妖精さん
「うああああっ! クソッ!」
俺は昨日と同様、自宅の玄関を開けるなりそこそこの声を出してしまう。いや、昨日よりでかかったかも知れない。
そして更に昨日と同様、沙月がキッチンから顔を出す。
「おにぃ……顔真っ白……どしたの?」
一目見て俺の様子がおかしいと気付いたのだろう、昨日の様にからかって来るような真似はしなかった。
「沙月……もう二度と……このパンツに触ろうなんて思うな」
「えっ……? どういう事?」
「このパンツは呪われている! 俺はさっきそのせいで死に掛けたんだ! 関わったらお前にも呪いがかかるかも知れない!」
「ちょっ……おにぃ落ち着いてよ! こっち!」
玄関先でパンツだの呪いだのと騒ぎ出した俺を、沙月が母さんの居る台所まで引きずった。妹に気を使われる程に取り乱してしまったのか。でもそれも仕方ないだろう。こっちは死に掛けたんだ!
「あらあらまぁまぁ、お兄ちゃん今日はまたどうしたの?」
母さんにコップ一杯の水を飲めと渡され、少し落ち着く様に促される。
言われたままに水を飲んで深呼吸し、ついさっきあった恐怖体験と、有名な霊能力者の孫である蓮宮の見解を話して聞かせてやった。
「……と、言う事で、もしかしたらこんな話を家族にする事自体危険かも知れないんだ。良いか? もう一切このパンツに関わるんじゃ……」
「おにぃ! それ変だよ! 結局おにぃは無傷じゃん!」
こんな話をしてしまったらきっと怖がるだろうと心配したのだが、沙月は極めてあっけらかんとそう言い放った。
結局無傷……うん、ギリギリだったが助かったのは事実だ。だがパンツの呪いのせいで危険な目にあったのも確かじゃないか。何がおかしい?
そう思って沙月の次の言葉を待つと、沙月は意外な解釈をしていたのであった。
「逆にそこでおにぃが尻もち付かなかったらどうなっていたの?」
「もう二歩くらい進んでいたから……そうだな、あの車に激突されていたかも……」
「あらあらまぁまぁ! お兄ちゃんとても危なかったわねぇ」
「でしょう? パンツちゃんのお陰で逆に助かってるんだよ? なのに呪いだなんて言って可哀想! ちゃんとお礼言いなよ!」
「本当ねぇ、おパンツちゃん、うちの息子を助けてくれてどうもありがとう」
胸ポケットにパンツが入ってると知っている母さんが俺の胸に向かって頭を下げる。
パンツに……助けられた……?
そう……なのか?
車が突っ込んで来たこと自体が呪いのせいなんじゃないのか? たまたまタイミングが合わなかっただけで確実に俺を仕留める為に足を掬ったんじゃないのか?
「それだけじゃない、その前にもこいつが胸の中で俺を押したりするもんで、思わず引っ張り出して怒鳴ったら通行人に白い目で見られたり……」
「それは不幸だね。でもおにぃの不注意だね」
「そっ……そのせいでお婆ちゃんが植木鉢落とした現場に出くわして掃除を手伝う羽目になったり……」
「ねぇもしかしてそれも一緒じゃない? そのままのペースで歩いてたらその植木鉢おにぃに当たってたんじゃないの?」
「このゴタゴタのせいで明日提出しなきゃいけない課題がある事を忘れていたんだ!」
「関係ないよね」
「……」
俺の訴えを聞いても沙月は、悉くパンツのせいではないと一蹴するのであった。
「も~! おにぃその蓮宮さんって人に影響され過ぎてるよ! その人が勝手に呪いだとかって言ってるんでしょう? いっくら有名な霊能力者の孫だからってさ? 証拠あるの? 誰かを傷付けたの? ただおにぃの事が大好きなだけじゃない! おにぃを助けてくれたパンツちゃんを悪だなんて言う方がよっぽど悪だと思う!」
まさかとは思うが……確かに沙月の言う通りだ。パンツが動くのは悪だ呪いだと言い出したのは蓮宮だ。
俺の日常を破壊したという点では俺にとって悪なのは間違いないが、こいつに悪意があるのかないのかは正直未知。悪意がなきゃ良いって話じゃないが、さっきのをこいつの呪いだと決め付けるのは早かったかも知れない。
それに元は水野に大事にされていたパンツなのだ。まさか水野が言っていた様に神様って事はないだろうが……。
「じゃあ、こいつは何だと思う?」
「妖精さん!」
沙月が即答する。用意されていたかのように。
「妖精さんか、妖精さんはどうして持ち主の元に帰らないで俺のところに居るんだ? 水野……持ち主が何かしたと思うか?」
「持ち主が嫌いになったんじゃなくておにぃが好きだから!」
突拍子もなく、簡潔だが辻褄はあってる気がするな。
「あらそれ素敵ね沙月ちゃん、お兄ちゃんが妖精さんに愛されているなんてお母さん自慢だわ。しかも危険から守ってくれるなら安心よ」
「でしょでしょ~? もっとおにぃはパンツちゃんを信じて上手に共存してく方向で考えるんだよ! 今はヤダヤダって思ってるからダメなんだよ」
妹にダメ出しされてるのか俺は……。パンツと共存?
つまりもう胸ポケットに常に水野のパンツが入っている事を日常にしてしまえと言う事か?
そんな事出来るわけ……。
「沙月はもうそうしてるよ! ねっ! パンツちゃん遊ぼう!」
「お前……自分が遊びたいだけなんじゃないのか……」
「ふふ、お母さんも沙月ちゃんと一緒よ。とてもじゃないけどその純朴なおパンツが怖い呪いのおパンツには見えないもの」
沙月も母さんも、今となっては俺よりもむしろパンツの味方だった。
うーんと唸る俺に、お疲れだろうから早く洗ってやれとパンツの為に洗面所へ引っ張られる。そしてまた母の指導の元、妹にガン見されながら同級生のパンツを手洗いすると言う羞恥プレイを余儀なくされたのだった。
そしてその日の夜、おれはまた妙な夢を見る。
昨日と同じだ、何故か俺の過去のシチュエーションに水野が登場するのである。
本当にそれが水野だったと言う記憶はないのだが、他愛のない日常に水野が居る。ただそれだけの夢だ。夢の中の水野は相変わらずどこかおどおどしていて、変な声を出したり顔を真っ赤にしたり……。やっぱり俺はそれが夢だと自覚していて、そんな水野を見ておかしな奴だなと微笑ましく感じた。
そして時々俯瞰になったり、夢じゃなきゃあり得ない角度からの景色が見えたりして、そのせいで見えてしまう水野のパンツは全部あの白いパンツだ。
……もしかしたら、これってあの白いパンツの記憶……?




