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魔物領のはしっこで、飯屋はじめます  作者: もちのき


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行商人ライナー 後編

 森に一歩入ると、空気がぐっと冷たくなった。


 瘴気の匂いも、一気に濃くなる。


 久しぶりに感じるその匂いに体が重くなり、耳鳴りがしてくる。それでも、じいさんの言ったとおりに進んでいくと、ふいに鼻をくすぐる匂いが変わった。


 冷たさの奥に、火の匂いと、何かを煮込んだ匂いが混じり始める。


 木々の間から、布で組んだ簡易テントと、ガタガタの調理台が見えた。


 その前で、白い毛玉が一匹、尻尾を振っている。


 噂どおりの光景だ。


「ごめんくださーい」


 声をかけると、白い魔物が「わふっ」と短く鳴いた。


 テントの中から、黒髪の男が顔を出す。

 年は、自分とそう変わらないか、少し下。


「こんにちは。人間のお客さんって珍しいですね」


 どこか拍子抜けしたような声でそう言った。


「これは失礼。ヴィンセント領の城下から来た行商人、ライナーと申します」


 帽子を取って軽く頭を下げる。


「村の皆さんから、森の料理人がいると伺いまして」


「森の料理人……そう呼ばれてるんですか、俺」


 男は苦笑した。


「まあ、間違ってはないですけど。俺はユウって言います。よろしく」


「こちらこそ。さっそく本題なんですが」


 俺はテント横に積まれているものに目を向ける。


 太く白い骨の束。森猪のものとすぐ分かる大きさだ。


「森猪の骨と牙を、城下に持ち帰りたくてですね。余っているぶんがあれば、買い取らせてもらえませんか」


「骨と牙、ですか」


 ユウが、頷きながら骨のほうを見る。


「村で売ろうとしたら言われました。前に来てた商人が、だいぶ安く持っていったことがあったから、気をつけろって」


 ユウは眉を下げ、少しだけ、困ったような笑みを浮かべる。


「ええ。前に大分粗悪な商人が来たようで……正直に言いましょう。城下の相場だと、状態のいい森猪の牙や骨なら一本金貨一枚、いいものなら二枚は付きます」


「金貨……」


 ユウの目が、わずかに見開く。その反応を見て、金に興味がないわけではないことを確信し、ライナーはほっと胸を下ろした。


 こんなところに好き好んで住む人間なんて、変わり者に決まってる。そういう人間は金では動かないから、どう交渉しようと道中ずっと悩んでいた。


「もちろん、その金額がそのままここに落ちるわけじゃありません。運ぶ間の危険や、間の人間の取り分もありますから。ただ──昔の銅貨数枚より、筋の通ったやり方で取引したいと僕は考えてます」


 俺は骨の束に近づき、一本持ち上げる。


 表面はきれいに白いが、ところどころに、何かに浸かったような色が残っている。


「これは……焼いたあと、何かに使ったんですか?」


「ああ、それは煮てあります。鍋でぐらぐら煮込んで、旨味をもらったあとですね」


「骨を、煮る?」


 思わず聞き返してしまった。


 肉を煮ることはある。それで残った汁は、せいぜい残りをパンで拭う程度のものだ。骨は、肉を削いだら終わり。


 骨そのものを、わざわざ火にかける意味なんて──今まで考えたこともなかった。


「森猪って、肉の匂いがきついじゃないですか。だから骨もそのまま煮ると、汁も重たくなるんですよ」


 ユウは、当たり前のように続ける。


「だから骨を焼いてから、しっかり水を替えながら煮て……ってやると、旨味が出たいい汁が取れるんです」


「旨味……」


 言い慣れない言葉の並びに、やっぱりこのユウという人間は変わり者だと確信した。


 しかし、汁は、あくまで“ついで”だと思っていた。 それを、わざわざ飲むために骨から取る、だと?いや、まて。村人はユウの料理を定期的に食べていると言っていた。


 まさか


「村のみんなにも、それを売っていると」


「ええ。体が温まるって好評ですよ」


 ユウが肩をすくめる。


「今ここにあるのは、その仕事が終わった骨ですね。鍋の中身は、もう空です」


 つまり、今ここにある骨は、すでに“役目を終えたあとなのに”、まだこうして山になって残っている、ということか。


 城下の連中なら、骨を料理に使うという事実に顔をしかめるかもしれない。

 だが、俺にとっては好都合だ。


「でしたら、こうしませんか」


 俺は頭の中で数字を並べる。


「まだ何にも使っていない骨や牙が手に入ったときは、このくらい──」


 銀貨ベースの額を、運送費と自分の取り分を引いたラインで提示する。


「で、今ここにあるみたいに、一度鍋に入れたあとの骨は、それよりは少し落ちますが……これくらい」


 出汁の価値は、俺にはまだ分からない。


 しかし、これまで捨てるだけだったものに値段が付くなら、ここにいる料理人にとっても悪い話ではないはずだ。


「そんなにもらっていいんですか」


 ユウが、素直に驚いた顔をした。


「俺が勝手に決めただけの数字なので、足りないと思ったら遠慮なく言ってください。多いと思っても、そこは黙って受け取ってもらえるとありがたいですが」


「……むしろそんなに親切にしていただいていいのかって感じですね」


 ユウが、苦笑まじりに言う。


「鍋に一度放り込んだ骨なんて、これまでは本当に捨てるしかなかったので。それにこんなに値段がつくなら、かなり助かります」


「俺も助かりますよ。……こんなに森猪の骨が手に入るんですから。それに、ユウさんとはなんだか仲良くしておいた方がいい気がしてるんです。ただの勘ですが」


 話はすんなりまとまった。


 今日は、煮込み済みの骨の束をいくつかだけ買って帰ることにする。

 銀貨を渡し終えたところで、腹がぐうと鳴った。


 そういえば、朝からまともに食ってなかったな。


「ところで、ユウさん」


「なんです?」


「ひとつ頼みがあるんですが──」


 言いながら、自分でも少しおかしくなった。


 森の奥まで来て、骨を買って、さらに何を頼むというのか。


「ここで、何か一杯……その、さっき言っていた旨味のついた汁とやらを売ってもらえませんか」


 ユウが瞬きをする。


「汁、ですか」


「村で噂を聞きましてね。森猪だの瘴気の強い根っこだのを、腹を壊さない料理に変える人がいるって。どうせなら、その腕前をこの舌で確かめておきたいな、と」


「なるほど」


 ユウは少し考えてから、口元を緩めた。


「じゃあ、特別料金でどうです。村で売るときは一杯銅貨1枚くらいですけど、行商人さんの宣伝料ってことで無料で提供します」


「宣伝料?」


「城下の景気のいいお客さんに、『森の端っこに料理人がいる』って、ちょっとだけ広めておいてくれると助かります」


 なかなかしたたかだ。


「その程度なら、喜んで。無料でいただけるなら安いものです」


 頷くと、ユウは「ちょっと待っててください」とテントの中に入った。


 しばらくして戻ってきたときには、手に湯気の立つ椀を持っている。


「はい。残念ながら、森猪はもう使い切ってしまったので、根菜の味噌汁ですが」


 椀の中では、芋や根菜の角切りがいくつか浮かんでいた。


 ──汁、にしては、やけに存在感がある。


 鼻先を近づけると、香ばしく深い香りが立ち上ってきた。


 一口、啜る。


 舌に乗った瞬間、旨味が口の中に広がり、知らないうちにほっと一息吐いていた。


 森の嫌な匂いは、ほとんど感じない。


 湯気と一緒に喉を通り、腹の奥に落ちていく。


 そこで、固く冷たくなっていた何かが、じわじわと溶けていく。


「……これは、すごいですね」


 思わず口からこぼれていた。


「すごい?」


「こんなもの初めて口にしました」


 ユウが、安堵したように笑う。


「この森でとれる物って、もっとこう……食ったあとに胃が重くて、胸が焼けて、そういうものだと思ってました」


 実際、以前この領の城で出された“森猪料理”は、二口目で匙を置きたくなるような代物だった。


「これは、心がほっとする味だ。栄養塊ではとれない成分が入ってますね」


「下ごしらえにかなり気を使ってますから。そのおかげだと信じたいところです」


 ユウはさらりと言った。


「瘴気だのなんだのは、正直俺にも分かりません。とりあえず食べて美味しいと感じるものを目指してたら、いつの間にかこうなってました」


「……十分すぎますよ、それは」


 椀の中身をきれいに飲み干しながら、俺は計算を組み直す。


 森猪の骨と牙が、ここでまともな値段で動くようになれば、城下の連中にとっては損だ。


 しかし、この汁には森猪以上の価値がある。


 ──森の端で、魔物と暮らす料理人が、骨を煮て瘴気の素材を食えるようにしている。


 酒の席でそんな話をすれば、目を輝かせる貴族はいくらでもいる。


「ユウさん」


「はい?」


「城下に戻ったら、骨の買い手たちに今日の話をしておきますよ。森猪の骨や牙が欲しければ、ヴィンセント領の端の村と、その先の料理人とうまく付き合え──って」


「営業までしてもらえるとは」


 ユウが照れたように笑った。


「その代わり、これからも骨と……こういう食べ物を、ほどほどの値段で分けてもらえると助かります」


「料理なら、頼ってもらえるならいくらでも。俺一人とシロだけじゃ、どうせ食べきれませんし」


 あっさりとした返事だ。


 白い魔物──シロと呼ばれていた──が「わふっ」と鳴き、俺の足元をくんくんと嗅いできた。


 まだ椀の縁に残る香りが、名残惜しい。


「今度は、村で売っているときにも買いに行きますよ」


「そのときは、宣伝抜きで普通料金でお願いしますね」


「うまいものなら、銀貨を取られなければ文句は言いません」


 笑い合いながら、俺は骨の束を麻袋に詰め直した。


 腰袋の銀貨が、歩くたびに小さく音を立てる。


 行きよりほんの少しだけ軽くなったお金と、腹の底の温かさを抱えたまま、森を引き返す。


 この出会いが俺の人生を変える。


 そんな確信めいたものを胸に俺の足取りはいつもより軽かった。

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