせるようなものだった。
それからと言うもの、左助の横に並ぶお小夜の巾着には小さな鈴がちりんと可愛らしい音を鳴らしながらその小さな体を揺らしているのであった。
〈お小夜の鈴~完~〉