15 「嫉妬」
――あれから。
白石が膝の上から簡単に降りることなどもちろんなく、そのままの状況で一時間が経過していた。
「そのまま」というのは、抱きつかれていることも含めてだ。
「……♡」
一時間経った今でも、音になって聞こえてきそうなほどに幸せそうな様子で過ごしている白石を見ると、とてもじゃないが今すぐ降りろとは言えない。
腰の限界が来るまではこのままにするか……と、俺が半ば諦めていた。
――ふと、机の上にある包みを見つけた白石が、露骨に嬉しそうな顔でそれを眺める。
「……あっ、あれって昨日のお弁当だよね……? ほんとに食べてくれたんだ……♪」
食べてくれたことがよほど嬉しいのか、白石の元々良かった機嫌がさらに上がっていく。
「だから、食べるって言っただろ。けど病院だから洗えないしそのまま返すことになるのは悪いな」
「……?? え?? 黒瀬くんはいったいなにを言ってるの……? 洗わないのがいいのに。
黒瀬くんが食べた弁当を私が持ち帰って………………うん、そう、洗う。
洗うのは私の幸せの一つなのに……それを奪うなんて、むしろ酷いよ!!」
(…………)
今のは、普通に聞けば献身的で好意的な発言なのだが。
どうも、白石が言うと別の意味を含んでいるように思えてならない。
……というか、いま「持ち帰る」から「洗う」までに、不自然な間があったような気がするし。
「まあうん、ほどほどに頼むよ」
「……だっ、大丈夫だよ。毎回新しいお弁当箱にするから……へへ」
――そんな他愛もない(?)会話が、膝の上でしばらく続いた。
「ところで、今日の座り心地は? なんか勝手にオプション(抱きつき)までつけてるし、毎度俺の腰を犠牲にしてるんだから良くないと困るんだが」
白石は俺の質問に、多少の申し訳なさを含みつつも、嬉しそうな声色と表情でおずおずと答える。
「う、うん……その……一生、ここで暮らしたいくらいです」
「……そ。ならいいけど」
「で、出来ることなら叶えてもらえると……」
控えめな口調で、とんでもない要求をしてくる白石。
「叶えるかどうかは検討するとして、たまには休憩させてくれないと、俺の腰が終わって一生座れなくなるぞ」
「う、うぅ……善処します……。あ、今度マッサージさせてください……」
(……それ、色んな意味で大丈夫か?)
「まあ、楽しみにしとく」
「え……い、いいの!? ダメもとで言ったのに……わーい、やった~♪」
……俺を労わるための行動のはずなのに白石のほうが喜ぶという異常な構図にも、もう完全に慣れてしまった。
「……で、俺は座り心地を聞いたんだが。さっきのはちゃんとした答えになってないだろ」
また、意地悪な追求をする。
なぜなら「一生暮らしたい」という言葉だけでも、〝それくらい良いです!!〟という白石の気持ちは十分すぎるほどに伝わったからだ。
しかし、それでも白石は俺の言いたいことが分かったようで……予想通りに赤面している。
「……うぅ……あの、その…………か、かた……硬くて……あ、温かくて…………。
……その、すごくいい……です」
まだ少し本当の感想を濁しているような気もするが、
そう。俺がさっき言ったのは「ちゃんと言語化してみろ」というなんともアレな要求だ。
それにすぐに気づいて応えるとは、白石が俺の意地悪に慣れてきた証拠かもしれない。
……まあ、反応の面白さ自体は一切変わらないけど。
「そうか。お前は柔らかくて体温は低いから、それなら真逆だな」
「あぅ……」
恥ずかしそうにしがみつく力をぎゅっと強めてくる白石。
というか、体温の話が出てきたのは抱きついてるからかもしれない。
(……っていうか、いつになったら離してくれるんだこれ。さすがにそろそろ体が疲れてきたんだが)
俺がそんなことを考えていると、白石が突然、
「……あ」
小さい声を上げた。
「ん? どうした」
俺が聞くと、白石は腕を離さないまま、顔だけを上げた。
そしてその瞳には、いつになく怖い――というか、暗い感情が灯っていた。
要するに目が据わっている。
いきなりどうしたのか、という疑問を持ちつつ、俺は白石に目を合わせて言葉を待つ。
「……ねえ、黒瀬くんは…………私以外の誰かを、膝の上に乗せたことある……?」
そんな尖った問いが、まっすぐに投げかけられた。
同時に、俺を抱きしめる力に、さっきとは別の意味で力が込められていく。
背中に爪が食い込んで少し痛いが、おそらく無意識だろう。
(……なるほど、俺のこれまでの態度を見てそう思ったのか)
急に暗くなったことに合点がいった。
ここで意地悪をしたいとは一切思わないし、嘘を吐くのも嫌いなので、端的に事実を答える。
「ないけど」
――深海のように暗く沈んでいた白石の瞳に、一瞬で光が戻っていく。
「うぅ、よかったぁ……。ほんとによかった!! 黒瀬くんが慣れてそうに見えたから、なんだか不安になっちゃったの……ごめんなさい」
白石が安心した表情に、小さく涙を浮かべる。
……白石にとっては、それほど大事なことらしい。
「バカだな、慣れてなくたって膝の上にお前一人くらい乗せれるよ。たしか妹も乗せたことない」
「……ねえ他の子の話出さないでくれる?? 短時間で二回も嫉妬させられて気が狂いそうなんだけど私……」
白石の表情が再び暗くなり、今度は脇腹に爪が食い込む。
「……ん。ごめんな」
すぐに謝って、頭を撫でる。
白石の性格はそれなりに理解しているつもりだし、今のは俺が悪い。
「…………。……うん」
抱きつき直して、頭を胸に押し付けてくる。
意図せず落ち込ませてしまったが、珍しく怖い白石が見れたので俺は内心満足していた。
さすがに今のを面白いと思うほど俺の性格は悪くないが、少なくとも白石からの嫉妬は不快に感じるようなものではない。
それに、白石から嫉妬され、怒られる(?)のは今に始まったことではないので慣れている。
なんなら懐かしさすら感じる。
「……あ、黒瀬くん」
しばらく撫でられ、落ち着いた白石が顔を上げて俺の名前を呼んだ。
「ん?」
「私はもちろん、全部したことないよ。こういうのは何もかも黒瀬くんが『はじめて』だから……」
最後に「あたりまえだけど」と付け足して、もう一度顔を埋めてくる。
――。
聞いてもないことを教えられただけなのに。
俺は、自分の鼓動が早まったのを感じて――それを誤魔化すために、軽く白石の耳をふさいだ。




