勇者じゃない男と、使われない骨
この世界に召喚されたとき、俺は勇者だと思われていた。
……いや、正確に言うなら、
勇者であってほしかった
という顔をされていた。
足もとには、青白く光る巨大な魔法陣。白い石床は磨き上げられていて、やたらと光を反射する。目がチカチカする。
見上げれば、無駄に高い天井。金や宝石で飾られた梁。壁には威圧感たっぷりのタペストリー。そこに描かれているのは、どう見ても「魔王をぶった斬る勇者」だ。
その真ん中に、ぽつんと俺。
周囲をぐるりと囲むように、豪奢な衣服に身を包んだ人間たちが立っていた。年配の男、大きい宝石を身につけた女、甲冑姿の騎士。目に浮かんでいるのは――期待、期待、期待。
(ああ、これは外したら一気に空気が凍るやつだな)
前世、日本の片隅で定食屋をやっていた俺――ユウは会社勤めの時、散々その目を見てきた。
いま目の前にあるのは、あれの規模を百倍にしたものだ。
「異界より来たりし者よ――」
壇上に立つ老人が、よく通る声で口上を述べ始めた。白いひげ。立派な杖。いかにも「偉い人」が持ってそうな格好をしている。
国が危機であること。魔王軍だか魔族だかが攻めてきていること。そこで異界の力を借りること。
まあ、よくある話だ。
ただ一つ違うのは、それがいま、自分の身に起きているということだった。
(……腹、減ったな)
場違いな思考が頭をよぎる。さっきまで、店で昼の仕込みをしていたはずなのに。気づけば見知らぬ世界で、勇者候補にされていて、周りはピリピリしている。
なのに、腹は正直だ。朝のまかないを食べ損ねたせいもあって、胃がきゅう、と鳴りそうになる。
「では、適性の測定を」
近づいてきたのは、青いローブを着た魔術師らしき男だ。手には透明な水晶玉。中で淡い光が揺れている。
「この上に手を乗せてください。あなたがどのような力を持っているか、分かります」
「はいはい」
どうせ抵抗しても無駄なんだろうと俺は言われるまま、水晶玉に手を置いた。
冷たい。石の冷たさとは違う、体温をじわじわ吸い取られていくような感覚。魔力とかいうやつを見ているのだろうか。
光が強くなり、色が変わり始める。周囲の空気がぴん、と張り詰めるのが分かった。
(さあ、どうなる)
火とか雷とか、攻撃的なのが出れば万々歳。そうでなくても、身体能力強化とか、防御とか。少なくとも、この場で「外れ」扱いされないくらいには――
「……魔力量、低」
あ、これダメなやつだ。
「戦闘系スキル、なし」
うん、知ってた。
魔術師の顔が、少しずつ微妙なものに変わっていく。水晶の中に浮かんだ紋様を見て、首をかしげている。
「固有適性は……料理?」
広間の空気が、一瞬にして冷えた。
「料理、だと?」
「戦闘には使えんのか?」
「前代未聞ですね……」
囁き声が、ざわざわと広がる。さっきまで興味深げにこちらを見ていた貴族たちが、一斉に視線を逸らした。
期待の光は、案外、消えるのが早い。
「……厨房要員、ですか」
「まあ、いないよりはマシでしょう」
玉座の横に立つ誰かが、投げやりな口調でそう言う。
(うん、ですよね)
自分でも、笑ってしまいそうになった。
前世で、俺は確かに料理を生業にしていた。派手な店ではない。駅から少し離れた路地裏。昼には近所の会社員が定食を食べに来て、夜には一人暮らしの学生がくるようなそんな店だった。
世界を救うほどのもんじゃない。だけど、誰かの一日をちょっとだけマシにするくらいの力はあったと思う。
(でもまあ、異世界でもやること変わらないってのは、悪くないか)
案外軽くそう思えた自分に、少し驚いた。
こうして俺は、勇者でも英雄でもなく、王宮の厨房行きが決まった。
王宮の厨房は、設備だけは立派だった。
大きな石窯。巨人でも煮込みそうな巨大な釜。鍋、フライパン、包丁、まな板が整然と並び、壁には香草やスパイスらしき乾いた束が吊るされている。
初めて足を踏み入れたとき、思わず感心した。
「これは……なかなか」
器具類だけ見れば、前世の店よりも充実している。火力も十分。水場も多い。これだけの設備があれば、どんな料理でも出来そうだ。
――の、だが。
「こっちの鍋に、この粉と、この液体を混ぜて。沸いたら型に流して固めるだけだ。味見は不要」
最初に任されたのは「栄養塊」と呼ばれるものだった。
粉を量り、液体を入れ、混ぜて煮て固める。確かに手順は簡単だ。だが、立ち上る匂いは……正直、あまり食欲をそそらない。
(これ、食べるのか……?)
「これが、回復魔法の効率を最大まで引き出すんだ」
隣で同じ作業をしていた先輩が、誇らしげに言う。
「固くて、味は薄くて、飲み込みづらいですけどね」
「そこは我慢だろう。魔法の効率が上がるんだから」
なるほど、と一応うなずく。
この国では、食は軽い。特に貴族にはその傾向が強いようだった。
腹が減れば回復魔法。栄養は魔法薬。料理はその「媒体」でしかない。食事の目的は「生き延びること」であり、「楽しむこと」ではない。そういう文化なのだろう。
(頭では分かるんだけどなあ)
俺はやっぱり、湯気の向こうでほっと息をつく顔が見たい。美味しい、と言って少し笑う顔を。
そんなわけで、最初のうちは言うとおりに「栄養塊」を作っていたが、ある日、我慢できなくなった。
「こっちの骨、捨てるんですか?」
大量の骨が、桶に放り込まれている。肉をそぎ落とされた後の、まだ旨味の詰まっていそうな骨たちだ。
「ああ。魔獣の骨だからな。用は済んだ」
「……もったいない」
思わず口から出てしまった。
骨は、いい出汁が出る。特に、今みたいに火力がたっぷりある厨房なら、じっくり煮込めば、それだけで体に染みるようなスープになる。
「ちょっと、試してみてもいいですか」
俺は許可も待たず、別の鍋に水を張り、その骨を放り込んだ。
火を弱くし、灰汁をすくいながら、じっくり煮込んでいく。刻んだ香草と野菜の端切れも入れてみる。湯気が立ち上り、香りが広がり始めた。
ふと気づくと、周りの手が止まっていた。
「……何をしている」
「スープです。これを栄養塊と一緒に出せば、食べやすくなります」
厨房長が眉をひそめる。
「手間だ」
「いや、そんなに大した――」
「そんなものを飲ませて腹を満たせば、栄養塊の効率が落ちるだろうが。それより栄養塊の粉を作ってくれ」
その言葉に、周囲の者たちが一斉にうなずいた。
(ああ、そういう発想か)
俺が「美味しい」「ほっとする」と感じる部分は、この世界の貴族たちにとっては「効率を落とす邪魔な要素」らしい。
それでも、スープを少し味見した厨房の下働きの少年が、目を丸くした。
「な、なんか……あったかい味がします」
「そりゃ、温かいからな」
「そうじゃなくて!」
彼はうまく言葉にできないようでもぞもぞしていたが、その顔を見ただけで、俺には十分だった。
腹が満たされると、人の顔はやわらかくなる。
それを知っているから、俺は料理を作ることを手放せない。
だが、王宮の厨房でそれをやり続けるのは、どうやら難しそうだった。
怒鳴られたり、罰を受けたりはしなかった。ただ、何度か似たようなことを繰り返したあとから、周囲の目が変わった。
空気を読まないやつ。
効率を理解しないやつ。
魔法を信じてないやつ。
何度も同じことをする、面倒くさい人。
そういう視線。
(……あーあ)
ある日、厨房長に呼び出された。
火の落ちた巨大な釜の前で、彼は一つため息をつき、それから机の上に小さな袋を置いた。
「金は出す」
「……はい」
「だから、出ていってくれ」
袋を手に取ると、銀貨が中で触れ合う音がした。そこそこの重さ。数ヶ月、どこかで暮らすくらいには困らないだろう。
(ああ、そういう感じか)
不思議と、怒りはなかった。
寂しさと、少しの安堵。
――ここで無理にやっていくよりも、自分に合った場所を探したほうがいい。
そう思えたからだ。
俺は王宮を出た。
城門をくぐると、城の高い天井なんかより遥かに空は高かった。
石畳の道。行き交う人々。露店から漂う焼き菓子の匂い。荷馬車の車輪がきしむ音。どれも、ついこのあいだまで自分の店で料理を作っていた場所とは違うけれど、「街の匂い」がした。
振り返れば、高い城壁と塔が見える。そこに戻るつもりは、もうなかった。
行き先は決めていない。
ただ――
口出しされない場所。
好きに鍋に火をつけ、好きに味を見て、誰にも文句を言われない場所。
そんなところでひっそりと飯を作って暮らしたい。
多少食べ物らしいものも歩いている途中で見たが、上の貴族の連中があんな感じなら、この国にいる限り、料理自体が軽いものということに変わりはないだろう。
地図屋に入って、簡単な地図を買った。茶色く焼けた羊皮紙に、線と記号がびっしり書き込まれている。
目を凝らすと、端のほうに赤く塗られた領域があった。
――魔物領。
説明書きには、物騒なことが並んでいる。
魔獣多し。
魔族出没。
瘴気濃く、入るべからず。
(……まあ)
地図をたたみながら、俺は小さく笑った。
(静かそうだし、誰も来ないなら、悪くないかもしれない)




