02
「はい、これを持って、こはくちゃんはこっちね。よし、そのまま動かないでよ? えっと……ぱしゃりっと、ありがとう」
姉はやるだけやって「満足できたから戻るよ」と空き教室から出ていった。
「なんの時間だったんでしょう?」と彼女に言われたからわからないと答えた。
「まあ、桜里さんがたまにおかしいのはいまに始まったことではないので気にしないようにしておきましょう」
「誰でもあるよね」
「はい、そうですね」
まだまだ時間があるから彼女に甘えようとしたらすっと立たれてしまった。
なにも言わずにではなかったけど「これで終わりです」と言って出ていってしまったから諦めて空き教室をあとにする。
「狭間、ちょっといいか?」
「どうしたの?」
返事をしてからクラスメイトの子ではないことがわかった。
それでも男の子ではないからそう緊張したりもしない、普通にしていればまず問題にはならない。
「実は協力をしてほしいことがあってさ、我妻と友達になりたいんだけど」
「それなら放課後の方がいいよ、いまはどこかにいっちゃったから」
「そのとき……いいか?」
「うん、協力するよ」
「ありがとな。あ、わたしの名前は――」
ちゃんと聞ける前に「谷内沙織さん、ですよね?」とこはくが遮った。
「お、おお、わたしのことを知っていたのか」
「名字や名前ぐらいですけどね。ささ、私に興味があるみたいですし、少し違うところで話しましょう」
今日は違うところにいきたがる日のようだ、こういう日は追ったところで寂しくなるだけだから大人しくしておいた方がいい。
お昼休みに一緒に過ごすことで露骨に寂しくなるのもあの日だけだったし、放課後まで安定した状態で過ごすことができた。
なくなったのかそのままなのかわからない曖昧な状態だったから放課後になっても教室で待っていると「よう」とちゃんと来てくれてよかった。
「いやーまさか本人が来るとはなー」
「この教室に来ればすぐに会えるよ?」
まだこの教室にはこはくだっているからあまり知らないはずの彼女だってそうかもしれないという考えになるはずだ。
「そうなんだけどさ、最初は教室以外のところの方が一緒にいやすいと思ったんだよ。我妻って友達がいるから中断となる可能性も高いからさ」
「ずっと一緒にいたけどそういうことはあんまりないよ」
急にどこかにいったりするけどそれぐらいだ、お友達が来て我慢をしたことは少ないから嘘ではない。
「それは狭間が大事にされているからだろ」
「特にそういうわけでは、人気者ではないのでゆきさんを優先する時間があるというだけです」
「きゅ、急に参加するのが好きなんだな」
「気になりますからね、それに少し離れたところから見ていると怖い子になにも言えないでいる子にしか見えないんです」
こういう攻撃はいつものことだからいいとして、真横にいたわけでもないのに自然と会話に参加できるところが彼女のすごいところだった。
いきなり訳のわからないことを言ってこちらが困るようなことも少なく、いちいち細かく言うまでもなくわかってくれるからありがたい。
「こはくは意地悪でもあるんだよ?」
「こんなの照れ隠しだろ」
「そんなことはありません、身長差があるのでそう見えるんです」
彼女が目の前に立ったときよりはそう見えないだろうけど。
「あーそういうことか」
「はい?」
「なんでもない。それよりちょっと狭間を借りていくぞ」
あー腕を掴まれて教室から距離ができていく。
一番近い空き教室に入って中央ぐらいまで進んだところで手を離してくれた。
「我妻は手強いぞ、それでも頑張れるか?」
「なんの話?」
「ちゃ、ちゃんと乗ってもらいたかったけど仕方がないか。ありがとな、それを言いたかったから連れてきたんだ」
「それを言うだけなら連れていかなくていいと思いますが」
「やっぱりな。よし、確認したいことも確認できたから帰ろう」
彼女はこちらの頭を撫でてから「ありがとな」と最後言ってくれたけど、なにもしていないのに言いすぎだと思う。
「とにかく我妻も狭間も頼む」
「おかしいですね、先に名字を出してもらえているのに私のおまけ感がすごいです」
「わたしは我妻の面倒見のいいところに興味を持ったからな、だけどこれからはわからないな」
「まあ、ゆきさんにお友達が増えるということならそれはいいことですけどね」
怖がりで寂しがり屋な自分、ただ、その点については求めているようなそうではないようなというこれまた曖昧な状態だった。
先程も言ったようにお友達がいる状態でもちゃんとこはくが優先してくれていることが影響している、あとはこはくがいてくれればこはくのお友達が喋りかけてくれる点が違う。
仲良くはなくてもある程度会話をすることができてしまえば深く求めようとはならなくなるのだ。
「あいた」
「ぼうっとしながら歩いていると危ないですよ」
「え、こはくが急に止まっただけ――」
「それでも考え事をしていなかったら止まれたはずです」
一人のときもそうだけど、他の誰かがいるところでは普段よりもツンツン状態になるからそこが気になるところではあった。
いつまでもくっついていたところで仕方がないからちゃんと直して歩き出したのだった。
「いたた……」
「保健室にいこ」
「はぁ、そこまでではないですよ、運動不足であることはわかりましたが」
洗っていたけど傷口が痛そうだ。
なにかないかと鞄の中を探してみると奇跡的に絆創膏があったから渡しておく。
「ありがとうございます。あと、今日から走りたいんです、ゆきさんも付き合ってください」
「今日から走る」
「はい、よろしくお願いします」
二つ隣のクラスでもそう離れているわけではないから谷内の教室にいってみることにした。
突っ伏して寝ていたからどうしたものかと目の前で考えて数秒、諦めようとしたタイミングで「お、どうしたんだ?」と起きてくれて先程の話をした。
「でも、我妻は狭間に頼んだんだろ? わたしがいて邪魔じゃないのか?」
「ある程度時間が経過するとテンションが上がってどこまでも走ろうとするから谷内がいてくれると嬉しい」
中学生のとき、いきなり走りにいってくると言ってきたあの子を止めなかった結果、帰ってきたのは夜だった、などということがあった。
それからはちゃんと言ってからにしてほしいとぶつけ、こはくもほとんどは守ってくれていたけど裏でこそこそと走っていたことがあったから危険だ。
「はは、なんか簡単に想像ができるのもなんとも言えない気持ちになるな。よし、なら狭間を守るために参加させてもらうかな」
「寧ろあなたにはこの子がやる気がなくなったときに運ぶ係としていてほしいです」
もちろんその運動大好き少女のこはくが出てきてしまったら付いていけなくなるからそういう意味でも求めているのだ、とまで考えて、結局これはこはく以外の人を求めてしまっているからこの前考えていたことは矛盾していたことがわかった。
だけど一緒にいたいのに無理をして一人でいようとしているわけでもないし、悪く考える必要はないからこれだけにしておくけど。
「そういうの任せるんだな」
「はい? そりゃ楽をできた方がいいですからね」
「そうか、わかったよ」
ということで放課後になったら彼女のお家に荷物を置いてから走り出した。
格好はみんな学校の体操服姿だ、部活動をやっていたときのことが思い出せていいかもしれない。
「ま、待ってくれー……」
「「あれ」」
意外だ、谷内も負けないぐらい運動が好きそうに見えたけどそうではなかったらしい。
でも、悪いことではなかった、これならこはくも合わせようとするからこちらにとっては無茶みたいなことをすることはなくなる。
「はぁ……はぁ……実はあんまり得意じゃないんだ」
「それなのによく受け入れてくれましたね」
「それはやっぱり狭間が頼んできてくれたからな、ただ、すぐにこんなところを見せていたら情けないけどさ……」
「そんなことはないよ、参加してくれたことが嬉しい」
「危ない我妻から逃げたいだけだったとしてもそう言ってもらえて嬉しいよ」
半分ぐらいの可能性しかないからそこまで心配をしているわけではないけど。
「軽くでいいので走りましょう、始めたからにはちゃんとしたいです」
「だな、いくか」
緩くお喋りをしながら走っていたら暗くなってきた。
実はあまり暗いところが得意ではないけど二人がやめると言うまでは苦手だからということで逃げたくない、そして意地悪をしてくる二人でもないからもっと暗くなる前に解散となった。
お家は反対側だったから一緒に帰ることはできなかったものの、こういうことを積み重ねていけばすぐに仲良くなれるだろうと内は明るかった。
「楽しそうですね」
「うん、こはくと同じで谷内は優しいから」
「私は少し気になります、あなたには私がいればいいんです」
「大丈夫だよ? それに谷内の目的だってこはくと仲良くすることなんだから」
僕のことで誘っていたら優しいから受け入れてくれていただろうけどその内まで同じかはわからない。
「わからないって言っていたじゃないですか、簡単に変わっていくんですよ?」
「ならこはくは変わらずにいてくれればいいよ、そうすれば私はちゃんといるから」
「守ってくださいね、そうしないと泣きますよ」
「現実は僕が泣いているところを慰めてくれるのがこはくだよね」
小中学校の卒業式ではだいぶ彼女の服を濡らしてしまったし、夜に怖がって涙目になったときも彼女が大丈夫だと言ってくれただけでなんとかなったぐらい。
泣き顔なんか見ないままで済む方がいいけど彼女は本当に泣かないからこれも冗談にしか聞こえない。
「今度は違います」
「わぷ」
「や、やっておいてあれですけど……あ、汗臭くないですか?」
「うん、いつものこはくの匂いだよ」
女の子なのにここまで身長が大きくなったのはこうやって抱きしめて他の人を吸収してきたからだろう、なんてね。
泣くのはともかく寂しくなるときは彼女にもあるからたまにこうしてくる、こういうときは特になにも言わないのが大切だ。
事実であってもなにかを言ったりすると「もういいです」と言って離れてしまいかねない、甘えてもらいたいから黙っておくのだ。
「そ、そろそろ帰らないと危ないですよ」
「うん、帰るね」
「……送ります、暗いところはまだ苦手ですよね?」
「いいよ、こはくに危ない目に遭ってほしくないから、また明日ね」
走って帰ればすぐだ。
だからぴゃーっと元気よく走って帰った。
「僕が相手なら同じようなものだから気にならないよね」
「そ、そうか? もう結構体力がやばいんだけど」
「なら合わせるから頑張って走ろ」
今日はこはくがお友達に誘われていていないから二人で走っていた。
高レベルというわけではないから苦手らしい彼女でも問題ないと思っていたけど、これでも少し気になるらしい。
「谷内――腕を掴んでおいてあげる」
「た、頼む、あとあそこまでにしてくれ」
「まだ三十分も経過していないけどわかった」
二百メートルぐらい移動したところで終了となった。
荷物は僕の家に置いてあるからとりあえずは家へ、すぐには帰らずに座りたいということだったから家の前の段差に座ることにした。
「情けないよな……」
「大丈夫、続ければなんとかなるよ。僕だってそこまで自信はなかったけどこはくに付いていっている間にこうなったから」
なんとか笑われない程度にはできるようになって助かっている。
とはいえ、できればじっとしていたい人間だから頼まれでもしない限りは学校か家でゆっくりしているのが一番だけど。
「じゃ、じゃあ狭間に頼るのも危険か?」
「ううん、だっていまだってこはくと走っていると普通に疲れるから全然追いつけていないよ。多分、ちゃんと調べたら谷内とほとんど変わらないと思う」
「い、嫌味だよな……」
ああ、この点に関しては難しいな。
なにを言っても逆効果になってしまいそうだから飲み物でも持ってくることにした、甘い飲み物を飲めばマイナス寄りの考え方もなんとかなってくれるはずだ。
「なあ、今日は我妻が参加できないとわかったとき、どう思った?」
「そういう日もある、かな、中断となることが少なかっただけで他の人と遊びにいくことはあるから気にならないよ?」
いちいち気にするような人間ではなくてよかったと思っている。
「我妻がいなきゃ駄目ってわけじゃないのか」
「ううん、こはくはいなきゃ駄目だよ。でも、過ごせるときに過ごせればそれで十分かな」
「ゆきは強いな、あ、ゆきって名前で呼んでいいか?」
「いいよ」
すぐに名前で呼ぶようにしているのだとしてもこはくに対して動いてからにすると考えていたから意外だった。
とにかく、嫌ではないから受け入れるだけだった。