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森の端から、人の村へ

 朝、テントの入口をめくると、ひんやりした空気が頬を撫でた。


 森の端っこ。簡易テントとガタガタの調理台と、折りたたみコンロ。ここが、今のところ俺の「店」であり、「家」だ。


「さて、在庫確認でもしますかね」


 独り言を言いながら、荷袋をひっくり返す。


 干し肉、少々。乾燥野菜、そこそこ。森で掘った芋が、ごろごろと転がり出る。あとはあれからビビリ鳥が大量に持ってくるようになった瘴気の実でできたコンポート。


「問題は……こっちだな」


 小さな袋の口を開ける。中に入っているのは、白いもうだいぶ少なくなった――塩。その他の調味料もほとんど空に近い。


 指でつまんでみて、ため息が出た。


「そろそろ、底が見えてきたなあ」


 油の瓶も持ち上げてみる。ちゃぷちゃぷと鳴る音が、心なしか軽い。感覚的に三割くらい。


 そして何より。


「鍋が一つだと、コンポートとその他の食材の同時進行がつらいんだよね……」


 昨日もそうだった。ビビリ鳥用のコンポートを作っている間、スープのほうを中断せざるを得ず、仕込みのリズムが崩れた。


 ふと、腰袋の重さが気になって、中を覗く。銀貨と銅貨が、控えめに光っていた。


 王宮を追い出されるときに渡された退職金。それと、町でテントやコンロを買った後の残り。


 数えなくても分かる。決して安心はできないくらいの量だ。


(このまま森でスープ配ってるだけだと、そのうち詰むよな……)


 料理で食っていければ一番いい。けれど、この辺には客どころか、人間の姿すらほとんどない。


 そう思っていたところに――


『物が足りぬ顔をしておるな、人間よ』


 頭の奥に、低い声が響いた。


「うおっ」


 思わず声が出て、近くで丸くなっていたシロがぴくりと耳を立てた。


 姿は見えない。でもこの声は、聞き覚えがありすぎる。


「……グラードさんですか」


『他に誰がいる。森の長を、もう少しありがたがれ』


 相変わらずえらそうだ。だが、こちらの事情には妙に詳しい。


「まあ、その、塩とか鍋とか、いろいろ足りないなーって考えてまして」


『ならば、森を抜けた先の人間の村に行けばよい。ここから数刻ほど歩いたところだ』


「村?」


 思わず聞き返す。


『ヴィンセント領とやらの端の村だ。お前のいた王都とは違うが、一応は“ちゃんとした領地”の一部よ。本城はもっと先の谷の向こうにある』


 そういえば、ここがどこの領地なのか、考えたこともなかった。


『村には、鍋も塩も、ある。金も通用する。……貧しいがな』


 最後の一言が、妙に重かった。


「貧しい……?」


『本城からの物資が細くなって久しい。瘴気も強くなっておる。腹を空かせた人間は、魔物より厄介だぞ』


「物騒な例えやめてくださいよ」


 そう言いつつも、行くしかないという気持ちは、もう固まりつつあった。


 このままでは、いずれどうにもならなくなる。なら、動けるうちに、動いておいたほうがいい。


「シロー」


 テントの中から、白い毛玉が自分用の布切れをくわえたまま顔を出した。


 尻尾をぶんぶん振っている。呼ぶ前から「どこ行くの?」という目をしていた。勘がいい。


「ちょっと遠くまで買い出しに行こうと思うんだけど」


 と言い終わる前に、シロは「行く!」と言わんばかりに飛びついてきた。


 前足で俺の膝をかりかりかき、布切れをぶんぶん振り回す。


「いや、お前が行きたいのは分かるんだけどさ……」


 ちょっとだけ不安が胸をかすめる。


 人間の村に、魔物を連れて行く。


 それは、前の世界で言えば、犬どころか野生の狼を連れて繁華街を歩くようなものかもしれない。


(グラードさん、聞こえます?)


 さっきと同じように、頭の中でそっと呼びかけてみる。


 少し間を置いてから、どすんと重たい声が返ってきた。


『……聞こえておる。慣れぬくせに、続けて呼ぶな。頭が焼けるぞ』


「すみません。あの、村に行くとき、シロも連れて行って大丈夫ですか?」


『シロを置いて行っても、勝手についてくるだろう』


「それはそうかもしれませんけど」


『……あの村には、魔物を追い払う余裕も兵も、今はほとんどおらん。シロほどの子をわざわざ狙う暇があるなら、自分たちの腹を満たすことを考えるだろうな』


 それもそれで、どうなんだという気はするが。


『むしろ、森の瘴気にはシロの鼻が役に立つ。お前ひとりでうろつくより安全だ』


「なるほど」


『ただし――』


 声が少しだけ低くなる。


『人間は、腹が減ると目が曇る。危なくなったら、すぐに念を飛ばせ』


 そこで、声がふっと途切れた。


 同時に、頭の奥のほうがじんわり重くなった。


「……これ、けっこう疲れますね」


 シロが心配そうに俺の顔を覗き込んでくる。


「大丈夫大丈夫。ただの軽い二日酔いみたいな感じだから」


 前世でさんざん味わったアレに比べれば、まだ余裕だ。


「よし、行くか」


 鍋を空にし、コンロの火を完全に落としたのを確認してから、最低限の荷物をまとめる。


 財布、ナイフ、小さな布袋、予備の干し肉。それから、森の芋を数個。


「シロ、行くぞ」


 白い毛玉は布切れを放り出し、ぴょん、と俺の足もとに飛びついてきた。


 テントの布を下ろし、森の奥へじゃなく、人間の世界のほうへと足を向ける。


 森を抜ける道は、思ったよりちゃんと道になっていた。


 人が歩いた痕跡。車輪の跡。ときどき見える、炭になった焚き火跡。


(やっぱり、人は人で、ここで生きてるんだな)


 人間の気配が遠ざけたくなって、王宮を出た。


 それなのに、こうしてまた人の住処に向かっているのだから、我ながら矛盾している。


 でも、まあ――


「料理のためだしな」


 自分で自分にそう言い訳しながら歩いていると、やがて視界の先に開けた土地が見えてきた。


 木々がまばらになり、低い柵が現れる。


 柵はところどころ折れ、補修途中の板が乱雑に打ち付けられていた。


 簡素な見張り台の上に、人影が見える。


「止まれー!」


 かすれた声が飛んできた。


 見上げると、槍を持った男が一人。鎧はところどころ錆び、革紐もほつれている。


 俺と、足もとをとことこ歩くシロを見比べて、男は眉を寄せた。


「森に迷い込んだ商人か? ……それは、魔物か?」


「ええと、はい。こいつはシロって言って、まあ、ペット……みたいなもんです。噛みついたりはしません」


 シロは首をかしげ、尻尾を小さく振る。


 見張りの男は、その様子をじっと見てから、ふうと長くため息をついた。


「今さら小さい魔物一匹で騒いでいられるほど、この村に余裕はないさ。好きにしろ。ただ、森のほうへの入り口を勝手に開けたままにするなよ」


「ありがとうございます」


 柵の隙間を抜けて中へ入る。


 これが、魔物領の中にある人間の村――ヴィンセント領の端の村、らしい。

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― 新着の感想 ―
とても読みやすく、楽しく拝読しました! 調理シーンが丁寧に描かれていて、ユウの作る料理をぜひ食べてみたくなりました。 森のはしっこの食卓にこれからどんなお客さんが訪れるのか、そしてどのようなお店へと成…
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