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第十話「廊下は、鯨の食道である。」


 ガリナイゴリブギっガガッッガン。


 「また会おうね、35番くん。」


 保健室の木製の引き戸は音を立てて閉じられた。


 彼女の背中に垂れた長い黒髪が靡いている。そんな光景がピシャリと扉で閉じられたのを最後に、俺は再び安堵を取り戻した。


 (あの人、やばすぎないか。ガチ恋だろあれ。)


 保健室の布団にくるまった俺を慈愛の目で見つめ、俺の髪をずっと撫でていたのだ、あのひとは。


 生徒と教師の関係で許されるものじゃない。


 (あの人は俺に恋してる。もしくは敵だ。)


 少なからずあの人は何か重大なことを隠している。


 バサーっと、白いカーテンが揺れた。


 開けっぱなしの窓から風が吹き込んできたようだ。


 銀杏の香りを乗せた風は、俺の鼻腔を一通りくすぐった後、閉じられてしまった扉にぶつかってそのまま散開した。


 加湿器は水が不足してしまい、動いていない。


 体に覆い被さっていた布団を跳ね除ける。裸足で木目が剥き出しの床をぺたぺたと歩いた。


 俺には確かめることがある。そう決心し扉へと近づいた。




 グリヤリボボッベガガン。


 保健室の扉は古いせいか、恐る恐る引いても不協和音が廊下へと響き渡る。 


 (ちょっとなんなの。この学校の扉君たちはみんな叫ぶの?)


 幼い子供が叫びたがるようにこの学校の扉はみんな叫びたがる。けれどこれらの扉はみんな古臭い。





 そもそも学校自体が古臭い。


 ピタピタと木製の廊下を裸足で歩く。不気味なほど静かな廊下には俺の影と俺の足音しか感じ取れない。


 こうやって職員室やその他諸々、学校中を歩いてみた俺は今初めて実感した。『この学校古すぎ。』と。


 この学校の長所は、校舎が極めて大きいこと、短所は古すぎである。


 いや、校舎が本当に大きすぎて驚きましたよ。


 入学当初、夢を抱えてこの学校に入学してから一週間。いつも俺だけ、場所がわからず彷徨っていたし。


 (ちなみに俺の居場所は常になかったので、居場所に関しては、探すのすら諦めていましたが。)


 その度に先生に見つかって罵られてこう言われるんです。


 「お前、教室わからないなら先輩に聞きな。」って。


 まず同じ学年でさえ、話せる人=0。聞けるはずないない。


 (孤独を謳歌する代償が、こんなにも心に響く惨めさだなんて、聞いてないよ。はあ。)


 とまあ、この俺が一週間教室の位置を覚えられなかったほどには、この学校は大きいといえる。


 しかしそんな笑い話(笑えない話の間違いだろ)は終わりを告げる。俺はある事実に気づいた。


 (なんか、暗い。)


 風が全然、廊下を通らない。こうしてぶつぶつ独白している間も、無風なのだ。


 廊下の天井には電灯が規則的に設置されている。


けれど光を出している電灯は俺の頭上にあるもの一つのみであった。


 廊下の天井についた電灯は、おぼろに俺の影だけを写している。


 おぼろに光る唯一の電灯が俺の影を鮮明に生み出せるほどに、奥に広がる空間は暗闇の世界だった。


 (もしかして今って、夜なのか。)


 ゾワゾワと鳥肌が立つ。引いてくれそうになかった。


 保健室にいた時、窓から見えた外の景色は銀杏の木で邪魔されて見づらかったけれど、太陽は天頂近くに乗り出していた覚えがある。


 だから保健室にいた頃は昼だったとわかる。


 であるならば今も昼であるはずだ。


 (時間はそんなに経っていない。ならどうして。)


 けれど廊下にところどころ設置された窓から、光は全く差し込まず、それどころか窓の奥は真っ暗であった。


 俺が保健室を出て、廊下を歩いている時に日没でもしたのだろうか。


 (いや、おかしい。)

 

 (そんなすぐに日没しない。)


 胸の鼓動が早くなるのを確かに、感じた。



 高鳴る心音に釣られて俺の体も興奮状態になる。



 長い長い廊下を裸足で走る。


 ぺたぺたと、足の裏に砂がへばりついた。


 暗くて廊下の奥は見えない。まるで鯨の食道のようだ。


 走った。


 息が切れたあとも走った。


 先は深淵だった。


 普段使わない足はとっくの前に悲鳴を上げていた。


 息をすると肺が裂けそうになる。


 振り上げる腕は限界値を超えていた。


 何より、太ももの腱は吊って、動かすたびに尋常じゃない痛みを感じる。


 痛い、痛い。


 けれど止めてはいけない。


 立ち止まってしまえば、そこで終わりな気がするから。


 目の前に広がるのは、俺が向かっている先は、


 何もない。暗い深淵。


 何もない。


 俺が逃げてる先には、希望も望みもない。


 ただ、暗闇だけ。


 俺は絶望の暗黒で取り囲まれていた。


 それに今、気づいた。


 足の力が抜ける。


 腕の意識も抜ける。


 ここで終わりか。


 しゅパッと、俺が闇に身を委ねようとした時、俺の腕が掴まれた。


 「こっち。早く走って。」


 暖かな体温を感じるその感触に俺の意識は再び戻った。


 この腕を掴んで一緒に走る人が誰か、そんなことはどうだっていい。


 闇に、別世界に取り込まれそうになっていた俺をこの人は救ってくれている。

 

 そこに疑う余地などないだろう。


 (俺は、助けられた、のか。)


 二つの人影は暗い廊下を走り抜け、『第2相談室』に身を隠した。




 

 

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