03 また明日
気がつけば窓の外は暗くなっていた。
あれから俺たちは、体勢を変えることもなく、ただベッドの上で向かい合っていた。
あったことと言えば、時々白石のほうを見るとなぜか必ず目が合い、そのたびに白石が焦って目を逸らす、とか――そのくらいだ。
結局白石がこの状況に慣れることはなく、彼女は今もなお顔を真っ赤にして、膝の上で縮こまっている。
……しかし、さすがにずっとこのままというわけにもいかない。
俺は渋々ながらも、その言葉を告げるために口を開いた。
「白石、そろそろ帰らないとまずいだろ」
それを聞いた瞬間、白石がぎくりとした表情で顔を背けた。
「……う」
今の心境的に、白石が帰りたくない気持ちは理解しているつもりだ。
――しかし、高校生の女子が遅い時間まで外にいるというのは、あまり褒められたこととはいえないだろう。
今の時間はまだ良くても、帰宅する時に外が暗くなっていると色々な意味で危ない。
(……白石、抜けてるところがあるし)
そんな俺の心中を知ってか知らずか、白石は悲しそうな声を上げる。
「……やだ。私まだ帰りたくない……せっかく久しぶりに黒瀬くんと会えたのに」
言いながら、病衣の裾をきゅっと掴んでくる。
(……これだけ甘やかしたのに、まだ足りないのか……?)
そう考えて、すぐに思い直す。
(……いや。そういう問題じゃないか)
寂しい、一緒にいたい――そういう感情は、きっと理屈でできていない。
不安そうに俯く白石に、俺は「はぁ」とわざとらしくため息を吐いたあと、それを伝えるために口を開く。
「……また、すぐに来ればいいだろ」
「――!」
白石の顔がぱっと上がった。
まぶたが一段上がり、溢れかけていた不安が喉の奥へ引いていくのが伝わってくる。
そのまま徐々に表情が明るくなっていった白石は、上目遣いにこっちを見つめて、
「じゃあ、また明日も来ていいかな……。……ううん、やっぱり、明日だけじゃやだ。明日も、明後日も、明々後日も。……だめ?」
と、俺の想像以上の返しをしてきた。
確かに「すぐに」とは言ったけど、それが明日で、しかも毎日とは。
本当に、何ともまあ――感情と行動力が凄い女だ。
「……好きにすれば」
白石の表情がさらに明るくなる。
「……! ほんとにいいの!? やった、ありがとう……っ!!」
歓喜の叫びと共に、さりげなく抱きついてくる白石。
勢い余っての行動で自覚が無かったのか、白石ははっとした様子ですぐに離れたが……そのとき見えたのは、これまでで一番嬉しそうな表情だった。
「じゃあこれからは、毎日学校が終わったらすぐ来るね……?」
トーンの高い声で、念押しのように言ってくる。
「はいはい、分かったよ」
雑な返事をするが、白石はそれでも満面の笑みを見せる。
……しかし、突然また白石の表情が曇り始めた。
「……ねぇ黒瀬くん……明日来たらやっぱり嫌いとか帰れって言ったりしないよね……?
――はっ!! ほんとに最悪は、私が知らないところにどこか行っちゃうパターンかも……っ!!
……やだ……そんなのやだ……っ、うぅ……」
言葉が尽きると、涙をまとった視線だけが俺の胸元に留まった。
……また、変な妄想を始めて勝手に不安になっているらしい。
今の会話の流れや俺の言動に、どこにそんな要素があったのだろうか。
(まあでも、白石はまだ俺に酷いことをしたと思っているだろうから、不安になっても無理はないか)
それと、今の状況が想像してたのと違いすぎるあまり、思考が追い付いていないというのもあるかもしれない。
何を言われても本当の気持ちを伝えたい、嫌われていても、どれだけ時間がかかったとしても――なんて決死の覚悟で来た彼女は、今現在俺の膝の上に乗っているのだから。
「そんなことしないっつーの……今日の態度で分かるだろ」
「んん……分かってるの、分かってるのに…………」
白石の声が、膝の上でわずかに沈む。声の余韻と一緒に、肩が小さく震えた。
「……あーっ、もう! いいよ、そんなに不安なら……ほら貸せ」
俺はそう言うと、白石の右手を取り、互いの小指を絡める。
それに対して白石は――なにがなんだか分からず顔を真っ赤にしてあたふたしている(抵抗はゼロで)。
「――ほら、約束だ。これならいいだろ?」
小指と小指を絡める行為。それは誰もが知っている、小さな〝約束のしるし〟だ。
――すぐに俺の行動の意図を理解した白石は、顔を赤らめたまま、表情が安心に満ちていく。
「あ、ぅ……。……うん。黒瀬くんはどこもいかない……ううん、行っちゃだめ。約束……っ!」
☆★
あのあと、しばらくは膝から降りることを渋っていた白石だったが、明日も会えるからと言うとようやく納得してくれた。
――時間はだいぶ遅くなってしまったが、両親が車で迎えに来るということだから大丈夫だろう。
「……黒瀬くん、今日はありがとう。私、ほんとに嬉しかった……気持ちも伝えられたし……あの、こんなに甘やかされちゃって……」
言いながら、今日のことを思い出して赤くなる白石。
「ああ、気をつけて帰れよ」
「うん……明日も学校終わったらすぐ来るね!」
声色に寂しさを残しつつも、上機嫌に手を振る白石。
「はいはい、待ってるよ。またな」
「……うん、また……」
その言葉を発した瞬間、白石が振っていた手の動きが止まる。
不安なときの曇った表情とは違うが――その顔はなんだか今にも泣き出しそうに見えた。
「……黒瀬くん、ごめんね……っ」
言葉と同時に、白石がこちらへ向かって駆け出してきた。
不意のことだったので驚いていると――気づいた瞬間には、眼前が埋まっていた。
――〝ぎゅっ〟。
駆け寄ってきた白石は、ベッドに座っている俺を抱きしめていた。
胸元が一瞬押し当てられ、その勢いで揺れたスカートの裾が俺の膝をかすめる。
それは何秒だったか分からないが――とにかく、全力で抱きしめられた。
「ま、また明日……っ」
真っ赤な顔で、白石が走り去っていく。
(……恥ずかしいならなんでやったんだ……?)
けれど、今のはなかなか効いた。
最後にちょっとだけ負けたような気分になる。
……はあ。
(…………可愛いな、あいつ)
そんなことを思って、自分の顔も赤くなっていることを自覚する。
「『また明日』な」
俺は誰もいない病室でひとり呟くと、そのままベッドに潜る。
絡めた小指の感触だけが、俺とこの空間に熱を残していた。




