第十五話「青春だね、この禁断の愛は。」
ガリボオオオオオオン。
木製の引き戸が激しく開かれた。
その開かれた隙間から、初夏の風が教室という空洞に勢いよく吹き込むように、女教師が突入してくる。
「ぅおおお。35番!ちょっとツラ貸せえぇえ!」
まさに猪突猛進、疾風迅雷、虎の子だ。
「うぉぉおおい。どうしたんですか。先生。」
時をかける少女、否、光を追い越すアラサーのような速度で、(どんな速さだよ)突進してくる。
俺の口に、彼女の振り上げた右腕が突っ込むのは、ほんの一瞬だった。刹那の瞬間。それは、束の間で瞬く間であっという間だった。
(全部同じ意味じゃねぇかよ。)
グリゴリバララン。
「ごげがぁ。げこぉ。うごぉがははぁ。」
「ごめ、ごめ、ごめん!」
彼女の右腕は俺の喉奥に突入し、まるで玄関の鍵穴に合鍵でグリゴリほじくり回すようだった。
はっきり言って、痛えよぉ。
俺の叫びを読み取ったか、彼女の腕は口から出ていき、俺は圧迫感から解放された。
(はぁ、はぁ。まじでどうしたんだ。この人これでも大人だよな。まじ信じられねぇ。)
「本当にごめん。こういうのは好きな人とやるべきだよね。私が君の初めてを奪っちゃって…本当ごめん!」
「いや、それはいいですけど、先生そんなに急いでどうしたんですか?」
(そもそも口の中に腕を突っ込むとか、流石に好きな人とでもやらないのでは?)
彼女は諭すように呟く。その華奢な背中の奥から風が吹き込んだ。なびくその後ろ髪は、天使の光輪のようだった。
「実はね、君を催促に来たんだよ…君、デットラインに今、いるからさ。」
開かれた扉から、銀杏の香りを乗せてまた、風が訪れた。
木目が剥き出しで、年季のある床や壁で覆われた四角い空間で、彼女はそう呟く。
そんな女教師と正対する、捻くれた少年の顔がより一層捻くれた。ちなみにその顔は歪んでいる。
(デデデデットライン?なんだよぉそれ?何なに。英語の単語テストかよ。俺は始業式で誓ったんだ。英単語くんたちの意志を尊重して日本語訳はもうしませんって、契約したんだよぉ。だから答えられねぇ。)
「すいません、僕にはできません。」
「あなたにしかできないのよ。だって契約したじゃん。」
(ちょっ待てよ。あれって独り言だったよな。あの時、英語ちゃんとは、妄想の中で語り合ったよな。じゃあ、なんでこの人、知ってんだ?)
「何その、ホラー展開。怖すぎでしょ。俺は脅かす側はいいけど、脅かされる側はダメなんですよ。そこのところよーく理解して、今度は俺が脅かす側でもうワンテイク撮りましょうよ。ねぇ。」
「は?何言ってんの。この生徒風情が。バカなこと言ってないで、早く完成させろよ。私との契約だろが。」
(言葉づかいワルイヨ。僕、怖いお姉さんキライだよ。)
彼女の隠されし一面に驚愕の反応を取りながら俺は『窮鼠猫を噛む』の思いで彼女に立ち向かう。
「先生と俺の契約?えっとすいません、俺、勘違いしてたっぽいです。何のことでしょう?」
俺の本心からの問いに彼女は呆れた顔をし、彼女は、唾液で濡れた右腕をピンク色のハンカチで拭き取りながら答えた。
「この前、政府から打ち出された第一問目の『疑問』についての回答が、今日の放課後までなの。だから君は今デットラインにいるんだよ。早く出して。」
(あーデットラインは締切って意味か。やっと理解した。てか俺まだその『疑問』について何も考えてないんだが。でもまあ、ここは話を合わせとくか。)
「あ、はいそうですね。放課後?に出せばいいでしょうか?」
俺の答えに満足したのか彼女は俺の耳元に唇を近づけて囁く。そうまさにASMRのようだった。
「うん、それでいいよ。」
彼女は俺の右耳にぴたりと唇をくっつけて引き続き囁く。
「じゃあ授業終わったら職員室に来てね、この学校の英雄さん。」
最後にふっとしと吐息が、俺の耳の窪みへと入り込んだ。
「ふぉおおお!?せ、先生こういうのこそ、好きな人にするべきですよ。本当に。」
俺のささやかな対抗意識から芽生えた羞恥からの叫びに彼女は、にこやかな顔をして俺の最後の抵抗を打ち砕こうとお言葉を告げられた。
「こういうのは好きな人とするものだから、駄目だって?」
「はいそうです。」
すると彼女は告げた。
「そうだよ、だから私は君にしたんだよ。」
「…、あ?」
「ふふ。じゃあね。捻くれた英雄さん。」
彼女の艶やかな声色を最後に彼女の姿は廊下へと消えていく。しかし俺の脳に彼女の顔と発言は消えない。
それどころか、俺の脳内を彼女という存在がどんどん支配していく。
__________________________________________________
「これが、愛か。」
俺の呟きは俺の顔をより一層赤らめさせる要因になったことに俺は気づいていなかった。
銀杏の甘い香りが漂う春の教室はまさに青春を顕現していた。
いや、愛よりまず、恋だろ。
少年の机に置かれた単語帳の『単語くん』のその発言は誰の耳にも届くことはなかった。