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【1】ホットケーキの呪い


────万能魔力。

それは、術者がイメージした事を即座に具現化させる、まさに神に近しい能力。


万能魔力の持ち主がイメージすれば、連なる山々は平地になり、大陸は海の底へと沈み、空の色でさえ何色にだって変えてしまう。


たとえそれが、『世界の破滅』であったとしても。


かつて万能魔力を手にした者は、その指先一つで天から槍の雨を降らせ、敵の首を胴体から一瞬で切り離し、何万という敵の軍勢を炎の海で焼き払い、その圧倒的な力により世界を恐怖で蹂躙したという。


これは、そんな万能魔力の持ち主であるドジっ子魔王・メル=メルが、“どうでもいいこと”に魔力を使い倒し、周りを笑顔にするために全力で空回りするお話。




────────────

────────

────




「……ついに、“この時”がきたんだね、めるめる……」


そう言ったのは、青年悪魔のダリル。彼は神妙な面持ちで、隣にいる人物──魔王・メル=メルに視線を送る。


「長い道のりだったね、りるりる。大丈夫、これでようやく終わるんだ……!!」


メルはそう言うと、指先を静かに宙に掲げる。

重々しい緊張感が場を支配し、ダリルがごくり、と唾を飲み込む音が響く。



しん…という静寂の中、メルが大きく息を吐き、次の瞬間、カッ!とその目が大きく見開かれる。




「美しくひっくり返れ、最高傑作の、ホットケーキぃぃぃ!!!!!」



メルが指をパチンと鳴らすと、ホットケーキは華麗に宙に浮いた。



その瞬間、高揚した空気を蹴破るようにバン!と扉が開かれる。


「──メル、ダリル、ちょっといいか」



突如として厨房に入ってきた声の主に、メルは肩をビクッと跳ねさせた。



メルが驚いたせいで、万能魔力によって華麗にひっくり返る手筈だったホットケーキは、ぺしゃっと情けない音を立てて床に落下する。



「……」

「……」


三人の間に、ホットケーキの甘い香りが虚しく漂った。




「……うわああああああ!!!!」


悲鳴をあげたメルは、頭を抱えて膝からガクッと崩れ落ちる。


その様子を見たダリルが「あーらら」と肩をすくめた。



「ああ……あぁ……っ、最高傑作のホットケーキがあぁぁぁ!!ギドのあほーーー!!タイミング読め、空気読めーーー!!!」


ぎゃあぎゃあと喚くメルをよそに、ギドと呼ばれた青年悪魔は、足元に転がった無様なホットケーキを一瞥し、大きなため息をつきながら言った。


「はあぁ……またくだらねぇことで余計な手間増やしやがって」


ギドの言葉にカチンときたメルが思わず言い返す。


「ギドの鬼!悪魔!ギドなんか、ギドなんか…その端正な仏頂面がホットケーキに呪われてしまえー!!」


「その“悪魔”達の王は、めるめるだけどね」

ダリルが口角を上げながら楽しそうに付け足す。



「…フンッ、そんなアホくせー呪いがあるならこの目で拝んでみたいもんだぜ」


ギドは怯える小動物でも見るような眼差しでメルを見下ろし、嘲笑するように言い放った。


「ぐぬぬーっ、食べ物の恨みは恐ろしいんだからなー!!」


互いの顔を突き合わせてバチバチと火花を散らす二人を見ていたダリルが、「まーまーお二人さん♪」と楽しげに仲裁に入る。



「めるめる、大丈夫だよ。可哀想なホットケーキは俺が片付けておくし、ギドの怒ってばかりで活躍の場がないカッコいい顔は、俺が後で呪っておいてあげる」


「呪う」という不穏な単語を、まるで「愛してる」とでも囁くように甘い声で紡いたダリルは、わざとらしく、けれど見惚れるほど優雅に片目を閉じてみせた。


メルは「りるりるぅぅぅぅ〜〜〜」と大袈裟な泣き真似をしながら、彼の胸の中に飛び込んだ。


泣き真似をするメルを「よしよし」と慰めながら、ダリルはニヤリと勝ち誇った笑みをギドへ向ける。ギドは思わず苦々しい顔でダリルを睨みつけた。


「ま〜たコイツを甘やかしやがって、ダリルこの野郎……テメェはだいたい、いつも

「ああ〜っと、そういえば俺達に何か言いに来たんじゃないの?ギド?」


ギドのお説教が自分に飛び火しそうな気配を察知したダリルが、飄々とした顔で話題を逸らす。


チッ、と短く舌打ちしたギドが話を続ける。


「……俺はもうすぐ会談で席を外す。…………テメェらに言いてぇことは、分かってるよな?」


ズゴゴゴゴ…という効果音がつきそうな顔で、腕組みをした仁王立ちのギドが凄む。


「…も、もっちろんだよー!ギドの会談中に、余計なことはな〜んにもしないから☆さあさあっ、早く行きたまえよギドくん!遅刻したら大変だよー!国際問題だよー!」


急に饒舌になったメルが目を泳がせながら、さぁさぁ早く、と挙動不審に外出を促す。


やけに挙動不審なメルの様子を見て、ふふ〜ん、なるほど?とダリルが不敵な笑みを浮かべる。


メルの思惑を察したダリルが、「さぁさぁギドくん、早く早く」と、ギドの背中を押しながら扉の方へと誘導する。



「……テメェら、」


凄んだ顔のままギドが振り返ると、挙動不審だったメルがピシッと固まる。



「俺に何か隠してやがるな?」


「…ぎくぅ!」


「声に出てるよ、めるめる」

ダリルがメルの肩にぽんと手を置く。



────────────

────────

────



「な……んじゃこりゃあ…?!?!」



あまりにも間抜けなギドの台詞が魔王城のエントランスに虚しく響く。



ギドの目の前には、メルの万能魔力によって改造され、本来の威厳を失った初代魔王の肖像画があった。


かつて世界を恐怖で蹂躙し、見る者を震え上がらせた初代魔王の深紅の瞳は、今はまるであどけない子猫のようにうるうると無垢な光を湛え、見る者の庇護欲を掻き立てる。


頭部から伸びる禍々しく黒い大きな角には、可愛らしく蝶々結びにされたピンクのリボンが飾られており、リボンを縁取る繊細な白いレースがその愛らしさをより一層引き立てていた。


そして極め付けは、怒り狂う般若のごとく吊り上がった口元に咥えさせられた、可愛らしいパステルカラーのおしゃぶりだった。


油絵特有のねっとりとした筆致で写実的に描き込まれたおしゃぶりは、見た者を思わず脱力させる何とも言えない虚無感があった。



「えっと…へへ、この肖像画の顔、超怖かったからさ。この方が可愛いかと思って、その、万能魔力で、パチンと」


やっちゃった、とメルがきまり悪そうに後頭部をさすった。


「この世のものとは思えないほど邪悪な顔で描かれてた、あの初代魔王の顔が…こんな…」


ダリルが笑いすぎで息も絶え絶えになりながら声を絞り出した。


「ぐっ、うぅ…」


キャパオーバーを起こしたギドが、胃のあたりをおさえながら、顔を顰める。


「ギド、大丈夫?」とメルが不安そうな顔で言うが、



「……テメェのせいだ、このポンコツ魔王がぁ!!!!!!」


と、ギドの本日最大風速の怒号を耳元で浴びせられたメルが、その衝撃にぐるぐると目を回した。



ぜぇぜぇと息を切らすギドに、どこからともなくスッと現れた老齢の執事が粉末状の胃薬と水を差し出すと、「ギド様、そろそろ…」と耳打ちする。



ギドは勢いよく水を飲み干し、濡れた唇を乱暴に腕で拭うと、「チッ!!!」と大きな舌打ちをして続けた。


「いいかテメェら!!!俺が戻ってくるまでに元に戻しておけよ!!!分かったか?!?!」



そう言い放って、ギドは肩を怒らせながらドスドスと廊下を歩き、会談へと赴いていった。



まるで嵐が去った後のように静まり返った廊下に佇んでいたメルが口を開いた。


「…絶対前より今の方が可愛いと思うんだけどなあ」


まだ耳がキーンとするのか、メルが耳をトントンとしながら言う。


「俺も、今の方がおも……素敵だと思うよ、めるめる」

フフン♪と楽しげな様子でダリルが言う。


「ギドも怒ってばっかりで顔怖いからさぁ、前の怖い肖像画の顔とギドの顔が入れ替わっててもボク気付かないかもしれない」


「あっはは!それは見たすぎる!」

ダリルは腹を抱えながらバンバンと膝を叩いた。


刹那、何かを思いついたのか、ダリルの純粋な笑い顔は、ニヤリと口角を上げた不敵な笑みへと変わる。


ダリルはわざとらしく咳払いを一つすると、メルに言った。


「さぁさ、めるめる。戻ってきたギドに怒られないうちに肖像画を直しちゃおうか」


ダリルは長い人差し指を自身の唇に当てて続ける。


「元の肖像画は、怒った“ギド”みたいに怖い顔。ギドの怒った顔は、“肖像画”みたいな怖い顔」


まるで早口言葉のようにスラスラと一息で言い切ったダリルは、「ね?」と言いながら得意気な顔でメルにパチンとウインクをする。


「そうだね、ええと…ええ〜っと…」


メルは、畳み掛けるようなダリルの早口言葉に目をぐるぐると回しながら、たどたどしく復唱する。


「元の肖像画は、…怒ったギドみたいに怖い顔!ギドの怒った顔は……肖像画みたいな怖い顔!」


そう言ったメルが指をパチンとする。



────────────

────────

────



時は少し遡る。


応接室の前まで到着したギドは、怒りで乱れた息を整えながら、荒々しい手付きで襟元を正すと、その鋭い眼光を鉄仮面の奥へと潜め、扉を見据えた。


「遅れてすまない、非礼を詫びる」


そう言ったギドが扉を開けると、応接室には咽せ返るような煙管の甘い匂いが充満していた。


「あぁら、このワタシを待たせるなんて結構なご身分ですこと」


隣国の大使の、ねっとりと耳に絡みつくような甘いバリトンが部屋に響く。


大使は、肥満という言葉を優に超越した圧倒的な質量を誇る肉塊だった。彼の幾重にも折り重なった贅肉の層は、まるでとぐろのようだ。


大使の腰掛ける椅子はかなり大きく、応接室に相応しい豪華な造りだったが、その優雅な猫足はミシミシと音をたてながら悲鳴を上げていた。


ギドは大使を冷たい目で一瞥すると、大使の正面の椅子にドカッと腰を掛け足を組んだ。


すると、大使の側近と思わしき悪魔が、大使にヒソヒソと耳打ちをする。


「…ええ、そうね。じゃあさっそく本題に入らせてもらおうかしら」


そう言った大使が煙管の煙をフゥーッと吐き出す。


「先日のお願い、受け入れてくれる気になったかしら?」


大使は、獲物を観察する爬虫類のような目でギドの顔を見据える。


「…どんな条件を出されたって、答えは変わらねぇよ。『否』だ」


ギドはいつになく低い声で、ぶっきらぼうに言い放つ。


ギドの鋭い目を見た大使は、うっとりと恍惚に浸るような満面の笑みを見せた。


「……あぁ、堪らないわぁ。貴方ってなんて魅力的な男なの、ますます手に入れたくなるじゃない」


大使は側近の手を借りて立ち上がると、豊満な贅肉を揺らしながらのっしのっしとギドの隣までやって来た。


「鋭い眼光、端正な顔立ち、深く刻まれた眉間の皺、鍛え上げられた逞しい身体、男らしく荒々しいその言動……貴方の全てが、ワタシを興奮させるのよ」


大使の指がつつつ、とギドの胸板を滑る。


「テメェ…」


苦虫を噛み潰したような声で、ギドは大使を睨み付ける。


「ワタシはねぇ、これでも貴方の身を案じているのよ。とんだ宝の持ち腐れだわ。


───魔王の血筋でもない、片田舎からぽっと出て来ただけの、尻の青い小娘のおもり役なんて」


そう言って大使は煙管を吸うと、ギドの顔面めがけてフゥーッと煙を吐いた。


「先代魔王が人間ごときに討たれてから、我々魔族の権威は地に落ちた。このまま手をこまねいているなんて、真っ平ゴメンだわ。我々の手で人間に一矢報いなければ。………そう思わない?」


そう言って大使は人差し指をギドの顎に添える。


ギリギリっと歯を食いしばったギドの、握り締められた拳が震えた。


「ああんっ、怒った顔も堪らなく美しいのね…本当に貴方って、罪なオ・ト・コ」


恍惚の表情を浮かべて身震いした大使が、ベロリとガマガエルのような大きな舌を出して、ギドの頬に這わせようとする。


「テメェこの野郎……


っ…………?!?!」


我慢の限界に達したギドが拳を振るおうとすると、自身の身体が金縛りのように動かないことに気が付く。


視線を動かすと、大使の側近がギドに対して魔力で動きを封じているようだった。


大使の舌がゆっくりとギドの頬に近付いてくる。



「……クソッ、クソッタレがぁっ……!!」



ギドが固く目を閉じたその時だった。



ミシミシミシ…と静かな音を立てて、ギドの端正な顔が世にも恐ろしい凶悪な油絵の形相へと変わっていく。



「………はっ、何っ、何事?!?!」


恍惚の表情から一転、お気に入りの美しいギドの顔が、目の前でミシミシと音を立てて様変わりしていく様子を見て、大使はハッと我に返る。



「……なっ、なっ、な……?!?!」


魔力でギドの動きを封じていた側近が怯んだことで、ギドの拘束が解けた。



まるで血眼になって獲物を探しているような禍々しい真紅の瞳。口元は怒り狂う般若のごとく吊り上がり、油絵で緻密に描かれた顔中の深淵な皺は、まるで数千年の眠りから覚めて地の底から這い出てきた、世界最凶の死者のような形相だった。



ギドは自身の顔が初代魔王の肖像画と化してしまった事実には微塵も気付かないまま、「…テメェ」と、地の底を這うような低い声で、大使の方にゆっくりと顔を向ける。



「ぎえええええええ〜〜〜〜っっっっ」



大使はカエルが潰れたような情けない叫び声を上げて思い切り後ろに仰け反った。


勢い余って尻もちをついたが、彼のあまりの巨躯ぶりに床が耐え切れず、大使の巨尻がバリバリと床を突き破り、すっぽりとはまってしまった。



凶悪な油絵顔のギドが椅子からゆらりと立ち上がると、怒りを踏みしめるように一歩、また一歩と大使に歩み寄る。


尻が床にはまり身動きの取れない大使は、声も出ない様子で顔を真っ青にしていた。


「……俺は自分の意志で今の場所を選んでんだ。……赤の他人のテメェが、分かったような口聞いてんじゃねえ!!!」



世にも恐ろしい顔面から放たれる荒々しい叫び声に失禁寸前の大使は、自身の目を両手で覆い隠して、


「もうゆるしてくだしゃあああ〜〜〜い……」


と涙ながらに訴えた。



「…分かったらとっとと失せろ、二度とそのツラ見せんじゃねぇぞ」


ギドがぶっきらぼうに言い放つと、どこからともなくワラワラと現れた大使の側近であろう四〜五名が、魂の抜け殻と化してしまった哀れな大使を床から引き上げ、台車に乗せて運んで行ってしまった。



はああああ、と今日一盛大なため息をついたギドは応接室を後にした。



応接室を出たギドが廊下を歩いていると、何やら初代魔王の肖像画の前に、城中の執事やらメイドやらが集まりワイワイガヤガヤと賑やかな様相を呈していた。


何とも嫌な予感がしたギドは、少しばかり足を早めその様子を覗き見る。



「はぁ〜い、順番、順番だよー!おしあわないで、ゆっくりねー!」


メルが何やら交通整理のようなことをしている。



ギドが初代魔王の肖像画に目をやると───


そこにはなぜか丹精込めて描かれた自身の顔があった。



「…………」


状況が飲み込めないギドは呆然と声を失う。



そして肖像画の横には、何故か無駄に豪華な装飾の椅子に優雅に腰を掛けたダリルがいた。


何やら彼は、集まった執事やメイド達に憂いを帯びた顔で何かを語りかけているようだった。



「そう…それでギドの深い眉間の皺は、悲哀の渓谷と呼ばれるようになったワケさ…」


フ…と妖艶な表情でキザなポーズを決めたダリルに、メイドたちの「キャアアアアア♡」という黄色い歓声が響いた。



直しておけ、と言ったはずの肖像画が何故自身の顔になっているのか。怒りでワナワナと震えたギドが、



「メル!!ダリル!!何やってんだテメーらぁ!!」



と叫ぶと、その場にいた全員がギドの方にバッと振り返った。




「「「「「……………」」」」」



盛り上がっていた場の空気が、一瞬で凍りついた。



「「「「キャアアアアアアアーーーーーーーー!!!!!!」」」」



先代魔王の肖像画と入れ替わっているギドの顔を見たメイド達の真っ青な絶叫が甲高く響き渡る。



あまりの恐怖に腰を抜かした執事が勢い余ってメイドの腰に抱きついてしまい、それに悲鳴をあげたメイドが手に持っていた盆で執事の頭を叩く。


盆で頭を叩かれた執事が目を回しながらドサリと倒れると、それに悲鳴をあげたメイドが後退りをして別の執事と衝突する。


後退りをしたメイドとぶつかった執事は、その衝撃でウィッグが取れてしまい、悲鳴を上げた。その光景を見ていた周りの執事とメイドがまた悲鳴を上げ──と、まさに阿鼻叫喚だった。



元凶のメルといえば、あわあわと動転した様子でウィッグの取れてしまった執事に駆け寄り、次の瞬間、魔力を使ったのか指をパチンとすると、ウィッグの取れた執事の頭から全長3メートルはあろうかという黒々とした長い髪がモサモサニュルリと生えてきた。


それを見た執事やメイドがまた悲鳴をあげ、もう収集がつかない事態になっている。



「……なんなんだ一体」


いつも通り声を荒げただけなのだが、それがなぜここまでの阿鼻叫喚を引き起こしているのか全く分からないギドがボソリと呟いた。


すると阿鼻叫喚の中、一人だけニコニコと楽しそうな余裕の笑みを浮かべたダリルがこちらへやって来て、ギドの肩をポン、と叩くとギドに鏡を差し出した。



ギドは訳が分からないままダリルに差し出された鏡を覗く。



そこにはいつもの自身の顔ではなく、初代魔王の恐ろしい油絵顔が鎮座していた。




「………なんっだこりゃあああああ?!?!?!」




ギドの城全体を揺るがすような絶叫が響き渡った。




────────────

────────

────




「お疲れさま、ギド」


甘やかな声でそう言ったダリルが、疲労困憊で執務室の机に突っ伏しているギドに胃薬と水を差し出した。


ギドは、何とか元通りに戻してもらった端正な顔を歪めながら、本日何度目か分からないため息をついた。



「…色々あったみたいだね」


今日ギドの身に起こったことを全て見透かしたような表情で、ダリルが言った。


「ありすぎだ、クソッ」


そう言って机から顔を上げ、少し声を荒げたギドを見て、ダリルは柔らかく微笑んだ。




(──先代魔王が人間ごときに討たれてから、我々魔族の権威は地に落ちた。このまま手をこまねいているなんて、真っ平ゴメンだわ。我々の手で人間に一矢報いなければ。………そう思わない?)



ギドの脳裏に、大使の突き刺すような言葉が蘇る。



「……人間、か」



ギドはそう吐き捨てると、自身の掌を見つめ、ギュッと固く握り締めた。



その様子を静かに見つめていたダリルが、わざと明るく振る舞うように「それにしても」とギドの顔を覗き込んだ。


「めるめるの言ってた通り、食べ物の恨みは恐ろしいねぇ♪」


楽しげにクツクツと笑うダリルの表情を見て、ギドは「まさか」と身を乗り出す。


「テメェ…!まさか分かってて仕向けやがったのか」


「さぁ〜て、何のことやら俺にはさっぱり」


ダリルは飄々した顔で肩をすくめてみせる。


「……っ、この野郎!」


そう言ってギドが拳を振るうと、ダリルは笑いながら華麗にかわしてみせた。


「待てっ」


「お〜怖い怖い♪」


そう言ってダリルは鬼の形相で追いかけてくるギドをひらりひらりとかわしていると、執務室のドアがバン!と開かれた。



「あ〜〜っ!二人ともいたいたっ!何してるのー?」


勢いよく扉を開けたメルは、ギドとダリルの顔を見つけると嬉しそうな笑顔になった。



「テメェはもう俺に近付くんじゃねえ!この厄病神!!」


ギドが思わず声を荒げると、メルは


「ひどい!そんなこと言われたら追いかけちゃうもんね〜!」と言ってギドを追いかけ始めた。


「来るんじゃねえ!!」というギドの叫びと、ダリルの楽しそうな笑い声が執務室に響いた。

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