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水が死んだ日  作者: 御影のたぬき


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4-2 海からの救済

 私の名前は、佐藤タクヤ。三十二歳。海上自衛隊三等海曹。護衛艦「あまぎり」の機関科員だ。いや、正確には「だった」。今、私たちの艦は、護衛艦ではなく、給水艦として機能している。


 フォーラネグレリア感染拡大が始まって以来、海上自衛隊の役割は大きく変わった。従来の防衛任務に加えて、災害時の給水支援が主要任務となった。なぜなら、海水は安全だからだ。そして、艦船には大型の海水淡水化装置が搭載されている。


 私は、十年前に海上自衛隊に入隊した。当時は、まだフォーラネグレリアが問題になる前だった。私は、機械が好きで、艦船のエンジンやシステムの保守を学んだ。しかし、まさか自分が、人々に水を供給する仕事をするとは思っていなかった。


 南海トラフ巨大地震が発生したのは、三月二十五日の午後だった。私たちの艦は、横須賀基地に停泊していた。突然の激しい揺れ。艦が大きく揺れた。私は、機関室で作業をしていたが、バランスを崩して転倒した。


「地震だ!全員、持ち場を確認しろ!」


 艦長の声が、艦内放送で響いた。


 私は、すぐに立ち上がり、機関の状態を確認した。幸い、大きな損傷はなかった。しかし、基地の様子は悲惨だった。


 甲板に出ると、基地の建物が倒壊しているのが見えた。そして、遠くから警報が聞こえた。津波警報だ。


「全艦、直ちに出港準備!津波が来る!」


 司令部からの命令が下った。私たちは、急いで出港準備をした。停泊中の艦は、津波の直撃を受ければ、陸上の構造物に叩きつけられる危険がある。沖に出る必要があった。


 私たちは、わずか十五分で出港した。艦は、全速力で沖に向かった。そして、津波が基地を襲うのを、遠くから見た。


 巨大な波が、基地を飲み込んだ。建物が崩壊し、車が流された。私は、その光景を見て、言葉を失った。


「これは、大災害だ」


 隣にいた同僚が、呟いた。


 艦長から、新しい命令が下った。


「東京湾に向かう。給水支援任務を開始する」


 私たちは、東京湾に向かった。途中、海上には多くの漂流物があった。家の破片、車、そして遺体。私たちは、可能な限り救助活動を行った。しかし、救える命は限られていた。


 東京湾に到着すると、そこは地獄のような光景だった。湾岸部の都市は、津波で壊滅していた。ビルは倒壊し、道路は寸断され、至る所に瓦礫が散乱していた。


 そして、最も深刻なのは、水だった。街には、至る所に水が溜まっていた。津波の水が引かず、滞留していた。そして、その水は、淡水と海水が混ざったものだった。


 私たちは、海岸近くに艦を停泊させた。そして、給水支援を開始した。


 艦には、大型の海水淡水化装置が搭載されている。通常は、艦内の飲料水を生産するためのものだ。しかし、今は、陸上への給水のためにフル稼働させた。


 装置の処理能力は、一日約十万リットル。これを、仮設の配管を通じて、陸上のタンクに送る。


 私は、機関室で装置の運転を担当した。海水を取り込み、逆浸透膜で淡水化し、さらにUV殺菌する。すべてのプロセスを、厳重に監視した。


「タクヤ、出力を上げられるか」


 上官が聞いてきた。


「現在、定格出力の百二十パーセントで運転しています。これ以上は、装置に負荷がかかりすぎます」


「わかった。しかし、陸上では水が足りていない。可能な限り、頑張ってくれ」


「了解しました」


 私は、装置を注意深く監視しながら、運転を続けた。装置は、連続で二十四時間運転された。私たち機関科員は、交代で監視にあたった。


 甲板に出ると、陸上の状況が見えた。人々が、長い列を作って、給水を待っていた。数千人、いや、数万人かもしれない。


 給水所では、自衛隊の陸上部隊が警備にあたっていた。しかし、人々は焦っていた。水がなければ、死ぬ。その恐怖が、人々を駆り立てていた。


 ある日、給水所で暴動が起きた。人々が、給水車に殺到した。警備の隊員たちは、必死で制止しようとした。しかし、人数が多すぎた。


 私たちは、艦から状況を見ていた。何かできることはないかと思ったが、私たちにできることは、ただ水を送り続けることだけだった。


 暴動は、最終的に鎮圧された。しかし、何人かが負傷し、一人が死亡した。trampled to deathだった。


 その夜、私は甲板に一人で立っていた。海を見つめた。海は、静かだった。波が、穏やかに打ち寄せていた。


 海は、依然として安全だった。フォーラネグレリアは、海水では生存できない。だから、私たちは、この水を陸上に送ることができる。


 しかし、それでも不十分だった。十万リットルでは、数万人の需要を満たすことはできない。


 艦長が、私の隣に来た。


「タクヤ、疲れているな」


「いえ、大丈夫です」


「無理をするな。これは、長期戦になる」


「艦長、私たちは、どれくらいここにいるんですか」


「わからない。しかし、陸上の水インフラが復旧するまでは、私たちが頼りだ」


 艦長は、遠くの街を見た。


「あの人々を、見捨てるわけにはいかない」


 私は、頷いた。


 数週間が経った。私たちは、依然として東京湾に停泊し、給水を続けていた。装置は、連続運転で疲労していた。いくつかの部品が故障し、交換した。


 ある日、装置に重大な故障が発生した。逆浸透膜が破損したのだ。


「まずい、これでは浄水できない」


 私は、上官に報告した。


「予備の膜はあるか」


「ありません。基地に在庫があるはずですが、今の基地の状況では、入手は困難です」


「他の艦から借りられるか」


「試してみます」


 私は、近くに停泊している他の艦に連絡した。しかし、どの艦も、予備の膜を持っていなかった。みんな、同じように連続運転で、予備を使い果たしていた。


 私たちは、困った。装置が停止すれば、給水も停止する。それは、陸上の人々にとって、死を意味するかもしれない。


 私は、考えた。何か、代替手段はないか。


 そして、思いついた。艦には、別の浄水システムもあった。蒸留装置だ。これは、海水を沸騰させて蒸発させ、その蒸気を冷却して淡水を得る、古いタイプの装置だ。逆浸透膜ほど効率は良くないが、動作する。


「蒸留装置を使いましょう」


 私は、提案した。


「しかし、あれは旧式だぞ。処理能力も低い」


「でも、何もしないよりはマシです」


 上官は、考えた。そして、頷いた。


「やってみろ」


 私は、蒸留装置を起動した。装置は、長い間使われていなかったため、調整が必要だった。しかし、何とか動き始めた。


 処理能力は、一日約二万リットル。逆浸透膜の五分の一だ。しかし、ゼロよりはマシだった。


 私は、同時に、逆浸透膜の修理も試みた。破損した膜を取り外し、可能な限り補修した。完全には修理できなかったが、処理能力の約五十パーセントまで回復させた。


 蒸留装置と、修理した逆浸透膜を併用することで、一日約七万リットルの淡水を生産できるようになった。


 しかし、それでも不十分だった。陸上の需要は、増加し続けていた。


 一ヶ月が経った。私たちは、疲労困憊していた。毎日、装置の監視と修理に追われた。睡眠時間は、一日三時間程度だった。


 ある日、私は機関室で倒れた。過労だった。


 気がつくと、医務室にいた。軍医が、私を診察していた。


「タクヤ三曹、君は限界だ。少なくとも三日間は休め」


「でも、装置の運転が」


「他の者に任せろ。君が倒れたら、元も子もない」


 私は、渋々従った。ベッドに横たわり、久しぶりにゆっくりと眠った。


 三日後、私は医務室を出た。機関室に戻ると、同僚たちが迎えてくれた。


「タクヤ、大丈夫か」


「ああ、もう平気だ」


「良かった。お前がいないと、装置の調子が悪くてな」


 私は、笑った。そして、仕事に戻った。


 二ヶ月が経った。陸上の状況は、少しずつ改善していた。政府が、大型の仮設浄水施設を設置し始めた。また、全国から給水車が集められた。


 私たちの給水支援も、徐々に規模を縮小できるようになった。装置の運転時間を減らし、メンテナンスの時間を増やした。


 ある日、艦長から発表があった。


「諸君、よく頑張った。二ヶ月間、君たちは不眠不休で働いた。そのおかげで、数万人の命が救われた」


 艦長は、私たち一人一人を見た。


「しかし、任務はまだ終わっていない。これから、私たちは別の被災地に向かう。そこでも、給水支援が必要だ」


 私たちは、頷いた。休む暇はなかった。


 私たちは、東京湾を離れ、次の被災地、静岡県に向かった。そこでも、津波の被害は甚大だった。そして、水不足も深刻だった。


 私たちは、同じように給水支援を開始した。海水淡水化装置を稼働させ、陸上に水を送った。


 しかし、今回は、前回の経験を活かせた。装置の運転方法を改善し、効率を上げた。また、予備部品も十分に確保した。


 静岡での任務は、一ヶ月続いた。その後、私たちは横須賀基地に戻った。


 基地は、復旧作業が進んでいた。倒壊した建物は撤去され、新しい施設が建設されていた。


 私たちは、艦の整備を行った。装置を点検し、損傷した部品を交換した。艦も、長期間の連続運転で疲労していた。


 整備が終わった後、私たちには一週間の休暇が与えられた。私は、実家に帰った。


 実家は、内陸部の山梨県にあった。幸い、津波の被害はなかった。しかし、地震の被害はあった。家の壁にひびが入り、食器が割れていた。


 両親は、無事だった。私を見て、安堵した。


「タクヤ、よく無事で」


 母が、泣きながら抱きついてきた。


「心配かけてごめん」


 私は、母を抱きしめた。


 父は、私の手を握った。


「お前の仕事、ニュースで見たぞ。誇りに思う」


「ありがとう」


 実家での数日間は、穏やかだった。久しぶりに、ゆっくりと眠った。しかし、私の頭の中には、常に被災地のことがあった。


 まだ、多くの人々が苦しんでいる。水を求めて、列に並んでいる。私は、ここで休んでいていいのか。


 しかし、父が言った。


「タクヤ、お前も休まないと、人を助けることはできない」


 父の言葉は、正しかった。私は、しっかりと休み、体力を回復させた。


 休暇が終わり、私は基地に戻った。そして、新しい任務が待っていた。


 今度は、海外への派遣だった。東南アジアの国で、大規模な洪水が発生した。そして、フォーラネグレリア感染が拡大していた。その国の政府は、日本に支援を要請した。


 私たちの艦は、国際緊急援助隊の一部として、派遣されることになった。


 私たちは、数週間の航海の後、その国の沿岸に到着した。状況は、日本以上に深刻だった。


 水インフラは、ほとんど機能していなかった。人々は、汚染された川の水を飲んでいた。そして、多くが感染していた。


 私たちは、すぐに給水支援を開始した。しかし、需要は莫大だった。私たちの艦一隻では、到底足りなかった。


 国際社会から、さらに支援が集まった。アメリカ、イギリス、フランス、オーストラリア。各国の艦船が、給水支援に参加した。


 私たちは、他国の艦船と協力した。初めは、言葉の壁があった。しかし、共通の目的があった。人々に水を届けること。


 私は、アメリカ海軍の技術者と知り合った。彼の名前は、ジョン。彼も、海水淡水化装置の専門家だった。


「タクヤ、君たちの装置は効率がいいな」


 ジョンが言った。


「ありがとう。でも、まだ改善の余地がある」


「そうだな。俺たちも、常に改良を続けている」


 私たちは、技術情報を交換した。お互いの経験を共有し、装置の運転方法を改善した。


 その国での任務は、三ヶ月続いた。その間、私たちは約一千万リットルの淡水を供給した。それでも、需要の一部を満たしたに過ぎなかった。


 しかし、私たちの活動は、現地の人々に希望を与えた。


「あなたたちは、私たちの命の恩人です」


 現地の政府関係者が、感謝の言葉を述べた。


 私たちは、その言葉に励まされた。


 任務を終え、私たちは日本に帰国した。横須賀基地に着いた時、私たちは歓迎された。


 しかし、休む暇はなかった。次の任務が、すでに待っていた。


 私は、五年間、給水支援任務を続けた。日本国内だけでなく、世界各地に派遣された。フィリピン、インドネシア、バングラデシュ、アフリカ。どこでも、同じ問題があった。水不足とフォーラネグレリア感染。


 私は、その間に、海水淡水化技術の専門家になった。装置の運転、保守、改良。すべてを学んだ。


 そして、私は思った。この技術は、人類の未来にとって不可欠だと。


 フォーラネグレリアが現れてから、淡水は危険なものになった。しかし、海水は安全だ。そして、地球の表面の約七十パーセントは、海だ。


 もし、海水淡水化技術を、さらに発展させることができれば、人類は水不足から解放される。


 私は、海上自衛隊での経験を活かして、将来は水処理技術の研究開発に携わりたいと思うようになった。


 そして、十年後、私はその夢を実現した。海上自衛隊を退官し、民間の水処理企業に入社した。そこで、新しい海水淡水化技術の開発に携わった。


 私たちは、従来よりも効率的で、小型の海水淡水化装置を開発した。これは、災害時に迅速に配備できる、モジュール型のシステムだった。


 この装置は、世界中で使用されるようになった。災害が発生すると、すぐに現地に送られ、人々に水を供給した。


 私は、自分の仕事に誇りを持った。かつて、私は艦船で水を供給していた。今は、技術開発を通じて、より多くの人々に水を届けている。


 ある日、私は国際会議で講演する機会があった。テーマは、「災害時の水供給システム」だった。


 私は、自分の経験を語った。南海トラフ地震での給水支援、海外での任務、そして技術開発。


「私たちは、海から学びました」


 私は、聴衆に語った。


「海は、広大で、豊かです。そして、安全です。私たちは、その海の水を、陸上に届けることができます」


「技術は、日々進歩しています。より効率的で、より安価な海水淡水化装置が開発されています」


「しかし、最も重要なのは、技術ではありません。人々を助けたいという、その意志です」


 聴衆は、拍手した。


 講演の後、一人の若い女性が私に話しかけてきた。


「佐藤さん、素晴らしい講演でした。私も、水処理技術者を目指しています」


「そうですか。頑張ってください」


「佐藤さんは、なぜこの仕事を選んだんですか」


 私は、少し考えた。そして、答えた。


「南海トラフ地震の時、私は給水艦で働いていました。そこで、水がどれほど大切か、痛感しました」


「人々は、水を求めて、必死でした。私たちは、その人々に水を届けました」


「その時、私は思いました。この仕事を、続けたいと」


 女性は、頷いた。


「私も、そう思います。水は、命です」


「その通りです」


 私は、微笑んだ。


 二十年が経った。私は、五十代になっていた。そして、会社の技術部長になっていた。


 私たちが開発した海水淡水化装置は、世界中で使用されていた。災害時だけでなく、平時の水供給にも使われていた。


 特に、海岸部の都市では、海水淡水化が主要な水源となっていた。もはや、内陸の河川に依存する必要はなかった。


 私は、ある日、横須賀基地を訪れた。かつて私が働いていた艦、「あまぎり」を見るために。


 艦は、まだ現役だった。しかし、今は、主に訓練任務に使われていた。給水支援任務は、新しい専用艦に引き継がれていた。


 私は、甲板に立った。そして、海を見た。


 海は、変わっていなかった。依然として、広大で、美しかった。


 そして、安全だった。


 人類は、淡水を失った。しかし、海があった。


 海は、人類の新しい水源となった。


 そして、それを可能にしたのは、技術だった。


 私は、自分の人生を振り返った。海上自衛隊での給水支援、技術開発、そして今。


 すべてが、つながっていた。


 私は、海に守られた。そして、私は、海を通じて、人々を守った。


 これが、私の物語だった。


 海からの救済の、物語。

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