森のお客さん、そして味噌!!
森猪スープを売りに村へ行った日から、二日ほどたった朝だった。
テントの入口を開けると、いつもの冷たい森の空気が流れ込んでくる。
「さむ……」
「きゅっ」
足もとでシロがくしゃみみたいな声を出した。白い毛が膨らんで、いつもより二割増しくらいで丸い。
「お前はモフモフ増やせるからいいよなあ。俺なんか服一枚だからなあ」
「くるるっ」
楽しそうにくるくるまわるシロ。
折りたたみコンロの上には、昨夜のうちに仕込んでおいた、薄い野菜スープがまだ少し残っている。朝ごはんを温め直しながら、鍋の数と調味料の量を確認した。
「塩は……この前の村で補充したぶんがある。醤油も、まだ半分くらい。味噌の実は……」
手探りで布袋の中を探ると、ころんとした固い感触がいくつか指先に当たった。
味噌みたいな匂いのする謎の実――この前、森の狸みたいな魔物からもらったやつだ。割ると中に発酵したペースト状のものがぎっしり詰まっていて、それを舐めたら、見事に味噌っぽい味だった。
「こいつ、ほんと優秀だよな」
「きゅ?」
シロにはまだ良さが分からないらしい。
「ちゃんと味噌汁っぽいの、作ってみるか……」
ぼそっと呟いた瞬間だった。
「ほう、その“みそしる”とやらが、今日の話題か」
「うおっ」
脳内に響いた低い声に、思わず鍋の蓋を落としかけた。
振り返ると目の前にグラードの顔があった。月じゃなく朝日を背負ってるときも、でかさは変わらない。
「グラードさん、心臓に悪いですよ毎回」
「お前が気付かぬだけだ。気配くらい簡単に読み取れるようになれ」
偉そうに言うなあ。
「それより人間。言っておいたぞ」
「言っておいた……?」
「お前の料理の噂と、対価を持ってくれば、誰でも一杯は食えるとな」
「は?」
何を広めてるんですかこの森の長は。
「森の者たちは、いい匂いには敏いからな。ここの煙が風に乗るたび、腹の奥まで温まる匂いがすると騒いでおる。放っておけばそのうち勝手に押しかけてきたろう」
「大量押しかけられたら困りますね」
「だからこそ、あらかじめ形にした。噂だけで集まるより、約束を決めておいたほうが秩序が保てる」
グラードが顎をしゃくる。
「外を見ろ」
恐る恐るテントの外に顔を出すと――
「……なんだあれ」
テントの前の小さな空き地いっぱいに、魔物がいた。
狼みたいなのが二体、耳の長いウサギみたいなのが三匹、その奥には、前に森猪を狩ったときにも顔を見た小型の魔物たち、そして、木の幹に半分張り付くようにしてこちらを見ているトカゲみたいな魔物。
みんな、それぞれ何かを抱えている。
根っこ、葉っぱ、キノコ、木の実――食材っぽいもの。
視線だけは、そろってテントのほうを見ていた。
「いつのまに!?」
「わふっ!」
シロだけがやたらテンション高く、尻尾をぶんぶん振って前に飛び出していった。
狼っぽい魔物の一体がシロを見るなり「ぐるる」と喉を鳴らしかけるが、すぐ横からグラードの一睨みが飛んで黙る。
「列を崩すな。あくまでここは“料理の前”だ」
「列っていう概念あるんだ……」
ぽつりと呟くと、グラードが鼻を鳴らした。
「森の長が言えばな」
そりゃそうだ。
「ええと、みんな、スープを食べたいから来たんですか?」
手前の狼魔物に声をかけてみると、そいつは一瞬びくっとしてから、胸に抱えていた束をそろそろと差し出してきた。
土付きのままの、細長い根菜だった。
「森の根だ。お前が先日、村で煮ておったのと同じものだろう」
「あ、本当だ。瘴気抜きに下茹でしたやつですね」
鼻を近づけてみる。皮の表面から、かすかに棘みたいな匂いがするが、前に扱ったときほどきつくはない。
「ちゃんと選んでくれてるんですね。ありがとう」
「くぅん」
狼魔物はどこか照れたように耳を動かし、列の後ろへと退いた。
次は、ウサギ耳の魔物たちが、両前足で抱えたキノコをどさっと出してくる。丸くて白いものや、傘が茶色でひだが細かいものまで、種類はさまざまだ。
「おお、これはありがたい。……毒じゃないよな?」
「その点は選別しておいた。森の者たちにとっても、毒を持つキノコは“食べてはならぬもの”だ」
「それなら安心しました」
順番に受け取りながら、ふと気になってグラードのほうを見る。
「そういえば、グラードさん」
「なんだ」
「この子たちって“食べていいもの”と“ダメなもの”って、どうやって決めてるんです?」
魔物を前にして言うことじゃない質問なのは分かっているが、今さらでもある。
グラードは少しだけ目を細め、それから当たり前のように言った。
「簡単な話だ。言葉を持ち、この森で約束を交わせる者は“こちら側。狩らぬし、狩らせぬ。言葉を持たぬ獣と鳥、そのうち繁殖の早い種や、瘴気に呑まれて理をなくしたやつらは、食べてよい側だ」
「ああ……」
王宮の厨房でも、似たような線引きはあった。魔族や魔獣は食材にはしない、とか、逆に瘴気に完全にやられてしまった魔物は、討伐対象になるとか。
グラードは続ける。
「ここに並んでいるのは、皆“こちら側”だ。お前の鍋を食いに来ている客でもある」
そう言うと、列の魔物たちが、どこか誇らしげに胸を張った……ように見えた。
「この先、お前が森で素材を獲るときも覚えておけ。言葉を持たぬ獣を、必要なぶんだけ狩れ。理性を持たぬものは、お前程度では無理だろうが」
「了解です。……どうやって見分けるんですか?」
「知らんのか。あとで教えてやる。とりあえず飯だ!」
「わかりました。ありがとうございます」
とりあえず、人間側も魔物側も、その認識で統一されているなら、やりやすい。
そんなやり取りをしている間に、列はだいぶ短くなっていた。
狸みたいな魔物が、抱えきれないくらいの木の実を逆さにすると、その中から、見覚えのあるものがころりと転がり出た。
「これは……」
表面が薄い褐色で、手に持つとじんわりと温かいような感じがする、小さな実。爪でひっかくと、皮の隙間から、味噌にそっくりな匂いが漏れた。
「あの“みそ”の実だな」
「また持ってきてくれたんだ。助かるなあ」
「きゅっ」
シロもその匂いには覚えがあるらしく、鼻をふんふん鳴らしている。
列のいちばん端に並んでいた、大きなトカゲみたいな魔物にもグラードの視線が向く。
「そやつは、森鳥〈もりどり〉の巣の近くに住んでおる」
「森鳥?」
トカゲ魔物は、びくっとしてから、胸に抱えていた丸い卵をそっと地面に置いた。
殻はうすいクリーム色で、茶色の小さな斑点がちらほら散っている。
「……卵?」
一瞬、「まさか自分のじゃないよな」と嫌な想像が頭をよぎる。
けれど近づいてみると、それはトカゲ魔物のものというより、どこかで拾ってきた鳥の卵らしい、とすぐに分かった。殻の質感も形も、前世で見た山鳥の卵とよく似ている。
「森鳥の卵だ。巣が一つ、昨夜の風で落ちておったろう」
グラードが、何でもないことのように言う。
「あれは言葉も持たぬ野鳥だ。森の掟でも“狩ってよい側”だ。気にせず使え」
「なるほど……じゃあ、ありがたく料理に使わせてもらいます」
トカゲ魔物がほっとしたように「シシ……」と喉を鳴らす。どうやら、受け取ってもらえるか、ちょっと不安だったらしい。
「よし。材料は揃ったな」
根菜、キノコ、森の葉っぱ、味噌の実、森鳥の卵。
こうして並べてみると、ほぼ味噌汁セットだ。
「みんな、ちょっと待っててくれ。これで一鍋作るから」
俺は材料を調理台に乗せ、シロに「見張りお願いな」と声をかけて調理に入った。
「わふっ!」




