05 「ご褒美」
病室での初めての勉強は、思ったよりも早く終わった。
「できた……っ!」
ノートを閉じた白石が達成感のこもった声を上げる。
話の流れで白石の成績を案じた俺は、苦手科目やつまずいている部分の復習を手伝っているわけだが……思いのほか、白石は覚えるのが早かった。
察するに、気持ちが入らないと苦手なことはできないタイプなのだろう。
「お疲れ。白石が意外と要領いいから、教えるのも楽だったな」
白石が照れたように笑う。
「ほ、ほんと……? 私なんて全然ダメだけど、黒瀬くんの教え方が上手だから……えへへ」
褒められて嬉しいのか、それとも他の理由か……とにかく、白石が今、なんかほわほわしている。
「そうか? まあ、この感じなら毎日少しずつでも成績は改善するだろ」
「うん……私の成績のことまで気にかけてくれてありがとう、黒瀬くん……」
……いつもの俺ならここは「ただの成り行きだ」とか言うところだ。
けれど、今の白石の空気を壊すのはもったいない気がする。
普段の白石は焦ったり落ち込んだり感情が忙しい奴なので、こんなふわふわした白石を見られることはあまりない。
というわけで、今回は意地悪はやめておいて……俺はふと、純粋に気になったことを聞いてみた。
「白石って、何か将来の夢とかあるのか?」
「えっ!? 将来の夢!?!? あるけど……あっ、ちが……」
……ごく普通の質問に対して、何故か突然慌て始め、いつもの如く顔が赤くなる白石。
(あれ、わざわざ感情揺さぶる発言を控えたはずなのに……)
「え、えっと、そのぉ……うん。お料理とか、好きかなって……」
「……ん? ……ああ、調理系の仕事か。いいじゃん、似合うよ」
「……うん、ありがとう……」
いま一瞬むっとした顔をしたような気がするが、気のせいだろうか。
白石は顔を上げ、
「……それと! 私、お掃除とか家事全般も得意だよ……!」
「へ? あ、うん、そう。器用だもんな白石」
(一体それはどんな仕事なんだ……?……あ、家政婦とか?)
「……」
やはり、何か不満そうな気がする。
……というか、さっきより不機嫌さが増したような気さえする。
(将来の夢の話をしていて、素直に能力を褒めたのに……何故だ)
「……まあ、どんな夢でも、白石ならきっと叶うよ。行動力あるし、頑張り屋さんだしな。
俺が保証してやるから安心しろ」
白石の不機嫌はさておき、純粋に思っている本心を口にする。
「へっ……!? 黒瀬くんが私の夢を保証……!?」
むすっとしていた表情が一変する。
その表情は、俺の知る言葉では形容できない。
「黒瀬くんに保証されたってことはつまり……えへ、えへへ……」
白石が小声で何かを唱えながらにやにやしている。
(感情が多すぎて読み切れん……)
「……まあ、夢の話はいいとして。勉強終わったんだし、何かご褒美あげないとな。
何かしてほしいことあるか?」
にやついていた白石が、俺の言葉を聞いて硬直する。
震えながら機械のようなぎこちない動きで俺の方に顔を向け、
「ご、ごほうび……ごほうび……ご褒美!?」
「いや、うんまあ。そんな何回も繰り返さなくても、ご褒美はご褒美だ」
「ふぇ……ご、ご褒美なんて、私何もしてないのに……
……でも、黒瀬くんからご褒美もらえるの……!?」
こういうのって、普通は心の中で言うと思うんだけど……全部口に出すな、こいつは。
まあ、それが白石のいいところだし、今日も絶好調(?)のようなので久しぶりに意地悪してみよう。
「いらないなら無しでいいか。あー白石は欲がなくていい子だなあ……」
わざとらしく感心したような仕草まで加えて、白石を煽ってみる。
「わーっ待って待ってぇ!! いらなくないっ!! 私本当は欲望まみれの悪い子ですっ!!!!
悪い子でいいからご褒美ください……っ」
……予想していた反応ではあったが、予想を遥かに上回る素直さだ。
これだから白石をからかうのはやめられない。
「はいはい。何がいいの?」
白石の顔がぱあっと明るくなる。
「いいの……!? やった、えへへ……どうしよう、えーとえーと……」
白石はひとしきり喜んだあと、悩ましそうに考え始めた。
「あれもいいし、いつかしてもらいたかったあれも……でもせっかくならもっと大胆な……いやでもそんなのまだ早いし絶対はしたないと思われる……っ!!」
……白石の熟考はしばらく続いた。
たかが勉強のミニご褒美がどれだけ大事なんだ……とも思ったが。
白石の真剣な表情を見ると、さすがに水を差す気にはならなかった。
「うぅ……ねえ、黒瀬くん。くっつくのはあり……?」
白石が、恥ずかしそうに質問を口にする。
「そりゃ、ご褒美だし」
白石の表情が一段と明るくなる。
「それと……二つ組み合わせるとかは、ダメだよね……? でも、どうしてもどっちか決められなくて……」
「ったくもう……とりあえず言ってみろよ」
「うぅ……その……また膝の上に乗せて、撫でてほしいです……」
……なるほど。
さっきのアレからして色んなご褒美を考えたんだろうが、結局この前のが忘れられなかったらしい。
まだされてないこと妄想上の願望よりも、一回してもらったことを大事に覚えているのが――なんだか、とても白石らしいと思った。
「はい」
座ったまま隣の白石の方に少し体をひねって、乗りやすいように身を引く。
白石は目を見開き、しばらく硬直した後――熱に浮かされたような表情をして、少しずつ体を寄せてくる。
前回と違って、最初から正面、しかも横からずりずりと乗ってくるわけだから、本来は前回よりもっと恥ずかしいだろう。
……しかし、いつも通り恥ずかしくはあるのだろうが、今の白石はそれどころではなさそうだった。恥ずかしさ以上に他の感情が勝っている感じだ。
「……黒瀬くん…………」
白石は左手で俺の右肩を柔らかくつかむと、そのまま右の膝を上げ、俺の腿を跨ぐ。
そして両肩をつかんで跨ったあと、そのまま腰を下ろして座りながら……同時に、肩の上から腕を回してきた。
……要するに、抱きつかれた。
「……撫でるほうじゃなかったっけ」
咎める気はないが、一応指摘する。
「……ん、ごめんなさい……」
言いながらも頭を擦り寄せてくる。
白石にしては珍しく、今の「ごめんなさい」には反省の意思が見えなかった。気持ち的に、それどころじゃないらしい。
……前に甘えんぼって言ったけど……これは、そんな言葉で足りるのだろうか。
(……はぁ、仕方ないな)
頭を撫でる。
「ふぁ……黒瀬くん……」
頭に触れた瞬間、白石が蕩けるような声を出す。
自分から手に頭を擦り寄せてきて、回した腕の力をぎゅっと強めてくる。
「……まあ、サービスってことで」
白石が頭を胸にうずめてくる。
もちろんそのまま撫でる。
「うぅ……黒瀬くん、私このままとけちゃうかも…………んぅ、でもしあわせ……」
「それはなにより」
恍惚とした表情で俺に抱きつき、頭を撫でられるたびに甘い声を漏らす。
これだけ幸せそうに甘えてくる白石に、離れろなんていう選択肢はない。
なので、とりあえず何も考えず撫で続ける。
あれ……けど、制限時間とか設けてないから、いつ終わればいいんだこれ。
(…………まあ、幸せそうだしなんでもいいか)
ご褒美の時間は、まだまだ続きそうだ。




