04 放課後の日課
学校のチャイムが鳴ってから、どれくらい経った頃だろう。
ノックの音もなく、白石は勢いよく病室へ滑り込んできた。
「はぁ、はぁ……っ、……来たよ黒瀬くん……っ!」
――息が上がっている様子からして、全力ダッシュで来たのは明らかだ。
何をそんなに急ぐ必要があったのか分からないが、俺はとりあえず白石を座らせる。
「ほら、水飲め。ていうか、病院内を走るなよ……」
「う、うんっありがと……んっ、んっ……。
――大丈夫、病院に入ってからは早歩きに変えてるから!!」
ペットボトルを取り出し、水を飲みながら答える白石。
この感じでちゃっかりルールは守っていることに、ふっとつい笑ってしまう。
(なんだかんだ良識はあるんだよなぁ、こいつ)
「え!? な、なに!? いま、何で笑ったの……!?」
俺の軽い笑いを見て、顔を赤くして焦る白石。
なんとなくでも、自分のことを笑ったと分かったのだろう。
「別に。お前がいい子だと思っただけだ」
「えぇ!? そんな、私すごく悪い子なのに……え~そんなぁ……」
反論しながらも、まんざらでもなさそうな様子だ。
また――今度はバレないように小さく笑って、口を開く。
「で、今日は何するんだ?」
「あ、えっと……そっそうだった! 口実がないと不自然だから色々と用意し……じゃ、なくて!!
あの、今日は今までのプリントとかノートの写しを持ってきたから……」
白石が鞄からプリントを束で取り出す。
――そういえば、今日はやけに鞄が膨らんでいると思っていた。
「あー、そういやそうだな。持ってきてくれたなら受け取っておくか」
俺の返事が予想外だったのか、白石が驚いた顔をする。
「えっ、一応って……黒瀬くん、成績良かったよね?
もしかして、私のせいで勉強がどうでもよくなって……」
後半から、白石の顔がサーっと青ざめていった。
……また勝手に思考が暴走しているようだ。
「いや、違うって……入院してからも自分で勉強してるってだけだ。
今時はリモート授業もあるし、プリントや課題は提出しなくても試験で良成績を出せば進級や進学も問題ないことになってるからな」
「……そ、そっか。良かった……黒瀬くん、全教科学年トップだもんね……!」
ほっと胸を撫でおろす白石。
しかし、ここで俺はあることを思い出した。
「……むしろ、勉強を頑張らないといけないのはお前じゃないか? お前、一年の時の成績は芳しくなかっただろ」
「うっ…………」
図星を突かれ、気まずそうに顔を背ける白石。
……どうやら、二年になった今も変わらず成績は微妙なようだ。
「ったく……人の心配をする前に、まずは自分のことを何とかするべきだろ」
「うぅ……全くもってその通りです……」
しゅん、と落ち込んだ様子の白石。
「……はぁ。じゃあ、俺が勉強教えてやるよ。どうせ毎日来るんだろ、ならついでだ」
「えっ!? そ、そんなの悪いよ……っ!!
私迷惑かけっぱなしで、黒瀬くんのために何もできてないのに……その上勉強まで教わるなんて……」
最後に「毎日行くのはそうだけど」と小声で付け足したのはさておき。
「俺がいいって言ってるんだからいいんだよ、教えるのも勉強になるし。それに、教えるのは最低限だ。お前がどうしても授業で分からないことや苦手な部分だけを重点的に教えるから、宿題やその他の復習予習は自分でやれ。――これならいいだろ? 俺のために何かしたいなら、それは今後ゆっくりとやってくれればいい」
俺の言葉を静かに聞いていた白石は、最初は困った顔で葛藤を続けていたが、しばらくすると控えめに俺の目を見つめて口を開いた。
「黒瀬くん、優しすぎるよ…………うぅ、じゃあ……その、よろしくお願いします」
視線が一度落ち、握った紙束の角がきゅっと折れる。
白石は目端に涙を浮かべながらも、嬉しそうに微笑んだ。
申し訳ない気持ちはまだ残っているのだろうが、最終的にはやはり自分の気持ちを優先したようだった。
俺は遠慮されるのが嫌いな性格なので、白石のこういうところは――〝いい〟と思う。
……しかし、これでは甘やかしっぱなしなので。
ここはひとつ、意地の悪い指摘を付け加えておこうと思う。
「まあ、勉強に使う時間なんてほんの少しだから安心しろよ。
……なんたって白石は、そんなことのためにここまで来てるわけじゃないだろうしな?」
含みを持たせたその一言に、白石の顔はみるみる紅潮していく。
「ふぇっ……!? そ、そんな……っ」
「あれ、違うの? なら、白石は勉強のためにここに来てたのか……」
白石は急いで首をぶんぶんと振る。
「うう~、分かってるくせに…………黒瀬くんのいじわる……」
否定はするものの、ただのいじわるだと分かっていて涙目になっているのが、おもしろ可愛い。
「ごめんごめん、からかいすぎたな。……けど、お前の反応が面白いのが悪い」
「……ばか」
(……なんだ、この可愛い生物は)
……過去のこととはいえ、白石は一度自分で「いじめっ子」という言葉を辞書で引きなおした方がいいだろう。
「じゃあ、早く終わらせるためにも、早速勉強の時間にするか?」
「…………うん、する」
意地悪されすぎてすっかり大人しくなってしまった白石だったが、元気がないようには見えないので、まあいいだろう。
白石がベッドの隣に腰を下ろしてくる。
――幸い、病室にはちょうどいい高さの机があるので、勉強を教えるのにはちょうどよかった。
「それじゃ、まず――」
教材を机の上に広げながら白石のほうを見ると――ぼーっと惚けた表情で俺を見上げる白石が映る。
目が合うと一瞬だけ逸らしたが、すぐに戻ってくる。
「…………」
短時間で効率よく教えることで、白石の願望を叶えつつ、順調に成績を上げてやろうと思っていたのだが――
これはなかなかに、前途多難かもしれない。
俺は教科書の付箋から今日の日付が書かれたページをめくりながら、これも悪くないな、なんて思った。




