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水が死んだ日  作者: 御影のたぬき


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1 水を失った世界

 私の名前は、水野ハルカ。三十五歳。水処理技術者だ。この名前は、今となっては皮肉でしかない。私が子供の頃、水は豊かなものだった。川で泳ぎ、湖で遊び、雨に打たれることを楽しんだ。しかし、今、淡水は人類最大の敵となった。


 それは、二十年前に始まった。最初の報告は、アフリカの小さな村からだった。子供たちが次々と高熱を発し、意識を失い、そして死んでいった。最初は、新型のウイルスかと思われた。しかし、調査の結果、原因は既知の病原体だった。フォーラネグレリア。脳食いアメーバと呼ばれる、淡水に生息する原生生物だ。


 従来、フォーラネグレリアは暖かい淡水、特に温泉や湖で見られた。感染は稀で、年間数十例程度だった。しかし、何かが変わった。アメーバは、突然変異により、塩素耐性と低温耐性を獲得した。そして、爆発的に広がり始めた。


 私は、当時まだ学生だった。大学で環境工学を学んでいた。ニュースでアフリカの感染拡大を見たが、遠い国の出来事だと思っていた。しかし、数ヶ月後、感染は南アジアに広がった。インド、バングラデシュ、ミャンマー。人口密度の高い地域で、アメーバは猛威を振るった。


 感染経路は単純だった。鼻腔から侵入する。つまり、淡水が鼻に入れば感染する可能性がある。川で泳ぐ、顔を洗う、鼻うがいをする。日常的な行為が、死への道となった。


 最も恐ろしいのは、人から人への感染がないことだった。これは、一見すると良いことに思える。しかし、実際には逆だった。なぜなら、感染を防ぐためには、淡水そのものを避けるしかないからだ。隔離も、マスクも、ワクチンも効果がない。ただ、淡水を避ける。それだけが、唯一の防御策だった。


 感染後の経過は速かった。鼻腔から侵入したアメーバは、嗅神経を通って脳に達する。そして、脳組織を食べ始める。初期症状は、頭痛と発熱。しかし、数日で意識障害が始まり、最終的には脳の機能が完全に破壊される。致死率は、七十から九十五パーセント。治療法は、ほとんどなかった。


 私が大学を卒業する頃には、感染は世界中に広がっていた。東南アジア、南米、そしてアフリカの内陸部。淡水が豊富な地域ほど、被害は大きかった。


 先進国も例外ではなかった。しかし、対応は速かった。日本では、すべての淡水施設に高度な濾過システムとUV殺菌装置が設置された。水道水は、百度で煮沸されてから供給された。公共プールは閉鎖され、川や湖への立入りは厳しく制限された。


 しかし、発展途上国では、そのようなインフラを整備する余裕がなかった。人々は、川の水を飲み続けた。そして、死んでいった。


 初期の十年間で、推定一億人以上が死亡した。主な被害地域は、アフリカ内陸部、南アジア、東南アジア内陸部、南米内陸部。これらの地域では、水インフラが不十分で、人々は自然の淡水に依存していた。


 私は、卒業後、水処理会社に就職した。当時、水処理技術は、最も需要の高い分野だった。各国政府は、巨額の予算を投じて、水インフラの改善に取り組んでいた。私たちの会社も、アフリカやアジアの各地に派遣された。


 私が最初に派遣されたのは、バングラデシュだった。首都ダッカで、新しい浄水施設の建設に携わった。現場は、混乱していた。毎日、新しい感染者が報告され、病院は満床だった。しかし、私たちは黙々と作業を続けた。浄水施設を一つ完成させるたびに、数千人、数万人の命が救われる。それが、私たちの使命だった。


 ある日、現場で働いていた地元の作業員が倒れた。高熱と頭痛を訴えていた。私は、すぐに病院に運ぶよう指示した。しかし、彼は数日後に死亡した。フォーラネグレリア感染症だった。


 彼には、妻と三人の子供がいた。彼らは、泣き崩れていた。私は、何も言えなかった。ただ、自分の仕事を続けるしかなかった。


 数年後、世界的な死亡者数は、一億五千万人を超えた。間接的な死亡、つまり食料不足、水不足、社会混乱による死亡を含めると、三億人に達すると推定された。これは、二十一世紀最大の人口減少事象となった。


 しかし、文明は崩壊しなかった。人類は、適応した。淡水との関係性を、根本的に変えたのだ。


 淡水は、もはや自然の恵みではなかった。それは、厳重に管理されるべき資源となった。すべての淡水は、浄水施設で処理され、UV殺菌され、煮沸された後、供給された。水道水を飲むことは、絶対に安全だと保証された。しかし、自然の淡水に触れることは、死を意味した。


 水インフラは、軍事レベルの国家重要施設となった。浄水施設や配水管は、厳重に警備された。水インフラの破壊は、戦争行為とみなされた。実際、いくつかの紛争地域では、敵対勢力が相手の水インフラを攻撃し、数千人が死亡する事件が起きた。


 地理的な変化も起きた。海岸都市の人口が急増した。なぜなら、海水は安全だからだ。フォーラネグレリアは、海水では生存できない。海での水泳、釣り、マリンスポーツ。これらは、依然として安全だった。


 一方、内陸部、特に淡水に依存する農村地域では、人口が急減した。人々は、より安全な海岸都市へ移住した。熱帯内陸国家の経済は衰退し、寒冷な海沿い国家が相対的に安定した。


 私は、ある時、内陸部の調査に同行したことがある。かつて五万人が住んでいた町は、今や数千人しか残っていなかった。商店街はシャッターが閉まり、学校は廃校になっていた。残った住民の多くは高齢者だった。若者は、すべて海岸部に出ていった。


 町の中心を流れていた川は、完全に封鎖されていた。コンクリートの壁で覆われ、水は地下を通って流れていた。かつて川沿いには桜並木があり、春には花見客で賑わったという。しかし、今や桜の木は切り倒され、コンクリートの壁だけが残っていた。


 町長は、疲れた顔で語った。


「若い人はみんな出て行きました。残っているのは、動けない老人だけです。あと十年もすれば、この町は消えるでしょう」


「新しい水インフラを整備する計画は?」


「予算がありません。人口が減りすぎて、税収も激減しました。国の補助金も、人口の多い都市部が優先されます」


 これは、日本だけの問題ではなかった。世界中の内陸部で、同じことが起きていた。アフリカの内陸国、チャド、ニジェール、中央アフリカ共和国。これらの国々は、経済が崩壊寸前だった。人口の大半が、海岸部への移住を試みていた。しかし、受け入れ先の国々も、移民の流入に苦しんでいた。


 一方、海岸都市は急速に発展していた。東京、ニューヨーク、ロンドン、シドニー。これらの都市の人口は、倍増していた。高層ビルが次々と建設され、港は拡張された。


 私が住む東京も、劇的に変化していた。かつての内陸部は、人口が減少し、空き家が増えていた。しかし、海岸部、特にお台場、豊洲、晴海といったウォーターフロント地域は、高級住宅地となっていた。


 海が見える物件は、プレミアム価格だった。なぜなら、海は安全だからだ。海での生活は、心理的な安心感をもたらした。


 私も、数年後に日本に帰国した。そして、東京の水処理施設で働くようになった。東京は、海に面した都市だ。人口は、感染拡大前よりも増加していた。内陸から移住してきた人々で溢れていた。


 しかし、東京でも、淡水に対する恐怖は根強かった。川には、誰も近づかなかった。隅田川、多摩川、荒川。かつては市民の憩いの場だったこれらの川は、今や立入禁止区域となった。川岸には、高いフェンスが設置され、警告標識が立てられていた。「淡水危険。立入禁止。違反者は処罰されます」。


 公園の噴水も、すべて撤去された。子供たちが水遊びをすることは、もはや許されなかった。プールは、海水を使用するものだけが許可された。淡水プールは、すべて閉鎖された。


 教育も変わった。水泳の授業は、海でのみ行われた。子供たちには、幼い頃から教え込まれた。「淡水に顔をつけるな。淡水で遊ぶな。淡水は死だ」。


 私の息子ユウキが小学生だった頃、学校では水安全教育が必修科目となっていた。週に二時間、子供たちは水の危険性について学んだ。


 授業では、フォーラネグレリアの顕微鏡写真が示された。小さな、アメーバ状の生物。しかし、その小ささが、恐ろしさを増していた。目に見えない敵は、最も恐ろしい。


「この生き物は、鼻から入って、脳を食べます」


 教師は、淡々と説明した。


「だから、絶対に淡水で顔を洗ってはいけません。川や湖で泳いではいけません」


 子供たちは、真剣な顔で聞いていた。ある女の子が、手を挙げた。


「先生、雨はどうですか?」


「雨も淡水です。だから、雨に当たる時は、必ず傘をさしてください。顔を濡らさないように」


 別の男の子が聞いた。


「プールは?」


「プールは、海水を使っているものだけが安全です。学校のプールも、海水です」


 実際、学校のプールは、海水で満たされていた。塩辛く、目が痛くなる。しかし、それが安全の証だった。


 体育の授業では、海での水泳が教えられた。しかし、多くの学校は海から遠かった。だから、年に数回、バスで海に行く遠足が組まれた。


 私は、ユウキの遠足に付き添ったことがある。子供たちは、初めて海を見て興奮していた。しかし、同時に、緊張もしていた。水への恐怖が、深く刻み込まれているからだ。


「海は安全なの?」


 ユウキが聞いてきた。


「ええ、海は安全よ。海水には、アメーバはいないの」


 ユウキは、恐る恐る海に入った。波が足に触れると、びくっとした。しかし、徐々に慣れていった。そして、最終的には、笑顔で泳いでいた。


 しかし、帰り道、ユウキは言った。


「お母さん、やっぱり水は怖い」


「どうして?海は安全だったでしょう」


「うん、でも、何か怖い。水に入ると、悪いことが起きそうな気がする」


 これが、新世代の感覚だった。彼らは、生まれた時から水の恐怖を教え込まれている。理屈では海が安全だとわかっていても、本能的に水を恐れている。


 学校の図書館には、古い本があった。かつての水遊びの文化を記録した本だ。川で泳ぐ子供たち、湖でボートを漕ぐ家族、滝で水浴びをする人々。写真を見た子供たちは、信じられないという顔をした。


「昔の人は、こんなことをしていたの?」


「信じられない。死んじゃうよ」


 教師は、説明した。


「昔は、アメーバがいなかったの。だから、安全だったのよ」


「じゃあ、今はもう絶対にできないの?」


「そうね。今は、できないわ」


 子供たちは、残念そうだった。しかし、それが現実だった。


 私には、一人息子がいた。名前は、ユウキ。彼が生まれた時、私は誓った。この子を、絶対に淡水から守ると。


 ユウキは、川を見たことがなかった。いや、正確には、川の存在は知っていたが、近づいたことはなかった。彼にとって、川は、歴史の教科書に出てくる、遠い過去の存在だった。


 ある日、ユウキが聞いてきた。


「お母さん、昔の人は、川で泳いだの?」


「ええ、そうよ」


「怖くなかったの?」


「当時は、アメーバがいなかったから」


「じゃあ、今は?」


「今は、絶対にダメ。川に近づいたら、死ぬわ」


 ユウキは、真剣な顔で頷いた。彼は、水の恐怖を理解していた。


 経済構造も大きく変わった。淡水漁業は、ほぼ壊滅した。川や湖での漁は、危険すぎた。淡水魚も、アメーバに感染していた。魚自身は死なないが、その体内にアメーバが存在する可能性があった。淡水魚を食べることも、リスクとなった。調理時に十分に加熱すれば安全だが、多くの人々は淡水魚を避けるようになった。


 温泉観光も衰退した。温泉は、フォーラネグレリアが好む環境だった。温かく、淡水で、栄養が豊富。多くの温泉地が閉鎖された。わずかに残った温泉も、厳重な管理の下で運営された。湯は、毎日完全に入れ替えられ、高温で殺菌された。しかし、それでもリスクを恐れて、客足は遠のいた。


 河川レジャー産業も消滅した。ラフティング、カヌー、釣り。これらは、すべて過去のものとなった。


 一方で、拡大した産業もあった。水処理装置産業は、世界最大の産業の一つとなった。超濾過膜技術、UV殺菌装置、熱殺菌システム。これらの技術を持つ企業は、莫大な利益を上げた。


 海洋漁業も拡大した。海水は安全だったからだ。マグロ、サケ、イワシ。海の魚は、依然として安全に食べられた。海洋資源への依存度が、さらに高まった。


 海水利用技術も発展した。海水淡水化プラントが、世界中に建設された。海水を淡水に変換し、それを厳重に管理する。これが、新しい水供給の標準となった。


 生態系への影響も深刻だった。淡水魚の三十から六十パーセントが減少した。アメーバに感染した魚は、神経系に異常をきたし、正常に泳げなくなった。そして、餓死した。


 両生類は、さらに深刻だった。カエル、サンショウウオ、イモリ。これらは、淡水に依存する生物だ。彼らもアメーバに感染し、大量に死亡した。一部の種は、完全に絶滅した。


 熱帯淡水域の生態系は、崩壊した。アマゾン川、メコン川、コンゴ川。これらの大河は、かつて豊かな生態系を支えていた。しかし、今や、死の川となった。魚は減少し、鳥も去り、植物も枯れた。


 しかし、海洋生態系は維持された。海は、依然として生命に満ちていた。人類は、ますます海に依存するようになった。


 社会文化も変質した。川遊びの文化は、完全に消滅した。かつて、夏になると子供たちは川で泳いだ。しかし、今やそのような光景は、古い映画の中にしか存在しない。


 水泳教育も衰退した。プールは海水を使用するものだけが残ったが、その数は限られていた。多くの子供たちは、泳ぎ方を知らないまま育った。


「水に顔をつけるな」は、常識となった。洗顔も、シャワーも、細心の注意を払って行われた。鼻に水が入らないように、常に警戒した。


 海が、唯一の水レジャー空間となった。夏には、海岸が人で溢れた。しかし、それは以前とは違う雰囲気だった。人々は、海を楽しむと同時に、淡水への恐怖を忘れるために海に来ていた。


 水に対する心理的恐怖が、社会に深く定着した。子供たちは、雨を怖がった。雨水も淡水だからだ。傘をさし、レインコートを着て、顔を濡らさないように注意した。


 災害時の脆弱性も明らかになった。洪水が発生すると、感染が爆発的に広がった。川が氾濫し、街が水浸しになると、人々は淡水に囲まれた。避難所でも、感染が広がった。


 ある年、日本で大規模な洪水が発生した。豪雨により、複数の河川が氾濫した。数万人が避難を余儀なくされた。避難所では、人々はパニックになっていた。水に触れたかもしれない、感染したかもしれない。そのような恐怖が、人々を支配した。


 私も、緊急対応チームの一員として現地に派遣された。避難所は、混乱していた。人々は、水道水を飲むことを拒否していた。水道管が破損し、未処理の水が混入している可能性があるからだ。


「水を飲まないと、脱水症状になります」


 医師が説得したが、人々は聞かなかった。


「その水は安全なんですか?検査したんですか?」


「検査はまだです。しかし、おそらく大丈夫です」


「おそらく?それでは信用できません」


 避難所には、わずかなボトル水しかなかった。それを数千人で分け合わなければならなかった。一人当たり、一日五百ミリリットル。それでは、到底足りなかった。


 私たちは、緊急で浄水装置を設置した。ポータブルのUV殺菌装置と、濾過システムだ。しかし、処理能力には限界があった。一時間に百リットルしか処理できない。数千人分には、全く足りなかった。


 三日目、最初の感染者が出た。四十代の男性だった。洪水の時、避難する際に川の水に顔が浸かったという。彼は、高熱と激しい頭痛を訴えた。すぐに病院に搬送されたが、手遅れだった。


 彼の死は、避難所に恐怖を広げた。人々は、自分も感染しているのではないかと疑い始めた。些細な頭痛でも、パニックになった。


 実際、洪水の後、数百人が感染し、そのうちの七十パーセントが死亡した。これは、平時では考えられない数字だった。平時には、水インフラが機能しており、感染は極めて稀だった。しかし、災害時には、制御が不可能になった。


 政府は、災害対策を強化した。各地に、緊急用の大型浄水装置を配備した。また、災害時の水の配給システムも整備された。しかし、それでも完璧ではなかった。自然災害は、予測不可能だ。そして、その度に、人々は水の恐怖に直面した。


 停電も、致命的だった。停電すると、浄水システムが停止する。水道から供給される水は、未処理の可能性がある。人々は、水を飲むことを恐れた。備蓄していたボトル水だけが頼りだった。


 難民キャンプでも、集団感染が発生した。紛争地域から逃れてきた難民たちは、適切な水インフラがないキャンプで暮らしていた。そこでは、川の水を使わざるを得なかった。そして、多くの難民が感染し、死亡した。


 私は、そのようなニュースを見るたびに、無力感に襲われた。技術は進歩している。水処理システムは、日々改良されている。しかし、それでも、世界中のすべての人々を守ることはできない。


 十年が過ぎた。感染による直接的な死亡者数は、減少傾向にあった。先進国では、水インフラが完全に整備され、新規感染はほとんどなくなった。しかし、発展途上国では、依然として感染が続いていた。


 世界的な死亡者数は、最終的に二億人を超えた。間接的な死亡を含めると、三億から四億人と推定された。これは、人類史上、戦争以外では最大の死亡者数だった。


 しかし、人類は絶滅しなかった。文明も崩壊しなかった。ただ、水との関係性が、永遠に変わっただけだった。


 私は、四十代になった。息子のユウキは、高校生になっていた。彼は、水処理技術に興味を持っていた。私の仕事を見て、それを継ぎたいと言った。


「お母さんの仕事は、すごいと思う。人々の命を守っている」


 ユウキの言葉は、私を励ました。しかし、同時に、悲しくもあった。彼は、川で遊ぶ楽しさを知らない。湖で泳ぐ喜びを知らない。彼にとって、淡水は、ただの危険物だった。


 ある日、私はユウキを連れて、かつて川だった場所に行った。今や、そこは乾いた河床だった。水は、すべて地下の管を通って、浄水施設に送られていた。地上には、水は流れていなかった。


「ここに、昔は川が流れていたの」


 私は、ユウキに説明した。


「魚が泳ぎ、鳥が水を飲み、人々が遊んでいた」


 ユウキは、乾いた河床を見つめた。


「今は、何もないね」


「ええ。でも、これが今の現実よ」


 私たちは、しばらくそこに立っていた。風が吹いて、砂埃が舞った。かつて水が流れていた場所は、今や砂漠のようだった。


 帰り道、ユウキが言った。


「将来、またここに川が流れる日が来るかな」


 私は、答えに窮した。正直に言えば、その可能性は低い。フォーラネグレリアを完全に根絶することは、ほぼ不可能だ。アメーバは、あまりにも広く分布し、あまりにも適応力が高い。


「わからないわ。でも、私たちは諦めない。いつか、安全な淡水を取り戻すために、研究を続けるの」


 それは、半分は本当で、半分は希望だった。世界中で、フォーラネグレリアの研究が続けられていた。より効果的な殺菌方法、遺伝的耐性の開発、アメーバの弱点の発見。しかし、決定的な解決策は、まだ見つかっていなかった。


 数年後、私は国際水処理会議に出席するため、シンガポールに行った。シンガポールは、水管理の最先端を行く国だった。国土が小さく、淡水資源が限られているため、海水淡水化と水の再利用に早くから取り組んでいた。


 会議では、世界中の専門家が集まり、最新の技術と研究成果が発表された。ある研究チームは、ナノフィルター技術の新しい応用を発表した。別のチームは、遺伝子編集によるアメーバの弱体化を試みていた。


 しかし、最も印象的だったのは、オーストラリアの研究者の発表だった。彼女は、人間の遺伝的耐性についての研究を発表した。


「我々は、過去二十年間の感染者データを分析しました。その結果、ごく一部の人々が、フォーラネグレリアに対して自然な耐性を持っていることがわかりました」


 会場は、静まり返った。


「これらの人々は、淡水に曝露されても、感染しません。あるいは、感染しても軽症で済みます。我々は、その遺伝的要因を特定しました」


 彼女は、遺伝子の配列を示した。特定の遺伝子変異が、免疫系を強化し、アメーバの侵入を防ぐらしい。


「もし、この遺伝子変異を人工的に導入できれば、人類はフォーラネグレリアへの耐性を獲得できるかもしれません」


 会場は、興奮に包まれた。これは、希望だった。しかし、同時に、倫理的な問題も提起された。人間の遺伝子を改変することは、許されるのか。


 会議の休憩時間、私は他の参加者たちと話した。ある中国の研究者は、楽観的だった。


「遺伝子治療は、すでに多くの疾患で実用化されている。フォーラネグレリア耐性も、技術的には可能だ」


 しかし、ドイツの倫理学者は、慎重だった。


「問題は技術ではない。倫理だ。人間の遺伝子を、予防目的で改変することは、優生学につながる恐れがある」


 議論は、何時間も続いた。しかし、結論は出なかった。


 会議の後、私はその研究者、エミリー博士と話す機会があった。


「あなたの研究は、素晴らしい。しかし、実用化までにどれくらいかかりますか」


 エミリー博士は、現実的な答えをした。


「最低でも十年。おそらく、二十年以上かかるでしょう。遺伝子治療の安全性を確認し、倫理的な承認を得る必要があります」


 私は、頷いた。それでも、希望があることは重要だった。


 日本に帰国した後、私はユウキに会議の内容を話した。彼は、目を輝かせた。


「じゃあ、将来、僕たちは淡水で泳げるようになるかもしれないんだね」


「そうね。でも、それはまだ遠い未来よ」


 ユウキは、少し残念そうだったが、すぐに笑顔になった。


「でも、希望があるってことだよね」


「ええ、希望はあるわ」


 それから十年が経った。私は五十代になり、ユウキは水処理技術者として働いていた。彼は、私よりも優秀で、新しい濾過技術の開発に携わっていた。


 世界は、さらに変化していた。完全閉鎖型水循環都市が、各地で建設されていた。これらの都市では、すべての水が循環利用された。雨水は集められ、処理され、再利用された。外部からの淡水の流入は、完全に遮断された。


 自然河川は、保護区化された。人間の立入りは、厳しく制限された。河川は、野生生物のためだけに存在するようになった。しかし、その野生生物も、アメーバの影響で激減していた。


 水利用は、高度管理社会となった。すべての水の使用は、記録され、監視された。無駄な水の使用は、罰せられた。水は、最も貴重な資源となった。


 私は、ある日、孫を連れて海に行った。ユウキの娘、サクラは五歳だった。彼女は、海を見るのは初めてだった。


「おばあちゃん、これが海?」


 サクラは、目を輝かせた。


「ええ、そうよ。海は安全よ。ここでは、泳いでもいいの」


 サクラは、砂浜を走り回った。そして、波打ち際で遊んだ。彼女の笑顔を見て、私は嬉しくなった。しかし、同時に、悲しくもあった。


 彼女は、川を知らない。湖を知らない。淡水の美しさを、知らない。彼女にとって、水とは海水だけだった。


 夕方、私たちは海岸を歩いた。サクラが聞いてきた。


「おばあちゃん、川って何?」


「川は、山から海に流れる水よ」


「どうして、川では遊べないの?」


「危ないからよ。川には、悪いアメーバがいるの」


 サクラは、少し考えた。


「アメーバって、何?」


「小さな生き物よ。目には見えないけど、とても危険なの」


「じゃあ、ずっと川では遊べないの?」


 私は、サクラの手を握った。


「わからないわ。でも、いつか、また川で遊べる日が来るかもしれない」


 それは、私の希望だった。しかし、現実的には、その日が来る可能性は低かった。


 その夜、私は昔の写真を見た。子供の頃の写真だ。川で泳いでいる私が写っていた。笑顔で、楽しそうだった。


 私は、その写真を長い間見つめた。あの頃の世界は、もう戻ってこない。人類は、淡水を失った。そして、それと共に、何か大切なものも失った。


 しかし、人類は生き延びた。適応し、新しい文明を築いた。それは、水を失った文明だった。しかし、それでも文明だった。


 私は、写真をアルバムに戻した。そして、窓の外を見た。夜の街が、光っていた。人々は、普通に生活していた。水道から水が出て、シャワーを浴びて、料理をして。


 表面上は、何も変わっていないように見える。しかし、根本的に、すべてが変わっていた。


 水は、もはや自然の恵みではなかった。それは、人間が厳重に管理し、制御しなければならない資源だった。


 そして、それが、新しい常識となった。


 私は、ベッドに入った。そして、考えた。この世界で生きることは、幸せなのだろうか。


 答えは、簡単には出なかった。しかし、一つだけ確かなことがあった。


 人類は、生き延びた。そして、これからも生き延び続ける。


 たとえ、水を失っても。


 たとえ、淡水という自然の恵みを失っても。


 人類は、適応し、進化し、生き続ける。


 それが、人類の本質だった。


 そして、私は、その一部だった。


 私は、目を閉じた。明日も、仕事がある。水を安全にするための仕事が。


 それが、私の使命だった。


 そして、それが、この新しい世界で生きるということだった。


 水を失った世界。


 しかし、希望を失っていない世界。


 それが、私たちの世界だった。

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