表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔物領のはしっこで、飯屋はじめます  作者: もちのき


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

2/12

空腹のもふもふと、鍋の音

王都を離れ、しばらくは普通の街道が続いた。


 行き交う商人。旅人。荷馬車。ときおり兵士の一団。道端には畑が広がり、農民たちが額に汗して働いている。前世の田舎道を思い出して、少し懐かしくなった。


 けれど、歩き続けるうちに、景色は少しずつ変わり始めた。


 畑が消える。

 家が減る。

 代わりに、背の高い木々が増えていく。


 空を覆うようにせり出した枝。葉の色は濃く、ところどころ紫がかっている。樹皮には見慣れない苔や、きのこらしきものが張り付いていた。


 鳥の声が少なくなり、その代わりに、正体の分からない鳴き声が森の奥から聞こえてくる。獣の唸りとも、金属音ともつかない、不思議な響き。


 足もとの土は、黒い。

 湿っているのに、どこか痩せほそっている匂いがした。


(おお……いかにも、だな)


 地図に赤く塗られていた領域に近づいているのだろう。


 背負い袋が、肩に食い込む。中身は最低限にしたはずだが、長時間歩くと、どんな荷物でも重く感じるものだ。


「はあ……」


 思わず、声が漏れた。


(歩いたくらいでこんなに疲れるなんて、年だなあ……いや、見た目は若返ってるんだけど)


 前世では三十半ば。いまの身体は、異世界召喚の恩恵なのか分からないが、それより若くなっているはずなのに、疲労感だけはあまり変わらない。ちょっと理不尽だ。


 それでも足を止めなかったのは、足を止めても誰も助けてはくれないからだ。


 歩いて、歩いて――


 さすがに限界を感じ始めた頃だった。


 視界の端で、白いものが動いた気がした。


 いや、動いたというより、転がっている。


 俺は足を止め、その白いものに目を凝らした。


 


 地面に倒れていたのは、小さな、白いもふもふだった。


「……犬?」


 思わずそう呟く。


 いや、犬にしては、耳が大きい。三角形の耳は立っているのに、先だけが少し垂れている。丸い顔に、ふさふさの毛。尻尾は太く、まるで綿飴をねじったみたいに、もこもこしていた。


 毛は本来、雪のように白いのだろう。けれど今は、土と枯葉にまみれて、ところどころ灰色に汚れている。


 近づいて、しゃがみ込む。


 目は閉じている。まつげが驚くほど長い。犬というより、ぬいぐるみか何かに見えた。


 そっと腹のあたりに手を添える。


 ――薄い。


 毛の下は、骨ばっていた。

 肋骨の一本一本が分かるくらいに。


 それでも、かすかに上下している。

 息はしている。


「……腹ペコか」


 口に出した瞬間、胸の奥がきゅっとした。


 前世でも、何度か見た光景だ。


 金がなくて、食うものがなくて、ふらふらになって店の前に倒れ込んでくる学生。顔色が悪いのに「大丈夫です」と笑って、白米だけかき込もうとする客。


 あのときも俺は、考えるより先に、鍋を火にかけていた。


(……変わらないなあ、俺)


 苦笑しながら、背負い袋を下ろす。


 中身は質素だ。


 硬く干した肉。前もって薄く切って干しておいた野菜。小さな鉄鍋と、木の椀。塩が少々。


 でも、それだけあれば、スープくらいは作れる。


 周囲を見回し、風の通りが少ないくぼみに町を出る前に買った簡易コンロを置く。そして、動力源である火の魔法石をそこに入れた。


(……おぉ、火がついた)


 炎ってやつは、世界が変わってもあまり変わらない。

 赤くて、暖かそうで、見ていると少しだけ安心する。


 鍋に水を張り、コンロの上に置く。


 干し肉を取り出し、指でちぎる。硬い。だが、湯に浸せば戻る。


 ぽちゃん、と水面が揺れる。


 すぐに強火にはしない。弱めの火で、じわじわと水温を上げていく。急に沸騰させると、肉が固くなってしまうからだ。


 水面の縁に、小さな泡がぽつぽつと現れ始める。肉の周囲に、薄く白い膜のようなものが浮かぶ。


 ふわり。


 肉の匂いが、ほんの少し立ち上った。


 次に、乾燥野菜の袋を開ける。


 薄く切った根菜と葉物、それから豆類を一掴み。色は地味だが、火を通せばちゃんと甘みが出る。


 ぱらぱら、と鍋に落とす。


 すぐに沈んだものもあれば、水面に浮かんだままのものもある。やがて、どれもふくらみを増し、色を取り戻していく。


 湯気が立ち上り始めた。


 草のような青い香りと、肉の香ばしさが混じる。

 さっきまで鉄臭かった空気が、ほんの少しだけ「台所」の匂いになった気がした。


 ごぽ、ごぽ。


 鍋の中で、湯が静かに動く音がする。


 そのときだ。


 足もとで、かすかな気配がした。


 見ると、さっきまでぴくりとも動かなかった白い鼻が、ひくひくと震えている。


「……分かるか。飯の匂い」


 返事はない。


 けれど、その鼻先は鍋のほうを向いていた。


 俺は火を少し弱める。これ以上強くすると、具が煮崩れてしまうし、何より熱すぎるスープは、弱った身体にはきつい。


 塩をひとつまみ。味見用の木匙で、スープをすくって口に含む。


 舌に広がるのは、干し肉の素朴な旨味と、戻った野菜の甘み。それから、火にかけた時間の分だけ出る、柔らかさ。


(うん。ちゃんと飯だ)


 俺は鍋を火から下ろし、少し冷ます。


 木の椀を取り出し、スープと具をよそう。肉は匙の背で軽くつぶして、小さくしておく。喉に詰まらせたら元も子もない。


「おーい」


 白いもふもふのそばにしゃがみ込み、声をかける。


 まだ目を開ける気配はない。俺は椀をそっと口元に近づけ、スープを少しだけ傾けた。


 一滴が、唇に触れる。


 ぴくり。


 小さな舌が動いた。


 次の瞬間、白い頭がぐいっと椀に突っ込んできた。


「うおっ……!」


 あやうく椀を落としそうになりながら、慌てて支える。スープがこぼれないように、角度を調整する。


 ちゅ、ちゅ、ちゅ。


 小さな音を立てて、もふもふは夢中でスープを啜った。具も一緒に飲み込み、時々むせそうになりながらも、止まらない。


「おいおい、落ち着け。まだあるから」


 そう声をかけながら、俺の口元は自然と緩んでいた。


 最後の一滴まで舐めると、もふもふはふらりと身を引き、その場にぺたんと座り込んだ。


 目が、ゆっくりと開く。


 黒くて大きな瞳。縁に、うっすら涙が溜まっている。


 そして――


 ふさふさの尻尾が、ぶん、と揺れた。


 もう一度。

 もう一度。


 まるで、「美味しかった」と言っているみたいに。


「……そうだな。飯ってのは、こういう顔を見るために作るんだ」


 誰にともなく呟く。


 言葉は通じない。

 でも、腹が満たされた生き物の顔は、世界が違ってもそう変わらない。


 もふもふは、よろよろと立ち上がり、ふらふらとこちらに歩いてきたかと思うと、俺の足に額を押しつけてきた。


 ぐりぐり。


「お、おお」


 バランスを崩しそうになりながらも、笑ってしまう。


(……連れてくしかないよなあ、これは)


 ため息半分、納得半分で、俺は空になった椀を置いた。


 鍋の中には、まだ少しスープが残っている。自分の分としては、十分だ。


 腹を満たし、熱を飲み込んで、背筋が伸びる。


 王宮では、俺の作る飯は「効率が悪い」と言われた。

 ここでは、目の前の一匹の命をつなぐのに、役に立った。


 それだけあれば、十分だ。


「よし」


 自分に言い聞かせるように、言葉を紡ぐ。


「ここで、飯屋をやろう」


 誰も文句を言わない。

 誰も「効率が悪い」と言わない。


 勝手に鍋をかけて、勝手に味を決めて、勝手に食わせる。

 それで文句を言うやつは、ここにはいない。


 白いもふもふ――いつまでも「お前」呼びはなんだから、そのうち名前も考えよう――は、意味も分からないくせに、嬉しそうに尻尾を振った。


 そのときだった。


 カサ、と。


 背後の茂みが、わずかに揺れた。


 風は吹いていない。

 さっきまで、そんな音はしなかった。


 視線を感じる。


 毛穴が、ひやりとする。


 ゆっくり振り返ると、木々の隙間の暗がりに、何かの影が見えた。


 丸い。大きい。

 目だけが、わずかに光っている。


 ひとつ。

 ふたつ。

 みっつ――


(……ああ、そりゃそうか)


 匂いにつられてきたのは、こいつだけじゃない。


 ここは魔物領の入り口。

 森の奥には、たぶん、たくさん「客候補」がいる。


 足もとで、さっきまでのんびりしていたもふもふが、小さく「くぅ」と鳴いた。警戒の色が混じった声。


「大丈夫だ」


 思わず、背中越しにそう言っていた。


 怖くないと言えば嘘になる。

 けれど――


 鍋の横に立ち、俺は腰に差していた包丁に、そっと手を伸ばした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ