行商人ライナー 前編
ヴィンセント領の端の村に来るのは、これで何度目だろう。瘴気が多く、同業者達は嫌がってなかなか来ないため、まだ他の行商人に比べて新米者の俺にとっては、危険はあるが、絶好の商い場所だ。
荷馬車のきしむ音を聞きながら、いつものひび割れた柵をくぐった。
前に来たときより、さらに人が少ない。昼近くだというのに、広場を歩くのは数えるほどだ。顔つきも、前来た時よりやつれている。
そういえば、栄養塊の値段がまた上がったって話だったな。
城下の倉庫で聞いた噂を思い出す。貴族と兵の腹を満たすだけで精一杯で、端の村まで回す分はほとんど残っていないらしい。
荷馬車を広場の端に止め、手綱を柱にくくりつける。
「おう、ライナーじゃないか」
声をかけてきたのは、いつもの道具屋のじいさんだ。
腰は曲がったが、目だけはまだぎらぎらしている。まだ、やり手だった行商人時代の名残が残っているようで何よりだ。
「ご無沙汰してます、まだ元気そうで何よりです」
「口だけはな。腹はとっくに痩せ細っとるよ」
笑いながらも、冗談に聞こえない。
「で、今日は何を買いに来た」
「森猪の骨と牙ですよ」
俺は手で大きさを示す。
「城下じゃ、最近また森猪素材の注文が増えてましてね。魔道具師や鍛冶屋が競うように欲しがるんです。魔法の伝導力が強いだの、衝撃を逃がすだの言ってね。流通している数自体が少ないので、価値がどんどん上がってますよ」
「そりゃそうだろうよ。あんなもん、わざわざ狩りに行きたがる物好き、そうはおらん。瘴気の中に入るのはリスクが高すぎる」
じいさんは鼻を鳴らした。
「……それを求めてきたんだったらな」
そこで声の調子が少し変わった。
「うちの村じゃ、もうほとんど森猪は獲りに行っとらん」
「瘴気がきつくなったから、ですか」
「それもある。もう一つは――買い叩かれるのに、命を張るのが馬鹿らしくなったからだ」
じいさんの目が、昔を思い出すように細まる。
「前に来てた行商どもはな、丸々一本の立派な牙でも、銅貨数枚なんて値を平気で付けていきやがった。骨なんか、束にしても銅貨一枚だ」
「……」
心当たりが、ないわけじゃない。
森猪の牙は、城下に持っていけば確かに高く売れる。一本で金貨一枚、状態が良ければ二枚つくこともある。道中の危険やら、間に入る連中の取り分やらを考えれば、行商側だって楽じゃない。
だが、それにしたって、銅貨数枚はやりすぎだ。
「それでも昔は、他に売り先がなかったからな。『銅貨になるだけマシだ』って言って、森に入る奴もいた」
じいさんは肩をすくめた。
「今は、骨が欲しけりゃ、別の場所を当たるこったな」
「別の場所?」
「森の端だ」
じいさんが顎で森のほうをしゃくる。
「最近な、『森の料理人』が住み着いた。白いもふもふを連れた、変わり者の人間だ」
森の料理人。
城下に来る噂話にも、確かにそんな言葉が混じっていた。
森の瘴気のきつい素材を、腹を壊さない料理に変えてしまう奴がいる――と。
「そいつが、森の長とやらに気に入られたらしくてな。森猪の肉や骨を分けてもらって、村にもたまに料理を売りに来るんだよ。あんたが前に来てた頃よりか、俺達はやつれているかもしれないが、それでも、ちょっと顔色がマシなのは、たぶんあいつのせいだ」
広場の片隅に目をやると、子どもたちが楽しそうに駆け回っている。確かに前に来たときは、もっと鬱々とした雰囲気だった。
「で、その料理人さんのところには、骨や牙がある、と」
「あるだろうさ。森猪一頭分まるごとは食いきれまい」
じいさんはニヤリと笑う。
「この村で安く買い叩くつもりなら、そこへ行っても無駄だがな」
一瞬鋭くじいさんがこちらを睨む。
「今日は、そのつもりはありませんよ」
俺は苦笑した。
牙や骨が金貨や銀貨になることを、城下の連中だけが知っている時代は、もう終わりだ。
こっちが少しでも長くこの領で商売を続けたいなら、それなりに筋は通しておいたほうがいい。なにより、俺がこの人を騙しきれる自信はない。
「森の料理人の場所、教えてもらえます?」
「おうよ。森の入口からまっすぐ入って、瘴気の木の手前を右だ。変な布のテントと、ガタガタの台が見えたらそこだ。白いのも、だいたいいる」
白いの、というのは、噂の魔物だろう。
俺は礼を言って、くくりつけていた荷馬車を外し、骨を包むための麻袋を用意しながら、教えてもらった場所へと進み始めた。




