その二
衣が贈られてきて房が大騒動となったその夜、夜番として私の寝台に付き添っていたのは秋葉だった。
灯りを消してもらい、まどろみ始めたところで小さく秋葉に呼ばれる。
「姫様」
「どうした?」
珍しい行為に驚きつつ、返事を返した。
「昼に、一つお聞きするのを忘れておりました」
「なんだ」
「…姫様は、東宮になることを望まれますか」
思わず、閉じていた目を開けた。
秋葉が真剣な顔でこちらを見ている。
「…分からない」
この上なく情けない答えだが、私には本当に分からなかった。帝になる未来など、無いと思っていたのだ。この宮中で私が見られる夢には限りがある。せいぜい忠義の篤い者に嫁入りしてそれなりに幸せな生活が遅れれば最良、と考えていた。だからいつでも未来より今の方が大事で、今ここにいる父と女房たちと楽しく菓子を食べていられるのが幸せと思っていたのに。
そんな私に、今日の出来事は大きすぎた。
「私には、大きすぎる」
秋葉は、静かに私の言葉を聞いていた。
もし、帝になったらどうなるだろうと思う。
春桜の事を考えた。あの子のように恵まれない子を救えるだろうか。
夏橘のことを考えた。彼女のように生まれで差別される者を取り立ててやれるだろうか。
秋葉のことを考えた。貴女のように賢い女性を役立ててやれるだろうか。
最後に、冬椿のことを考えた。私がもし帝になれば、冬椿をそばに置いておけるのだろうか。
「…姫様」
「なに」
「秋葉は、姫様のお心に賛同いたします」
「私がとんでもないことを言うとしても?」
「それでも、姫様は私の唯一の主です。私に生を与えてくれたのは姫様です」
秋葉の忠義を、初めてこんなにもきちんと感じた気がした。
「驚いた。お前がそんなにも忠義に篤いとは」
かんがえたまま口に出すと、秋葉は虚を突かれたように笑った。
「我々は皆、姫様が好きですよ。忠義に篤いというだけでなく、人として好いているのです。よろこんでそばにいたいと思うのです」
「今夜の秋葉は、やわらかい」
「やわらか、とは…また珍しい評をいただきました」
「事実だろう。冬椿に対して以外は、とても冷静に見える」
「冬椿は…そうですね。確かに、話していると子どものような気分になることがあります」
「子どものような…」
分かる気がする、と思った。
きっと、秋葉の言う気持ちは互いに子どものように接することで、私の子の気持ちは母に向けるような者だと分かっていたけど。それでも、分かるような気がした。
「反対に春桜や姫様に対しては姉になったような気分でおりますよ」
「幼子扱いと言うことではないか」
「いえ、そんな…」
否定しつつも、いたずらげに瞳が笑う。
幼いと言われることは決して褒め言葉でない、と思うのだが、寧ろ愛おしまれていることが嬉しい。
「夏橘などは、まだ話す価数も多くなく距離を測っている今日泣きはいたしますけれどね」
それはそうだろう、と思う。
冬椿は幼い頃から。春桜は右も左も分からない状態から。それぞれ長く関係を築いてきた。
一方で夏橘は、それなりに完成された状態で現われ、屈託無く笑うようになった今ですら僅かに距離がある。
「まあ、それも良いと思います」
「良いのか」
「ええ。どんな者とも等しく仲良く、とは行かないことを存じておりますもの」
そう話す秋葉は普段にまして年上のように感じた。
「さ、もうそろそろお休みになられませ。明日には主上からお返事も届きますでしょう」
言われて目を閉じる。そっとかけ直された着物が暖かかった。