2 川が死を運ぶ日
私の名前は、ラーマン・アハメド。三十八歳。バングラデシュの田舎町で医師をしている。この町の人口は約五万人。ほとんどが農民だ。病院は、私が勤務する一つだけ。設備は古く、薬も不足している。しかし、それでも私は誇りを持って働いてきた。人々を助けることが、私の使命だった。しかし、あの日から、すべてが変わった。川が、死を運び始めた日から。
それは、雨季の始まりだった。モンスーンの雨が降り始め、川は増水していた。私たちの町は、ガンジス川の支流沿いにある。川は、私たちの生命線だった。飲料水、農業用水、洗濯、入浴。すべてが川に依存していた。
最初の患者は、八歳の少女だった。名前は、ファティマ。彼女は、高熱と激しい頭痛を訴えて病院に運ばれてきた。母親は、泣きながら説明した。
「三日前から、熱が下がらないんです。頭が痛いと言って、泣き続けています」
私は、ファティマを診察した。体温は四十度を超えていた。首の硬直があり、意識レベルも低下していた。髄膜炎の症状だ。
「いつから、こうなったんですか」
「昨日からです。それまでは、ただの熱だと思っていました」
私は、すぐに抗生物質を投与した。しかし、効果がなかった。ファティマの容態は、時間とともに悪化していった。痙攣が始まり、昏睡状態に陥った。
私は、あらゆる治療を試みた。しかし、何も効かなかった。そして、五日後、ファティマは死亡した。
私は、困惑した。なぜ、抗生物質が効かなかったのか。これは、通常の細菌性髄膜炎ではない。
その週、さらに三人の子供が同じ症状で運ばれてきた。全員が、高熱、頭痛、意識障害。そして、全員が数日以内に死亡した。
私は、首都ダッカの保健省に連絡した。彼らは、調査チームを派遣すると約束した。しかし、実際に到着したのは、二週間後だった。
調査チームは、亡くなった子供たちの脳組織を採取し、分析した。結果が出るまで、さらに一週間かかった。
そして、診断が下された。フォーラネグレリア感染症。原発性アメーバ性髄膜脳炎。
私は、この病気について、医学書で読んだことがあった。しかし、それは稀な疾患だった。年間、世界で数十例程度しか報告されていない。なぜ、この町で、これほど多くの症例が発生しているのか。
調査チームのリーダー、カマル博士が説明した。
「フォーラネグレリアは、淡水に生息するアメーバです。通常は、温かい水、特に温泉や湖で見られます。しかし、最近、このアメーバが変異したようです。塩素耐性と低温耐性を獲得しました」
「それは、どういう意味ですか」
「つまり、普通の川の水にも、このアメーバが存在する可能性があるということです。そして、通常の消毒方法では、殺せません」
私は、愕然とした。私たちの町の人々は、毎日川の水を使っている。もし、川にこのアメーバがいるなら、誰もが感染する可能性がある。
「どうすれば、防げますか」
「水を沸騰させることです。百度で沸騰させれば、アメーバは死滅します。また、鼻に水が入らないように注意することです」
私は、すぐに町の人々に警告を出した。しかし、多くの人々は、信じなかった。
「川の水で、何百年も生きてきた。今さら、危険だなんて」
ある老人は、私を笑った。
「医者の脅しだろう。水を売りつけるために」
私は、必死で説得した。しかし、効果は限定的だった。多くの人々は、生活習慣を変えなかった。
そして、感染は拡大していった。毎週、新しい患者が運ばれてきた。子供が多かったが、大人も感染した。全員が、同じ経過をたどった。高熱、頭痛、意識障害、そして死。
私の病院は、すぐに満床になった。廊下にまで、患者が溢れた。しかし、治療法はなかった。私たちにできることは、症状を和らげることだけだった。そして、多くの患者が、私の目の前で死んでいった。
ある日、私の助手、ナシムが倒れた。彼は、二十五歳の優秀な看護師だった。彼も、同じ症状を示した。
「先生、僕、どうなるんですか」
ナシムは、弱々しく聞いた。
「大丈夫だ。君は若い。きっと回復する」
しかし、それは嘘だった。フォーラネグレリア感染症の致死率は、九十パーセント以上だ。助かる可能性は、ほとんどない。
ナシムは、三日後に死亡した。私は、彼の遺体を家族に引き渡した。彼の母親は、泣き崩れた。
「なぜ、息子が死ななければならないのですか」
私は、答えられなかった。
数ヶ月が経った。町の死者は、数百人に達した。人々は、ようやく事態の深刻さを理解し始めた。川の水を使う人は減った。しかし、代替手段がなかった。
町には、水道がなかった。井戸もあったが、数が少なかった。多くの人々は、依然として川に依存していた。
政府は、浄水装置を送ると約束した。しかし、実際に到着したのは、半年後だった。そして、到着した装置は、わずか五台だけだった。五万人の町に、五台。全く足りなかった。
私は、首都に何度も要請した。しかし、返答は同じだった。
「予算がありません。優先順位があります」
バングラデシュだけではなかった。世界中で、同じことが起きていた。アフリカ、南アジア、東南アジア、南米。淡水に依存する地域で、感染が爆発的に広がっていた。
ニュースでは、毎日のように死者数が報告された。インドで十万人、ナイジェリアで五万人、ブラジルで八万人。数字は、日々増加していった。
先進国も感染は広がったが、対応は速かった。日本、アメリカ、ヨーロッパ。これらの国々は、すぐに水インフラを改善した。水道水は、徹底的に浄化され、UV殺菌された。新規感染は、急速に減少した。
しかし、私たちのような発展途上国では、そのようなインフラを整備する余裕がなかった。人々は、川の水を飲み続けた。そして、死んでいった。
二年が経った。私の町の人口は、半分以下になっていた。五万人いた住民は、今や二万人しかいない。三万人が、感染で死ぬか、都市部へ逃げたか、あるいは死を恐れて別の場所に移住した。
町は、ゴーストタウンのようになった。商店は閉まり、学校は廃校になった。畑も、放置されていた。農作業には、水が必要だ。しかし、灌漑用水も川から引いていた。農民たちは、水を使うことを恐れた。
私自身も、家族を失った。妻のサリマが、感染した。彼女は、洗濯をしている時に、川の水が鼻に入ったのだろう。彼女は、一週間後に死亡した。
私には、二人の子供がいた。息子のアリフと、娘のアイシャ。私は、彼らを連れて、首都ダッカに移住することを決めた。この町には、もう未来がなかった。
ダッカに到着した時、私は驚いた。街は、人で溢れていた。内陸部から避難してきた人々で、人口が倍増していた。住宅は不足し、スラムが拡大していた。
私は、ダッカの病院で働き始めた。しかし、状況は変わらなかった。病院は、患者で溢れていた。多くが、フォーラネグレリア感染症だった。
ダッカには、一応水道があった。しかし、浄化システムは不十分だった。塩素消毒だけでは、アメーバを殺せない。政府は、UV殺菌装置の設置を進めていたが、全市をカバーするには、何年もかかると言われていた。
人々は、水を沸騰させてから使うように言われていた。しかし、燃料が高価で、多くの貧しい人々は、それができなかった。彼らは、水道水をそのまま飲んだ。そして、感染した。
私は、毎日、数十人の患者を診た。しかし、助けられる患者は、ほとんどいなかった。フォーラネグレリア感染症には、有効な治療法がなかった。一部の抗真菌薬が効果を示すことがあったが、それも限定的だった。ほとんどの患者は、診断された時点で、すでに手遅れだった。
ある日、国際医療チームが到着した。彼らは、新しい治療法を試すために来たという。アメリカの製薬会社が開発した、新しい抗アメーバ薬だった。
私たちは、重症患者に薬を投与した。しかし、効果は芳しくなかった。一部の患者は、症状が改善した。しかし、多くは、依然として死亡した。
国際チームのリーダー、ジョンソン博士が説明した。
「この薬は、初期段階でのみ効果があります。脳にアメーバが到達した後では、手遅れです」
「では、どうすれば」
「予防しかありません。水を沸騰させる。鼻に水を入れない。それだけです」
私は、絶望した。結局、私たちにできることは、何もないのか。
三年が経った。世界的な死者数は、一億人を超えた。バングラデシュだけで、二千万人が死亡したと推定された。国の人口の十パーセント以上だ。
政府は、ようやく本格的な対策を始めた。国際機関からの支援を受けて、大規模な浄水施設が建設され始めた。しかし、完成には、何年もかかると言われていた。
私は、疲れ果てていた。毎日、死を見続けることに、心が擦り切れていった。息子のアリフと娘のアイシャは、私を心配していた。
「お父さん、少し休んだら」
アリフが言った。
「休めない。患者が待っている」
「でも、お父さんが倒れたら、誰が患者を診るの」
アイシャの言葉に、私は返答できなかった。
ある日、大災害が起きた。モンスーンの豪雨により、ダッカ全域が洪水に見舞われた。ブラマプトラ川が氾濫し、街の半分が水没した。
人々は、避難所に逃げ込んだ。しかし、避難所も水浸しだった。人々は、膝まで水に浸かって、救助を待った。
私も、病院で救助活動に参加した。しかし、状況は絶望的だった。洪水の水は、すべて淡水だ。つまり、フォーラネグレリアに汚染されている可能性が高い。
「水に顔をつけないでください!」
私は、避難所で叫び続けた。
「鼻に水が入ると、感染します!」
しかし、パニック状態の人々は、聞いていなかった。子供たちは、水の中で泣いていた。大人たちは、必死で高い場所を探していた。誰も、アメーバのことなど考えていなかった。
洪水は、三日間続いた。その後、水は引いた。しかし、悪夢は、ここから始まった。
洪水の一週間後、最初の感染者が出た。そして、その数は、日々増加していった。避難所にいた人々が、次々と発症した。
病院は、完全にパンクした。患者が、廊下、駐車場、さらには病院の外にまで溢れた。しかし、治療する手段がなかった。私たちは、ただ見守ることしかできなかった。
感染者の数は、数千人に達した。そして、そのほとんどが死亡した。致死率は、九十パーセントを超えた。
私は、三日間、ほとんど眠らずに働いた。しかし、四日目、私は倒れた。過労だった。同僚たちが、私を休ませようとした。しかし、私は拒否した。
「まだ、患者がいる」
「先生、もう限界です。休んでください」
しかし、私は聞かなかった。そして、五日目、私は本当に倒れた。高熱と頭痛。そして、首の硬直。
私は、自分の症状を理解した。フォーラネグレリア感染症。私も、感染したのだ。
おそらく、洪水の時だろう。避難所で、水が顔にかかった。その時、鼻に水が入ったのだ。
同僚たちは、私を隔離病棟に運んだ。しかし、私は知っていた。もう、助からない。
アリフとアイシャが、私を見舞いに来た。彼らは、泣いていた。
「お父さん、死なないで」
アリフが言った。
「私たちを置いていかないで」
アイシャも、泣いた。
私は、彼らの手を握った。もう、力が入らなかった。
「お前たちは、強く生きるんだ。この病気に負けるな」
「お父さん」
「海に行け。海岸の都市に行くんだ。そこなら、安全だ」
私の意識は、徐々に薄れていった。頭痛が激しくなり、視界がぼやけた。
最後に、私は妻のサリマの顔を思い浮かべた。もうすぐ、彼女に会える。
そして、私の意識は、途絶えた。
数日後、私は死亡した。フォーラネグレリア感染症により。
私の死後、アリフとアイシャは、私の遺言通り、海岸都市に向かった。チッタゴンという港町だ。そこには、親戚が住んでいた。
チッタゴンは、海に面していた。海水は、安全だった。人々は、海水を淡水化して使っていた。感染のリスクは、内陸部よりもはるかに低かった。
アリフとアイシャは、そこで新しい生活を始めた。二人とも、医学を学ぶことにした。父親の意志を継ぐために。
十年が経った。アリフは、医師になっていた。アイシャは、水処理技術者になっていた。二人とも、フォーラネグレリア対策に取り組んでいた。
世界的な死者数は、最終的に二億五千万人に達した。間接的な死亡を含めると、三億五千万人と推定された。人類史上、戦争以外では最大の死亡者数だった。
しかし、人類は絶滅しなかった。文明も崩壊しなかった。ただ、水との関係性が、永遠に変わっただけだった。
バングラデシュも、徐々に復興していった。国際的な支援を受けて、水インフラが整備された。すべての水道水は、UV殺菌され、煮沸された後、供給された。
内陸部の人口は、大幅に減少した。多くの人々が、海岸部に移住した。ダッカも、海に近いため、人口が増加した。一方、内陸の農村は、ほとんど無人となった。
川は、もはや人々の生命線ではなかった。それは、危険な存在となった。すべての河川は、立入禁止となった。川岸には、フェンスが設置され、警告標識が立てられた。
経済構造も変わった。淡水漁業は、壊滅した。代わりに、海洋漁業が拡大した。ベンガル湾での漁が、主要な産業となった。
農業も変化した。灌漑用水は、すべて浄化された水を使うようになった。コストは増加したが、それが新しい標準となった。
社会文化も変質した。川で遊ぶ文化は、完全に消滅した。子供たちは、川を恐れた。学校では、水安全教育が必修科目となった。
「淡水に顔をつけるな。淡水で遊ぶな。淡水は死だ」
これが、新世代の常識となった。
アリフは、ある日、父親の故郷の町を訪れた。そこは、もう無人だった。家々は崩れ、道路は草に覆われていた。そして、川は、静かに流れていた。
アリフは、川を見つめた。かつて、この川は人々の生活を支えていた。しかし、今や、誰も近づかない。
川岸には、小さな墓地があった。そこには、フォーラネグレリアで亡くなった人々が埋葬されていた。アリフの母親、サリマの墓もあった。
アリフは、墓に手を合わせた。
「お母さん、僕は医者になりました。お父さんの意志を継いでいます」
風が吹いて、木々が揺れた。川の水面も、波立った。
アリフは、長い間、そこに立っていた。そして、思った。いつか、この川で、また人々が遊べる日が来るだろうか。
答えは、わからなかった。しかし、希望は持っていた。
世界中で、研究が続けられていた。フォーラネグレリアを根絶する方法。人間に遺伝的耐性を与える方法。より効果的な治療法。
科学者たちは、諦めていなかった。そして、アリフも、諦めなかった。
彼は、父親の遺志を継いで、人々を救うために働き続けた。そして、いつか、淡水が再び安全になる日を夢見ていた。
しかし、現実は厳しかった。フォーラネグレリアは、あまりにも適応力が高かった。どんな消毒方法を試しても、完全には駆除できなかった。
研究者たちは、遺伝子編集技術を使って、アメーバの繁殖を抑制しようとした。しかし、アメーバはすぐに適応し、耐性を獲得した。
別の研究チームは、人間に遺伝的耐性を与えようとした。一部の人々は、自然に耐性を持っていることがわかった。その遺伝子を特定し、他の人々にも導入しようとした。しかし、倫理的な問題があった。人間の遺伝子を改変することは、許されるのか。
議論は、何年も続いた。そして、ようやく、限定的な遺伝子治療が承認された。しかし、それはまだ実験段階だった。
アリフは、その治験に参加した。彼は、遺伝子治療を受けた最初のバングラデシュ人の一人となった。
治療後、彼の免疫系は強化された。フォーラネグレリアに対する耐性が、わずかに向上した。しかし、完全な免疫ではなかった。依然として、感染のリスクはあった。
それでも、これは進歩だった。希望だった。
数十年後、世界は大きく変わっていた。完全閉鎖型水循環都市が、各地で建設されていた。すべての水が循環利用され、外部からの淡水の流入は遮断されていた。
自然河川は、保護区化されていた。人間の立入りは、厳しく制限されていた。河川は、野生生物のためだけに存在するようになった。
水利用は、高度管理社会となっていた。すべての水の使用は、記録され、監視されていた。
アリフは、老人になっていた。彼は、一生を水との戦いに捧げた。そして、多くの命を救った。しかし、フォーラネグレリアとの戦いは、まだ終わっていなかった。
ある日、アリフは孫娘を連れて、海に行った。孫娘の名前は、サリマ。祖母と同じ名前だ。
サリマは、海を見るのは初めてだった。彼女は、目を輝かせた。
「おじいちゃん、これが海?」
「ああ、そうだ。海は安全だ。ここでは、泳いでもいい」
サリマは、砂浜を走り回った。そして、波打ち際で遊んだ。
アリフは、その光景を見て、微笑んだ。しかし、同時に、悲しくもあった。
サリマは、川を知らない。淡水の美しさを知らない。彼女にとって、水とは海水だけだった。
夕方、アリフはサリマに語った。
「昔、おじいちゃんの子供の頃は、川で遊べたんだ」
「本当?」
「ああ。川で泳いで、魚を捕まえて、とても楽しかった」
「今は、できないの?」
「できない。川には、悪いアメーバがいる」
「じゃあ、ずっとできないの?」
アリフは、考えた。そして、答えた。
「わからない。でも、いつか、また川で遊べる日が来るかもしれない」
それは、アリフの希望だった。しかし、現実的には、その日が来る可能性は低かった。
その夜、アリフは昔の写真を見た。父親のラーマンが写っていた。白衣を着て、病院で働く姿だった。
アリフは、父親の顔を長い間見つめた。父親は、フォーラネグレリアとの戦いで命を落とした。しかし、その意志は、アリフに受け継がれた。そして、次の世代にも受け継がれていく。
人類は、淡水を失った。しかし、希望は失っていない。
科学者たちは、研究を続けている。医師たちは、患者を救い続けている。そして、人々は、新しい世界で生きることを学んでいる。
これが、水を失った世界の現実だった。
終末ではない。ただ、変化した世界。
人類は、適応し、生き延びた。
そして、これからも生き延び続ける。
たとえ、淡水という自然の恵みを失っても。




