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四季の主  作者: コトノハソラ
夏の段『秋色の衣』
7/8

その三

 翌朝、早くに使者が来て今日の朝餉を共に、と文がきたらしい。

 起こしに来た夏橘からそう話され、急いで支度を調える。

「衣が、軽いな」

「夏でございますからね」

 肩に乗る重さが記憶よりも小さく思えてつぶやいた言葉に、春桜がそう言って微笑んだ。

 きっと、昨日までも私が快適に過ごせるようにと薄い衣を用意して着せかけてくれていたのだろう。それに気づかぬ自分に情けなくなってため息が出る。

「春桜」

「はい」

「気遣い、嬉しく思っている」

「そのように難しいお顔で言われても、嬉しくありませんわ」

 わざとらしく唇をとがらせて見せるが、その裏に心配があることはわかっている。口に出して大丈夫か、と問わないのは春桜なりの気遣いなのだ。

 昨夜の秋葉を思い出す。

 口にする優しさ、口にしない優しさ。

 私は、周りの人間に恵まれている。

「ありがたいこと…」

 つい呟いてしまい、春桜に不思議な顔をされた。

 着替えを終え、早速出るため御簾を上げよ、と声をかけようとしたとき。

「姫様、本日は私が供として参ります」

 正装に身を包んだ秋葉に声をかけられた。

 普段から秋葉は艶やかな美人だが、一際美しかった。

 とはいえ、迷う。

 普段、夜に月見に誘われるときはひとりで参上しているのだ。

 早朝とはいえ、朝の参上は珍しく人に見られる可能性は十分にある。宮中とはいえ、人目のあるところをひとりで歩くのは得策でない。

「…わかった、来なさい」

 結局、首を縦に振ってみせた。


 夜のように、裏からひっそりと御簾をくぐることはできないので表に回る。男が出てきて取り次いでくれた。今日は朝餉を共に、との誘いなのでそれ用の部屋に案内される。初めて入る間だ。

 幼いころは母と梅壺で暮らしたし、朝もそこで摂っていた。父が訪ねて来て朝を共にすることはあっても、父を訪ねることはなかったのだと気づく。

 間の前まで来て、案内を務めていた男が振り返った。

「この先は、姫様お一人でお願いいたします」

 私の後ろについていた秋葉が、少し驚いたように身じろぐ。私も隣で驚いていた。私の女房が父との個人的な会話に同席することをそうやって制限されたことなど、今まで一度もなかったのだ。

「主上の仰せでしょうか」

「はい」

「…なれば、私はここに控えます」

「秋葉…」

「姫様、いってらっしゃいませ」

 するりと礼をとり、秋葉が控える。

 途端に頼りなくなった自分の背中を叱咤して、しゃんと伸ばし直した。

 案内されて入った朝餉の間は、こじんまりとした場所だった。それもそうだろう、父一人が食事する場所なのだ。誰かをそばに寄せることはおそらく考えられていない。

「お父様」

「おはよう、尭子」

 上座に、すでに父が座っていた。

「御上を待たせるとは、大罪を犯した気分です」

 私の冗談に父はにやりと笑って、そばに置かれた敷物を示した。そこへ、ということらしい。おとなしく従いそばに座る。人目があるので顔は扇で隠したままだ。普段そんなことはしないので、逆に気恥ずかしく感じる。

 まもなく、食事が運ばれてきた。父が少しおや、という顔をした。

「お父様、なにか?」

「いつもの膳と違う」

 言われて目の前にある朱色の膳を見下ろす。美しく磨き上げられた膳は私と父とで揃いのものだ。

「いつもは黒檀の膳のはずだが?」

 聞かれた係の者は、しかし同様をかけらも見せず頷いた。

「いつもは主上おひとりの分ですので、黒檀の膳は一つしかございません。本日は姫宮様とご一緒なさる、とのことでしたので揃いでご用意するのがよろしいかと思いまして、客用の朱の膳でお持ちしました」

「なるほど、わかった。気遣い感謝する」

「有難きお言葉でございます」

 父が係の者に下がるように言い、間にいるのは二人になる。私は扇をおろし、食事を始めた。

「膳のこと、わざわざ聞いたのはなぜかわかるか?」

 唐突に問われる。

 私は食べていた米を飲み下してから、口を開いた。

「外の、この殿の勝手がわからぬ者が用意したかもしれぬと思われたからかと思いました」

「理由の一つではある」

「他にも理由が?」

「あの者がどう受け答えするか見たかったのだ」

「受け答え、ですか」

 先ほどのはっきりとした受け答えを思い出す。

「清涼殿で働くものは、私の姿を多く見ることになる、それが毎度おびえていたのでは仕事にならん」

「それは、確かに」

「なればこそ、資質が問われる。ひと月でこの場に慣れられるか、私の前でも堂々と真実を述べられるようになるか、が問われるのだ」

 ひと月という期間は、短いように思われる。しかし、私は春桜のことを思い出していた。

 彼女は全く何も知らない状態で私の房に来て、今や私の使者として父と渡り合いもする。彼女も、来てひと月で私の使者に立てるようになった。

「そういえば、春桜を使者として立てるように言ったのはお父様でしたね」

「資質のない者を宮中においてはおけん」

 鳥肌が立つ。

 春桜に優しい顔で菓子を勧めたあの父が、心の底では冷静な値踏みをしていた。その事実に、そして、そうまでして身の回りを保たねばならない帝という立場の深さに、鳥肌が立ったのだ。

「…春桜に、資質があってようございました」

 本当は聞いてみたかった。資質がないと断じたらどうするつもりだったのか、と。でも聞けなかった。

 大体の想像はつく。それでも、父の口からきいたら平成ではいられないことぐらいわかっていた。私はいつまでも父の前では「娘」で、感情のままに動くことを許されたいと思ってしまうから。

 言ったきり無言になった私に、父は優しく微笑む。

「して、話があると文にあったが?」

 水を向けられて、今日ここに来た理由を思い出す。

「あの黄丹の着物は、どのようなお考えで送られたものでしょう」

「…どのような考えだと思う」

 静かな目が私を見据える。

「…私に東宮位を、とは、いつからお考えになっていたのですか」

「梅壺を亡くしてから、ずっとだ」

 否定ではなく、答えが返ってきた。

 ずっと。それは、父が母を失って襲われた悲しみがいかに途方もないものか、丸ごとあらわしたような言葉だった。

「母という後ろ盾を失ったお前を、どうしたら守り通せるだろうかと思った。出家させて尼寺に入れればまず安全だろうが、お前にそうしておとなしくする人生は似合わぬ。ならば、いっそこの席につかせてはどうだろう、と」

 父が目線を下げて、自分の座っている床を見透かすようにじっと真下を睨む。

「いっそ、何者かに嫁がせてしまおうとは思われなかったのですか」

 私は仮にも帝の姫だ。後ろ盾がなくても求められはするだろう。

 心からの疑問で出た言葉は、想像以上に父の心に踏み込んだらしい。

「お前まで、不幸にはさせぬ…」

「お父様…」

「力を…お前に、力をやりたいのだ。何者にも踏みつけられず、お前が望むまま望むものに手を伸ばずための、力を」

 そっと、父のカサついた手が私の頬を撫でた。

「それに、お前より聡明な人間はこの宮中にいない」

「條子様は身重です、男児が産まれるやもしれませんでしょう」

「そうだとして、その子を帝に据えれば右大臣が権力をほしいままにし始めるだけだ。平安な世にはならぬ」

 頬に触れていた手が、拳を作って父の太ももに降ろされる。その力強さに、本気で行く末を憂いているのがわかった。

「お前か、産まれてくる子か、どちらかを東宮に立てねばならん。ならば、私はお前に頼みたい」

 真っ直ぐ見据える瞳に、嘘はなかった。

 あまりに大きなことだ。父がここまではっきりと私の将来について、私が帝になる可能性について語ったのは初めてだった。

 なにも言えず、不甲斐なく押し黙る私に、不意に父が微笑んだ。空気が柔らかくなり、いつの間にか肩に込めていた力がふっと抜ける。

「まあ、良い。お前が幸せでいてくれれば、私は満足だ。梅壺にも顔向けできるだろう」

 私は尚もなにも言えなかった。

 父の言葉を機会に、すべてを冗談として笑い返すこともできたかもしれない。しかし、未来を語る父の声は、瞳は、あまりにも真剣だった。

 身に余るほどの期待。それに、応えたい、と思っている自分がいた。

「…続きは…夏の終わりの、右大臣家の宴でお話したく存じます」

 父は頷いて、退室を求める私を許した。去り際に一言、

「お前には、どんな色も似合うだろう」

 と微笑んで。

 ちょうど御簾を上げたところだった。前で控えていた秋葉にも言葉は届いたのだろう。こちらを見た彼女は、元々大きな目を零れそうなほど見開いて固まっていた。

「ひ、姫様…」

「秋葉、戻るぞ」

「しかし…」

「話すべきことは話した。あとは…すべきことをする」

「すべきこと、ですか…?」

 私は頷いて、そっと呟いた。

「宴に出る準備を」


1週間の大遅刻!申し訳ない!

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