呪いのパンツ
一人になって、たったそれだけの日常を取り戻す事に気が遠くなった時だった。胸にやたらと圧迫感がある。
胸ポケットに大人しく収まっていたパンツがその内側から俺をグイグイ押して来ているのだ。
最初は違和感程度だったが、次第にその力は強さを増していき、右肩が前に進まないくらいになった。
「うぐ……ぐぐぐ……今度は一体何だ……家に帰らせてくれよ!」
胸ポケットに手を突っ込み、強引にパンツを引っ張り出してそうどやし付けてやったのだが……。
「ママー? あのお兄ちゃんパンツにお話してるよー? 変なのー!」
「ダメよ見ちゃ、明日からしばらくはお家で遊びなさいね?」
近くに人が居るかどうかも確認せずについパンツに話し掛けてしまった……。すれ違い様の親子に白い目で見られる。
他に人は居なかったかと慌てて後ろを振り返ると、後ろにもサラリーマンぽい男が歩いて来ていた。スーツに眼鏡のいかにも真面目そうなタイプだ。確実に目が合った。この人にも当然今のを見られてしまった筈だ。
とんでもなく恥ずかしくなって、俺は素早くパンツをポケットに戻し端に避けて道を譲った。とっとと歩き去って欲しかったんだ。
サラリーマンは歩くペースを落とさず胸ポケットを抑えた俺の所まで来ると、
「良いんだよ」
ポンッと、優しく肩を叩いて去って行った。
「……っ!」
優しく笑うな! 何がだよ! 何が良いんだよ!
俺がパンツを胸ポケットに忍ばせている事がか?! 良いわけないだろうが分かってんだよチクショウ! あんたのポケットにも入ってるって言うのか!
ああ、クソ、分かってるよ。憐れまれたんだ。そして大人の余裕で優しくされた。情けなくなる……。まださっきの親子みたいに否定された方が気持ちが楽だった。
そうすれば言い訳も出来るからな。言い訳?
いやどうやって……。
今は一人で、フォローしてくれる人間もいない。また何かヘマをする前に早く家へ帰らなきゃな。そう気を取り直して少し歩いたところで、お婆さんが蹲って何かを拾い集めていた。
どうやら植木鉢だ。よく見る素焼きのタイプ。それが粉々になって、中の土と黄色の花が道路に飛び散っていた。
「ああ、ごめんなさいね? 今すぐ片付けるから……ぶつかったりしてないわね?」
「あ……はい」
「ああ本当に人が居なくて良かった。筋力が落ちてるのねぇ、ダメねぇ」
お婆さんは言いながら大きな欠片を拾い終わると、箒とちり取りで細かい破片と土を掃き集めている。
まさか……落としたのか?
その道路沿いには四階建てのマンションが建っていて、そのベランダには綺麗な花が咲いている部屋が多かった。そこのどこかの部屋のベランダから落としてしまったと言う事だろう。
何となくそのまま通り過ぎる事は憚られ、適当に植木鉢の片付けを手伝ってからその場を去った。
早く帰りたいってのに……このパンツがぐいぐい押したりしたせいでタイミング悪くこんな現場に出くわしちまったじゃないか。
さぁ今度こそ大人しくしていてくれよ、そう思った矢先、本当に矢先だ。パンツはあえて俺の気持ちの逆を行って意地悪するみたいにものすごい勢いで飛び出して来た。俯き加減で歩いていたのでパンツは俺の左の頬を掠めそこがヒリリと痛む。
「いっ……! 今度は何だ突然!」
上空へ舞い上がったパンツは俺の真上で旋回し、今度は急降下。俺の背中に回ったかと思うとそのまま足元まで勢いよく下りて来て俺の左足首を跳ね上げた。
「うあっ!」
なす術もなく俺はバランスを崩して尻もちを付く。昼休みに水野がそうなった様に。まさかパンツがこんな事をしてくとは思いも寄らなかったので相当に油断していた。故に、かなり痛い!
「おいこら! いきなり何す……」
ダァン!!
「?!」
目の前を豪風が横切ったかと思うと、聞いた事もない様なでかい音が響き渡った。あまりの事に俺は尻もちを付いたままそこから動けない。
その尋常じゃない音を聞きつけた近所の住人が何事かとすぐに表へ出て来てはその惨状を見て悲鳴をあげる。
「ひゃっ! きゅっ、救急車!」
「警察! 警察もだ!」
「どうした? 大丈夫か?」
足が震えてまだ立ち上がる事が出来ない。
俺の目の前で、白い乗用車が電柱に突っ込んでフロントをぐしゃぐしゃにしているのだ。運転手がエアバックに埋もれているのが見える。
どうやら生きている様だが……何なんだ、居眠り運転か何かか……。
「あんた怪我はないかい? 危なかったね、もう少しで巻き込まれていたぞ」
ああ……もう少しで、死んでいたかも知れない。
自分の吐く息に、震えが混じっているのが分かった。
――どうにかしようとして逆に命を落とすケースなんかも山ほどある――
ドクン。
蓮宮が言った言葉を思い出して血の気が引いた。
そう言う……事なのか?
さっき蓮宮は悪い予感がすると言ってわざわざ引き返してきた。そして帰り道も気を付けろと……。あいつの感じた悪い予感ってこれの事なのか?
パンツのせいで他人に白い目で見られたり、逆に慰められたり、面倒くさい事を手伝う羽目になったり、今までこの程度の、ただ単に日常を壊された事に苛立っていたが、そんな話ではないのかも知れない。
この惨状が証拠じゃないか。
「クッソ……!」
「あっ、ちょっと! 本当に大丈夫なのか?」
怒りと恐怖で家までの道を走り出した。後ろから俺を気遣う声が聞こえて来たが構ってられない。ちんたらしていたらまたどんな危険が迫って来るか分かったもんじゃない!
何で俺がこんな目に合わなきゃならないんだ!
神様のパンツだと?
冗談じゃない、蓮宮の言う通り呪いのパンツだったじゃないか!
走りながら恐る恐る胸ポケットを上から握ると、いつの間に戻ったのか、そこにはパンツの感触があった。




