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水が死んだ日  作者: 御影のたぬき


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3/7

3 水の国家管理

 私の名前は、黒田ケイコ。四十五歳。国土交通省水資源管理局の局長だ。この役職に就いて三年。それまでは、地味な部署だった。予算も少なく、注目もされなかった。しかし、あの日から、すべてが変わった。フォーラネグレリアが、日本で最初の感染者を出した日から。


それは、真夏の暑い日だった。静岡県の温泉地で、観光客が倒れた。最初は、熱中症かと思われた。しかし、病院に搬送された後、容態が急変した。高熱、激しい頭痛、そして意識障害。医師たちは、困惑した。症状は、髄膜炎に似ていたが、通常の治療が効かなかった。


検査の結果、診断が下された。原発性アメーバ性髄膜脳炎。フォーラネグレリア感染症。患者は、温泉に入浴した際に、鼻から水が侵入し、アメーバに感染したと考えられた。


患者は、三日後に死亡した。これが、日本で確認された最初の症例だった。


私は、すぐに緊急会議を招集した。厚生労働省、環境省、そして専門家たち。会議室には、緊張が走っていた。


「これは、isolated caseでしょうか」


厚生労働省の担当者が聞いた。


「わかりません。しかし、海外では、すでに大規模な感染が報告されています」


私は、国際的な状況を報告した。アフリカ、南アジア、東南アジア。これらの地域で、フォーラネグレリア感染症が爆発的に増加していた。そして、最も恐ろしいのは、アメーバが塩素耐性と低温耐性を獲得したことだった。


「つまり、従来の水道水の塩素消毒では、効果がないということですか」


環境省の担当者が、顔を青ざめさせた。


「その通りです。フォーラネグレリアを殺すには、百度の熱か、UV殺菌が必要です」


会議室に、重い沈黙が広がった。日本の水道システムは、塩素消毒を基本としている。もし、それが効かないなら、全国の水道水が危険ということになる。


「すぐに、全国の水道施設にUV殺菌装置を設置する必要があります」


私は、提案した。


「予算は?」


財務省の担当者が聞いた。


「概算で、五兆円です」


会議室がざわめいた。五兆円。それは、年間の国家予算の約五パーセントに相当する。


「そんな予算、承認されるわけがない」


財務省の担当者は、首を振った。


「しかし、これは国民の命に関わります」


「それはわかっている。しかし、財政には限界がある」


議論は、平行線をたどった。そして、その日の会議は、何の結論も出ずに終わった。


数日後、第二の感染者が出た。今度は、東京だった。多摩川で遊んでいた子供が感染した。子供は、一週間後に死亡した。


そして、第三、第四の感染者。次々と報告が上がってきた。もはや、isolated caseではなかった。感染は、確実に広がっていた。


私は、再び会議を招集した。しかし、今回は、総理大臣も出席した。事態の深刻さを、政府も認識し始めていた。


「黒田局長、現状を報告してください」


総理が、厳しい顔で言った。


「はい。現在、全国で十五例の感染が確認されています。すべて、淡水への接触が原因です。死者は、十名です」


「対策は?」


「すべての淡水施設にUV殺菌装置を設置し、水道水は煮沸してから供給する必要があります。また、河川や湖への立入りを制限すべきです」


総理は、しばらく考えた。そして、決断した。


「わかった。予算を承認する。五兆円、いや、必要なら十兆円でも出す。国民の命を守ることが、最優先だ」


その日、日本の水政策は、根本的に変わった。水資源管理局の予算は、一夜にして百倍になった。私たちは、膨大な権限と責任を与えられた。


私は、すぐに全国の水道施設の調査を開始した。日本には、約三万の水道事業者がある。そのすべてに、UV殺菌装置を設置する必要があった。


しかし、問題があった。UV殺菌装置の供給が、需要に追いつかなかった。世界中で、同じことが起きていた。各国が、一斉にUV殺菌装置を発注していた。メーカーは、フル稼働しても、生産が追いつかなかった。


私は、国内メーカーに増産を要請した。しかし、製造には時間がかかる。装置が全国に行き渡るまで、最低でも一年はかかると言われた。


その間、感染は広がり続けた。毎日、新しい感染者が報告された。人々は、パニックになった。水道水を飲むことを恐れ、ミネラルウォーターを買い占めた。スーパーやコンビニから、ボトル水が消えた。


政府は、緊急声明を発表した。


「水道水は、煮沸してから使用してください。百度で一分間沸騰させれば、フォーラネグレリアは死滅します」


しかし、すべての家庭が、毎日大量の水を沸騰させることは、現実的ではなかった。ガス代や電気代が跳ね上がった。経済的に余裕のない家庭は、苦しんだ。


私は、緊急対策として、各地に臨時の給水所を設置した。そこでは、煮沸済みの水を無料で配布した。しかし、それでも不十分だった。人々は、長い列を作って水を待った。


ある日、給水所で暴動が起きた。水の配給が遅れ、人々が苛立っていた。そして、誰かが列に割り込もうとした。それがきっかけで、乱闘が始まった。警察が出動し、鎮圧した。しかし、数十人が負傷した。


私は、現場を視察した。そこには、疲れ果てた人々がいた。母親が、子供を抱えて水を待っていた。老人が、重いポリタンクを引きずっていた。


「これが、日本の姿なのか」


私は、自問した。先進国である日本で、人々が水を求めて列を作る。それは、悪夢のようだった。


しかし、これは始まりに過ぎなかった。


数ヶ月後、最初のUV殺菌装置が設置された。まず、東京、大阪、名古屋などの大都市から。装置が稼働すると、水道水の安全性が確認された。人々は、安堵した。


しかし、地方は、まだだった。装置の数が足りず、地方の小さな水道事業者には、いつ設置されるかわからなかった。


私は、優先順位を決めなければならなかった。人口の多い都市を優先するか、それとも感染リスクの高い地域を優先するか。どちらを選んでも、誰かが犠牲になる。


私は、人口を基準にすることにした。より多くの人々を守るために。しかし、その決断は、地方の人々を見捨てることを意味した。


地方の自治体からは、抗議の声が上がった。


「なぜ、私たちは後回しなのか」


「都市部ばかり優遇されている」


私は、謝罪した。しかし、決定を変えることはできなかった。限られた資源を、最大限有効に使う。それが、私の責任だった。


一年が経った。全国の主要都市には、UV殺菌装置が設置された。しかし、地方の多くは、まだだった。そして、地方での感染が増加していた。


ある村では、人口の十パーセントが感染し、死亡した。村は、ほぼ壊滅状態だった。生き残った人々は、都市部へ移住した。村は、無人となった。


これは、一つの村だけではなかった。全国の内陸部の農村で、同じことが起きていた。人々は、水の安全性が確保された都市部へ移住した。特に、海岸都市への移住が増加した。


なぜなら、海水は安全だからだ。フォーラネグレリアは、海水では生存できない。海に面した都市は、心理的にも安全だと感じられた。


東京、横浜、大阪、神戸。これらの海岸都市の人口は、急増した。一方、内陸部の都市、例えば長野、群馬、山梨などは、人口が減少した。


私は、この人口移動に対応しなければならなかった。海岸都市の水インフラを拡張し、内陸部の水インフラを縮小する。それは、国土の再編を意味した。


政府は、「水安全都市計画」を発表した。全国を三つのゾーンに分けた。


ゾーンA:完全管理水域。すべての水道水が、UV殺菌と煮沸処理された都市部。

ゾーンB:部分管理水域。主要な水道施設のみが処理された地域。

ゾーンC:自己責任水域。水道処理が不十分な地域。住民は、自己責任で水を煮沸する必要がある。


ゾーンAには、全人口の約七十パーセントが住んでいた。ゾーンBには、二十パーセント。ゾーンCには、十パーセント。


ゾーンCの住民には、移住が推奨された。政府は、移住支援金を提供した。しかし、すべての人が移住を選んだわけではなかった。高齢者や、土地に愛着のある人々は、残った。


そして、彼らの多くが、感染して死亡した。


三年が経った。日本での累計死者数は、五万人を超えた。世界では、すでに一億人以上が死亡していた。


私は、国際会議に出席するため、ジュネーブに行った。WHOが主催する、フォーラネグレリア対策会議だった。


会議には、世界中の政府関係者と専門家が集まっていた。しかし、会議室の雰囲気は、暗かった。


途上国の代表たちは、絶望的な状況を報告した。バングラデシュでは、二千万人が死亡した。ナイジェリアでは、三千万人。インドでは、五千万人。数字は、あまりにも大きすぎて、実感が湧かなかった。


先進国の代表たちは、成功事例を報告した。日本、アメリカ、ヨーロッパ。これらの国々では、水インフラの改善により、感染は抑制されていた。


しかし、それは同時に、格差を浮き彫りにした。金のある国は、国民を守れる。金のない国は、守れない。


会議の中で、ある提案が出された。国際的な水インフラ支援基金の設立だ。先進国が資金を出し合い、途上国の水インフラを整備する。


しかし、議論は紛糾した。先進国は、自国の対策で精一杯だった。途上国を支援する余裕はない。途上国は、支援を求めた。しかし、先進国は、拒否した。


結局、基金は設立されたが、規模は小さかった。途上国のニーズを満たすには、全く足りなかった。


私は、会議から帰国した。そして、日本の対策を進めた。


五年が経った。日本のすべての水道施設に、UV殺菌装置が設置された。水道水は、完全に安全になった。新規感染は、ほぼゼロになった。


しかし、新しい問題が浮上した。河川や湖の管理だ。


これまで、河川や湖は、自由に利用できる公共の場だった。しかし、今や、それらは危険な場所となった。フォーラネグレリアが生息している可能性が高い。


政府は、すべての河川や湖を、立入禁止にすることを検討した。しかし、それは実現不可能だった。日本には、無数の河川や湖がある。すべてをフェンスで囲むことはできない。


私は、別の方法を提案した。淡水保護区域の指定だ。重要な河川や湖を、保護区として指定し、立入りを厳しく制限する。それ以外の小さな河川や湖は、自己責任とする。


この提案は、議論を呼んだ。自由に川で遊べないのか。釣りもできないのか。人々は、不満を述べた。


しかし、最終的に、提案は採択された。淡水保護区域法が、施行された。


主要な河川、例えば利根川、信濃川、淀川などは、保護区に指定された。これらの河川には、高いフェンスが設置され、監視カメラが配置された。違反者は、罰金または懲役刑に処された。


人々は、徐々に新しい現実を受け入れた。川で遊ぶことは、もはや許されない。それが、新しい常識となった。


しかし、文化的な喪失も大きかった。川遊び、川釣り、ホタル狩り。これらの伝統的な娯楽は、消滅した。子供たちは、川を恐れるようになった。


学校教育も変わった。水安全教育が、必修科目となった。子供たちには、幼い頃から教え込まれた。


「淡水に顔をつけるな。淡水で遊ぶな。淡水は死だ」


私は、ある小学校を訪問した。そこで、水安全教育の授業を見学した。教師が、フォーラネグレリアの顕微鏡写真を見せながら、説明していた。


「この小さな生き物が、鼻から入って、脳を食べます。だから、絶対に淡水で遊んではいけません」


子供たちは、真剣な顔で聞いていた。ある男の子が、手を挙げた。


「先生、じゃあ、どこで泳げばいいんですか」


「海です。海は安全です」


「でも、海は遠いです」


「だから、学校の遠足で、年に一度、海に行きます」


子供たちは、残念そうだった。しかし、それが現実だった。


私は、授業の後、校長先生と話した。


「子供たちは、川を知らないんですね」


「ええ。彼らにとって、川は、歴史の教科書に出てくる存在です。実際に見たことはあっても、触ったことはありません」


「それは、寂しいことですね」


「しかし、これが新しい常識です。私たちは、子供たちを守らなければなりません」


私は、複雑な思いを抱えながら、学校を後にした。


十年が経った。日本での累計死者数は、十万人に達した。しかし、新規感染は、年間数十例まで減少していた。水インフラの整備が、ほぼ完了したからだ。


しかし、新たな課題が浮上した。水インフラの維持管理だ。


UV殺菌装置は、定期的にメンテナンスが必要だった。ランプの交換、フィルターの清掃、システムの点検。これらを怠ると、装置の効果が低下する。


私は、全国の水道施設の監視システムを構築した。すべての施設が、リアルタイムでモニタリングされた。異常が検知されると、すぐにアラートが発せられた。


また、水インフラの職員の教育も強化した。彼らは、もはや単なる水道職員ではなかった。国民の命を守る、最前線の戦士だった。


政府は、水インフラを、軍事レベルの国家重要施設として扱うことを決定した。水道施設への攻撃は、国家に対する攻撃とみなされた。テロ対策も強化された。


ある時、実際にテロ未遂事件が発生した。過激派が、東京の浄水場に侵入しようとした。しかし、警備システムが作動し、犯人は逮捕された。


もし、テロが成功していたら、数百万人が危険にさらされていた。水インフラの破壊は、大量殺人に等しい。


私は、国際会議で、この事件を報告した。そして、提案した。


「水インフラの破壊を、国際法上の戦争行為として定義すべきです」


提案は、賛同を得た。国連で、決議が採択された。水インフラの破壊は、ジュネーブ条約違反として扱われることになった。


しかし、実際には、水インフラを巡る紛争が、各地で発生していた。


アフリカでは、河川の水利権を巡って、国家間で対立が激化していた。ナイル川、コンゴ川、ニジェール川。これらの国際河川を、どの国が管理するのか。争いが絶えなかった。


中東でも、水資源を巡る緊張が高まっていた。ヨルダン川、ティグリス川、ユーフラテス川。これらの河川は、複数の国を流れている。上流の国が水を独占すれば、下流の国は干上がる。


実際に、いくつかの紛争では、水インフラが標的となった。ダムが爆破され、浄水施設が破壊された。その結果、数万人が感染し、死亡した。


国際社会は、非難声明を出した。しかし、実効性のある制裁は、なかった。結局、力の強い国が、水を支配した。


十五年が経った。世界的な死者数は、二億人を超えた。間接的な死亡を含めると、三億人以上と推定された。


しかし、状況は安定しつつあった。先進国では、水インフラが完全に整備された。新規感染は、ほぼゼロだった。


途上国でも、国際支援により、主要都市では水インフラが改善された。しかし、農村部は、依然として危険だった。


私は、五十代になっていた。水資源管理局の局長として、十五年間働いてきた。多くの決断をし、多くの批判を受けた。しかし、後悔はしていなかった。私は、自分のできる限りのことをした。


ある日、私は引退を考えた。後継者を育て、次の世代に任せる時だと思った。


しかし、その時、新たな問題が浮上した。気候変動だ。


地球温暖化により、降水パターンが変化していた。ある地域では、豪雨が増加し、洪水が頻発していた。別の地域では、干ばつが深刻化していた。


洪水は、特に危険だった。河川が氾濫すると、フォーラネグレリアが市街地に広がる。人々は、水に囲まれる。そして、感染が爆発的に増加する。


私たちは、洪水対策を強化した。堤防の補強、排水システムの改善、避難所の整備。しかし、自然災害は、予測不可能だった。


ある年、記録的な豪雨が九州を襲った。複数の河川が氾濫し、数万人が避難した。避難所では、人々はパニックになった。水に触れたかもしれない、感染したかもしれない。


私は、緊急対策本部を設置した。避難所に、ポータブルUV殺菌装置を送った。また、医療チームを派遣した。


しかし、状況は厳しかった。避難所の水道が破損し、未処理の水が供給されていた。人々は、水を飲むことを恐れた。しかし、水がなければ、脱水症状になる。


ジレンマだった。水を飲めば、感染するかもしれない。飲まなければ、脱水で死ぬかもしれない。


結局、数百人が感染し、そのうちの七十パーセントが死亡した。洪水そのものによる死者よりも、感染による死者の方が多かった。


この災害を受けて、政府は災害時水供給システムを全面的に見直した。各地に、緊急用の大型浄水装置を配備した。また、災害時の水の配給マニュアルを作成した。


しかし、それでも完璧ではなかった。自然災害は、常に私たちの想定を超えてくる。


二十年が経った。私は、六十代になっていた。そして、ついに引退することにした。


後継者は、若い女性の技官だった。彼女は、水処理技術の専門家で、優秀だった。私は、彼女にすべてを託した。


「これから、さらに困難な時代が来るでしょう」


私は、彼女に言った。


「気候変動、人口増加、資源の枯渇。すべてが、水問題に関わってきます」


「わかっています。しかし、私たちは諦めません」


彼女の目には、決意が宿っていた。


私は、安心した。次の世代が、しっかりと役割を果たしてくれる。


私の引退後、世界はさらに変化していった。


完全閉鎖型水循環都市が、各地で建設された。これらの都市では、すべての水が循環利用された。雨水は集められ、処理され、再利用された。外部からの淡水の流入は、完全に遮断された。


これらの都市は、フォーラネグレリアから完全に隔離されていた。住民は、安全な水を享受できた。しかし、代償もあった。自然との接触が、完全に失われた。


自然河川は、保護区化された。人間の立入りは、厳しく制限された。河川は、野生生物のためだけに存在するようになった。しかし、その野生生物も、アメーバの影響で激減していた。


淡水魚の三十から六十パーセントが減少した。両生類は、ほぼ絶滅した。カエル、サンショウウオ、イモリ。これらは、もはや見ることができない。


熱帯淡水域の生態系は、完全に崩壊した。アマゾン川、メコン川、コンゴ川。これらの大河は、生命の多様性を失った。


しかし、海洋生態系は維持された。海は、依然として豊かだった。人類は、ますます海に依存するようになった。


三十年が経った。私は、八十代になっていた。そして、孫を持った。


孫の名前は、ミズキ。皮肉な名前だ。彼女が生まれた世界には、もう安全な淡水はほとんどない。


ミズキは、十歳だった。彼女は、学校で水安全教育を受けていた。そして、完璧に理解していた。淡水は危険だ、と。


ある日、私はミズキを連れて、かつて川だった場所に行った。今や、そこは乾いた河床だった。水は、すべて地下の管を通って、浄水施設に送られていた。


「おばあちゃん、ここに川があったの?」


ミズキが聞いた。


「ええ、そうよ。昔は、水が流れていたの」


「どんな感じだったの?」


「きれいだったわ。魚が泳ぎ、鳥が水を飲み、子供たちが遊んでいた」


ミズキは、想像しようとした。しかし、彼女には理解できなかった。川で遊ぶという概念が、彼女の世界には存在しないからだ。


「また、川で遊べる日が来るかな」


ミズキが聞いた。


私は、正直に答えた。


「わからないわ。でも、おばあちゃんは、それを信じたい」


それから数年後、私は世界的なニュースを見た。オーストラリアの研究チームが、画期的な発見をしたという。


人間の遺伝的耐性。一部の人々が、フォーラネグレリアに対して自然な耐性を持っていることがわかった。その遺伝子を特定し、遺伝子治療で他の人々にも導入できる可能性がある。


これは、希望だった。もし、人類がフォーラネグレリアへの耐性を獲得できれば、また淡水と共存できるかもしれない。


しかし、実用化には、何十年もかかると言われていた。遺伝子治療の安全性を確認し、倫理的な承認を得る必要がある。


私は、その日を見ることはできないだろう。しかし、次の世代、あるいはその次の世代が、見るかもしれない。


私は、窓の外を見た。海が見えた。波が、静かに打ち寄せていた。


海は、依然として安全だった。そして、美しかった。


人類は、淡水を失った。しかし、海は残った。


そして、人類は、新しい文明を築いた。水を失った文明を。


それは、理想的ではないかもしれない。しかし、それでも文明だった。


人類は、適応し、生き延びた。


そして、これからも生き延び続けるだろう。


たとえ、淡水という自然の恵みを失っても。


それが、私たちの物語だった。


水を失った世界の、物語。

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