森の長との契約
俺としても、前世では家が狭くずっと犬が欲しいと思っていたから、もふもふを側に置くことはやぶさかではない。でも、どうしても、先ほどグラードが言っていた言葉が引っかかる。
迷っていると、そんな俺を察したようにグラードは口を開いた。
「だから――ユウ」
「はい」
「お前には、このグラードと契約することを許そう」
「許す、って」
「我が長としての許可だ。これでも我と契約したがる人間は多いのだぞ?まぁ、一つ吠えれば去っていくものばかりだったが。」
にやり、という表情を、獣がするのを初めて見た気がした。
俺は、頭をかいた。
「……契約したらどうなるんですか?」
「お互いの位置情報が把握できたり、あとは多少の加護を与えられるくらいだな」
「加護?」
「あぁ、多少の魔物になら攻撃されても無傷でいられる。どうだ?契約したら安全が保障されるぞ」
(確かに、包丁と途中で買ったピストルもどき以外身を守れるものを持ってないしな)
そう考えたところで、獣の遠吠えが聞こえ、背筋に悪寒が走る。
「なかなかいいですね」
ある程度の身の安全はほしい。もしこんな大きい獣がわんさかいるなら、俺の命は1日たりとももたないだろう。
「ちょっと深く考えずに動きすぎたかな」
思わず後悔の声が口から出た。その言葉を聞き、グラードは眉をわずかに跳ね上げ、あっさりと言い切る。
「深く考える人間なら、ここまで来なかった」
「それもそうだ」
思わず笑ってしまう。
森の長と、人間の料理人。
奇妙な会話だが、不思議と噛み合っている気がした。
「では、一つ取り決めをしよう」
「取り決め?」
「ああ」
グラードは腰を下ろし直し、体勢を整えると、改めて俺のほうに顔を向けた。
「ユウ。お前は、ここで飯を作りたいのだな」
「はい」
「ならば、ここを『森のはしっこ』の食卓とする」
さらりと出てきた言葉に、少し驚く。
「森のはしっこ、ですか」
「ここは森の外と中の境目だ。人間も魔物も、どちらも行き来する。ならば、その名はふさわしい」
さらっとネーミングセンスを見せてくる長だった。
「その食卓に来る者は、我が目の届く範囲であれば、守ろう」
「……守る?」
「森の規則に従い、礼を持って飯を求める者に害をなすことは、我は許さぬ」
グラードの声に、さっきまでと少し違う響きが宿る。
これが「長」の声なのだろう。
「荒らしに来る者は、別だがな」
「そこは、お願いします」
俺は深く頭を下げた。
料理はできる。
客と話すこともできる。
だが、荒事にはまるで向いていない。
だからこそ、こうして森の長が「守る」と言ってくれるのは、ありがたかった。
「こちらからも、一つお願いしていいですか」
「何だ」
「……喧嘩は、うちの前ではしないでください」
ぽろっと出た言葉に、自分でも苦笑する。
「喧嘩になったら、料理がおいしくなくなりますから」
前世の店でも、酔っ払い同士が言い合いになりかけたときは、とりあえず味噌汁を出して、落ち着かせたものだ。ただでさえ、狭い店内で喧嘩なんて起こったら、他の食べているお客さんの迷惑になる。
グラードは、一瞬きょとんとした後、ふ、と笑った。
「面白い」
琥珀の目が、少し柔らかくなる。
「よかろう。『森のはしっこの食卓』では、喧嘩はしない。それを、この森の一つの決まりとしよう」
「大丈夫ですか、そんな軽いノリで決めて」
「決まりなど、元は誰かが決めたものだ」
グラードの言葉は、妙に説得力があった。
「では、契約成立だな」
グラードが俺の顔より大きい手を、ぽんっと頭の上に乗せた。
(あ、意外とふかふかの肉球が気持ちいい……。じゃなくて!)
「急に何を……!!」
その瞬間、目の前が白く光った。体に何か温かいものが流れていく。まるで温泉に入った時みたいな。
「これで、契約完了だ。ある程度の魔物になら襲われないだろう。まぁ、この森で生活していく以上多少の戦闘スキルは必要かもしれないが」
「契約するにしても、やり方を教えてほしいです。びっくりしたじゃないですか」
「やり方?この国にいる人間なら習ってるだろう。いや、待て」
グラードが顔を覗き込むようにして、じっと俺の目を見つめてくる。
「奇妙なスキルがあるな⋯⋯。あぁ、そういうことか。ユウ、お前異世界人だな?」
「なんでわかったんですか?」
「簡単だ。異世界人には特有のスキルが必ずついてるからな。そうかそうか、それであの料理を⋯⋯」
「料理つくるのはこの世界では珍しいようですね」
「いや、それもあるが⋯⋯」
グラードは小さく説明するのも面倒くさいからいいかとつぶやくと、ニヤリと笑った。
「いや、しかし、これはいい拾い物をした。ところで、ユウ、小さき影にもう名前は付けたのか?」
「えっと……まだ『お前』とか『もふもふ』とか……」
「名もなく呼ぶのは、少し寂しかろう」
グラードは、森の奥へと視線を流し、少しだけ懐かしそうな声を出した。
「昔、その子の母が、白い毛をよく誇っていた。雪のように白い、と」
「雪、ですか」
「お前の言葉では、どう言う?」
問われて、前世の記憶が自然と口をついた。
「シロ、ですかね」
白。
雪。
シンプルだが、悪くない。
俺の足もとで丸くなっていたもふもふが、ぴくっと耳を動かした。
今の音に反応した、という感じだった。
「……シロ」
もう一度、呼んでみる。
「シロ」
今度は、ぱっと顔を上げた。
黒い瞳が、まっすぐ俺を見る。
尻尾が、ぶん、と大きく揺れた。
(ああ、気に入ったな、これは)
分かりやすいリアクションに、思わず笑ってしまう。
「じゃあ、シロで」
「良い名だ」
グラードも、満足そうにうなずいた。
「シロ。しばらくはその人間のもとにいるといい。飯も、寝床も、ここなら安心だろう」
そう言って、グラードはゆっくりと森の奥に向き直る。
「我らは、森の奥から見守る。何かあれば、声を上げよ」
「届きます?」
「届くようにする」
具体的にどうするのかは分からないが、長がそう言うなら、何とかするのだろう。
グラードと二体の白影は、森の暗がりへと戻っていく。大きな体が木々の影に溶け、やがて目だけがちらりと光り――それも、すぐに見えなくなった。
残されたのは、俺と、小さなシロと、冷めかけたかまどの火。
森の空気が、少しだけ軽くなった気がした。
「……なんか、すごい話だったな」
思わず独り言が漏れる。
魔物領の森の長と話して、契約までして。
たぶん、とんでもなく大きなことをしたのだろうけど、実感はあまりない。
足もとで、シロがあくびをした。
小さな口が開いて、ぺろっと舌が出る。
さっき食べたスープが効いているのか、瞼が重そうだ。
「眠いか」
抱き上げると、驚くほど軽い。
毛のもこもこのぶんだけ膨らんで見えるが、中身はまだ少し痩せている。
でも、さっきより確かに体温がある。
呼吸も、ずっと落ち着いている。
膝の上に乗せてやると、くるりと丸くなって、すぐに目を閉じた。
ふわふわの背中を、そっと撫でる。
「よし、シロ」
名を呼ぶ。
「ここが、しばらくお前の家だ」
シロの尻尾が、寝たまま、ぽよんと揺れた。
「ついでに、俺の家でもある」
そう言って、俺は自分にも聞かせるように笑った。
ようやく、少しだけ落ち着いたところで、俺も遅い昼飯にありつくことにした。
鍋の中の残りを温め直し、残った具と一緒に椀によそう。シロ用にかなり薄味にしていたので、自分のぶんには少しだけ塩を足した。
一口すすると、じんわりと体に染みた。
(ああ……生き返る……)
前世の店で、ピークを乗り切った後に食べるまかないの味に、少し似ていた。
「さて」
腹が落ち着くと、やりたいことが頭に浮かび始める。
まずは、ちゃんとした焚き火スペース。
雨風をしのげる屋根。
食材を干せる場所。
それから、座って食べられる腰掛けくらいは欲しい。
今日は、とりあえず、町を出る前に買ったテントだけ組み立てよう。
膝の上のシロを見る。
すやすやと寝息を立てている。顔を少し寄せると、ふわっとあたたかい毛の匂いがした。スープの匂いも、ほんの少し。
「……よし」
俺はそっとシロを抱え、背負い袋の上にそっと寝かせた。柔らかい布を丸めて枕代わりにしてやると、シロは一度だけ身じろぎし、それからまた、安心したように丸くなった。
「さて、やるか」
俺は包丁ではなく、小刀を手に取り、枝を切り始めた。
シロの寝息と、木を切る音と、遠くで響く森のざわめき。
それらを聞きながら、俺は心の中でそっと思う。
(……ああ、ここなら、案外、悪くないかもしれない)
魔物領のすみっこで、元・定食屋の主人は、新しい店の開店の準備を始めた。




