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あすちるべ  作者: 瑞雨
初恋
1/30

与吉の恋

~与吉の恋~



「はぁ~~~」


与吉は深いため息ついた。

与吉は大きな商家の一人息子で、親が遅くにできた待望の一人息子だもんだから、大層かわいにかわいがられて育った。あれよこれよと甘やかすものだから、自分のことすら満足にできない気弱な青年へと育ってしまった。


「はぁ~~」

先ほどよりも深いため息が出た。


もう一刻もこうしてため息をついている。与吉の家は老舗の反物屋である。ここらでは一番の反物屋だから、身分の高いお武家さまも足を運ぶ。だが、なかなか良心的な値段で譲ってくれるともあって町人たちからも贔屓にされていた。与吉はここの一人息子のため、この大きな店を継ぐことは、この世に生を受けたときから決定していた。そのため、こうして店先に出てはお客様の相手をしていた。


しかし、与吉は先ほどからため息ばかりついていた。奉公人からすれば、辛気くさい顔で店先に座られていても困るのだ。はっきり言って「邪魔」の一言である。店の主がこのような顔では客も逃げてしまうではないか。しかし、そんなことはこの口が裂けても言えはしまい。自分は奉公人、与吉は主、である。


「あの~、若旦那?」

奉公人の龍之(たつの)(しん)は思い切って与吉に声をかけた。


「・・・・・・・」


しかし与吉はぼーっとするばかりで気づきはしない。


「若旦那!!」


今度は少し声を張り上げて与吉の肩を揺さぶった。


「・・・ん?・・・あぁ、龍か。何か用かい?」

「何か用かい?じゃありませんよ。どうなされたんです?近頃若旦那おかしいですよ。体調でも悪いんですか?」


龍之進は与吉がここ最近おかしい理由を問うた。


「・・・何でもないさ・・・・。うん。何でもないんだよ」


どうも歯切れの悪い答えに納得いかないが、これ以上問いただしたところでこの主人は答えてはくれないだろう。


そういう人なのだ、与吉は。気が弱くて自分のことすら何一つ満足にできないくせに、一度決めたことは頑としてでもやり通そうとする。いわゆる、そう…頑固なのだ。ただ優柔不断で決断力がないだけで……。


今回だってそうだろう。

この主人は自分には話す気はないのだ。だったらもう問いただすだけ無駄、である。やる気のない主人に店先に顔を出してもらっていては困るのだが、奉公人である龍之進にはそれを主人に告げることはしない。たとえそれが、子供のころから兄弟のように育ってきた与吉と龍之進であろうと、だ。いくら仲がよくても、与吉は主人、自分は奉公人。立場はわきまえているし、公私混同をするようなことはしない。店先にいるということすら忘れているであろう主人が商売人の顔になってくれるのを諦め、龍之進は新しく入荷した反物の仕分けの続きを始めた。



「よぉ、与吉!」

「ちわっす!」


岡っ引きの兵助と左助が店先に現れた。このニ人、暇を見つけては与吉のところにやってくる。今日も一人盗人を捕まえ、役所に差し出してきた帰りに与吉の所へと足を運んだ。


「おう、左助。おまえさん、ちぃーっと先に帰ってておくんなせぇ。俺ぁ、ちょいと与吉に話があるからよぉ。」

「合点承知!……あっ。……兄貴ぃ」

「ん?何でィ?」


思い出したように自分を呼ぶ左助に兵助は返事をした。


「於凛姐さんとこにはおいらが代わりに行っときましょうか?」

「バカやろ!俺も行くに決まってんだろィ!勝手に一人で行ってんじゃねぇぞ!俺も行くからな!」

「へへ、兄貴が来るまでおいらが於凛姐さん独り占めにしときやすぜ!お先!」

「ば、ばかやろー!まちやがれー!」


そう叫ぶころには左助はもう黒い点となっていた。


「はっ!逃げ足は速ぇもんでィ。その速さを仕事で生かせってぇんだ」


そんな2人のやりとりに慣れているのか、龍之進は気にするそぶりを見せずに帳簿をつけている。


「でだ、与吉よぉ。お前さん一体どうしたってんだい?最近めっきり伏せっているそうじゃないかぃ。おっかさんが心配してっぞ?」

「はぁ……」

「なんだい、なんだい。辛気くせぇ面しやがって。一体何があったってんだ?この兵助様に言ってみなせぇ」


この兵助って言う男は、ここらでは知らないものはいないってほどの美男子で、黙っていればどこぞの役者にも負けないってくらいの器量である。なかなか頼りになり、岡っ引きとしての働きも申し分なく、町娘の間では兵助様との渾名でまかり通っている。口の悪さもまた、兵助の男っぷりを上げると町娘は兵助に熱をあげるのだ。


「兵さん……。いや、なんでもないですよ……」

「何でィ!歯切れがわりぃな。悩みがあるんだろぃ?俺様に話してごらんなせぇ」


口は悪いが面倒見がよい兵助は与吉の気の沈みようにただ事ではない、と踏み切った。


「俺様じゃぁ、頼りにならないかィ?」

「いえ、そういう訳じゃないんです!」

「だったら一体どうしたってんだィ。お前さんがそんなだと、おっかさんもおとっちゃんも心配で仕事が

手につかねぇだろィ?ほら、龍之進もお前さんの様子が可笑しいってんで心配してんじゃぁないか」


平然と仕事をしているように見せかけていたが、心配でチラチラと与吉の様子を伺っていることが兵助にバレていたのか、と龍之進は顔に苦笑を浮かべた。先ほどから帳簿付けが進んでいない。やはり、自分も心配なのだ。龍之進は、お願いしますね、と口の形だけをつくった。


兵助もまたおぅ、と声に出さずに右手をあげると、くるっとまた顔を与吉に向けた。


「さ、話してみなせぇ」

「実は……自分でも良く分からないんですよ…」


与吉の言葉に兵助は眉を寄せた。


「はぁ?てめぇのことが分からねえってのかィ」

「そ、そんな呆れたようにいわないで下さいよ」

「呆れるってぇもんだろィ。こんだけ周りに心配かけといて、てめぇのことが分からねえってんだからな」


兵助は龍之進の出した茶を啜った。少し濃いめの熱い茶。今日も兵助の好みの味だ。この兵助、しょっちゅうやってきては与吉の話し相手になるので龍之進も兵助の好みの味をよく心得ている。思わずにんまり、と笑って、兵助はくるり、と与吉へと顔を向けた。


「で、何が原因なんだィ?」

「原因、ですか?」

「おぅ、お前さんがそんな風になっちまった原因くらい自分で分かるだろィ?」


茶を啜りながら目線だけを与吉へと向け、出された羊羹を口に放り込んだ。


「原因、ですか……」

「そうさァ」

「…そうですねぇ……あれは五日ほど前のことなんですがね……」


与吉は思い当たる節があったのか、じわりじわりと兵助に話し始めた。



「で、それからなんだか他の事に手がつかなくって……」



話すところによるとこうだ。五日前、与吉は初めて一人で町を歩いた。いつもは手代が付いてくるものだからあまり遠くまで行ったことがなかった。しかし、その日は手代たちも忙しかったらしく、与吉が一人で出かけても誰も気づかなかった。初めて一人で外を歩くことに新鮮さを覚え、どこに行こうか、と思いをめぐらせた。と言ってもこの与吉、行ったことのあるところはご贔屓さんの店や、ちょっとした薬屋さんのみで他を知らない。いよいよ、行くところが思い当たらない。考えた先に思い出したのが、『於凛姉さん』だ。於凛姉さんは茶屋の女主人で、なかなか色っぽい女性だ。気は強いが、器量のよさとはきはきとした口調で愛されている。そんな於凛をここにいる兵助は気に入っていた。と言っても、男として好き、ではなく、あくまで於凛『姉さん』としてだ。


兵助と左助が与吉のところに来る度に於凛の話をするものだから与吉は行ったことのない於凛の店の場所や、見たことのない於凛の性格などを覚えてしまった。あの兵助が慕う於凛がどんな女性なのか。与吉はこの機会に於凛の茶屋に行くことに決めた。


「で、於凛さんのとこにいた娘さんに会ってからなんかおかしい、と」


兵助は与吉の話を聞いてにやりと笑った。


「そりゃ、お前さん。おはなちゃんに恋してんでィ」

「は?こ、い?」

「おぅよ。お前さん、おはなちゃんを見てからなんだかボーっとして仕事も手につかねぇ。気づいたらおはなちゃんのことを考えてるっちゃぁ恋しかねぇさァ」


そうか、そうかと腕を組んで満足げに頷く兵助に与吉は慌てて声を出した。


「ちょっと待って下さいよ!私と、その、おはなちゃ、んは、その日初めて会ったんですよ?それなのに、いきなり好きだなんて……」


有り得ないですよ。きっぱりと与吉は告げた。


「じゃぁ、お前さんのその様子はどう説明できるんでィ?お前さん、おはなちゃんのこと考えると胸が苦しくなるんだろ?息が詰まりそうになるんだろ?」

「そ、それは……」

「それが恋ってぇもんさァ。目を逸らしちゃいけねぇ。何も悪いことしてんじゃないんだ。お前さんは堂々とおはなちゃんに恋をしてりゃぁいいんでィ」



「恋………」



生まれて初めてした恋に、与吉はなんだか心にぽっと火が灯ったような暖かい気持ちになった。






〈~与吉の恋~ 完〉


兵助が主人公なのに初っ端から与吉がメインですみません。

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